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第五章 混沌の書
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「くすり~くすりはいらんかね~」
どこにでもある山間の農村に、薬売りの声が響く。
呼び込みを行う小さな薬売りの隣には、薬箱を持った背の高い荷物持ちが歩いていた。
彼の声に引き寄せられ、近くにいた子供達が寄ってきた。
「どんなおくすり売ってるの~?」
「みせてみせてー!」
薬売りがこんな田舎までやってくるのが珍しいのか、子供達は興味津々である。
呼び込みを行っていた小さな薬売りは隣の荷物持ちに何やら指示を出すと、笑顔で子供達へ言う。
「見せてもいいけど、地べたじゃ薬を扱えない。どこか屋内に案内してくれないか」
それを聞いた子供達はこっちに来てと言い、二人を村の中へ連れて行った。
薬売りと荷物持ちの男は子供達と歩きながら、畑仕事をする農夫たちの様子を伺った。
そして薬売りはそっと荷物持ちの男を屈ませて耳打ちした。
「随分と寂れた農村だね」
「リンム、失礼なことを言うな」
「なんだよ~、シスイも本当はそう思ってるだろう」
「立派な農村だ」
こそこそと喋りながら子供達のあとをついていく二人。
リンムは一時は忍びの里として繁栄したはずの花の里が、クロハが子供の頃ほど貧そうではなくとも、ここまで廃れているとは思っていなかった。
畑の向こうに古い小屋があるのを見つけ、リンムは懐かしく思った。
あそこはクロハが子供時代に育った場所だ。
風の里を離れた風忍・ツバメが花の里を興した当時、この土地は誰も住んでいない未開の地であった。
それをツバメと、ツバメを慕って付いてきた元風忍たちは一から開拓していった。
そんな時代にクロハはこの里で生まれた。
当時はみな必死だった。畑を耕すにも樹木を伐採し、岩を退け、聖地しなければならないが、明日の食べ物があるかもわからない生活だ。
ろくな家屋もなく、思い思いに忍び達は急場凌ぎに自分の家を作っていた。
そんな生活の中、あれはクロハが五歳ほどの頃に起こった。
里の皆が寝静まった満月の夜、クロハは優しい両親と共にその日も掘建小屋で眠っていた。
だが、突然父が飛び起きるとノコギリを取り出し母をノコギリで切り付けたのである。
クロハの両親はどちらも元忍びであったため、子供がいる屋内で激しい戦闘が始まった。
怯えて部屋の隅に座り込んでいたクロハは、母は逃げろと言われてようやく家を飛び出した。
近所の家に飛び込み、見知った夫婦に父が暴れていることを伝えた。
クロハの真っ青な顔に考え込んだ男は、しばらくして花長に伝えてこいと妻に言った。
女が家を飛び出すと、男はクロハを家に隠れているように告げ自分もどこかへ走って行った。
父が元の優しい姿に戻っているように、母が無事であるように願いながらその日は眠った。
だが、その願いは叶わなかったのだ。
翌朝、クロハに神妙な顔をした夫婦が「君の両親は亡くなった」と告げた。
声もなく泣いたクロハを男は抱きしめて、
「君のお母さんを守れなくてすまなかった」
と謝った。
あの夜、男は現場へ向かったが、家の外でクロハの母が倒れていることに気がついた。
思わず駆け寄って彼女の容態を見たが、胸を十字に切り裂かれていてとても助かりそうには見えなかった。
そこへ背後からクロハの父に襲われ間一発、どうにか逃げ出した。
理性を失ったようにひたすら攻撃してくるクロハの父に恐怖していると、花長が現れてものの数秒で仕留めてしまったらしい。
男が話し終えた頃、夫婦の家の戸がこんこんと叩かれた。
女が戸を開けると、そこには花長・ツバメと使用人らしき老爺がいた。
「取り込んでいるところすまない。至急用件があって参った」
夫婦は自分達とは比べられないほど身分が高い花長の突然の来訪に驚き、すぐに彼らを招き入れた。
老爺は夫婦に小包を渡して言った。
「昨夜は大変な目に巻き込まれましたね。僅かばかりですが、これは花長からのお気持ちです」
夫婦が小包を開くと、そこには小判が数枚入っていた。
我が家の一年の収入よりも多い額を突然渡され、夫婦は息を呑んだ。
ツバメはクロハの姿を見付けると、彼の手をとって言った。
「君の父は私が殺した。どうしようもない状況とはいえ、申し訳ないことをしてしまった」
クロハは本当に悲しそうな顔をしているツバメを見て、一瞬でも父を殺したことを恨んでしまった自分を恥じた。
「どうか謝らないでください、花長様」
「そんなことを言わないでくれ。君、両親以外に誰か親戚は?」
無言で首を振るクロハ。
