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2章 RHYME
7. 見知らぬ朝チュン、MINIMAL I SAW TUNE.
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◇◇◇
7. 見知らぬ朝チュン、MINIMAL I SAW TUNE.
ケイジが目を覚ましたのは、やはり現代日本の後藤啓治の家ではなく、異世界だった。
ペラペラだが真っ白なシーツが敷かれたベッド。
天井の木目に見覚えは無かったが、石造りだった貴族邸とは違って庶民的な空間だった。
半目のまま辺りを見回すと、日は高くなっており、窓の向こうで街の音がする。
ライムと話した屋敷の部屋ほど広くは無いが、ベッドルームとしては決して狭くはなかった。
丸い机に二脚の椅子、何も入っていない木製の戸棚、火の跡の無い暖炉。
そして―
ベッドがもう1台。それも人一人の大きさの膨らみがある。
――あっ、これは…。
嫌な想像がケイジの脳裏によぎる。
徐々に意識がはっきりし始める。
しかしこの部屋にまるで覚えが無いし、この部屋に入った記憶もまるで無い。
頭が痛い。
精神的な意味ではなく、物理的かつ生理的に頭がガンガンと痛む。
完全に飲み過ぎた翌日だった。
眼前の光景にベッドの端に乱雑に脱ぎ捨てられている衣服を合わせると、嫌な想像の状況証拠は数え役満に達する。
落ち着こうとするほどに自分の顔が青ざめていくのがわかる。
ひとまず起きてベッドから出ようとすると、木製の骨組みがギシリと音を立てる。
「…ふにゃ…おや、おめざめですかぁ…?」
隣のベッドの人型の膨らみがおもむろに蠢く。
声の主が目を覚ましたらしく、上体を起こそうとして薄くキメの細かい掛け布がめくれ上がる。
「おふぁようございますぅ…ふにゃ」
窓からの光を背に起き上がったライムは、花柄のレースのネグリジェらしきものをまとってはいたが、ほぼ全裸だった。
「なに!? 何!? なにこれそういうアレ…!? ちょっと…」
想像の中でも一番悪いと思ったものと現実が一致してしまう。
昨晩の記憶の捜索を混乱が妨害する。
「ゆうべは楽しかったですねえー、まさかケイジ様のアレがあんなにすごいだなんて…」
「何を!?何の何がどんな!?」
混乱が妨害どころか脳の全てを占める。
穴埋め問題が1ワードも埋まらない。何があった。
「…ああ、こんな格好で失礼しましたぁ すぐ着替えますね」
「ちょっと、え、ちょっと」
ライムはベッドから這い出て、最後の良心であった花柄レースをするりと脱ぎ落とす。
発育良く整った、目が眩むような肢体に窓からの後光が差す。
「ちょっ、お、なにいきなり全裸になってんだオイ!」
「ええー?ここには召使はいないんですから、全裸にならないと着替えられないじゃないですかぁ」
まだはっきり開かない目でふらふらと衣服を探すライム。
ケイジは前世の感覚のせいで、精神的には40手前で風俗店も平気な中年だったが、この光景を直視してはいけないということを直感的に感じ取っていた。
相手は上級貴族。
そんな相手のあられもない姿を見るなど、後でどんな責任追及があるかわかったものではない。
理性的に判断すればそういうことだが、それ以前に彼女の姿は、何か見ることを阻む神々しさとも言うべき威圧感というか、見てしまうことで絶対的な背徳を犯すかのような感覚を引き起こすものだった。
「待っ、ちょ待っ、わかった、お待ち、待っ、待ってください!!」
ケイジは半裸のまま一目散にドアから部屋の外へ出た。
◇
身支度を整えるにしたがって、ケイジの昨夜の記憶は順を追って戻ってきた。
「助けてくれたお礼」ということで、昨晩は彼女の宮殿で豪勢な歓待を受けた。
前世で観た映画の中にさえ覚えが無いほどの、贅の限りを尽くしたと言わんばかりの王侯貴族の晩餐。
豚(に似たこの世界特有の動物)の丸焼きや、天井に届くような果実の作り飾りなど、アニメでしか見たことがなかった。
中でも、父母がいる際には飲むことを禁じられているという蒸留酒は絶品だった。
…あきらかにアレを飲み過ぎた。
ケイジが酒好きの後藤啓治だったころは毎晩晩酌をしていたものだが、この10代後半の身体には負担が大きかったようだ。
樽ごと持って来い、と豪語したあたりから、記憶修繕は不可能となっていた。
すでに昼を回っていた。随分と寝坊をしてしまっていた。
