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004 猫探し
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城下町の中心の広場に獣人が集まっていた。
その様子から発砲が起きた場所をすぐに特定できた。
「なんだなんだ?」
「誰か打たれたぞ!」
「いいぞぉ!やれやれぇガハハ」
辺りを囲う獣人たちの様々な声が飛び交う。
エデンは花音の手を引きながら獣人たちの間を次々へと掻い潜った。獣の臭いが花音の鼻を刺激する。
「ふん!人間の分際でこの俺様にぶつかりやがって」
獣の包囲網を抜けると、狼のような顔をした獣人が吠えていた。
片手に所持する銃を見てこいつが発砲した犯人だと花音は理解する。
その獣人の先には、もう一人の猪の顔をした獣人。
地に膝をつけ、誰かを庇うような形をしている。そしてその後ろには打たれたであろう人間の女が血を流して倒れていた。
「エデンさん……」
花音は確認するように呼びかける。エデンは小さく頷いた。
「何も喋るな」
花音はいつになく真剣なエデンの姿を見て口を閉ざした。
「申し訳ありませんでした!どうか、お見逃しを!」
猪は狼に頭を下げ強く懇願する。
「ダメだ。その人間は俺様にぶつかってきた。これは正当な侮辱罪だ。死に値する」
狼の言葉は酷く、冷たいものだった。
花音もその言葉に胸が締め付けられた。エデンの手を両手で強く握り、目で訴える。
「呑気に人間なんか連れて歩きやがって。貴様、獣人のプライドを忘れたか!?」
狼は更に畳み掛ける。
「そ、そんな! この国は人間の入国を禁止していないはずです! 人間と共に共存する獣人も世界にはたくさんいます!」
懸命に訴えかける猪に、狼は銃口を向けて返す。
「マナのない下等種族に価値はない。獣人の血が汚れるぜ」
狼の指が引き金にかかる。
「エデンさん!」
「放せ、花音」
咄嗟の呼びかけに花音は握っていた力が一瞬緩んだ。
刹那、激しい銃声が広場に響き渡った。
花音はその音で一瞬目を閉じる。温もりだけを残した両手は空を握っていた。
「!?」
狼は一瞬で目の前に現れたそれに目を見開いた。
花音もすぐにその後を追うように目を向ける。
「ちょっと、そこの獣人さん」
そこにはエデンの姿があった。いつもの冷静な声と表情で。
軽く笑みを浮かべて、エデンは右手の拳を狼に差し出し、ゆっくりと手を開いてみせる。
「弾、落としましたよ?」
そこには今まさに発砲したであろう弾があった。
「な……!? え!?」
狼はエデンの掌で転がる弾と自分の銃を何度も往復して見る。何が起こったのか理解に苦しんでいるようだ。
花音も正直、たった今この一瞬で起きたことを理解できていなかった。
いや、状況は恐らくわかっていた。
だがそれをここにいる皆、信じることができていなかったのだ。
エデンが今まさに放たれた銃弾を掴んだことに。
「な、何なんだお前は!? に、人間!?」
狼はまだ動揺している。無理もない。
エデンは後ろを振り返り、幻でも見ているかのように呆けている猪と倒れて動かない人間を一瞥する。
「君、その人間抱えて走れるかい?」
「え?」
君、と呼ばれてピンとこなかったのか、猪は自分を指差して確認を求めている。
「ガイル!」
エデンは突然レストランに置き去りにした仲間の名を呼んだ。
「おう」
花音はその男の声が自分のすぐ後ろで発せられたことに身の毛立たせた。いつの間にいたのか。
「すぐ追いつく。頼んだ」
エデンの言葉と同時に花音の体が宙を浮く。
「え!? ちょっと」
「うるせぇ女。大人しくしてろ」
ガイルは軽々と花音を肩に乗せて、走り出す。
「おい獣人! ついて来い」
「え、あっ、はい!」
猪も丁度倒れた人間を抱えていたところで、ガイルの声に従い走り出した。
「どけっ! 外野ども!」
ガイルの剣幕に押されてか、周囲を取り囲む獣人はすぐに道を開けていた。
「おい! この人間!」
エデンは思い出したかのように、その声の主の方に体を向けた。
「人間の分際が! 俺様を誰だと思ってやがる! 貴様も侮辱罪だ!」
狼は再び銃口を向けた。
しかしエデンはそれに一切目移りすることなく、真っ直ぐ狼を見据えている。
「あんたさ、どこの獣人?」
「あぁ!?」
エデンは状況にそぐわない質問をする。
銃口を突き付けられても全く気にはしていないのだ。
「血の気も多く、プライドも高い。確かに獣人のそれだがあんたは度が過ぎるな。帝国の者か?」
エデンの言葉が引き金を引いたか、鋭い銃声がまた響いた。
しかし弾はエデンの足元の地をえぐった。
「喋りすぎだ人間。次は当てるぞ」
狼はまた銃口を今度はエデンの眉間に構える。
質問を発砲で応えた狼にエデンは図星を察した。
そして、エデンは静かに狼を睨み返す。
「あんた、自分より格上の人間に会ったことはあるか?」
エデンから込み上げる気迫が広場一帯の獣人を震わした。
「なっ!?」
狼は驚愕する。周りを囲む獣人も同じように。
「これが人間のもつマナか!? あり得ない!」
刹那、金属音が生じる。
「つっ!」
狼は指の痛みを感じる。視線を移すとそこに所持していたはずのものがない。すぐにそれが地を摩擦する音で狼は理解する。
「銃が弾かれっ!? いつの間にっ」
急いでエデンの方を見やる狼の腹に鈍い痛みが走る。
エデンの蹴りが入った。
「がはっ」
獣人のもつ大きな体は容易く吹っ飛んだ。
地を滑るように転がる狼の体はやがて止まる。その表情にはまだ衝撃の余韻が残っていた。
エデンはゆっくりと狼との距離を詰めていく。
「かはっ、貴様……何者だ!」
「あんたの言う下等種族さ」
ゆっくりと、足を止めることなく。