クロハの両親は風の里を抜ける際に一族と縁を切っており、クロハには親戚と呼べるような者は誰もいなかった。
「なら、私の家に来るといい。責任を持って面倒見てあげよう」
クロハは手を強く握るツバメに困惑して、助けを求めるように夫婦を見上げた。
夫婦はクロハに「きっとその方がいい」と頷いてみせた。
「はい……、花長様についていきます」
その時、いじらしい笑みを浮かべるクロハのあまりのかわいらしさにツバメは密かに心を打たれた。
一軒の家の前で薬売りと子供達一行は立ち止まった。
「こういうことは里長に聞けって、みんな言うんだ」
年長らしき少年はそういって、目の前の屋敷を指差した。
子供達が案内してくれたのは、昔と変わらない姿の、花長が住まう屋敷だった。
多少古くなっていたが、寂れた農村に見合わない立派な家だ。
子供達は屋敷の使用人に行商の薬売りを連れてきたと言い、二人を中へ入れた。
リンムはこっそりとシスイの耳元に囁く。
「思ったより楽に潜入できたな」
「罠かもしれん。私の側を離れるな」
警戒を強めたシスイは、リンムを守るようにそっと肩を抱き寄せた。
リンムは僅かに頬を染め、「わかった」と呟いた。
やがて二人と子供達は花長の間へやってきた。
二十年ぶりに見る花長の間も、多少物寂しくはなっていたが変わりはなさそうだった。
長の椅子には、人の良さそうな老人が座っている。
彼は確か、クロハの記憶では花長の屋敷で働く使用人の一人だったはずだ。
なぜ彼が現在の花長となっているのだろうか。
花長はにっこりと微笑み、
「よく来てくれた、薬売り殿。さあ品物を見せてくれ」
「ええ、どうぞいくらでも見て行ってください」
シスイは薬箱を下ろし、敷布の上に薬を並べていく。
それを一つ一つ指差しながら、リンムは紹介していった。
「これは下痢止め、腹の病や発熱によく効きます。これは毒下し、毒だけじゃなく怪我にもよく効く。この薬は二日酔い……」
並べられた薬達を眺め、老人は目を細めて言った。
「懐かしいのぅ。昔はこの里にも、薬売り殿のような知識を持った者が住んでいたのだ」
それに思わずリンムはぎくりとして、紹介の手を止めた。
「もう二十年は昔のことなのだが……。今は複雑な調合をできるものもいなくなってしまった」
「へ、へぇ~」
クロハは花の里でも薬や火薬の腕がよく、薬売りとして潜入へ行く他の忍びのために薬作りを代行したり、余った薬を里で安く売り歩いたりしていた。
他にも薬に長けたものたちはいたはずだが、花の里にはもう彼らはいないのだろうか。
「これも何かの縁ですから、必要な薬があればお安く作りましょう。かわりに一晩泊めてほしいのです」
リンムの申し出に、老人は迷うことなく好きなだけ泊まっていくといいと返した。
軽率に敵地へ身を置くリンムをシスイは咎めるように後ろ手で小突いたが、そんなことは気にしない。
子供達は横から「もっと面白い薬はないの~?」とねだってきた。
「ああ、いくらでもあるさ。これは水を混ぜると色が変わる粉、滋養にいい甘蜜もある。食べてごらん」
リンムに子供達が群がっていると、シスイは薬箱の奥から小さな筒をいくつか取り出した。
「これを」
シスイが差し出したのは、リンムが薬箱に忍ばせていた連絡用の花火だった。
「ちょうどいいや。子供達、外で花火を打とう」
すっかり人気者になったリンムは片手で子供達を抱き上げながら、屋敷の庭を堂々と借りた。
庭先で花火を並べると、シスイは順番に火をつけていく。
(潜入、成功っと)
黄色と赤色が綺麗に重なる花火を何度か打ち上げ仲間に連絡をとる。
子供達は大喜びでリンムと遊び、やがて日が暮れると帰って行った。
夜中、リンムは花長の屋敷を捜索することにした。
(なにか黒羽忍法書の手がかりがあればいいんだけど……)
「どこへ行く」
さりげなく花長に間借りした部屋を出ようとすると、シスイに引き止められた。
「ちょっと厠を借りようと思って」
「ついていこう」
「いやいや、来なくていいって! 一人で行けるもん」
もしシスイについて来られたら動きにくくなってしまう。
「駄目だ」
リンムはシスイに腕を掴まれ、ずるずると厠に連れて行かれた。
観念して廊下を引き摺られていると、向こうから屋敷の使用人らしき老女が歩いてくるのを見つけた。
老女は二人の前まで来ると、
「お客様、どちらへ行かれるのですか」
と聞いてきた。
「厠だ」
「なんで本当のことを言うのさ、恥ずかしいよ……」
リンムはしめしめと思いながら、後ろ手で庭に石を投げた。
シスイの視線が石が落ちた方へ向いた瞬間、さっと使用人の足を払ったリンムは片手で印を結んだ。
(火遁、混沌の術!)