ライムが用意した宿の1階は食堂で、宿泊プランに付いたランチを二人で食べることにした。
二人でというのは勿論、ライムも同行するという意味だ。
ライムは昨夜のドレスとうって変わり、出会ったときのような町人風の衣服を着ていたが、よく見れば素材が上等なものだということはケイジにもわかった。
ただ、この宿自体が比較的ハイソサ連中の御用達のようであり、食堂にいる他の宿泊客の身なりも街行く人々と比べればそれなりの装いだった。
「それにしても、あんなに楽しい夜は久しぶりでした。すっかり寝過ごしてしまいましたね」
ライムの態度はあくまで丁寧で気品があったが、豪邸の部屋で話していたときよりは随分距離が近く、砕けていた。
―― 一体、何をしたんだろうか。
―― いや、何かしたんだろうか。
記憶をなくした酔っ払いが翌日気を取り戻したときほど、他者に事情を聞くのがはばかられる状況というのはこの世には無い。
婚約寸前の相手が実は風俗嬢だったかもしれない、くらいの状況とは比べ物にならないほどバツが悪い。
聞けない。少なくとも今は。
「まさかケイジ様のアレがあんなにああだなんて…」
――本当に何をしたんだろう。
穴埋め問題の難易度が上がってしまっている。ケイジの前のランチプレートの重量は全く減らない。
「あの…その“様”ってのはやめてもらえないかな…?
年もそんなに変わらないみたいだし、身分は圧倒的にカッサネールさんが上なんだし…」
「しっ!」
突如、ライムの右手の人差し指がケイジの唇を押さえつける。
「ここでは私の家名は出さないでくださいませ。
家の外での私は学士志望の町娘。ライムとお呼びいただければ!」
確かに、護衛も連れずに領地で領主の娘などとバレるのはまずいだろう。
万人が幸せに暮らし統治者を敬うなどという地方は無い。
ライムが貴族とは言っても、精神年齢アラフォーのケイジとしては、ことによると娘でもおかしくない年齢の少女であり、なんとなく敬語も抜きで喋ってしまっていたので、その方が都合がよかった。
「では、お互い名前で呼ぶということで―」
「やはり、師匠とお呼びするのがよろしいですよね!」
――…? …。…? ししょう…?
この世界での「旦那」とか「センセェ(最初のセにアクセント)」とか「シャチョサン」みたいな呼称なのだろうか。
ラップはやっても落語はやらないケイジだ。
「…普通にケイジがいいんだけど…」
「そんな!やっぱり私を弟子にしてくださるという話は嘘なのですか!?」
「弟子!?」
「昨日あんなにお約束しましたのに…!」
――この娘を弟子に? 大貴族のご令嬢を?
――いやそれより何の弟子に? …ラップの? それはないか。
「弟子って、え、何が…?」
「やっぱり嘘でしたの…? 私などでは足手まといにしかならないと…。
私、師匠のためなら何でもいたしますのに! 昨夜はあんなに熱く盛り上がりましたのに!!」
「声がでかい!声がでかい!」
席を立ち上がってケイジの袖にすがりつく美少女の肩を掴んでなんとか諌めようとする。
一体昨夜自分は何をしたのか。いっそ正直に訊ねたほうがいいのか、とケイジは逡巡する。
10代後半の少女を「弟子」などと称して自分を「師匠」と呼ばせるラッパー。
――ダメだ。
完膚なきまでのアウトコースどころか球審めがけて全力投球してしまっている。
黒歴史どころでは済まない。
却下。却下しないと。
「なんだ、男女のいさかいか…?」
「あんないたいけなお嬢さんを相手に…」
「犯罪の匂いがするな」
周囲の客がヒソヒソとこちらを見ながら下世話な推測を始めている。
いや、もしかしてその通りなのだろうか、ケイジにはなんの自信も拠り所も無い。
ライムに視線を戻すと、目は潤み、顔は紅潮していた。
――あっ、これは泣き落としにくる感じだ。
そんな手には動じない。
精神的にはアラフォーたる者、泣いた女に同情して折れてやるなど、愚の骨頂であることは百も承知。
むしろ若さが最大の武器となってしまうこの少女時代に、泣けば周囲が甘やかしてくれると思い込んでしまうことが、年を取ったときにどれほど有害となることか。
教育的にも良くない。この少女には未来も身分もあるのだ。
きちんと言って聞かせよう。
「あんなスゴいの、私、初めてでしたのに…!」
「なんでもします!なんでもしますので!黙って!!」
ケイジは泣き落とされた。
◇◇◇
(第8話に続く)
7. 見知らぬ朝チュン、MINIMAL I SAW TUNE.