「その人間にやられて、気分はどうだい?」
ニコッと、エデンは笑みを向ける。
「ふ、ふざけるなよ」
距離を詰めてくるエデンに狼狽しながらも、狼は懐に手を入れる。
「おい! お前ら!」
その言葉はエデンではなく、周りの獣人に向けられたものだった。
「何黙って見てやがる! これは大罪だ! さっさと始末しやがれ!」
狼はそう叫ぶと同時に、懐から取り出した何かを空へと投げる。そしてそれは淡い紫色の光を放った。
「!」
エデンはすぐに異変に感じ取った。
周りの獣人の様子がおかしい。
「人間……殺す……」
「憎い……」
「獣人に立てつきやがって……」
荒い息と共に獣人らは口々に言葉を唱え出した。
狼は高笑いをする。
「後悔してももう遅い! 八つ裂きにされて噛み殺されてしまえ!」
狼の言葉を合図に周りの獣人が一斉にエデンへ襲いかかった。
「おいおいまじかよ」
城下町を抜け、国の農村部へ入ったところでガイル達は足を緩めた。
「とりあえず、ここまで来れば安心だな」
見渡せば田や畑。川までも通っている。さっきの賑やかな城下町とは打って変わって、静かでのどかな景色が広がっていた。
ガイルはゆっくりと花音を肩から下ろす。
「おい獣人、大丈夫か?」
「はぁ、はぁ、なんとか」
「お前じゃねぇよ、その人間だ」
獣人はハッと、抱えていた人間をそっと下ろし、容態を確認する。
「お、おい。カイリー、大丈夫か!?」
カイリーと呼ばれた人間の女に反応は無かった。
花音もその手を握る。まだ温かい。生きている。
「カイリー、頼む返事をしてくれ」
猪の声は力なく、瞳は涙で滲んできた。
「血を流しすぎたか。そこまで傷口が深いようには見えないが」
ガイルの淡白な声色に花音は声を上げる。
「何か助かる方法はないんですか!?」
「……」
ガイルは表情を曇らせる。
花音も初めて見るガイルの顔に、少し困惑する。
「ごめんな、カイリー。俺がこの国に連れてきたばかりに………ごめんなぁ」
猪の瞳を滲ませていたものは、もう既に溢れ出していた。
カイリーが動く気配は全く感じられない。
花音も同じ人間として感情が移入したのか、視界が滲んできた。
「ひどい……」
花音の言葉は重たかった。この世界での人間の身分を聞いてはいたが予想を超えていた。ここまでする必要があったのか。なぜ人間というだけで蔑まれ、命までも奪われないといけないのか。人間が何をしたというのか。
「これはやりすぎだ。普通はここまでやらねえよ」
花音の気持ちを察してか、ガイルは言う。
「この国は大丈夫だと思っていた。マウサーは特に人間への偏見は少ない国だと聞いていた……。なのに、なのにこんなことに」
猪は涙を流しながら後悔を唱え続ける。
カイリーは変わらず動くことはなく、ずっと目を閉じたままだった。
花音もそんな二人を見つめてやることしかできず、自分の無力さに歯を噛み締めていた。
「女、いくぞ」
「え?」
悲しみに暮れる空気をガイルの無慈悲な言葉が断った。
「ちょっ」
ガイルは軽く花音を持ち上げ肩に乗せる。
「ガイルさん!」
花音の抵抗をガイルは全く受け付けない。いくら暴れようとも、ガイルの力と強靭な肉体の前では無力に等しかった。
猪も状況が飲み込めずポカンと口を開けている。
「おい獣人」
ガイルは小さな紙切れのような物を獣人に差し出した。
「それにマナを込めてここで待ってろ」
ガイルはその言葉を最後に、猪を置いて歩き出した。
「ちょっと! 何してるんですか!?」
力の抵抗を諦め、花音は口で抵抗を続けた。
「やることはやった。もういいだろ」
ガイルの歩みは早く、獣人の姿は段々と遠のいていく。
「やることってなんですか!?」
「ちっ、うるせぇ女だな。黙ってろ」
「ふぅ」
エデンは一息ついた。広場は地に倒れた獣人で埋め尽くされていた。
「これで全部かな」
辺りを見渡す。狼は逃したようだ。
「あいつどさくさに紛れて逃げやがったな」
一応マナを研ぎ澄まして確認するが、確かに狼のマナは感じられなかった。
逃げ足の早いやつだ。
「とりあえずガイルたちと合流するか」
ここに長居していても仕方がない。
むしろ、大量に倒れた獣人とそこに立つ人間。この絵を誰かに見られるとまた面倒なことになりそうで、それは何かと都合が悪かった。
「さて、ガイルたちの位置は」
エデンはマナを込める。
「農村部の方か」
エデンは歩を進めながら先の狼について思考する。
あの言動、恐らくこの国のものではないことは確かだ。
そしてよそ者にしても、喋り方や服装が庶民のそれとは少し違和感があった。立場的には位が高い方のそれだ。
そしてエデンは右手を開いて見る。先の銃弾を受け止めた手だ。何かしらの違和感があった。
「帝国が絡んでいるなら厄介なことになるな。少し急ぐか」
エデンは歩くスピードを早めた。
ガイルは先の場所から十分に離れたことを確認して花音を下ろした。
花音はまだ納得がいかない顔をしている。
「そろそろ自分で歩け」
「ガイルさんが無理やり担いだんじゃないですか!」
花音は頬を膨らませる。
「どうしてあんなっ」
「うるせえってんだよ」
ガイルの剣幕に花音はすぐに言葉を切った。
「どこの誰かも知らねえ人間の死体眺めていつまで泣いてるつもりだてめぇは!」
ガイルの顔は花音にとっては恐怖だったが、今回ばかりは譲れない怒りが恐怖を超えた。
「そんな言い方酷すぎます! まだあの人は生きてましたよ! 手が温かかったもん!」
ガイルは面倒くさそうに舌打ちをした。
「時間の問題だ。お前、治療でも蘇生でもできんのか? 瀕死の人間眺めて泣いてるだけで何か解決すんのか?」
「そ、そういうことじゃ……」
「そういうことだ。親しい間柄ならまだしも、他人同然の奴に情を生むな。時間の無駄だ」
花音の頬には涙が伝っていた。納得がいくわけがない。