シスイが一瞬視線を逸らした後、リンムを掴んでいたはずの腕が突然重たくなった。
「あらっ! すまないねぇ」
なぜかシスイはリンムではなく体制を崩した老女の腕を掴んでおり、リンムの姿は消えていた。
(やられた……)
シスイはため息をつき、老女を立ち上がらせると「お怪我はないですか」と彼女を気遣った。
しばらくして老女もリンムの姿がないことに気付き首を傾げた。
「もう一人のお客様はどちらへ?」
「彼なら先程厠に駆け込んでいきました」
「あらそう、引き止めちゃって悪いことしたわ」
シスイは老女と早々に別れ、ため息をついてからその場を去った。
シスイが気を逸らした瞬間、老女と自分の立ち位置を入れ替えたリンムはそのまま音もなくどんでん返しに忍びこみ隠し通路から逃げてみせた。
リンムは勝手知ったる長の屋敷で隠し部屋の調査を開始することにした。
いくつかの部屋はここ数年使用された形跡がなかったが、花長の寝室に近い一室は誰かが今も出入りしているようだった。
この隠し部屋はいくつかある部屋の中でも特に、金銀財宝や貴重品をしまっている場所だ。
そんな金庫部屋に手がかりがないか探していると、部屋の壁に以前は無かったはずの畳が置かれていることに気づいた。
リンムが畳をずらすと、そこには地下へ降りる階段がかけられている。
(この階段、いったいどこへ繋がっているんだろう)
そろそろと階段に足をかけた。
階段を降りた先はどこかへ通じる扉が一枚あるだけであった。
その扉は鉄製で固く閉ざされ、鍵穴は複雑な形をしており鍵開けできそうになかった。
先に進むのを諦めたリンムは、一度この部屋から撤退することにした。
リンムが長に間借りした部屋へ戻ると、シスイ、キョウコツ、ノエが待っていた。
「あら、長い厠だったわねリンムちゃん」
おほほと笑うノエは顔中に土を塗って乞食に変装しており、元の美貌は完全に消え去っている。
白い山伏衣装に身を包んだキョウコツは、リンムの元気そうな姿にホッとした様子でいた。
シスイは不機嫌そうな顔でリンムを座らせて言った。
「さて、順番に報告といこうか」
シスイは初めに二人がどのように花長の屋敷へ来たか語った。
「――そして先程、屋敷内を軽く調査してきたのだが」
リンムに逃げられたシスイは、諦めて軽く屋敷の調査をすることにした。
木陰に隠れて屋敷の外を観察していると、高台で里の夜警をする老人達の姿を見かけた。
(普通こういう仕事は若者がやると思ったが、この里は不自然に老人と子供しかいない)
不可思議な里の様子に、シスイは花の里の辿った末路を振り返った。
クロハの死後、花長であったツバメは四里同盟と対立するようになり当時の風長、アマネの母を殺した。
それからツバメは四里同盟に処刑され、花忍たちも四里同盟に財産を奪われ里を追われたと聞く。
クロハの生前、シスイは花の里を訪れたことがある。
今の花長である老人も、使用人の老女も二十年前に見覚えがあった。
彼らは間違いなく花の里の民である。
今はこの地は、花の里が興される前の持ち主であった風の里が管理しているはずだ。
(アマネが花の里の民を匿っているのか? だがなぜ若者の姿がないんだ)
話を聞き終えたノエは確かにと頷いた。
「私も同じことを思いましたわ。乞食として何人かの里の民と話しましたが、みな老人か子供でしたの」
「たしかにそれは不可思議だな」
キョウコツも頷いている。
リンムも雰囲気に合わせて適当に頷いてみせた。
「次は私が話しましょう」
ノエは乞食として里に潜入した時の様子を語り出した。
薄汚い乞食に変装したノエはお椀を片手に里を練り歩いた。
「どうか私にお恵みを」
そんなノエを見かけたある初老の女は彼を不憫に思ったのか、
「この里にろくな食べ物はないけど、一食だけでいいならうちで食べていくといいよ」
と言った。
ノエは心底嬉しそうに「ああ、ありがたや」と言って彼女についていくことにした。
女は一人で暮らしているらしく、彼女の家には他の者の姿はなかった。