ケイジが目を覚ましたのは、やはり現代日本の後藤啓治の家ではなく、異世界だった。
ペラペラだが真っ白なシーツが敷かれたベッド。
天井の木目に見覚えは無かったが、石造りだった貴族邸とは違って庶民的な空間だった。
半目のまま辺りを見回すと、日は高くなっており、窓の向こうで街の音がする。
ライムと話した屋敷の部屋ほど広くは無いが、ベッドルームとしては決して狭くはなかった。
丸い机に二脚の椅子、何も入っていない木製の戸棚、火の跡の無い暖炉。
そして―
ベッドがもう1台。それも人一人の大きさの膨らみがある。
――あっ、これは…。
嫌な想像がケイジの脳裏によぎる。
徐々に意識がはっきりし始める。
しかしこの部屋にまるで覚えが無いし、この部屋に入った記憶もまるで無い。
頭が痛い。
精神的な意味ではなく、物理的かつ生理的に頭がガンガンと痛む。
完全に飲み過ぎた翌日だった。
眼前の光景にベッドの端に乱雑に脱ぎ捨てられている衣服を合わせると、嫌な想像の状況証拠は数え役満に達する。
落ち着こうとするほどに自分の顔が青ざめていくのがわかる。
ひとまず起きてベッドから出ようとすると、木製の骨組みがギシリと音を立てる。
「…ふにゃ…おや、おめざめですかぁ…?」
隣のベッドの人型の膨らみがおもむろに蠢く。
声の主が目を覚ましたらしく、上体を起こそうとして薄くキメの細かい掛け布がめくれ上がる。
「おふぁようございますぅ…ふにゃ」
窓からの光を背に起き上がったライムは、花柄のレースのネグリジェらしきものをまとってはいたが、ほぼ全裸だった。
「なに!? 何!? なにこれそういうアレ…!? ちょっと…」
想像の中でも一番悪いと思ったものと現実が一致してしまう。
昨晩の記憶の捜索を混乱が妨害する。
「ゆうべは楽しかったですねえー、まさかケイジ様のアレがあんなにすごいだなんて…」
「何を!?何の何がどんな!?」
混乱が妨害どころか脳の全てを占める。
穴埋め問題が1ワードも埋まらない。何があった。
「…ああ、こんな格好で失礼しましたぁ すぐ着替えますね」
「ちょっと、え、ちょっと」
ライムはベッドから這い出て、最後の良心であった花柄レースをするりと脱ぎ落とす。
発育良く整った、目が眩むような肢体に窓からの後光が差す。
「ちょっ、お、なにいきなり全裸になってんだオイ!」
「ええー?ここには召使はいないんですから、全裸にならないと着替えられないじゃないですかぁ」
まだはっきり開かない目でふらふらと衣服を探すライム。
ケイジは前世の感覚のせいで、精神的には40手前で風俗店も平気な中年だったが、この光景を直視してはいけないということを直感的に感じ取っていた。
相手は上級貴族。
そんな相手のあられもない姿を見るなど、後でどんな責任追及があるかわかったものではない。
理性的に判断すればそういうことだが、それ以前に彼女の姿は、何か見ることを阻む神々しさとも言うべき威圧感というか、見てしまうことで絶対的な背徳を犯すかのような感覚を引き起こすものだった。
「待っ、ちょ待っ、わかった、お待ち、待っ、待ってください!!」
ケイジは半裸のまま一目散にドアから部屋の外へ出た。
◇
身支度を整えるにしたがって、ケイジの昨夜の記憶は順を追って戻ってきた。
「助けてくれたお礼」ということで、昨晩は彼女の宮殿で豪勢な歓待を受けた。
前世で観た映画の中にさえ覚えが無いほどの、贅の限りを尽くしたと言わんばかりの王侯貴族の晩餐。
豚(に似たこの世界特有の動物)の丸焼きや、天井に届くような果実の作り飾りなど、アニメでしか見たことがなかった。
中でも、父母がいる際には飲むことを禁じられているという蒸留酒は絶品だった。
…あきらかにアレを飲み過ぎた。
ケイジが酒好きの後藤啓治だったころは毎晩晩酌をしていたものだが、この10代後半の身体には負担が大きかったようだ。
樽ごと持って来い、と豪語したあたりから、記憶修繕は不可能となっていた。
すでに昼を回っていた。随分と寝坊をしてしまっていた。
ライムが用意した宿の1階は食堂で、宿泊プランに付いたランチを二人で食べることにした。
二人でというのは勿論、ライムも同行するという意味だ。