そういうことじゃない。花音は自分の思いを上手く言葉にできないのが悔しくて仕方なかった。
「でも……悲しいじゃないですか。あの獣人さんはもっと悲しいはずです! 確かに何もできないけど、何もできないからこそ一緒にいてあげるだけで獣人さんの心の支えになるかもしれないじゃないですか!」
「んなこと望んでねえよ」
ガイルの言葉は非常に冷たかった。
「それは親しい間柄での話だろ。あの獣人にとって俺たちもただの他人同然。自分の連れが助かることしか考えてねえよ」
ガイルはため息をつく。
「いいか、よく聞け女。死というのは二種類ある。見える死と見えない死だ。この世界で圧倒的に多いのは後者。普段俺たちが何気ない一日を送る中、知らない、見えていないところで何人もの死がある。これが見えない死だ」
花音は流れる涙を手で拭う。
「その見えなくして死ぬやつらは全て他人だ。生きていく中で、一度も出会うことも、存在すらも知らない。お前はその死人全てに情をかけるのか? 今のもそうだ。あれは見えない死だ。本来なら出会うこともない、干渉する必要がないものだ」
「違うもん」
「あぁ!?」
花音はまだ溢れる涙を拭いながら子供のように否定した。
正論のように聞こえるが違う。認めてはいけない。その強い意志から咄嗟に出たものだった。
「もう見えちゃってるじゃないですか」
「だが他人だ。見えない死と同義で扱えって言ってんだ」
花音は折れるつもりはなかった。上手く言葉にはできなかったが、譲れない信念、それだけでガイルに食らいついていた。
そしてガイルも半ば諦めていた。埒があかない。
正直花音を舐め切っていた。少し前まで目すらも合わせられなかったか弱い少女が、今はしっかりと自分を捉えて意見することに。
「ちっ、もういいいくぞ」
ガイルなりの折れであった。
「どこへですか」
そもそもどこへ向かって歩いているか花音はわかっていなかった。
「守護者の宿だ。今日はそこで一泊する」
守護者は各国に駐在できる宿がある。
もともと、建国する際に国王が守護者を常駐させる申請を任意で出せる権利がある。国側のメリットとしては治安の維持や、入国者に対して守護者がいる安心で潔白な国だというアピールになる。
そして守護者側のメリットは、本部から派遣された守護者が長期業務をする際の効率化、定期的に常駐する守護者から本部へ送られる、その国の情報提供である。
猫の国もそれを利用し、守護者を常駐させている。
ガイルたちはそこで一泊するつもりでいたのだ。
どれくらい歩いただろうか。花音は歩みが重たくなっていた。太陽の位置も心なしか随分と変わった気がする。やはりガイルに担いでもらった方がよかったのではないかという後悔が頭を過ぎる寸前で花音は首を横に振った。
先の喧嘩の後だ。そんなこと口が裂けても言えない。言いたくなかった。
ガイルはそんな花音を意に介さず、豪快に地を踏み鳴らしていく。そもそもこのデカブツの歩幅のペースに合わせているが故の疲れではないのかと、花音はガイルの背中を睨みつけた。
「ついたぞ」
ガイルは立ち止まり、やや下方を指差した。
やや傾斜になっていて、花音の位置からその先が見えなかったが、砂漠の中でオアシスを見つけたように小走りでガイルの位置に置いつき、指差された方向を見る。
「大きい……すごい」
そこには大きな敷地を有した立派な和風の屋敷があった。
屋敷の門前に着くと、人間であろう男が出迎えてきた。
「お待ちしておりましたガイル様。部屋は三つご用意させてもらってますが、あれ、お二人でございますか?」
「いや、一人後でくる。黒髪に黒い服、青い眼をした男だ。すぐにわかる」
ガイルがそう言うと、男は納得したようで屋敷へ案内してくれた。
そして花音は男に獣のような耳と尻尾が生えているのを目撃した。エデンが言ってた人間の顔をした獣人だと気付く。
なんか可愛い。
「こいつも守護者だ。人間だけじゃねえ。他にも色んな人種のやつらがいる」
ガイルは花音の目線に気付いたのか、要らない補足をしてきた。返事をすることなく、花音は視線を逸らす。
ガイルの舌打ちもついでに聞こえたが、無視。
「お疲れでしょう。大浴場はいつでも好きに使ってくれて構いません。今屋敷には私一人しかいないもので。お食事は七時頃にお待ち致します」
「あ? 他に常駐してるやつらはどうした? 一人じゃ治安の維持どころか、巡回すらロクにできねえだろ」
ガイルは男にご最もな質問を問いかけた。
花音はガイルの態度に少し不満だった。同じ守護者なのにもっと他に言い方はないのか。偉そうに。
「えぇ、お恥ずかしい話ですが、行方不明なんです。最近この国では人さらいが起きていまして、恐らくですがその被害に遭ったものかと」
「人さらいだと? なんか聞いたことがあるな。てかそれ事件じゃねえか。本部には報告したのか?」
人さらい。確か今日レストランでそんな会話をしていた獣人がいたなと花音も思い出した。
「い、いえ、まだ本部には。私も最近聞いた話ですし、確証もないので。ただ巡回に出てるだけでそのうち帰ってくるかもと思い、報告するまでには」
「んだよそれ。確証がなきゃダメなのか? 疑わしいことでも情報を提供する義務があるだろが」
「も、申し訳ございません」
男は深々と頭を下げる。
「ちっ、まぁいい。本部には俺から連絡をしておく」
「そ、そんなガイル様! 私の責任ですので。今からでも連絡を入れておきます」
どうしてこんなやつにヘコヘコしているのだろうと花音は甚だ不思議であった。もしかしてお偉いさんなのかもしれない。
「しかし……」
男は続ける。
「後から来るというお連れ様、無事だと良いのですが」
「人さらいに遭うってか? はっ、あいつは大丈夫だ」
花音は入浴を先に済ませ、部屋の窓から日が暮れていくのをぼんやり眺めていた。