居間に座らされたノエは、部屋の隅に簡素な仏壇が置かれていることに気付いた。
「おばさま、もしよろしければこの家の仏様にお参りしてもよろしいでしょうか」
「もちろん良いさ。ご飯をいま用意するからね」
女は台所で忙しなく火を起こし始めた。
ノエは隠し持っている手拭いで軽く服や手の埃をはらうと、仏壇に手を合わせるふりをして仏像の周りに置かれているものを観察した。
この家の仏像はしがない農民が持っているものとは思えないほどしっかりしている。
もしかしたらこの家の中で一番高価なものかもしれない。
「とても素晴らしい仏様ですね」
「ああ、それはたまたま身の丈に合わない大金をもらった時に、ある子供の幸せを祈って買ったんだ」
仏像の前には両刃の短刀が一本置かれている。
「この短刀はなんですか?」
「それは夫の遺品さ。昔この地に災難が起きた時に亡くなって、遺体もなく、これ一本しか持ち物は見つからなかった」
「それは、お悔やみ申し上げます」
ノエは一体どういうことだろうと思った。
確かに花の里の民は以前、四里同盟に狙われて財産を奪われ土地を追われたというが、彼女は変わらず花の里に戻っているようだ。
そして彼女の夫は短刀一つ残して姿を消した。
「ほら、雑穀粥ができたよ」
ノエは女が作った暖かくて水っぽい、決して美味とはいえない粥を頂き、丁寧にお礼を言って家を出た。
ノエの話を聞き終わったシスイは、
「もしやその姿を消した夫とやらと、この里に若者がいない理由は関わっているのかもしれないな」
と言った。
キョウコツは「次は俺の番だな!」と、待ってましたとばかりに話し出した。
「俺は山伏に化けて里の周辺を探索したんだが、山の中に怪しい城を見つけたんだ。
中に入って調査しようかと思ったが、どうもその城に人影が見えて辞めた。
しばらく城の外から様子を伺っていたが、時たま人影が見えるだけで話し声や足音も聞こえなかった。
どうだ、怪しいと思うだろう?」
リンムはクロハの記憶を探るが、里の近くに城なんて無かったはずだと思った。
ノエは机に肘をついて言った。
「忍びの耳で足音を聞き取れないなんて、そいつの足がないか同業者しか考えられないわね」
「里の近くに忍びが住んでいるのか」
シスイがどうしたものかと考えていると、リンムは言った。
「気になるなら明日にでも訪ねてみようよ」
シスイはますます不機嫌そうな顔になって唸った。
「リンム、無茶なことは言うな。お前に何かあったらどうする」
「何かなんてあるはずないよ。だってシスイが守ってくれるでしょ?」
「だが……」
するとノエも「悩んでたって仕方ないじゃない。危なかったら逃げれば良いだけよ」と言い出した。
それを聞いてキョウコツは「シスイなんかより俺を頼れ。俺はチビを必ず守ってやる」と言った。
「わー! キョウコツありがとう」
満面の笑みで抱きついてきたリンムに、キョウコツはやに下がった顔をした。
ついにシスイが多数決で敗れ、城の調査へ向かうことになったのだ。
どこにでもある山間の農村に、薬売りの声が響く。
呼び込みを行う小さな薬売りの隣には、薬箱を持った背の高い荷物持ちが歩いていた。
彼の声に引き寄せられ、近くにいた子供達が寄ってきた。
「どんなおくすり売ってるの~?」
「みせてみせてー!」
薬売りがこんな田舎までやってくるのが珍しいのか、子供達は興味津々である。
呼び込みを行っていた小さな薬売りは隣の荷物持ちに何やら指示を出すと、笑顔で子供達へ言う。
「見せてもいいけど、地べたじゃ薬を扱えない。どこか屋内に案内してくれないか」
それを聞いた子供達はこっちに来てと言い、二人を村の中へ連れて行った。
薬売りと荷物持ちの男は子供達と歩きながら、畑仕事をする農夫たちの様子を伺った。
そして薬売りはそっと荷物持ちの男を屈ませて耳打ちした。
「随分と寂れた農村だね」
「リンム、失礼なことを言うな」
「なんだよ~、シスイも本当はそう思ってるだろう」
「立派な農村だ」
こそこそと喋りながら子供達のあとをついていく二人。
