ラップが魔法の呪文詠唱になる世界に転生したおじさん、うっかり伝説級の魔法を量産してしまう

paper-tiger

文字の大きさ
8 / 57
2章 RHYME

7. 見知らぬ朝チュン、MINIMAL I SAW TUNE.

しおりを挟む
◇◇◇
7. 見知らぬ朝チュン、MINIMAL I SAW TUNE.


ケイジが目を覚ましたのは、やはり現代日本の後藤啓治の家ではなく、異世界だった。

ペラペラだが真っ白なシーツが敷かれたベッド。
天井の木目に見覚えは無かったが、石造りだった貴族邸とは違って庶民的な空間だった。

半目のまま辺りを見回すと、日は高くなっており、窓の向こうで街の音がする。

ライムと話した屋敷の部屋ほど広くは無いが、ベッドルームとしては決して狭くはなかった。
丸い机に二脚の椅子、何も入っていない木製の戸棚、火の跡の無い暖炉。

そして―


ベッドがもう1台。それも人一人の大きさの膨らみがある。


――あっ、これは…。


嫌な想像がケイジの脳裏によぎる。

徐々に意識がはっきりし始める。
しかしこの部屋にまるで覚えが無いし、この部屋に入った記憶もまるで無い。

頭が痛い。
精神的な意味ではなく、物理的かつ生理的に頭がガンガンと痛む。


完全に飲み過ぎた翌日だった。

眼前の光景にベッドの端に乱雑に脱ぎ捨てられている衣服を合わせると、嫌な想像の状況証拠は数え役満に達する。
落ち着こうとするほどに自分の顔が青ざめていくのがわかる。

ひとまず起きてベッドから出ようとすると、木製の骨組みがギシリと音を立てる。


「…ふにゃ…おや、おめざめですかぁ…?」


隣のベッドの人型の膨らみがおもむろに蠢く。
声の主が目を覚ましたらしく、上体を起こそうとして薄くキメの細かい掛け布がめくれ上がる。


「おふぁようございますぅ…ふにゃ」


窓からの光を背に起き上がったライムは、花柄のレースのネグリジェらしきものをまとってはいたが、ほぼ全裸だった。

「なに!? 何!? なにこれそういうアレ…!? ちょっと…」

想像の中でも一番悪いと思ったものと現実が一致してしまう。
昨晩の記憶の捜索を混乱が妨害する。

「ゆうべは楽しかったですねえー、まさかケイジ様のアレがあんなにすごいだなんて…」

「何を!?何の何がどんな!?」

混乱が妨害どころか脳の全てを占める。
穴埋め問題が1ワードも埋まらない。何があった。

「…ああ、こんな格好で失礼しましたぁ すぐ着替えますね」

「ちょっと、え、ちょっと」

ライムはベッドから這い出て、最後の良心であった花柄レースをするりと脱ぎ落とす。
発育良く整った、目が眩むような肢体に窓からの後光が差す。


「ちょっ、お、なにいきなり全裸になってんだオイ!」

「ええー?ここには召使はいないんですから、全裸にならないと着替えられないじゃないですかぁ」


まだはっきり開かない目でふらふらと衣服を探すライム。

ケイジは前世の感覚のせいで、精神的には40手前で風俗店も平気な中年だったが、この光景を直視してはいけないということを直感的に感じ取っていた。

相手は上級貴族。
そんな相手のあられもない姿を見るなど、後でどんな責任追及があるかわかったものではない。

理性的に判断すればそういうことだが、それ以前に彼女の姿は、何か見ることを阻む神々しさとも言うべき威圧感というか、見てしまうことで絶対的な背徳を犯すかのような感覚を引き起こすものだった。

「待っ、ちょ待っ、わかった、お待ち、待っ、待ってください!!」

ケイジは半裸のまま一目散にドアから部屋の外へ出た。





身支度を整えるにしたがって、ケイジの昨夜の記憶は順を追って戻ってきた。


「助けてくれたお礼」ということで、昨晩は彼女の宮殿で豪勢な歓待を受けた。

前世で観た映画の中にさえ覚えが無いほどの、贅の限りを尽くしたと言わんばかりの王侯貴族の晩餐。
豚(に似たこの世界特有の動物)の丸焼きや、天井に届くような果実の作り飾りなど、アニメでしか見たことがなかった。

中でも、父母がいる際には飲むことを禁じられているという蒸留酒は絶品だった。


…あきらかにアレを飲み過ぎた。


ケイジが酒好きの後藤啓治だったころは毎晩晩酌をしていたものだが、この10代後半の身体には負担が大きかったようだ。
樽ごと持って来い、と豪語したあたりから、記憶修繕は不可能となっていた。

すでに昼を回っていた。随分と寝坊をしてしまっていた。

ライムが用意した宿の1階は食堂で、宿泊プランに付いたランチを二人で食べることにした。
二人でというのは勿論、ライムも同行するという意味だ。


ライムは昨夜のドレスとうって変わり、出会ったときのような町人風の衣服を着ていたが、よく見れば素材が上等なものだということはケイジにもわかった。
ただ、この宿自体が比較的ハイソサ連中の御用達のようであり、食堂にいる他の宿泊客の身なりも街行く人々と比べればそれなりの装いだった。