灯籠が屋敷を不気味に照らし出す。
「どうした? 浮かない顔して」
花音はここにいるはずのない声を聞いて飛び上がる。
「きゃっ! エデンさん!」
エデンは音もなく花音の部屋に忍び込んできた。
「お、驚かさないでくださいよ! いつ帰ってきてたんですか!?」
「ついさっきかな」
久しぶりに思えるほどの再開に花音は何故だか泣きそうだった。
「だ、大丈夫だったんですか? 怪我とか!?」
「ああ、問題ない」
いつもの調子でエデンは答えた。
「無事で良かった。私、もう色々あったんですからぁ」
「ごめんごめん、あのデカブツと一緒にさせて」
エデンの微笑みがまたより一層花音の涙腺を刺激した。
花音は一連の出来事をエデンに説明した。
とくにガイルとのことだったが。
「なるほどねぇ」
「ひどいですよね!? あんな非情な鬼のような人!」
エデンはまあまあと花音を抑える。
「別にガイルの肩を持つわけではないけどさ、それはどちらも間違ってはいないし、どちらも正解である」
どっちとも付かずの発言に花音は納得いかず、少し頬を膨らませた。
「それは価値観の違いなんだ。それぞれ形の違う正義。比べられるものじゃないんだよ」
エデンは宥めるように続ける。
「君は素直で優しい子なんだ。他人だろうが一緒に喜んであげるし、悲しんであげれる。素晴らしいじゃないか。でもガイルはその他人に干渉することで、本来関わるはずのなかった問題を一緒に抱えてしまうことを危惧している」
「マイナス思考な人。いいこともあるかもしれないのに」
「そう。だから、どっちの生き方も正解なんだ。プラスを取るか、マイナスを取らないように避けるか」
花音はまた頬を膨らませた。
「別に私はプラスを求めてるんじゃないもん」
エデンはまた微笑む。
「わかってるよ。まぁ許してやってくれ。ガイルは情に熱いやつだからさ、そうは言うけど実際は君の気持ちもわかってるんだよ」
「あの人が!? それは絶対ないです! 私の気持ちなんて全然!」
花音は納得がいかない様子を見せるが、気持ちは裏腹に和らいでいた。エデンに愚痴をこぼしたことで晴れたのか、時間の経過で落ち着いてきたからなのかはわからない。
ただエデンの落ち着きのある声と、優しさを感じられる顔を見ていると、怒りの感情は段々と薄れていった。
「ははっ、まあすぐにとは言わないけど、そのうちあいつがどんなやつかってわかってくるよ」
「花音様、お食事をお待ちいたしました」
ノックとともに獣人の守護者の声がした。
「おっと、じゃあ僕はこれで。ごゆっくり」
エデンは逃げるように窓から出て行った。
「なんでそこから」
外はもう完全に闇に包まれた。農村部に光を放つ人工物はほとんどなく、この国に住まう獣人の家の光が転々とあるだけだった。
ガイルは屋敷の屋根の上に腰を下ろし、タバコに火をつけて一服していた。
「よぉガイル。久しぶり」
「うぉっ!?」
ガイルは煙を飲み込んだらしく、むせていた。
「てめっ、ふざけんなエデン! いつ帰ってきた!?」
「夕暮れ時くらいかな」
「一声かけろや!」
ガイルは舌打ちをしてすぐに話を切り出す。
「で? どうだったんだ?」
「そうだな、答え合わせをしよう」
エデンはその問いを待ってましたと言わんばかりの表情で得意げに言う。
「と、その前に僕にも一本くれ」
エデンは顔でガイルの持つタバコを促した。
「もったいぶってんじゃねえよ」
ガイルは一本差し出す。
エデンはタバコを咥え、指の先に火を灯して付ける。
「だから能力使ってんじゃねーよ」
どうせ誰もいないだろうという安心感か、ガイルもそこまでうるさくは言わなかった。
エデンは口から煙を吹かせて。
「で、猫は見つかったかい?」
「いいや。そっちは?」
「僕もだ。猫は、見つからなかった」
この会話の意味は今回の守護者の任務にあった。
とある国の調査。彼らに課せられた任務は、猫の国の、猫探しであった。
「おかしいよな~、猫の国なのに。猫の獣人が一人もいないなんて」
エデンは煙を夜空へと打ち上げる。
「おいエデン、猫はいなくても収穫はあったんだろ」
ガイルはもう待ちきれなく、本題に触れる。
エデンはポケットから紙切れを取り出した。
「はい、これだろ? 間違いなく、黒だ。」
「やはりな」
ガイルは紙切れを受け取り懐にしまう。
それは昼間、ある獣人に対して渡したものだった。
これはマナで作られた、特別な紙切れであり、位置情報やメッセージ組み込むなど、様々な用途で使える優れものだ。
今回はその両方でガイルは使った。
「君はある獣人に、この紙にマナを込めるよう命じた。最初はびっくりしたよ。君がいると思って行ったからね」
紙切れによる情報共有はエデンとガイル、二人だけにしか伝わらない。あらかじめそういう細工にしてあるのだ。
ガイルの紙切れに誰がマナを込めようが、エデンに伝わるのは、ガイルの紙切れがここにあるという情報だけである。
「そして君はメッセージ機能も細工していた。目を疑ったよ。君があんなこと言うなんて」
紙切れにマナを込めると、メッセージが伝わる。
エデンは獣人からガイルの紙切れを受け取り、マナを込めた。そしてガイルの残したメッセージを受け取ったのだ。
「この二人は怪しい。お前なりに探りを入れろ。万が一、白だった場合はこの人間を助けてやってほしい」
「うるせえ。反復してんじゃねえよ」
メッセージを一言一句再生するエデンに、ガイルは文句を垂れる。
「今までの君なら絶対に言わないね。探りを入れろ。それだけだったはずだ」
「だまってろくそ」
「別にいいじゃないか。やはり鬼の君でも、情は殺せない」
「いいから本題に戻れ。次は本気で怒る」
「はいはい」
エデンは笑みを浮かべながら、吸い終わったタバコに火をつけ、跡形もなく消し去った。
