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クロは惑わない
しおりを挟むあの後医師に診せ、数日の様子見で落ち着いたと判断されたクロは、今日退院する事となった。
正直、変わった事は無い。
敢えて言うならば、過度なマーキング行為や磁石の様な引っ付き具合が無くなった事だろう。
それはそれで…と思ったが、クロのいいようにさせようと思う。
久々にクロにハーネスを着け、初めて口輪を見せた。
噛みつけない様にする為の物ではなく、落ち着かせる用の口輪だ。
マスクに近い形で、真ん中に布を入れられるようになっていて、その布にクロの好きな匂いを染み込ませてある。
バニラの匂いを一時期嫌っていたから、今回は柑橘系の匂いを付けておいた。
お陰でクロは反抗する事無く口輪を付けさせてくれたし、何なら奪われないよう押さえ付けているくらいだ。
ネックウォーマーを好んでいたから、この形の口輪を準備しておいて良かった。
クロの毛布を袋に二重で入れ、俺の荷物と一緒に大きな鞄に入れ立ち上がる。
リードを俺に差し出すクロからリードを受け取り、俺は新しい家へと向かった。
この数日間、引越しを行っていて本当にドタバタだった。
だが、まぁ、クロの為だ。
新しい家を気に入ってくれるといいが…。
いつもとは違う道にクロは頭を傾げていたが特に立ち止まる事無く俺についてきた。
新しい家は今までとそこまで変わらない距離にある。
下手に距離が離れていると居着かない可能性もあるから、見慣れた景色にいつでも戻れる場所で探した。
何より床暖房のある部屋だから、寒さに弱いヒトであるクロでも暮らしやすくなるだろう。
帰る途中で見かけたクレープの屋台でいちごのクレープを買ってやれば、クロは迷い無く食べ始め、一緒に買った飲み物も綺麗に腹に収め名残り惜しく口を舐める様子に俺は少し安心した。
前迄なら、ここから少し道を外れた場所で飲み食いなんてしてくれなかった。
久し振りに会うクロにオヤツをくれるご近所さんも、オヤツを受け取りポケットに仕舞う動作を見て感動していた。
「クロちゃんがまたオヤツを受け取ってくれるなんて…また違うオヤツを常備しておかないと」
と言って、クロを一撫でして笑っていた。
クロはクロで貰ったオヤツを落とさないよう、確りポケットの端を掴んで離さなかった。
新しい家に入ると、クロは初めて自分から足を止めた。
キョロキョロと見渡し、俺が前を歩くと靴を脱いでからソロソロと部屋の中へ入ってきた。
そのまま窓枠に置いておいたクロ用のクッションやホットドールの方へ迷いなく歩いて行き、ゴロリと寝転がりくああ、と欠伸をしたクロは特に警戒もせず昼寝を始めた。
………取り敢えず、今の所は問題無し、と。
「りゅー…る」
昼食を作っているとクロが俺を呼ぶ声が聞こえ目線を上げると、ホットドールを抱き締めて此方を見ていた。
危ないからキッチンには入らないよう教えたからか、俺が此処に居ると近寄ってこない。
「どうした?」
クロの方へ歩いていくと、クロはクッションの上で仰向けに寝転がり、ホットドールを手放してグルと喉を鳴らした。
腹を撫でてやれば目を細めグルグルとご機嫌に喉を鳴らし続けている。
…成程、これが甘えている、ということか。
くあ、と欠伸をするクロの頭を撫でてから立ち上がる。
もう少しで昼食が出来る。
今寝られては食べるタイミングを失うからな…悪いが、もう少し待っててくれ。
大量の食事を机に並べ、クロを横に座らせる。
本来ヒトは床で食べさせるべきらしいが、クロは食器を扱うし散らかして食べたりしない。
それに、量を管理しなければすぐ体重が落ちる。
もう少し肉が付かなければ簡単に折れてしまいそうだ。
食事を摂り始めれば、クロはどんどん掃除機の様に飲み込んでいく。
野菜も肉も魚も。
どうしてこれだけ食べて太らないのか。
クロは不思議の塊だ。
「んる…るー…ふんふん…るるーん」
鼻歌のように鳴いたり鼻を鳴らすクロは、プリンとミルクが貰えてご機嫌のようだ。
食べないと思ったがそんな事は無く、散歩が終わると冷蔵庫の前に張り込んでいた。
本当はゼリーにしようとしたが、クロは冷蔵庫の中にあるプリンを一心に見つめ動かなかった。
「ぷ、ぷい、ん…ぷいー……んるぅ」
クロに尾が有れば振り回しているんだろうな。
少しずつ少しずつ、味わうように食べる姿は人らしい。
空の器を舐める姿は子供らしく、舌の短さが仇となって底を舐められずに唸る姿はヒトらしい。
このプリンを食べる姿をエミュウに投稿すると、多くの人が俺と同じ様な感想を述べていた。
夜になり風呂へと入り、いつもと同じように布団へ入れば、クロはすぐに眠りについた。
…この家であれば、クロは問題無く過ごせそうだな。
朝になり起きたクロは、トイレを済ませ歯を磨き顔を洗って服を着替え、二度寝するためにクッションの上で丸まった。
二度寝が終われば朝食を摂り、また寝て起きたら昼食、お昼寝してから散歩へ行きおやつを食べて寝て、夕食を食べ風呂に入り朝まで寝る。
いつものルーティーンをこなしたクロに異常は見当たらない。
此処を新しい住処として見ているのだろうか?
分からない事もあるけれど、今はただクロが安心して暮らせるように取り計らうのが飼い主である俺の役目だ。
このまま、居着いて暮らせるといいのだけれど…どうなる事やら。
布団を肩まで被り、目を閉じる。
明日も、今日みたいに何事も無く暮らせたらいい。
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