「それにしても、あんなに楽しい夜は久しぶりでした。すっかり寝過ごしてしまいましたね」

ライムの態度はあくまで丁寧で気品があったが、豪邸の部屋で話していたときよりは随分距離が近く、砕けていた。


―― 一体、何をしたんだろうか。


―― いや、何かしたんだろうか。


記憶をなくした酔っ払いが翌日気を取り戻したときほど、他者に事情を聞くのがはばかられる状況というのはこの世には無い。
婚約寸前の相手が実は風俗嬢だったかもしれない、くらいの状況とは比べ物にならないほどバツが悪い。
聞けない。少なくとも今は。


「まさかケイジ様のアレがあんなにああだなんて…」


――本当に何をしたんだろう。


穴埋め問題の難易度が上がってしまっている。ケイジの前のランチプレートの重量は全く減らない。

「あの…その“様”ってのはやめてもらえないかな…?
 年もそんなに変わらないみたいだし、身分は圧倒的にカッサネールさんが上なんだし…」

「しっ!」

突如、ライムの右手の人差し指がケイジの唇を押さえつける。

「ここでは私の家名は出さないでくださいませ。
 家の外での私は学士志望の町娘。ライムとお呼びいただければ!」

確かに、護衛も連れずに領地で領主の娘などとバレるのはまずいだろう。
万人が幸せに暮らし統治者を敬うなどという地方は無い。

ライムが貴族とは言っても、精神年齢アラフォーのケイジとしては、ことによると娘でもおかしくない年齢の少女であり、なんとなく敬語も抜きで喋ってしまっていたので、その方が都合がよかった。

「では、お互い名前で呼ぶということで―」

「やはり、師匠とお呼びするのがよろしいですよね!」


――…? …。…? ししょう…?


この世界での「旦那」とか「センセェ(最初のセにアクセント)」とか「シャチョサン」みたいな呼称なのだろうか。
ラップはやっても落語はやらないケイジだ。

「…普通にケイジがいいんだけど…」

「そんな!やっぱり私を弟子にしてくださるという話は嘘なのですか!?」

「弟子!?」

「昨日あんなにお約束しましたのに…!」


――この娘を弟子に? 大貴族のご令嬢を?

――いやそれより何の弟子に? …ラップの? それはないか。


「弟子って、え、何が…?」

「やっぱり嘘でしたの…? 私などでは足手まといにしかならないと…。
 私、師匠のためなら何でもいたしますのに! 昨夜はあんなに熱く盛り上がりましたのに!!」

「声がでかい!声がでかい!」


席を立ち上がってケイジの袖にすがりつく美少女の肩を掴んでなんとか諌めようとする。

一体昨夜自分は何をしたのか。いっそ正直に訊ねたほうがいいのか、とケイジは逡巡する。


10代後半の少女を「弟子」などと称して自分を「師匠」と呼ばせるラッパー。

――ダメだ。

完膚なきまでのアウトコースどころか球審めがけて全力投球してしまっている。
黒歴史どころでは済まない。
却下。却下しないと。

「なんだ、男女のいさかいか…?」
「あんないたいけなお嬢さんを相手に…」
「犯罪の匂いがするな」

周囲の客がヒソヒソとこちらを見ながら下世話な推測を始めている。
いや、もしかしてその通りなのだろうか、ケイジにはなんの自信も拠り所も無い。


ライムに視線を戻すと、目は潤み、顔は紅潮していた。


――あっ、これは泣き落としにくる感じだ。


そんな手には動じない。
精神的にはアラフォーたる者、泣いた女に同情して折れてやるなど、愚の骨頂であることは百も承知。
むしろ若さが最大の武器となってしまうこの少女時代に、泣けば周囲が甘やかしてくれると思い込んでしまうことが、年を取ったときにどれほど有害となることか。

教育的にも良くない。この少女には未来も身分もあるのだ。
きちんと言って聞かせよう。

「あんなスゴいの、私、初めてでしたのに…!」

「なんでもします!なんでもしますので!黙って!!」


ケイジは泣き落とされた。



◇◇◇
(第8話に続く)
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

前世で薬漬けだったおっさん、エルフに転生して自由を得る

がい
ファンタジー
ある日突然世界的に流行した病気。 その治療薬『メシア』の副作用により薬漬けになってしまった森野宏人(35)は、療養として母方の祖父の家で暮らしいた。 爺ちゃんと山に狩りの手伝いに行く事が楽しみになった宏人だったが、田舎のコミュニティは狭く、宏人の良くない噂が広まってしまった。 爺ちゃんとの狩りに行けなくなった宏人は、勢いでピルケースに入っているメシアを全て口に放り込み、そのまま意識を失ってしまう。 『私の名前は女神メシア。貴方には二つ選択肢がございます。』 人として輪廻の輪に戻るか、別の世界に行くか悩む宏人だったが、女神様にエルフになれると言われ、新たな人生、いや、エルフ生を楽しむ事を決める宏人。 『せっかくエルフになれたんだ!自由に冒険や旅を楽しむぞ!』 諸事情により不定期更新になります。 完結まで頑張る!