そしてみんなが寝静まった頃。
花音は忽然と姿を消した。
その様子から発砲が起きた場所をすぐに特定できた。
「なんだなんだ?」
「誰か打たれたぞ!」
「いいぞぉ!やれやれぇガハハ」
辺りを囲う獣人たちの様々な声が飛び交う。
エデンは花音の手を引きながら獣人たちの間を次々へと掻い潜った。獣の臭いが花音の鼻を刺激する。
「ふん!人間の分際でこの俺様にぶつかりやがって」
獣の包囲網を抜けると、狼のような顔をした獣人が吠えていた。
片手に所持する銃を見てこいつが発砲した犯人だと花音は理解する。
その獣人の先には、もう一人の猪の顔をした獣人。
地に膝をつけ、誰かを庇うような形をしている。そしてその後ろには打たれたであろう人間の女が血を流して倒れていた。
「エデンさん……」
花音は確認するように呼びかける。エデンは小さく頷いた。
「何も喋るな」
花音はいつになく真剣なエデンの姿を見て口を閉ざした。
「申し訳ありませんでした!どうか、お見逃しを!」
猪は狼に頭を下げ強く懇願する。
「ダメだ。その人間は俺様にぶつかってきた。これは正当な侮辱罪だ。死に値する」
狼の言葉は酷く、冷たいものだった。
花音もその言葉に胸が締め付けられた。エデンの手を両手で強く握り、目で訴える。
「呑気に人間なんか連れて歩きやがって。貴様、獣人のプライドを忘れたか!?」
狼は更に畳み掛ける。
「そ、そんな! この国は人間の入国を禁止していないはずです! 人間と共に共存する獣人も世界にはたくさんいます!」
懸命に訴えかける猪に、狼は銃口を向けて返す。
「マナのない下等種族に価値はない。獣人の血が汚れるぜ」
狼の指が引き金にかかる。
「エデンさん!」
「放せ、花音」
咄嗟の呼びかけに花音は握っていた力が一瞬緩んだ。
刹那、激しい銃声が広場に響き渡った。
花音はその音で一瞬目を閉じる。温もりだけを残した両手は空を握っていた。
「!?」
狼は一瞬で目の前に現れたそれに目を見開いた。
花音もすぐにその後を追うように目を向ける。
「ちょっと、そこの獣人さん」
そこにはエデンの姿があった。いつもの冷静な声と表情で。
軽く笑みを浮かべて、エデンは右手の拳を狼に差し出し、ゆっくりと手を開いてみせる。
「弾、落としましたよ?」
そこには今まさに発砲したであろう弾があった。
「な……!? え!?」
狼はエデンの掌で転がる弾と自分の銃を何度も往復して見る。何が起こったのか理解に苦しんでいるようだ。
花音も正直、たった今この一瞬で起きたことを理解できていなかった。
いや、状況は恐らくわかっていた。
だがそれをここにいる皆、信じることができていなかったのだ。
エデンが今まさに放たれた銃弾を掴んだことに。
「な、何なんだお前は!? に、人間!?」
狼はまだ動揺している。無理もない。
エデンは後ろを振り返り、幻でも見ているかのように呆けている猪と倒れて動かない人間を一瞥する。
「君、その人間抱えて走れるかい?」
「え?」
君、と呼ばれてピンとこなかったのか、猪は自分を指差して確認を求めている。
「ガイル!」
エデンは突然レストランに置き去りにした仲間の名を呼んだ。
「おう」
花音はその男の声が自分のすぐ後ろで発せられたことに身の毛立たせた。いつの間にいたのか。
「すぐ追いつく。頼んだ」
エデンの言葉と同時に花音の体が宙を浮く。
「え!? ちょっと」
「うるせぇ女。大人しくしてろ」
ガイルは軽々と花音を肩に乗せて、走り出す。
「おい獣人! ついて来い」
「え、あっ、はい!」
猪も丁度倒れた人間を抱えていたところで、ガイルの声に従い走り出した。
「どけっ! 外野ども!」
ガイルの剣幕に押されてか、周囲を取り囲む獣人はすぐに道を開けていた。
「おい! この人間!」
エデンは思い出したかのように、その声の主の方に体を向けた。
「人間の分際が! 俺様を誰だと思ってやがる! 貴様も侮辱罪だ!」
狼は再び銃口を向けた。
しかしエデンはそれに一切目移りすることなく、真っ直ぐ狼を見据えている。
「あんたさ、どこの獣人?」
「あぁ!?」
エデンは状況にそぐわない質問をする。
銃口を突き付けられても全く気にはしていないのだ。
「血の気も多く、プライドも高い。確かに獣人のそれだがあんたは度が過ぎるな。帝国の者か?」
エデンの言葉が引き金を引いたか、鋭い銃声がまた響いた。
しかし弾はエデンの足元の地をえぐった。
「喋りすぎだ人間。次は当てるぞ」
狼はまた銃口を今度はエデンの眉間に構える。
質問を発砲で応えた狼にエデンは図星を察した。
そして、エデンは静かに狼を睨み返す。
「あんた、自分より格上の人間に会ったことはあるか?」
エデンから込み上げる気迫が広場一帯の獣人を震わした。
「なっ!?」
狼は驚愕する。周りを囲む獣人も同じように。
「これが人間のもつマナか!? あり得ない!」
刹那、金属音が生じる。
「つっ!」
狼は指の痛みを感じる。視線を移すとそこに所持していたはずのものがない。すぐにそれが地を摩擦する音で狼は理解する。
「銃が弾かれっ!? いつの間にっ」
急いでエデンの方を見やる狼の腹に鈍い痛みが走る。
エデンの蹴りが入った。
「がはっ」
獣人のもつ大きな体は容易く吹っ飛んだ。
地を滑るように転がる狼の体はやがて止まる。その表情にはまだ衝撃の余韻が残っていた。
エデンはゆっくりと狼との距離を詰めていく。
「かはっ、貴様……何者だ!」
「あんたの言う下等種族さ」
ゆっくりと、足を止めることなく。
「その人間にやられて、気分はどうだい?」
ニコッと、エデンは笑みを向ける。
「ふ、ふざけるなよ」
距離を詰めてくるエデンに狼狽しながらも、狼は懐に手を入れる。
「おい! お前ら!」
