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デニスが魔道具でお茶を淹れてくれて、僕たちはソファに座った。まだ食欲はなかったけど、僕はサンドイッチを食べた。挟んであったのは薄切りにされたチキンソテー。今日の夕食のメインがチキンソテーだったのだろう。
「わざわざ頼んでくれたの?」
「人は空腹だとろくなことを考えないからね」
「……ありがとう」
デニスは顔も家柄もいいけど、こういう気遣いができるからモテるんだろうなぁ。
お腹は落ち着いたものの気分は落ち着かない。
だって、ナサニエル殿下が目の前にいる。あんなことをした後で、平静でいるのは無理だ。
「レジィ」
じっと見つめられて、僕は真っ赤になった。
「俺が泣かせたんだよね。本当にごめん」
「いえ、あの……」
「何か言いたいことがあるなら、はっきり言った方がいいよ」
デニスがそんなことを言うけど、なかなか言い出せないのも仕方がないと思うんだよ。
僕は少しでも口に出しやすい話題から始めることにした。それでも緊張はするんだけど。
「殿下。婚約されたというのは、本当ですか?」
「……どうして君がそれを?」
ああ……やっぱり王子様なんだから、婚姻は避けられないよね……
急に重力が増したみたいな気分になった僕だけど、ナサニエル殿下はゆるりと首を振った。
「婚約は断った」
「え?」
「具体的なことは噂すら表に出ていないと思う」
それで『どうして』か。
「呼び出された時に聞きました。殿下の婚約者が僕を不快に思っていると」
ため息が聞こえた。ナサニエル殿下が額を押さえている。
「俺は確かに断ったんだよ。陛下も父上も納得してくださっている」
「そうなのですね……」
でも、しっかりとした王位継承権を持つ王子の婚約だ。相手は厳選されたはずで、そう簡単に反故にできるものだろうか。
「君がいなければ、俺が婚約を受け入れるとでも思ったんだろうな」
その言い方では、ナサニエル殿下が僕を理由に婚約を拒否した、みたいに聞こえるけれど。
期待してはいけないと思うのに、殿下は酷く優しい目で僕を見る。愛しいとでも言いたげに……
心臓がうるさく跳ねて、僕はぎゅっと拳を握って俯いた。
「消灯まではまだ時間がある。デニス、ケヴィンを呼んできてくれ。大事な話をしておきたい」
ナサニエル殿下が真面目な声で言って、デニスは「レジナルドに変なことしないでくださいよ」と言い残して出ていった。
顔を上げられない僕の頭に、そっと手が触れた。
「レジィ、これからも俺の隣に居てくれるか」
僕は返事ができなかった。
「悪かった。レジナルドをひとりで行かせるべきじゃなかった。本当にすまない」
そう謝罪したケヴィンの顔は疲れていて、着ているものには不自然なしわがあった。冗談ではなく実際に吊るされていたんだろうなぁ。
「謝罪は受け入れるよ、ケヴィン。僕はもう大丈夫だから」
ケヴィンはいくらかほっとしたようだった。
「それでお話というのは」
「まあ、とりあえず座ろう」
僕の隣にはデニス。正面にはナサニエル殿下が座り、殿下の隣にケヴィン。大して大きくもないソファは満員である。
「レジィ。結界で遮音してくれる?」
「はい」
僕は部屋に遮音の結界を張った。一応物理的、魔法的な侵入を拒む結界にしておく。同時に鍵もちゃんと閉めた。
「相変わらず見事な魔法だ」
デニスが褒めてくれるけど、僕にはこれくらいしか取り柄がないからね。
「お前たちには謝らなければいけない」
ナサニエル殿下が、どこか思い詰めたような顔で言った。
「魔力の無い王子の側近なんて、元から貧乏くじを引かされたようなものだが」
「そんな」
僕は思わず遮るように声を上げた。
「殿下は王族としての務めをきちんと果たしておられます」
ナサニエル殿下はまだ若いから学生生活がメインではあるけれど、休みの日には王宮に戻って公務に関わることもある。殿下に不足している部分があるとしたら、魔力と、それこそ婚約者がいないことくらいなんじゃないだろうか。
「レジィ。それは君がいるからだ」
殿下が柔らかく微笑む。
「君がどれだけ俺を支えてくれているか……」
「でしたら、乱暴な真似などなさらなければよろしいのに」