【完結】487222760年間女神様に仕えてきた俺は、そろそろ普通の異世界転生をしてもいいと思う

こすもすさんど(元:ムメイザクラ)
ファンタジー
 異世界転生の女神様に四億年近くも仕えてきた、名も無きオリ主。  億千の異世界転生を繰り返してきた彼は、女神様に"休暇"と称して『普通の異世界転生がしたい』とお願いする。  彼の願いを聞き入れた女神様は、彼を無難な異世界へと送り出す。  四億年の経験知識と共に異世界へ降り立ったオリ主――『アヤト』は、自由気ままな転生者生活を満喫しようとするのだが、そんなぶっ壊れチートを持ったなろう系オリ主が平穏無事な"普通の異世界転生"など出来るはずもなく……?  道行く美少女ヒロイン達をスパルタ特訓で徹底的に鍛え上げ、邪魔する奴はただのパンチで滅殺抹殺一撃必殺、それも全ては"普通の異世界転生"をするために!  気が付けばヒロインが増え、気が付けば厄介事に巻き込まれる、テメーの頭はハッピーセットな、なろう系最強チーレム無双オリ主の明日はどっちだ!?    ※小説家になろう、エブリスタ、ノベルアップ+にも掲載しております。

悪役令息、前世の記憶により悪評が嵩んで死ぬことを悟り教会に出家しに行った結果、最強の聖騎士になり伝説になる

竜頭蛇
ファンタジー
ある日、前世の記憶を思い出したシド・カマッセイはこの世界がギャルゲー「ヒロイックキングダム」の世界であり、自分がギャルゲの悪役令息であると理解する。 評判が悪すぎて破滅する運命にあるが父親が毒親でシドの悪評を広げたり、関係を作ったものには危害を加えるので現状では何をやっても悪評に繋がるを悟り、家との関係を断って出家をすることを決意する。 身を寄せた教会で働くうちに評判が上がりすぎて、聖女や信者から崇められたり、女神から一目置かれ、やがて最強の聖騎士となり、伝説となる物語。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

【改訂版】槍使いのドラゴンテイマー ~邪竜をテイムしたのでついでに魔王も倒しておこうと思う~

こげ丸
ファンタジー
『偶然テイムしたドラゴンは神をも凌駕する邪竜だった』 公開サイト累計1000万pv突破の人気作が改訂版として全編リニューアル! 書籍化作業なみにすべての文章を見直したうえで大幅加筆。 旧版をお読み頂いた方もぜひ改訂版をお楽しみください! ===あらすじ=== 異世界にて前世の記憶を取り戻した主人公は、今まで誰も手にしたことのない【ギフト:竜を従えし者】を授かった。 しかしドラゴンをテイムし従えるのは簡単ではなく、たゆまぬ鍛錬を続けていたにもかかわらず、その命を失いかける。 だが……九死に一生を得たそのすぐあと、偶然が重なり、念願のドラゴンテイマーに! 神をも凌駕する力を持つ最強で最凶のドラゴンに、 双子の猫耳獣人や常識を知らないハイエルフの美幼女。 トラブルメーカーの美少女受付嬢までもが加わって、主人公の波乱万丈の物語が始まる! ※以前公開していた旧版とは一部設定や物語の展開などが異なっておりますので改訂版の続きは更新をお待ち下さい ※改訂版の公開方法、ファンタジーカップのエントリーについては運営様に確認し、問題ないであろう方法で公開しております ※小説家になろう様とカクヨム様でも公開しております

最低のEランクと追放されたけど、実はEXランクの無限増殖で最強でした。

みこみこP
ファンタジー
高校2年の夏。 高木華音【男】は夏休みに入る前日のホームルーム中にクラスメイトと共に異世界にある帝国【ゼロムス】に魔王討伐の為に集団転移させれた。 地球人が異世界転移すると必ずDランクからAランクの固有スキルという世界に1人しか持てないレアスキルを授かるのだが、華音だけはEランク・【ムゲン】という存在しない最低ランクの固有スキルを授かったと、帝国により死の森へ捨てられる。 しかし、華音の授かった固有スキルはEXランクの無限増殖という最強のスキルだったが、本人は弱いと思い込み、死の森を生き抜く為に無双する。

最強無敗の少年は影を従え全てを制す

ユースケ
ファンタジー
不慮の事故により死んでしまった大学生のカズトは、異世界に転生した。 産まれ落ちた家は田舎に位置する辺境伯。 カズトもといリュートはその家系の長男として、日々貴族としての教養と常識を身に付けていく。 しかし彼の力は生まれながらにして最強。 そんな彼が巻き起こす騒動は、常識を越えたものばかりで……。

処理中です...