その言葉はエデンではなく、周りの獣人に向けられたものだった。
「何黙って見てやがる! これは大罪だ! さっさと始末しやがれ!」
狼はそう叫ぶと同時に、懐から取り出した何かを空へと投げる。そしてそれは淡い紫色の光を放った。
「!」
エデンはすぐに異変に感じ取った。
周りの獣人の様子がおかしい。
「人間……殺す……」
「憎い……」
「獣人に立てつきやがって……」
荒い息と共に獣人らは口々に言葉を唱え出した。
狼は高笑いをする。
「後悔してももう遅い! 八つ裂きにされて噛み殺されてしまえ!」
狼の言葉を合図に周りの獣人が一斉にエデンへ襲いかかった。
「おいおいまじかよ」
城下町を抜け、国の農村部へ入ったところでガイル達は足を緩めた。
「とりあえず、ここまで来れば安心だな」
見渡せば田や畑。川までも通っている。さっきの賑やかな城下町とは打って変わって、静かでのどかな景色が広がっていた。
ガイルはゆっくりと花音を肩から下ろす。
「おい獣人、大丈夫か?」
「はぁ、はぁ、なんとか」
「お前じゃねぇよ、その人間だ」
獣人はハッと、抱えていた人間をそっと下ろし、容態を確認する。
「お、おい。カイリー、大丈夫か!?」
カイリーと呼ばれた人間の女に反応は無かった。
花音もその手を握る。まだ温かい。生きている。
「カイリー、頼む返事をしてくれ」
猪の声は力なく、瞳は涙で滲んできた。
「血を流しすぎたか。そこまで傷口が深いようには見えないが」
ガイルの淡白な声色に花音は声を上げる。
「何か助かる方法はないんですか!?」
「……」
ガイルは表情を曇らせる。
花音も初めて見るガイルの顔に、少し困惑する。
「ごめんな、カイリー。俺がこの国に連れてきたばかりに………ごめんなぁ」
猪の瞳を滲ませていたものは、もう既に溢れ出していた。
カイリーが動く気配は全く感じられない。
花音も同じ人間として感情が移入したのか、視界が滲んできた。
「ひどい……」
花音の言葉は重たかった。この世界での人間の身分を聞いてはいたが予想を超えていた。ここまでする必要があったのか。なぜ人間というだけで蔑まれ、命までも奪われないといけないのか。人間が何をしたというのか。
「これはやりすぎだ。普通はここまでやらねえよ」
花音の気持ちを察してか、ガイルは言う。
「この国は大丈夫だと思っていた。マウサーは特に人間への偏見は少ない国だと聞いていた……。なのに、なのにこんなことに」
猪は涙を流しながら後悔を唱え続ける。
カイリーは変わらず動くことはなく、ずっと目を閉じたままだった。
花音もそんな二人を見つめてやることしかできず、自分の無力さに歯を噛み締めていた。
「女、いくぞ」
「え?」
悲しみに暮れる空気をガイルの無慈悲な言葉が断った。
「ちょっ」
ガイルは軽く花音を持ち上げ肩に乗せる。
「ガイルさん!」
花音の抵抗をガイルは全く受け付けない。いくら暴れようとも、ガイルの力と強靭な肉体の前では無力に等しかった。
猪も状況が飲み込めずポカンと口を開けている。
「おい獣人」
ガイルは小さな紙切れのような物を獣人に差し出した。
「それにマナを込めてここで待ってろ」
ガイルはその言葉を最後に、猪を置いて歩き出した。
「ちょっと! 何してるんですか!?」
力の抵抗を諦め、花音は口で抵抗を続けた。
「やることはやった。もういいだろ」
ガイルの歩みは早く、獣人の姿は段々と遠のいていく。
「やることってなんですか!?」
「ちっ、うるせぇ女だな。黙ってろ」
「ふぅ」
エデンは一息ついた。広場は地に倒れた獣人で埋め尽くされていた。
「これで全部かな」
辺りを見渡す。狼は逃したようだ。
「あいつどさくさに紛れて逃げやがったな」
一応マナを研ぎ澄まして確認するが、確かに狼のマナは感じられなかった。
逃げ足の早いやつだ。
「とりあえずガイルたちと合流するか」
ここに長居していても仕方がない。
むしろ、大量に倒れた獣人とそこに立つ人間。この絵を誰かに見られるとまた面倒なことになりそうで、それは何かと都合が悪かった。
「さて、ガイルたちの位置は」
エデンはマナを込める。
「農村部の方か」
エデンは歩を進めながら先の狼について思考する。
あの言動、恐らくこの国のものではないことは確かだ。
そしてよそ者にしても、喋り方や服装が庶民のそれとは少し違和感があった。立場的には位が高い方のそれだ。
そしてエデンは右手を開いて見る。先の銃弾を受け止めた手だ。何かしらの違和感があった。
「帝国が絡んでいるなら厄介なことになるな。少し急ぐか」
エデンは歩くスピードを早めた。
ガイルは先の場所から十分に離れたことを確認して花音を下ろした。
花音はまだ納得がいかない顔をしている。
「そろそろ自分で歩け」
「ガイルさんが無理やり担いだんじゃないですか!」
花音は頬を膨らませる。
「どうしてあんなっ」
「うるせえってんだよ」
ガイルの剣幕に花音はすぐに言葉を切った。
「どこの誰かも知らねえ人間の死体眺めていつまで泣いてるつもりだてめぇは!」
ガイルの顔は花音にとっては恐怖だったが、今回ばかりは譲れない怒りが恐怖を超えた。
「そんな言い方酷すぎます! まだあの人は生きてましたよ! 手が温かかったもん!」
ガイルは面倒くさそうに舌打ちをした。
「時間の問題だ。お前、治療でも蘇生でもできんのか? 瀕死の人間眺めて泣いてるだけで何か解決すんのか?」
「そ、そういうことじゃ……」
「そういうことだ。親しい間柄ならまだしも、他人同然の奴に情を生むな。時間の無駄だ」
花音の頬には涙が伝っていた。納得がいくわけがない。
そういうことじゃない。花音は自分の思いを上手く言葉にできないのが悔しくて仕方なかった。
