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第65話 それぞれの事情

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 魔術学科の寮の自室で、アーシアはご機嫌だった。聖女の肩書きのおかげで、一人部屋なのがなりより嬉しい。

「あなたねぇ、何を聞いているんですか?」

 真剣に耳を傾けていたアーシアは、突然肩を叩かれて、本当に飛び上がるほど驚いた。

「女性の部屋に忍び込むの慣れてらっしゃるのねぇ」

 アーシアはこめかみを軽く痙攣させながら、声の主を睨みつけた。

「ノックはしましたよ?」

「はぁ?ドアは開けてないわよね?私、鍵かけてたんだけど」

「ええ、知ってます。だから、転移魔法で入りましたよ。結界を張られていませんでしたから」

 しれっと言われると、腹ただしさがどこかにいく。まるで自分が悪いみたいだ。

「………………」

「ああ、安心してください。音は漏れてませんでしたよ」

 そう言って笑うものだから、頬が熱くなった。

「は?な、何言ってくれんのよ!」

 アーシアは思わず鏡を見た。何も映されていない鏡からは、声だけが聞こえてくる。

「騎士科の演習ですか……アレックス様?」

 テオドールは、聞こえてきた声に怪訝な顔をする。

「ふふふふ、魔力を補給したいんですって」

 アーシアは嬉しそうに言った。そして、いま演習がどのような状態なのかをさらっと説明する。

「なかなか楽しそうな状況ですね」

「でしょう?」

 テリーの号令で、騎士科の生徒たちが作戦に移る様子が聞こえてくる。残念ながら、演習場を映し出せる鏡はないから、テリーの胸ポケットの鏡がいい仕事をしてくれるのだ。

「それとね」

 アーシアはもう一つ鏡を取り出した。

「セドリック?」

 もう一つ取り出した鏡からは、セドリックの声が聞こえてきた。それは、セドリックの巨大な独り言のようで、誰かに向かって話しかけているようでもあった。

「テリーのやつ、随分ちゃんとしているな」

 いつものように、貴族の子息と平民に別れた編成ではなかった。魔法が使えるものと、そうではないもの、小子隊がバランスよく編成されていた。セドリックが放つ火の玉を、強化した剣で弾き返す者もいれば、シールドを張るものもいた。ちょっといない間に、随分と変わった。

「総当たり戦をしたのよ」

 ミシェルが理由を教えてくれた。セドリックたちが、ダンジョンで過ごしたのは、体感とは随分と時間の流れが違っていたらしい。いつの間にかに精霊祭が近づいていたのだから、あれは一日ではなかったのだ。
 統率のとれた子隊が攻め込もうとしていた。

「ねぇ、俺はなにするの?」

 床に座らされたロイは、退屈そうだ。

「ロイはね、攫われたお姫様の役なの」

 ミシェルはそう言って、ロイの頭を撫でた。つまり、なにもするなと言うことだ。しかしそれは随分と退屈なことだ。

「助けを求めたりするの?」

「そうねぇ、手ぐらい縛ろうかしら?」

 ミシェルがロイを後ろ手に縛る。密着するミシェルからは、とてもいい匂いがした。

「くそ、数が多すぎる」

 セドリックは、剣を使って魔法を放つけれど、英雄の剣と違って効率が悪すぎた。混ぜ物の多すぎる剣は、魔法を放つには適していない。おまけに、柄の部分は木製だから、魔力の流れが悪すぎる。