リンムは一時は忍びの里として繁栄したはずの花の里が、クロハが子供の頃ほど貧そうではなくとも、ここまで廃れているとは思っていなかった。
畑の向こうに古い小屋があるのを見つけ、リンムは懐かしく思った。
あそこはクロハが子供時代に育った場所だ。
風の里を離れた風忍・ツバメが花の里を興した当時、この土地は誰も住んでいない未開の地であった。
それをツバメと、ツバメを慕って付いてきた元風忍たちは一から開拓していった。
そんな時代にクロハはこの里で生まれた。
当時はみな必死だった。畑を耕すにも樹木を伐採し、岩を退け、聖地しなければならないが、明日の食べ物があるかもわからない生活だ。
ろくな家屋もなく、思い思いに忍び達は急場凌ぎに自分の家を作っていた。
そんな生活の中、あれはクロハが五歳ほどの頃に起こった。
里の皆が寝静まった満月の夜、クロハは優しい両親と共にその日も掘建小屋で眠っていた。
だが、突然父が飛び起きるとノコギリを取り出し母をノコギリで切り付けたのである。
クロハの両親はどちらも元忍びであったため、子供がいる屋内で激しい戦闘が始まった。
怯えて部屋の隅に座り込んでいたクロハは、母は逃げろと言われてようやく家を飛び出した。
近所の家に飛び込み、見知った夫婦に父が暴れていることを伝えた。
クロハの真っ青な顔に考え込んだ男は、しばらくして花長に伝えてこいと妻に言った。
女が家を飛び出すと、男はクロハを家に隠れているように告げ自分もどこかへ走って行った。
父が元の優しい姿に戻っているように、母が無事であるように願いながらその日は眠った。
だが、その願いは叶わなかったのだ。
翌朝、クロハに神妙な顔をした夫婦が「君の両親は亡くなった」と告げた。
声もなく泣いたクロハを男は抱きしめて、
「君のお母さんを守れなくてすまなかった」
と謝った。
あの夜、男は現場へ向かったが、家の外でクロハの母が倒れていることに気がついた。
思わず駆け寄って彼女の容態を見たが、胸を十字に切り裂かれていてとても助かりそうには見えなかった。
そこへ背後からクロハの父に襲われ間一発、どうにか逃げ出した。
理性を失ったようにひたすら攻撃してくるクロハの父に恐怖していると、花長が現れてものの数秒で仕留めてしまったらしい。
男が話し終えた頃、夫婦の家の戸がこんこんと叩かれた。
女が戸を開けると、そこには花長・ツバメと使用人らしき老爺がいた。
「取り込んでいるところすまない。至急用件があって参った」
夫婦は自分達とは比べられないほど身分が高い花長の突然の来訪に驚き、すぐに彼らを招き入れた。
老爺は夫婦に小包を渡して言った。
「昨夜は大変な目に巻き込まれましたね。僅かばかりですが、これは花長からのお気持ちです」
夫婦が小包を開くと、そこには小判が数枚入っていた。
我が家の一年の収入よりも多い額を突然渡され、夫婦は息を呑んだ。
ツバメはクロハの姿を見付けると、彼の手をとって言った。
「君の父は私が殺した。どうしようもない状況とはいえ、申し訳ないことをしてしまった」
クロハは本当に悲しそうな顔をしているツバメを見て、一瞬でも父を殺したことを恨んでしまった自分を恥じた。
「どうか謝らないでください、花長様」
「そんなことを言わないでくれ。君、両親以外に誰か親戚は?」
無言で首を振るクロハ。
クロハの両親は風の里を抜ける際に一族と縁を切っており、クロハには親戚と呼べるような者は誰もいなかった。
「なら、私の家に来るといい。責任を持って面倒見てあげよう」
クロハは手を強く握るツバメに困惑して、助けを求めるように夫婦を見上げた。
夫婦はクロハに「きっとその方がいい」と頷いてみせた。
「はい……、花長様についていきます」
その時、いじらしい笑みを浮かべるクロハのあまりのかわいらしさにツバメは密かに心を打たれた。
一軒の家の前で薬売りと子供達一行は立ち止まった。
「こういうことは里長に聞けって、みんな言うんだ」
