虚構の砂塵

笹森賢二

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#10 幻想の彷徨

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   ──夢の中で消える世界。
 
 

 石畳の上を歩いている。空は緑の翠色。少し離れて並ぶ木々には赤い紅い葉。やがて見えて来た鳥居は青い蒼色。


 駅のホームらしき物が見える。
「あそこに来る列車じゃ帰れませんよ。」
 蒼い髪の少女が蒼い瞳で僕を見上げながら指差した。
「ほら。」
 奇妙な構造の踏み切り。四方全てに遮断機。複線で入って来て、上りと下りが接続され、残りはそれぞれ逆方向へ九十度曲がっている。切り替え等は無い様だ。通る列車は、遊園地のジェットコースターのようだった。
「ね? それに。」
 少女は微笑みスマホを見せた。現在地は、僕がここに来る前に居た場所だった。
「×××に囚われてるから、帰れないよ。」
 酷い目眩を覚えた。


 四分の一にカットされたキャベツ、豚のレバー。卵は安売りをしていたらしいが、売り切れていた。
「ああ、丁度補充する所ですよ。」
 割烹着の女性がパックを並べて行く。十個入り、のハズが卵は四つだけ。後はなぜかブロッコリーが一つとトマトが五つ詰められていた。


 桜が舞っている。陽の光を受けて薄紅に、月の光を浴びて青白く、色を変えながら降り注ぐ。僕の足に触れる事はなかった。ふと見上げると、木々は緑に変わっていた。夏風に吹かれて揺れている。草の背が伸びて、虫が鳴く。風に金木犀の香りが混ざり込む頃には道は金色の落ち葉に染まって、そして途切れた。冬の、雪の花には辿り付けぬまま。


 夜道は歩きにくかった。街灯が絡まった電線を解き、標識が何か他の架空線にかかる枝葉を、ぶつぶつと文句を言いながら取り除いている。足元は暗く、信号機は適当な点滅をくり返している。一番困ったのは、下りたまま居眠りをする遮断棒だった。警報機が必死に起こそうとしているが、一向に起きる気配がない。仕方なく持ち上げてやると漸く遮断棒が目を覚ました。全く、夜道は歩きにくい。


 タイル張りの回廊の上に立っていた。道沿いに小川が流れ、その向こうには緑が溢れている。僕はこの場所を知らない。視線を巡らせる。大きな白い建物があった。何かの施設だろうが看板の類は見当たらない。雨が降り始めて、そう言えばあの建物に傘を忘れて来たのだと思いだした。面倒に思いながらタイルを踏み、来ただろう道を戻る。建物の入り口、屋根の下に入ると白い服の女性が僕のビニール傘を持って立っていた。
「どうぞ。」
 差し出された傘を受け取る。少し癖のある、背中にかかるくらい長い髪。それ以外はぼやけて見えなかった。僕はその人を知っている、のだろうか。


 西陽が真っ白な壁に当たっている。隣の部屋の窓から射しこむそれは真っ白な壁にオレンジ色の長方形を作っていた。その中を真っ黒な影が二つ歩いていた。丁度大人と子供が手を繋いでいるような形だ。触れようと手を伸ばして、止めた。影は少しずつ遠ざかるように小さくなりながら、やがて落日と共に消えた。


 見下ろす泥の海。その中に幾つかの白い構造物があった。柱、短い壁、斜めに降りて行くスロープ。その下で見知ったような男が手を振っていた。僕は訳も分からず降りて行く。ざらついた白いスロープは思ったより滑らなかった。辿り着くと男はにやりと妙な笑みを浮かべていた。
「ここは、なんですか?」
 そう訊くと、男はさらに口角を上げた。
「何でも無いよ。」
 遥か遠くに白い大きな壁が見える。僕は何故か絶望した。


 歪なオルゴールの音は途切れた。猫に食い千切られ、蛇に吊るされた体の肉は鳥に啄ばまれた。眺める蜘蛛の目は八つか、十か、十二? 其れが元にあった世界なのだと今は分かる。蛇から女に姿を変えた貴方の口元に残る、紫の筋には覚えがある。


 何度も何度もくり返される朝。タチの悪い迷路のようだった。少し進んでは部屋に戻され、また少し進んでは部屋に戻される。疲労感よりも、それを安易に受け入れている自分自身に嫌気がさしてきていた。


 コンクリートの長い道、両脇には高い建物、雑踏。すり抜けながら歩く。どこへ向かっているのか、知っているような、知らないような、それでも足は動く。やがてその全てが白黒の風景だと気がついた。足を止めて空を見上げる。青い空に黒い雲が浮かんでいた。


 瓦屋根に登って寝転んだ。真っ青な空を白い雲が流れて行く。一羽、白い鳥が舞い降りて来て、僕の腹の上に乗った。インコに似ているが、どこか人間めいた目をしている。そいつは片方の翼でクチバシの先を押さえた。
「随分彷徨ったみたいサねぇ? そろそろ終わりにしてもいいんじゃないかネ?」
「君は、」


 青い鳥居の前に背の低い女性が立って居た。後ろ姿の背には長い、癖の無い黒髪。赤子を抱いて居るらしく、女性の肩口に顎を乗せた小さな双眸が俺を見て居る。女性は俺に背を向けたまま鳥居の端を指した。相変わらず律儀な人だ。苦笑しながら女性の隣を通り過ぎる。僅か、懐かしいような微かな香りと小さな声には気が付かない振りをした。視線と足を鳥居の端に向けたまま、俺は其れを潜り抜けた。
(了)
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