デニスがナサニエル殿下を軽く睨んだ。
「まあ、待て、デニス」
デニスが淹れ直してくれたお茶に口をつけて、ナサニエル殿下が苦笑する。
「謝りたいのは、これから先のことについてだ」
先のこと、か。僕があまり考えないようにしていた将来のこと……
「俺は」
ナサニエル殿下は僕たちひとりひとりと視線を合わせてから、決意の篭った声で言った。
「近いうちに、王位継承権を放棄する」
「え……」
驚いたのは僕だけで。ケヴィンは「やはりそうなりますか」と呟き、デニスは「まあ潮時でしょうね」と何やら納得している様子だ。
「本来は成人後に公爵位を賜るのが妥当だ。ただ、北の辺境伯に後継がいないから、俺を養子にという話が出ている」
「……殿下はそれでよろしいのですか」
少し震える声で聞けば、すでに決めてしまっている顔で頷かれた。
「君たちは王子としての俺に仕えてくれたというのに、すまないな」
ケヴィンがにやっと笑った。
「俺は構いませんよ。元々騎士として生きるしかないと思っていましたから」
侯爵令息ではあるが、ケヴィンは六男。親から何かを継ぐのは難しいのかもしれない。
「辺境騎士団の強さは有名ですし、父の許しさえ得られたらついて行きます」
ケヴィンはキリリとした顔でそう宣言した。
「私は家に帰れば落ちこぼれです」
デニスが特に表情を変えることもなく言う。デニスの実家は騎士の家系。魔法は優秀でも剣が苦手な彼は肩身が狭いらしい。
「王都にいるより辺境の方が居心地がいいかもしれませんね」
「君も来てくれるかな?」
ヘーゼルの目がじっと僕を見る。
「君がいないと俺は魔法が使えない。それに、俺が辺境伯の後継になるなら、同性婚も許される」
「あ……」
そう、だよな。王族でなくなるなら。王子という立場でなくなれば。法律では禁じられていないのだ。
ナサニエル殿下は優しく微笑み、僕の手を取って指先に口付けた。
「俺の伴侶となることを前提に、考えてみて?」
「……僕は」
視界が滲んで、絞り出した声は掠れた。
「ずっと、あなたの唯一になりたくて……」
握られた手を逆に掴んで引き寄せ、頬に押し付ける。
「どこでもお供いたします……どうか、お側に」
ナサニエル殿下が甘く蕩けた視線を向けてきた。
「もちろんだよ、レジィ。一緒に居てくれ」
「わざわざ頼んでくれたの?」
「人は空腹だとろくなことを考えないからね」
「……ありがとう」
デニスは顔も家柄もいいけど、こういう気遣いができるからモテるんだろうなぁ。
お腹は落ち着いたものの気分は落ち着かない。
だって、ナサニエル殿下が目の前にいる。あんなことをした後で、平静でいるのは無理だ。
「レジィ」
じっと見つめられて、僕は真っ赤になった。
「俺が泣かせたんだよね。本当にごめん」
「いえ、あの……」
「何か言いたいことがあるなら、はっきり言った方がいいよ」
デニスがそんなことを言うけど、なかなか言い出せないのも仕方がないと思うんだよ。
僕は少しでも口に出しやすい話題から始めることにした。それでも緊張はするんだけど。
「殿下。婚約されたというのは、本当ですか?」
「……どうして君がそれを?」
ああ……やっぱり王子様なんだから、婚姻は避けられないよね……
急に重力が増したみたいな気分になった僕だけど、ナサニエル殿下はゆるりと首を振った。
「婚約は断った」
「え?」
「具体的なことは噂すら表に出ていないと思う」
それで『どうして』か。
「呼び出された時に聞きました。殿下の婚約者が僕を不快に思っていると」
ため息が聞こえた。ナサニエル殿下が額を押さえている。
「俺は確かに断ったんだよ。陛下も父上も納得してくださっている」
「そうなのですね……」
でも、しっかりとした王位継承権を持つ王子の婚約だ。相手は厳選されたはずで、そう簡単に反故にできるものだろうか。
「君がいなければ、俺が婚約を受け入れるとでも思ったんだろうな」
その言い方では、ナサニエル殿下が僕を理由に婚約を拒否した、みたいに聞こえるけれど。
期待してはいけないと思うのに、殿下は酷く優しい目で僕を見る。愛しいとでも言いたげに……
心臓がうるさく跳ねて、僕はぎゅっと拳を握って俯いた。