年長らしき少年はそういって、目の前の屋敷を指差した。
子供達が案内してくれたのは、昔と変わらない姿の、花長が住まう屋敷だった。
多少古くなっていたが、寂れた農村に見合わない立派な家だ。
子供達は屋敷の使用人に行商の薬売りを連れてきたと言い、二人を中へ入れた。
リンムはこっそりとシスイの耳元に囁く。
「思ったより楽に潜入できたな」
「罠かもしれん。私の側を離れるな」
警戒を強めたシスイは、リンムを守るようにそっと肩を抱き寄せた。
リンムは僅かに頬を染め、「わかった」と呟いた。
やがて二人と子供達は花長の間へやってきた。
二十年ぶりに見る花長の間も、多少物寂しくはなっていたが変わりはなさそうだった。
長の椅子には、人の良さそうな老人が座っている。
彼は確か、クロハの記憶では花長の屋敷で働く使用人の一人だったはずだ。
なぜ彼が現在の花長となっているのだろうか。
花長はにっこりと微笑み、
「よく来てくれた、薬売り殿。さあ品物を見せてくれ」
「ええ、どうぞいくらでも見て行ってください」
シスイは薬箱を下ろし、敷布の上に薬を並べていく。
それを一つ一つ指差しながら、リンムは紹介していった。
「これは下痢止め、腹の病や発熱によく効きます。これは毒下し、毒だけじゃなく怪我にもよく効く。この薬は二日酔い……」
並べられた薬達を眺め、老人は目を細めて言った。
「懐かしいのぅ。昔はこの里にも、薬売り殿のような知識を持った者が住んでいたのだ」
それに思わずリンムはぎくりとして、紹介の手を止めた。
「もう二十年は昔のことなのだが……。今は複雑な調合をできるものもいなくなってしまった」
「へ、へぇ~」
クロハは花の里でも薬や火薬の腕がよく、薬売りとして潜入へ行く他の忍びのために薬作りを代行したり、余った薬を里で安く売り歩いたりしていた。
他にも薬に長けたものたちはいたはずだが、花の里にはもう彼らはいないのだろうか。
「これも何かの縁ですから、必要な薬があればお安く作りましょう。かわりに一晩泊めてほしいのです」
リンムの申し出に、老人は迷うことなく好きなだけ泊まっていくといいと返した。
軽率に敵地へ身を置くリンムをシスイは咎めるように後ろ手で小突いたが、そんなことは気にしない。
子供達は横から「もっと面白い薬はないの~?」とねだってきた。
「ああ、いくらでもあるさ。これは水を混ぜると色が変わる粉、滋養にいい甘蜜もある。食べてごらん」
リンムに子供達が群がっていると、シスイは薬箱の奥から小さな筒をいくつか取り出した。
「これを」
シスイが差し出したのは、リンムが薬箱に忍ばせていた連絡用の花火だった。
「ちょうどいいや。子供達、外で花火を打とう」
すっかり人気者になったリンムは片手で子供達を抱き上げながら、屋敷の庭を堂々と借りた。
庭先で花火を並べると、シスイは順番に火をつけていく。
(潜入、成功っと)
黄色と赤色が綺麗に重なる花火を何度か打ち上げ仲間に連絡をとる。
子供達は大喜びでリンムと遊び、やがて日が暮れると帰って行った。
夜中、リンムは花長の屋敷を捜索することにした。
(なにか黒羽忍法書の手がかりがあればいいんだけど……)
「どこへ行く」
さりげなく花長に間借りした部屋を出ようとすると、シスイに引き止められた。
「ちょっと厠を借りようと思って」
「ついていこう」
「いやいや、来なくていいって! 一人で行けるもん」
もしシスイについて来られたら動きにくくなってしまう。
「駄目だ」
リンムはシスイに腕を掴まれ、ずるずると厠に連れて行かれた。
観念して廊下を引き摺られていると、向こうから屋敷の使用人らしき老女が歩いてくるのを見つけた。
老女は二人の前まで来ると、
「お客様、どちらへ行かれるのですか」
と聞いてきた。
「厠だ」
「なんで本当のことを言うのさ、恥ずかしいよ……」
リンムはしめしめと思いながら、後ろ手で庭に石を投げた。
シスイの視線が石が落ちた方へ向いた瞬間、さっと使用人の足を払ったリンムは片手で印を結んだ。
(火遁、混沌の術!)
