虚構の群青

笹森賢二

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#22 夏の幻視

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   ──風の中。


 青い空を見上げる。熱を帯びた風が緩く流れる。蝉が鳴く。目を伏せた。此の季節には幻視が溢れて居る。私が何一つ望まなくても、其れでも彼らは其処に居て、視界に入る。


 住宅地。新しい物、古い物、高い物、低い物、様々な建物が混在して居る。新しく見える集合住宅の隣を過ぎ、立ち並ぶ古い借家を見送った。同じく整然と並ぶ長屋の前に差し掛かった。屋根の端、雨樋から垂直にパイプが伸びて居る。其の出口の辺りに人が座って居た。古い壁に背を当て、足を伸ばして居る。上半身は、腰から頭の上まで古びた麻布の様な物を巻いて居た。


 堤防沿いの道。隣は鬱蒼とした雑木林。足元は砂利よりは歩き易いだけの、罅だらけの古いアスファルト。所々に穴も開いて居る。吹く風は温い。鬱陶しい程の日光の中に矢鱈嬉しそうな蝉の声が響いて居る。通り雨でも降れば少なくとも蝉の声は消える。代わりに蜩の或る種奇妙な声を聞かされ、雨が通り過ぎれば強烈な湿気と戻って来た蝉の声に辟易する羽目に成るのだが。そんな事を考えながら歩いて居ると鈴の音が聞こえた。風に揺られて気紛れに鳴る風鈴では無い。殆ど同じ間隔で鳴って居る。気にも留めずに歩いて居ると、期せずして正体が知れた。季節柄、祭りでも在るのだろう。赤い地の浴衣を着た少女が居た。右手に飾りの付いた鈴を持って居て、ゆっくりと慣らして居る。軽く会釈された。同じようにして返して、其のまま逃げるように其の場を去った。鈴を鳴らす少女には両足が無かった。


 寝苦しい夏の夜。押し入れの襖が僅かに開いて居る。其の隙間から覗く赤い光は何だ? 誰の瞳だ?


 墓場。葉桜。仄かに青い炎の塊。定番過ぎて怖いとも思えなかった。横死した亡母か、産まれる事の無かった兄か。
「其れとも、貴方は女でしたか?」
 僅かに炎が揺れた。笑ったようにも見える。手を振ろうとは思わなかった。曖昧な世界との境界線は人の意思でしか引けない。青い炎はふわりと舞い、闇の中へと消えて行った。


 祭りの夜。狐の面の誰かに誘われるまま、崩れ掛けた社に辿り着いた。浴衣姿の其れが面を上げて見せた。其の下には、何も無かった。当然と言わんばかりに中身の無い浴衣は地に落ちた。しゃがみ込んで面と浴衣に触れようとする間に消えて仕舞った。化かされたのだろうか。顔を上げると古びた社。手には買ったばかりの酒。成程。供えて行くとしようか。


 夜が明ける。蜩が鳴いて居る。背後に立つ白い衣の君は、果たして現実だろうか。否、仮に住む世界が違うとしても、現実で在る事に変わりは無いか。君はふわりと微笑した。悪い事じゃ無い。半分夢を見て居るような、混濁した意識はそう思った。
 
 
 霧の濃い夜だったと記憶しています。お盆のお墓参りのついでと様々回っていたらすっかり暗くなってしまいました。例年似たような事をしていますから然程不安も恐怖もありませんでした。確かに夜道に女性の一人歩きでは危険もあるでしょうが、車でしたし、カーナビもスマホの地図アプリもあります。そもそも見知った道です。数十分もかからずに家に着くでしょう。ふと、新しい道を見付けました。ナビがこちらの方が近いと言っていました。試しに、と思ったのが間違いでした。数分進むとお墓がありました。山間と言う程でもなく、林が並んでいる程度の平地でしたが、一部が開けていて、墓石が並んでいました。そして、その隙間を大勢の人が歩いていました。最初はお祭りでもしているのかと思い、車を止めました。少し寄り道でもしようと思ったのです。ドアのロックを外して、すぐに思い直して車を走らせました。大勢の人は皆同じ真っ白な、死装束のような人達でした。皆大きな燭台に太い蝋燭を持っていて、そこからは青い炎が上がっていました。この世のものとは、到底思えず私は車を飛ばしてその場を去りました。
 後日聞いた話では、あの道はかつて墓地で、道を通す為や区画整理で多くの墓が移動させられたそうです。そして、その墓地があった頃、盆の行事として白い服を着て蝋燭を手に墓を回る、と言う供養の為の行事があったそうです。粗雑に扱ったと言う話ではありませんでしたが、矢張り一度眠りに就いた土地には未練があるものなのでしょう。


 里帰りを終えて家に帰る。頭の中は夏休みの宿題の事でいっぱいになっている。残りの日数と残っている宿題の量を考える。その間に手を動かせば良いのだろうが、子供等そんなものだ。余計な勘定をしている間に遊びを思い付いて日数だけを消費して行く。彼の場合は特に酷かった。夜になると大人には見えない友達と遊び始める。人の形はしているらしいが、真っ黒な友達。それでも里帰りから三日も過ぎればそれも終わる。真っ黒な友達が去って行くらしい。そして漸く本腰を入れて問題集に取り組み始める。


 蝋燭の灯りが好きだった。夏の晩、迎え火や花火をする時は必ず金色の燭台に蝋燭を乗せた。花火が終わる。迎え火が燃え尽きる。それでも蝋燭の炎は残っている。家族は水を張ったバケツと渦巻型の虫除けを置いて行ってくれる。
 そして、僕だけの世界が広がる。
 時折風に揺れる光の中を蝶が、雀が、鶺鴒が飛び回る。蜥蜴や蛙も居る。僕はぼうっとそれを眺めている。それは蝋燭の炎が消えてしまうまで続く。


 酒と肴が足りなくなった。丁度良くポーカーで見事に負けた俺が買い出しに行く事になった。もう泥酔している連中だ。適当に買って来ても文句は言われないだろう。簡単に済ませて戻る。道の途中には墓地がある。冷たい石の中、大勢の人が眠っているのに、もう誰一人目を覚まさない。そう思うと奇妙な心地にさせられた。ここで眠っている人達はかつてどこかで生きていた。当たり前か。その中には俺の妹も居る。よくある悲劇だ。信号無視の人身事故。悲しみも憎しみもちゃんと感じる事ができたけれど、妹が居なくなった事実と、その穴だけはどうしても埋められなかった。
 だから、だろうか。
 青白い球体が浮いていた。それがふわり、俺の回りを一周する間に妹だと分かった。それは、すっと近付いて、俺の肋骨の隙間から入り込んだ。もし心が体のどこかにあるのなら、そこへ収まったのだろう。
「何か良い事でもあったのか?」
 帰り着いた俺に酔っ払いどもが問い掛ける。俺は何も答えなかった。答えようがなかったし、誰にも知らせたくなかった。


 釜の蓋は閉じられた。亡者達は再びあの世へと帰って行った。季節も進み、怪異どもの宴も終わる。筈だった。柳の下に白い袷が逆の和服。マスクで大きく裂けた口を隠す女。雪山の宿、訪れる男を凍らせてコレクションする女主人。山に潜み人に憑くもの。地と水の境界に住まう小鬼。
 どうやら宴の終わりは未だ先のようだ。いや、人が存在する限り終わりなどないのかも知れない。
 
 


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