「でも……悲しいじゃないですか。あの獣人さんはもっと悲しいはずです! 確かに何もできないけど、何もできないからこそ一緒にいてあげるだけで獣人さんの心の支えになるかもしれないじゃないですか!」
「んなこと望んでねえよ」
ガイルの言葉は非常に冷たかった。
「それは親しい間柄での話だろ。あの獣人にとって俺たちもただの他人同然。自分の連れが助かることしか考えてねえよ」
ガイルはため息をつく。
「いいか、よく聞け女。死というのは二種類ある。見える死と見えない死だ。この世界で圧倒的に多いのは後者。普段俺たちが何気ない一日を送る中、知らない、見えていないところで何人もの死がある。これが見えない死だ」
花音は流れる涙を手で拭う。
「その見えなくして死ぬやつらは全て他人だ。生きていく中で、一度も出会うことも、存在すらも知らない。お前はその死人全てに情をかけるのか? 今のもそうだ。あれは見えない死だ。本来なら出会うこともない、干渉する必要がないものだ」
「違うもん」
「あぁ!?」
花音はまだ溢れる涙を拭いながら子供のように否定した。
正論のように聞こえるが違う。認めてはいけない。その強い意志から咄嗟に出たものだった。
「もう見えちゃってるじゃないですか」
「だが他人だ。見えない死と同義で扱えって言ってんだ」
花音は折れるつもりはなかった。上手く言葉にはできなかったが、譲れない信念、それだけでガイルに食らいついていた。
そしてガイルも半ば諦めていた。埒があかない。
正直花音を舐め切っていた。少し前まで目すらも合わせられなかったか弱い少女が、今はしっかりと自分を捉えて意見することに。
「ちっ、もういいいくぞ」
ガイルなりの折れであった。
「どこへですか」
そもそもどこへ向かって歩いているか花音はわかっていなかった。
「守護者の宿だ。今日はそこで一泊する」
守護者は各国に駐在できる宿がある。
もともと、建国する際に国王が守護者を常駐させる申請を任意で出せる権利がある。国側のメリットとしては治安の維持や、入国者に対して守護者がいる安心で潔白な国だというアピールになる。
そして守護者側のメリットは、本部から派遣された守護者が長期業務をする際の効率化、定期的に常駐する守護者から本部へ送られる、その国の情報提供である。
猫の国もそれを利用し、守護者を常駐させている。
ガイルたちはそこで一泊するつもりでいたのだ。
どれくらい歩いただろうか。花音は歩みが重たくなっていた。太陽の位置も心なしか随分と変わった気がする。やはりガイルに担いでもらった方がよかったのではないかという後悔が頭を過ぎる寸前で花音は首を横に振った。
先の喧嘩の後だ。そんなこと口が裂けても言えない。言いたくなかった。
ガイルはそんな花音を意に介さず、豪快に地を踏み鳴らしていく。そもそもこのデカブツの歩幅のペースに合わせているが故の疲れではないのかと、花音はガイルの背中を睨みつけた。
「ついたぞ」
ガイルは立ち止まり、やや下方を指差した。
やや傾斜になっていて、花音の位置からその先が見えなかったが、砂漠の中でオアシスを見つけたように小走りでガイルの位置に置いつき、指差された方向を見る。
「大きい……すごい」
そこには大きな敷地を有した立派な和風の屋敷があった。
屋敷の門前に着くと、人間であろう男が出迎えてきた。
「お待ちしておりましたガイル様。部屋は三つご用意させてもらってますが、あれ、お二人でございますか?」
「いや、一人後でくる。黒髪に黒い服、青い眼をした男だ。すぐにわかる」
ガイルがそう言うと、男は納得したようで屋敷へ案内してくれた。
そして花音は男に獣のような耳と尻尾が生えているのを目撃した。エデンが言ってた人間の顔をした獣人だと気付く。
なんか可愛い。
「こいつも守護者だ。人間だけじゃねえ。他にも色んな人種のやつらがいる」
ガイルは花音の目線に気付いたのか、要らない補足をしてきた。返事をすることなく、花音は視線を逸らす。
ガイルの舌打ちもついでに聞こえたが、無視。
「お疲れでしょう。大浴場はいつでも好きに使ってくれて構いません。今屋敷には私一人しかいないもので。お食事は七時頃にお待ち致します」
「あ? 他に常駐してるやつらはどうした? 一人じゃ治安の維持どころか、巡回すらロクにできねえだろ」
ガイルは男にご最もな質問を問いかけた。
花音はガイルの態度に少し不満だった。同じ守護者なのにもっと他に言い方はないのか。偉そうに。
「えぇ、お恥ずかしい話ですが、行方不明なんです。最近この国では人さらいが起きていまして、恐らくですがその被害に遭ったものかと」
「人さらいだと? なんか聞いたことがあるな。てかそれ事件じゃねえか。本部には報告したのか?」
人さらい。確か今日レストランでそんな会話をしていた獣人がいたなと花音も思い出した。
「い、いえ、まだ本部には。私も最近聞いた話ですし、確証もないので。ただ巡回に出てるだけでそのうち帰ってくるかもと思い、報告するまでには」
「んだよそれ。確証がなきゃダメなのか? 疑わしいことでも情報を提供する義務があるだろが」
「も、申し訳ございません」
男は深々と頭を下げる。
「ちっ、まぁいい。本部には俺から連絡をしておく」
「そ、そんなガイル様! 私の責任ですので。今からでも連絡を入れておきます」
どうしてこんなやつにヘコヘコしているのだろうと花音は甚だ不思議であった。もしかしてお偉いさんなのかもしれない。
「しかし……」
男は続ける。
「後から来るというお連れ様、無事だと良いのですが」
「人さらいに遭うってか? はっ、あいつは大丈夫だ」
花音は入浴を先に済ませ、部屋の窓から日が暮れていくのをぼんやり眺めていた。
灯籠が屋敷を不気味に照らし出す。
「どうした? 浮かない顔して」
花音はここにいるはずのない声を聞いて飛び上がる。
「きゃっ! エデンさん!」