シスイが一瞬視線を逸らした後、リンムを掴んでいたはずの腕が突然重たくなった。
「あらっ! すまないねぇ」
なぜかシスイはリンムではなく体制を崩した老女の腕を掴んでおり、リンムの姿は消えていた。
(やられた……)
シスイはため息をつき、老女を立ち上がらせると「お怪我はないですか」と彼女を気遣った。
しばらくして老女もリンムの姿がないことに気付き首を傾げた。
「もう一人のお客様はどちらへ?」
「彼なら先程厠に駆け込んでいきました」
「あらそう、引き止めちゃって悪いことしたわ」
シスイは老女と早々に別れ、ため息をついてからその場を去った。
シスイが気を逸らした瞬間、老女と自分の立ち位置を入れ替えたリンムはそのまま音もなくどんでん返しに忍びこみ隠し通路から逃げてみせた。
リンムは勝手知ったる長の屋敷で隠し部屋の調査を開始することにした。
いくつかの部屋はここ数年使用された形跡がなかったが、花長の寝室に近い一室は誰かが今も出入りしているようだった。
この隠し部屋はいくつかある部屋の中でも特に、金銀財宝や貴重品をしまっている場所だ。
そんな金庫部屋に手がかりがないか探していると、部屋の壁に以前は無かったはずの畳が置かれていることに気づいた。
リンムが畳をずらすと、そこには地下へ降りる階段がかけられている。
(この階段、いったいどこへ繋がっているんだろう)
そろそろと階段に足をかけた。
階段を降りた先はどこかへ通じる扉が一枚あるだけであった。
その扉は鉄製で固く閉ざされ、鍵穴は複雑な形をしており鍵開けできそうになかった。
先に進むのを諦めたリンムは、一度この部屋から撤退することにした。
リンムが長に間借りした部屋へ戻ると、シスイ、キョウコツ、ノエが待っていた。
「あら、長い厠だったわねリンムちゃん」
おほほと笑うノエは顔中に土を塗って乞食に変装しており、元の美貌は完全に消え去っている。
白い山伏衣装に身を包んだキョウコツは、リンムの元気そうな姿にホッとした様子でいた。
シスイは不機嫌そうな顔でリンムを座らせて言った。
「さて、順番に報告といこうか」
シスイは初めに二人がどのように花長の屋敷へ来たか語った。
「――そして先程、屋敷内を軽く調査してきたのだが」
リンムに逃げられたシスイは、諦めて軽く屋敷の調査をすることにした。
木陰に隠れて屋敷の外を観察していると、高台で里の夜警をする老人達の姿を見かけた。
(普通こういう仕事は若者がやると思ったが、この里は不自然に老人と子供しかいない)
不可思議な里の様子に、シスイは花の里の辿った末路を振り返った。
クロハの死後、花長であったツバメは四里同盟と対立するようになり当時の風長、アマネの母を殺した。
それからツバメは四里同盟に処刑され、花忍たちも四里同盟に財産を奪われ里を追われたと聞く。
クロハの生前、シスイは花の里を訪れたことがある。
今の花長である老人も、使用人の老女も二十年前に見覚えがあった。
彼らは間違いなく花の里の民である。
今はこの地は、花の里が興される前の持ち主であった風の里が管理しているはずだ。
(アマネが花の里の民を匿っているのか? だがなぜ若者の姿がないんだ)
話を聞き終えたノエは確かにと頷いた。
「私も同じことを思いましたわ。乞食として何人かの里の民と話しましたが、みな老人か子供でしたの」
「たしかにそれは不可思議だな」
キョウコツも頷いている。
リンムも雰囲気に合わせて適当に頷いてみせた。
「次は私が話しましょう」
ノエは乞食として里に潜入した時の様子を語り出した。