「やだ、結界が壊されそうよ」

 おそらく、ミシェルが張った結界が、外からの力で破壊される寸前だ。

「撤収だな」

 そう言うと、セドリックはロイを持ち上げて、肩に担ごうとした。

「きゃあ」

 ミシェルが張った結界が壊されて、その衝撃でミシェルが床に尻餅をついた。

「ミシェル」

 まだ慣れない結界だったから、破壊された衝撃で、ミシェルは動けなくなっていた。戦闘不能とカウントされたのか、ミシェルの姿が消えた。

「ちっ」

 唯一の味方がいなくなり、セドリックは慌てて窓から外に逃げだした。下から攻撃の矢が飛んできた。

「うわ、すごい」

 担がれているロイからは、弧を描いて飛んでくる矢に、魔力が乗っているのがよく分かった。おそらく、セドリックが剣でなぎ払えば、弾ける仕組みだろう。
 それが分かっているのか、セドリックはひたすら矢を避けて飛躍する。風魔法を使って逃げるのは、ダンジョンで慣れたようだ。

「逃がさない」

 下からテリーの声がした。
 セドリックはすぐにそちらを見たけれど、対処ができるようなものではなかった。

「あ、これは無理」

 テリーの剣の斬撃は、しっかりと風の魔法をまとっていて、足場のない空中にいたセドリックは、剣で受け止めるのが精一杯だった。
 避けられないし、防ぎきれないと早々に判断していたロイは、とりあえず落ちるときは悲鳴でもあげようと思っていた。
 だがしかし、
 斬撃に合わせて、テリーが飛んできていた。ダンジョンでは、そんなそぶりを見せなかったのに、身体強化を施して、風魔法を使って飛んできた。
 さすがに、セドリックも二撃は防げない。
 テリーの実剣での一撃をくらい、セドリックはバランスを崩した。当然、肩に担がれていたロイが落とされる。

「ひゃ…」

 ロイが小さな悲鳴を上げたとき、テリーの手が伸びてきて、ロイをそのまま横抱きにしていた。
 バランスを崩した両者は、そのまま下に落ちるのだけれど、テリーはすぐさまロイを放り投げた。

「わぁ」

 ロイの視界で、天地が一回ひっくり返ったとき、ロイはしっかりと抱きとめられていた。

「お帰り、私のロイ」

 アレックスがロイを抱きしめて、勝ち誇った顔をしていた。

「よくやったお前たち、姫は無事私の元に帰ってきた」

 アレックスはそう言うと、ロイを思う存分抱きしめた。そうして、

「魔力補給の続きをさせてもらうよ」

 そうロイに耳打ちをすると、地面に膝をついて倒れているセドリックに向かってだけ笑って消え去った。

「アレックス様…」

 アレックスが自室に転移したことを察したテリーは、仕方がなくセドリックの元に歩み寄った。

「趣向が変わって面白かったぞ」

「素晴らしい統率力だな」

「こう見えても次期団長候補なものでね」

 差し出された手を素直にとって、セドリックは立ち上がった。
 生徒たちは教師の周りに集まって、総括を聞く態勢に入った。

「あら、終わっちゃたわ」

 鏡から、楽しい演習が聞こえなくなり、教師の真面目くさった話が聞こえ始めたので、アーシアは通信を切った。そもそも一方的に傍受しているだけなので、相手に気づかれないうち切る必要はある。

「なかなか、面白かったですね」

 テオドールが笑うのを見て、アーシアは確信を持った。

「ねえ、あなた転生者でしょう?」

「転生者?」

 聞き慣れない言葉に、テオドールの片眉が上がった。

「設定と違うもの。前世の記憶があるのでしょう?」

 アーシアのその言葉を聞いて、テオドールは静かに頷いた。

「つまりはあなたも?」

「ええそうよ。ロイも、ね」

 アーシアがそう言って微笑むと、テオドールは合点がいったらしい。

「実はよく理解していないのですが、転生者とは?」

 アーシアはそう言うテオドールをじっと見つめて、本質が理解できた。

「テオドール、あなた、前世ではオタクとか腐男子とかそう言う人ではなかったでしょう?」

「……え、ええ、そうですね?」

「失礼ですけど、ご職業はなんでした?」

 テオドールの反応をみて、アーシアは直感で悟った。同士でもなければ、世代も違う。

「私ですか?医師でした。このゲームは、同じフロアの看護師たちが話題にしていたので買ってみたのです」

 それを聞いて、アーシアは納得した。ロイとはまた違う意味でテオドールもゲームキャラと違う行動をとっているからだ。

「そういうことね。覚醒したのはいつ?私は五歳の時よ。教会で診断された時ね」

「私もそうですよ。かなり衝撃でしたが、医師として生きてきた記憶のせいでしょうね。その感情は綺麗に隠しました。勉強したり礼儀正しくしたりとかは、全く苦ではありませんでしたので」