エデンは音もなく花音の部屋に忍び込んできた。
「お、驚かさないでくださいよ! いつ帰ってきてたんですか!?」
「ついさっきかな」
久しぶりに思えるほどの再開に花音は何故だか泣きそうだった。
「だ、大丈夫だったんですか? 怪我とか!?」
「ああ、問題ない」
いつもの調子でエデンは答えた。
「無事で良かった。私、もう色々あったんですからぁ」
「ごめんごめん、あのデカブツと一緒にさせて」
エデンの微笑みがまたより一層花音の涙腺を刺激した。
花音は一連の出来事をエデンに説明した。
とくにガイルとのことだったが。
「なるほどねぇ」
「ひどいですよね!? あんな非情な鬼のような人!」
エデンはまあまあと花音を抑える。
「別にガイルの肩を持つわけではないけどさ、それはどちらも間違ってはいないし、どちらも正解である」
どっちとも付かずの発言に花音は納得いかず、少し頬を膨らませた。
「それは価値観の違いなんだ。それぞれ形の違う正義。比べられるものじゃないんだよ」
エデンは宥めるように続ける。
「君は素直で優しい子なんだ。他人だろうが一緒に喜んであげるし、悲しんであげれる。素晴らしいじゃないか。でもガイルはその他人に干渉することで、本来関わるはずのなかった問題を一緒に抱えてしまうことを危惧している」
「マイナス思考な人。いいこともあるかもしれないのに」
「そう。だから、どっちの生き方も正解なんだ。プラスを取るか、マイナスを取らないように避けるか」
花音はまた頬を膨らませた。
「別に私はプラスを求めてるんじゃないもん」
エデンはまた微笑む。
「わかってるよ。まぁ許してやってくれ。ガイルは情に熱いやつだからさ、そうは言うけど実際は君の気持ちもわかってるんだよ」
「あの人が!? それは絶対ないです! 私の気持ちなんて全然!」
花音は納得がいかない様子を見せるが、気持ちは裏腹に和らいでいた。エデンに愚痴をこぼしたことで晴れたのか、時間の経過で落ち着いてきたからなのかはわからない。
ただエデンの落ち着きのある声と、優しさを感じられる顔を見ていると、怒りの感情は段々と薄れていった。
「ははっ、まあすぐにとは言わないけど、そのうちあいつがどんなやつかってわかってくるよ」
「花音様、お食事をお待ちいたしました」
ノックとともに獣人の守護者の声がした。
「おっと、じゃあ僕はこれで。ごゆっくり」
エデンは逃げるように窓から出て行った。
「なんでそこから」
外はもう完全に闇に包まれた。農村部に光を放つ人工物はほとんどなく、この国に住まう獣人の家の光が転々とあるだけだった。
ガイルは屋敷の屋根の上に腰を下ろし、タバコに火をつけて一服していた。
「よぉガイル。久しぶり」
「うぉっ!?」
ガイルは煙を飲み込んだらしく、むせていた。
「てめっ、ふざけんなエデン! いつ帰ってきた!?」
「夕暮れ時くらいかな」
「一声かけろや!」
ガイルは舌打ちをしてすぐに話を切り出す。
「で? どうだったんだ?」
「そうだな、答え合わせをしよう」
エデンはその問いを待ってましたと言わんばかりの表情で得意げに言う。
「と、その前に僕にも一本くれ」
エデンは顔でガイルの持つタバコを促した。
「もったいぶってんじゃねえよ」
ガイルは一本差し出す。
エデンはタバコを咥え、指の先に火を灯して付ける。
「だから能力使ってんじゃねーよ」
どうせ誰もいないだろうという安心感か、ガイルもそこまでうるさくは言わなかった。
エデンは口から煙を吹かせて。
「で、猫は見つかったかい?」
「いいや。そっちは?」
「僕もだ。猫は、見つからなかった」
この会話の意味は今回の守護者の任務にあった。
とある国の調査。彼らに課せられた任務は、猫の国の、猫探しであった。
「おかしいよな~、猫の国なのに。猫の獣人が一人もいないなんて」
エデンは煙を夜空へと打ち上げる。
「おいエデン、猫はいなくても収穫はあったんだろ」
ガイルはもう待ちきれなく、本題に触れる。
エデンはポケットから紙切れを取り出した。
「はい、これだろ? 間違いなく、黒だ。」
「やはりな」
ガイルは紙切れを受け取り懐にしまう。
それは昼間、ある獣人に対して渡したものだった。
これはマナで作られた、特別な紙切れであり、位置情報やメッセージ組み込むなど、様々な用途で使える優れものだ。
今回はその両方でガイルは使った。
「君はある獣人に、この紙にマナを込めるよう命じた。最初はびっくりしたよ。君がいると思って行ったからね」
紙切れによる情報共有はエデンとガイル、二人だけにしか伝わらない。あらかじめそういう細工にしてあるのだ。
ガイルの紙切れに誰がマナを込めようが、エデンに伝わるのは、ガイルの紙切れがここにあるという情報だけである。
「そして君はメッセージ機能も細工していた。目を疑ったよ。君があんなこと言うなんて」
紙切れにマナを込めると、メッセージが伝わる。
エデンは獣人からガイルの紙切れを受け取り、マナを込めた。そしてガイルの残したメッセージを受け取ったのだ。
「この二人は怪しい。お前なりに探りを入れろ。万が一、白だった場合はこの人間を助けてやってほしい」
「うるせえ。反復してんじゃねえよ」
メッセージを一言一句再生するエデンに、ガイルは文句を垂れる。
「今までの君なら絶対に言わないね。探りを入れろ。それだけだったはずだ」
「だまってろくそ」
「別にいいじゃないか。やはり鬼の君でも、情は殺せない」
「いいから本題に戻れ。次は本気で怒る」
「はいはい」
エデンは笑みを浮かべながら、吸い終わったタバコに火をつけ、跡形もなく消し去った。
そしてみんなが寝静まった頃。
花音は忽然と姿を消した。
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