薄汚い乞食に変装したノエはお椀を片手に里を練り歩いた。
「どうか私にお恵みを」
そんなノエを見かけたある初老の女は彼を不憫に思ったのか、
「この里にろくな食べ物はないけど、一食だけでいいならうちで食べていくといいよ」
と言った。
ノエは心底嬉しそうに「ああ、ありがたや」と言って彼女についていくことにした。
女は一人で暮らしているらしく、彼女の家には他の者の姿はなかった。
居間に座らされたノエは、部屋の隅に簡素な仏壇が置かれていることに気付いた。
「おばさま、もしよろしければこの家の仏様にお参りしてもよろしいでしょうか」
「もちろん良いさ。ご飯をいま用意するからね」
女は台所で忙しなく火を起こし始めた。
ノエは隠し持っている手拭いで軽く服や手の埃をはらうと、仏壇に手を合わせるふりをして仏像の周りに置かれているものを観察した。
この家の仏像はしがない農民が持っているものとは思えないほどしっかりしている。
もしかしたらこの家の中で一番高価なものかもしれない。
「とても素晴らしい仏様ですね」
「ああ、それはたまたま身の丈に合わない大金をもらった時に、ある子供の幸せを祈って買ったんだ」
仏像の前には両刃の短刀が一本置かれている。
「この短刀はなんですか?」
「それは夫の遺品さ。昔この地に災難が起きた時に亡くなって、遺体もなく、これ一本しか持ち物は見つからなかった」
「それは、お悔やみ申し上げます」
ノエは一体どういうことだろうと思った。
確かに花の里の民は以前、四里同盟に狙われて財産を奪われ土地を追われたというが、彼女は変わらず花の里に戻っているようだ。
そして彼女の夫は短刀一つ残して姿を消した。
「ほら、雑穀粥ができたよ」
ノエは女が作った暖かくて水っぽい、決して美味とはいえない粥を頂き、丁寧にお礼を言って家を出た。
ノエの話を聞き終わったシスイは、
「もしやその姿を消した夫とやらと、この里に若者がいない理由は関わっているのかもしれないな」
と言った。
キョウコツは「次は俺の番だな!」と、待ってましたとばかりに話し出した。
「俺は山伏に化けて里の周辺を探索したんだが、山の中に怪しい城を見つけたんだ。
中に入って調査しようかと思ったが、どうもその城に人影が見えて辞めた。
しばらく城の外から様子を伺っていたが、時たま人影が見えるだけで話し声や足音も聞こえなかった。
どうだ、怪しいと思うだろう?」
リンムはクロハの記憶を探るが、里の近くに城なんて無かったはずだと思った。
ノエは机に肘をついて言った。
「忍びの耳で足音を聞き取れないなんて、そいつの足がないか同業者しか考えられないわね」
「里の近くに忍びが住んでいるのか」
シスイがどうしたものかと考えていると、リンムは言った。
「気になるなら明日にでも訪ねてみようよ」
シスイはますます不機嫌そうな顔になって唸った。
「リンム、無茶なことは言うな。お前に何かあったらどうする」
「何かなんてあるはずないよ。だってシスイが守ってくれるでしょ?」
「だが……」
するとノエも「悩んでたって仕方ないじゃない。危なかったら逃げれば良いだけよ」と言い出した。
それを聞いてキョウコツは「シスイなんかより俺を頼れ。俺はチビを必ず守ってやる」と言った。
「わー! キョウコツありがとう」
満面の笑みで抱きついてきたリンムに、キョウコツはやに下がった顔をした。
ついにシスイが多数決で敗れ、城の調査へ向かうことになったのだ。
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