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第3章 ケットシー編

46 おしおき

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「んんーっ!」

 ジュリアが悲鳴が、口の中でくぐもって聞こえる。

 今度は解毒のためではない。好きだから、愛しているから、などどいう殊勝な言い訳すら浮かばない。
 ただ、この生意気な口を塞いで後悔させてやりたいという凶悪な気持ちからくるものだった。

 (俺の前で死んでもいいなんて言わせない)

 何がそこまで急き立てるのか、自分にもよく分からなかった。
 暴れるジュリアの後頭部を手で押さえつけて、目も閉じずに目の前の彼女を睨みつける。
 もっと抵抗してくるかと思ったが、それを見た彼女はマナトに身を預けるようにゆっくりと力を抜いて、目を閉じた。

 (親父とおふくろも亡くしたときも、こんなふうには思わなかったのにな)

 車の事故で、唯一の肉親である両親を同時に失ったときでさえ、マナトはこんなふうに思わなかったのに。

 (あぁ、そうか。俺はそのことがトラウマになってるんだな。
 二十五年間生きていて、死んでからやっと気づくなんて、俺は馬鹿だ)

 マナトはその時、中学生だった。
 両親に一緒に出かけようと誘われて、恥ずかしさもあって友人と遊ぶからと断った。
 夜遅く家に帰り、玄関の電気がついていないことを訝しみ、入ってすぐ鳴った電話を受けたときには、すでに両親は死んでいたのだ。
 一緒に行っていれば何かしらの応急処置がてきたのではないのかと、あるいは一緒に死ねていたのではないかという自責の念と向き合えば辛いから、心の奥底に隠してしまったのだ。

 それを自覚すると、急に腕の中の彼女が愛おしくなった。
 
 ジュリアにはケットシー族の次期族長として、身の危険よりも大事なことも存在するのだろう。
 それを理解して受け入れた上で、それでも心配させないで欲しい、と素直に自分の気持ちを告げればよかったのだ。
 決して、こんなふうに無理やりキスして傷つけたりしてはいけなかった。

「ジュ……リア……」

 ごめんと言えば許してくれるだろうか。
 口を離ながら名前を呼ぶと、首にふわりと腕を回されて、追いかけるように、今度はジュリアのほうからキスをしてきた。

「ん……」

 口と口が触れるだけのキスは、さっきマナトがした乱暴なものと違い、優しくそして甘かった。

 啄ばむように一瞬でキスして離れていく。

 顔を真っ赤にしたジュリアはもう俯いたりせず、ありのままの表情を見せていた。
 そこに、マナトを嫌悪するような色は見えない。

「ごめん私、マナトの気持ち、全然考えてなかった。
 神さまのマナトに比べたら、私は足元にも及ばないんだもん。
 少しでもマナトの力になろうって思ったら、ああするのが一番だと思ったの。

 だって、私が死んでも、マナトには数ある内の砂つぶが一つ消えただけで、なんの関係もないだろうって。
 でも、そんなふうに泣いてくれる姿が見れて、本当は反省しなくちゃいけないけど、すごく嬉しい」

「俺が泣いてる……?」

 頬に手を滑らせると、確かに濡れていた。

 (いつの間に? 
 無理やり襲った方が泣くって……。慰められるって…………)

 いい年をした男が、女子中学生のような女の子にヨシヨシされている。
 しかも、やっていることと言えば、暴行か売春ときた。

 (しばらく立ち直れないかも。社会人なんてクソ食らえ、だ。ハハハ…………はぁ)

「ねぇ、マナト、なんか焦げ臭くない?」

 そのとき、ジュリアが鼻をくんくんさせながら、そう言った。

「焦げ臭い……どころか、燃えてる! 火事だ!」

 ハントマンスパイダーを燃やした火が、床の糸に燃え移り、奥の一帯を火の海にしていた。
 ここまで大きくなってしまったら、消火なんて追いつかない。

「バーナードさんは俺が助け出す。ジュリアはマシューを起こしてくれ!」

「うん。任せてマナト!」

 甘い雰囲気が一気に覚め、マナトとジュリアは慌てて二人を連れ出すために行動を開始した。
 魔法剣を使って一瞬で糸を焼き切り、ふらつくバーナードに肩を貸したマナトは、同じく状況にやっぱりついていけていないマシューの背を押して出口に向かうジュリアと目を合わせる。
 そして、こんなときだというのに、こっそり笑いあった。

 玄関を出たときには、火は屋敷全体に広がり、振り返った四人はそれを見ていた。

「終わったね」

「終わったな。あとは、森に散らばった子蜘蛛退治だ

 今度は俺もついていくからな、ついてこないでなんて言うなよ」

「もう。人の揚げ足ばっかりとって。ついてこないでって言ったってついてくるくせに」

「ん? なんか文句言いたそうだな?」

 言外に、もう一度キスしてもいいんだぞ、と匂わすと彼女は顔を赤らめた。

 (そんなこと二度としないけど。これ以上、自分の身を削ったら、本当に悶死する)

「——ついてきて欲しい。これでいいでしょ」

「いい返事だ」

 そこまでやり取りして、しまったと思ったのは後の祭りだ。
 バーナードとマシューが、マナトとジュリアの親密なやり取りに目を丸くしている。

 屋敷の屋根が崩れ落ち、青空が見えかけた暗雲に盛大な火の粉が上がるのを見ながら、どうやって言い訳しようかと考えてマナトは苦笑した。

 こんなふうに考えられるのも、誰も死ななかったからなのだ、と。
 こうして、マナトたちは帰路につくのだった。
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