「消灯まではまだ時間がある。デニス、ケヴィンを呼んできてくれ。大事な話をしておきたい」
ナサニエル殿下が真面目な声で言って、デニスは「レジナルドに変なことしないでくださいよ」と言い残して出ていった。
顔を上げられない僕の頭に、そっと手が触れた。
「レジィ、これからも俺の隣に居てくれるか」
僕は返事ができなかった。
「悪かった。レジナルドをひとりで行かせるべきじゃなかった。本当にすまない」
そう謝罪したケヴィンの顔は疲れていて、着ているものには不自然なしわがあった。冗談ではなく実際に吊るされていたんだろうなぁ。
「謝罪は受け入れるよ、ケヴィン。僕はもう大丈夫だから」
ケヴィンはいくらかほっとしたようだった。
「それでお話というのは」
「まあ、とりあえず座ろう」
僕の隣にはデニス。正面にはナサニエル殿下が座り、殿下の隣にケヴィン。大して大きくもないソファは満員である。
「レジィ。結界で遮音してくれる?」
「はい」
僕は部屋に遮音の結界を張った。一応物理的、魔法的な侵入を拒む結界にしておく。同時に鍵もちゃんと閉めた。
「相変わらず見事な魔法だ」
デニスが褒めてくれるけど、僕にはこれくらいしか取り柄がないからね。
「お前たちには謝らなければいけない」
ナサニエル殿下が、どこか思い詰めたような顔で言った。
「魔力の無い王子の側近なんて、元から貧乏くじを引かされたようなものだが」
「そんな」
僕は思わず遮るように声を上げた。
「殿下は王族としての務めをきちんと果たしておられます」
ナサニエル殿下はまだ若いから学生生活がメインではあるけれど、休みの日には王宮に戻って公務に関わることもある。殿下に不足している部分があるとしたら、魔力と、それこそ婚約者がいないことくらいなんじゃないだろうか。
「レジィ。それは君がいるからだ」
殿下が柔らかく微笑む。
「君がどれだけ俺を支えてくれているか……」
「でしたら、乱暴な真似などなさらなければよろしいのに」
デニスがナサニエル殿下を軽く睨んだ。
「まあ、待て、デニス」
デニスが淹れ直してくれたお茶に口をつけて、ナサニエル殿下が苦笑する。
「謝りたいのは、これから先のことについてだ」
先のこと、か。僕があまり考えないようにしていた将来のこと……
「俺は」
ナサニエル殿下は僕たちひとりひとりと視線を合わせてから、決意の篭った声で言った。
「近いうちに、王位継承権を放棄する」
「え……」
驚いたのは僕だけで。ケヴィンは「やはりそうなりますか」と呟き、デニスは「まあ潮時でしょうね」と何やら納得している様子だ。
「本来は成人後に公爵位を賜るのが妥当だ。ただ、北の辺境伯に後継がいないから、俺を養子にという話が出ている」
「……殿下はそれでよろしいのですか」
少し震える声で聞けば、すでに決めてしまっている顔で頷かれた。
「君たちは王子としての俺に仕えてくれたというのに、すまないな」
ケヴィンがにやっと笑った。
「俺は構いませんよ。元々騎士として生きるしかないと思っていましたから」
侯爵令息ではあるが、ケヴィンは六男。親から何かを継ぐのは難しいのかもしれない。
「辺境騎士団の強さは有名ですし、父の許しさえ得られたらついて行きます」
ケヴィンはキリリとした顔でそう宣言した。
「私は家に帰れば落ちこぼれです」
デニスが特に表情を変えることもなく言う。デニスの実家は騎士の家系。魔法は優秀でも剣が苦手な彼は肩身が狭いらしい。
「王都にいるより辺境の方が居心地がいいかもしれませんね」
「君も来てくれるかな?」
ヘーゼルの目がじっと僕を見る。
「君がいないと俺は魔法が使えない。それに、俺が辺境伯の後継になるなら、同性婚も許される」
「あ……」
そう、だよな。王族でなくなるなら。王子という立場でなくなれば。法律では禁じられていないのだ。
ナサニエル殿下は優しく微笑み、僕の手を取って指先に口付けた。
「俺の伴侶となることを前提に、考えてみて?」
「……僕は」
視界が滲んで、絞り出した声は掠れた。
「ずっと、あなたの唯一になりたくて……」
握られた手を逆に掴んで引き寄せ、頬に押し付ける。
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