灰の瞳のレラ

チゲン

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第2幕

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 貿易商は駆けた。とにかく衛兵所だ。そこまで逃げ込めば、襲撃者も手が出せまい。
 太い足に、何かが絡みついた。
「うわっ!」
 貿易商はつんのめり、顔から派手に転んだ。
 小袋の口が開き、小気味よい音をたてて金貨が散らばった。売り飛ばされた娘たちの尊厳が、月明かりに輝いた。
「くそ!」
 貿易商は痛む鼻を押さえつつ、両足に絡みついた異物に目をやる。
 それは短いロープだった。ロープの両端には、拳大こぶしだいの石がくくりつけられている。ボーラという捕縛用器具の代用品だ。
「ふざけた真似を!」
 貿易商は、力任せにロープを解こうとした。だが焦れば焦るほど、逆に絡まっていく。
「くそ、くそ、ふざけやがって!」
 そのとき、背後に何者かが立つ気配がした。
「ひっ……」
 背筋に悪寒おかんが走る。
 恐る恐る振り返った貿易商は、だがほっと息を吐いた。そこにいたのが、まだ若い町娘だったからだ。
「お、脅かすな」
 近所の住人なのだろう。粗末な服装の割りには、つややかな黒髪をした美しい娘だった。
「おい、見てないで手伝え。こいつを解くんだよ」
 貿易商は、苛立いらだたしげに命じた。だが娘は、彼を見下ろしたまま微動だにしない。
「何をしてる、早くしろ。俺を誰だと思ってる。この町のギルドを仕切る……」
「薄汚い奴隷どれい商人」
「え?」
 娘の言葉に、貿易商は思わず耳を疑った。
母様かあさまはそう言ってたわ」
「お、おい、待て……」
「だから奇麗に掃除しなさいって」
 娘が右手を振り上げた。その手に握られた短剣が、月明かりを浴びて金貨よりも美しく輝いた。
 貿易商はようやく、ボーラを投げつけた犯人が誰かを悟った。
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