ライムは昨夜のドレスとうって変わり、出会ったときのような町人風の衣服を着ていたが、よく見れば素材が上等なものだということはケイジにもわかった。
ただ、この宿自体が比較的ハイソサ連中の御用達のようであり、食堂にいる他の宿泊客の身なりも街行く人々と比べればそれなりの装いだった。
「それにしても、あんなに楽しい夜は久しぶりでした。すっかり寝過ごしてしまいましたね」
ライムの態度はあくまで丁寧で気品があったが、豪邸の部屋で話していたときよりは随分距離が近く、砕けていた。
―― 一体、何をしたんだろうか。
―― いや、何かしたんだろうか。
記憶をなくした酔っ払いが翌日気を取り戻したときほど、他者に事情を聞くのがはばかられる状況というのはこの世には無い。
婚約寸前の相手が実は風俗嬢だったかもしれない、くらいの状況とは比べ物にならないほどバツが悪い。
聞けない。少なくとも今は。
「まさかケイジ様のアレがあんなにああだなんて…」
――本当に何をしたんだろう。
穴埋め問題の難易度が上がってしまっている。ケイジの前のランチプレートの重量は全く減らない。
「あの…その“様”ってのはやめてもらえないかな…?
年もそんなに変わらないみたいだし、身分は圧倒的にカッサネールさんが上なんだし…」
「しっ!」
突如、ライムの右手の人差し指がケイジの唇を押さえつける。
「ここでは私の家名は出さないでくださいませ。
家の外での私は学士志望の町娘。ライムとお呼びいただければ!」
確かに、護衛も連れずに領地で領主の娘などとバレるのはまずいだろう。
万人が幸せに暮らし統治者を敬うなどという地方は無い。
ライムが貴族とは言っても、精神年齢アラフォーのケイジとしては、ことによると娘でもおかしくない年齢の少女であり、なんとなく敬語も抜きで喋ってしまっていたので、その方が都合がよかった。
「では、お互い名前で呼ぶということで―」
「やはり、師匠とお呼びするのがよろしいですよね!」
――…? …。…? ししょう…?
この世界での「旦那」とか「センセェ(最初のセにアクセント)」とか「シャチョサン」みたいな呼称なのだろうか。
ラップはやっても落語はやらないケイジだ。
「…普通にケイジがいいんだけど…」
「そんな!やっぱり私を弟子にしてくださるという話は嘘なのですか!?」
「弟子!?」
「昨日あんなにお約束しましたのに…!」
――この娘を弟子に? 大貴族のご令嬢を?
――いやそれより何の弟子に? …ラップの? それはないか。
「弟子って、え、何が…?」
「やっぱり嘘でしたの…? 私などでは足手まといにしかならないと…。
私、師匠のためなら何でもいたしますのに! 昨夜はあんなに熱く盛り上がりましたのに!!」
「声がでかい!声がでかい!」
席を立ち上がってケイジの袖にすがりつく美少女の肩を掴んでなんとか諌めようとする。
一体昨夜自分は何をしたのか。いっそ正直に訊ねたほうがいいのか、とケイジは逡巡する。
10代後半の少女を「弟子」などと称して自分を「師匠」と呼ばせるラッパー。
――ダメだ。
完膚なきまでのアウトコースどころか球審めがけて全力投球してしまっている。
黒歴史どころでは済まない。
却下。却下しないと。
「なんだ、男女のいさかいか…?」
「あんないたいけなお嬢さんを相手に…」
「犯罪の匂いがするな」
周囲の客がヒソヒソとこちらを見ながら下世話な推測を始めている。
いや、もしかしてその通りなのだろうか、ケイジにはなんの自信も拠り所も無い。
ライムに視線を戻すと、目は潤み、顔は紅潮していた。
――あっ、これは泣き落としにくる感じだ。
そんな手には動じない。
精神的にはアラフォーたる者、泣いた女に同情して折れてやるなど、愚の骨頂であることは百も承知。
むしろ若さが最大の武器となってしまうこの少女時代に、泣けば周囲が甘やかしてくれると思い込んでしまうことが、年を取ったときにどれほど有害となることか。
教育的にも良くない。この少女には未来も身分もあるのだ。
きちんと言って聞かせよう。
「あんなスゴいの、私、初めてでしたのに…!」
「なんでもします!なんでもしますので!黙って!!」
ケイジは泣き落とされた。
◇◇◇
(第8話に続く)
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