 テオドールがそう淡々と話すのを聞いて、アーシアは考える。年齢も違ければ、職業も違う。接点はこのゲームをプレイしていたと言うことぐらいだ。

「私は会社員をしていたわ、結婚はしていなかったとおもう。実家に住んでいた……はず」

 アーシアはそこまで話してから、ふと言い淀んだ。記憶が曖昧になっている。

「わかりますよ。確信が持てないのでしょう。私は記憶にあるうちに日記に書き留めました」

「それ、貴族だからできるのよ。ラノベで……よくある、のよ、ね」

 言いながらアーシアは途切れがちな記憶を探った。普通に考えたって、幼い頃の記憶なんてそんなにあるものではない。まして前世なんて、だいぶ無茶だ。

「なるほど。たしかに、平民では自由に扱える紙などそうそうなかったでしょう。それに、字を習っていませんからね。とは言っても、私は前世の記憶を日本語で書いてましたけどね」

 テオドールに言われれ、アーシアはハッとした。そうなのだ、前世の記憶を書き留められるのは、大抵悪役令嬢だ。断罪エンドから逃れるべき為に作戦をねるのだ。大抵主人公に転生したものは、腐女子であるから、オタクの本能で、全ルートの攻略が頭にインプットされていると言うチート展開だ。もちろん、アーシアもそうだったのだが、ロイに出くわして、腐女子としての本能が違う方向で目覚めたのだ。

「でもあなた、ゲーム通りに行動してないわよね?」

 アーシアがそう言うと、テオドールは皮肉めいた笑いをした。

「言ったでしょう?買ってみただけです」

「……え?」

 それは一体どう言うことなのだろうか。

「ゲームを買ったんです。一式ですね。それを持って帰る途中だったのではなかったかと思いますよ」

 テオドールがそう言ったので、アーシアはなんとなく察した。テオドールは全くこのゲームの世界を知らないのだ。看護師たちが話題にしているゲームでもして、会話のきっかけにしようとしていただけだ。だから、ゲーム通りの行動なんて知らないから、ハナからできっこないのだ。

「それで、恋人を取っ替え引っ替えしてたんだ…」

 学園に来たら、いるはずのテオドールの婚約者がいなかった。それどころか、全く違う人物を連れて歩いていた。

「酷い言われようですが、これも家のためです。より良い魔力を持った者との間に子を成すべきでしょう?」

「そ、それはそうだけど……キャラが違いすぎてびっくりしたわよ」

「それはあなたが転生者だからでしょう?この世界の住人にとっては、今の私が正解なのです。ゲーム通りじゃないなんて、そんな難癖つけられては困りますね」

「ま、まぁそうね…ロイもそうだし。でも、あなた自由すぎない?」

「医師として生きてきた時の知的好奇心とでも言いましょうか…興味があったんですよ、魔用紙で契約を交わさないと子どもが出来ないというこの世界の理に」

「やっぱり!私もそう、だからいっぱい試しちゃったのよね。銀の聖杯で血を飲むのは驚いたけど」

 教会で、魔用紙の上に置かれた銀の聖杯に、契約者の血が注がれた時は驚いた。けれど、この魔用紙がなければ子どもを作るための核が形成されないと聞かされた時は、本気で驚いた。

「この世界は、無駄に命が生み出されなくて、ある意味平和です。授かった命を殺したり捨てたりしない、そういった行為がないだけでも心が安らぎます」

 テオドールは胸に手を当ててそう言うと、アーシアをみて微笑んだ。

「だからですね、本当に性行為をしても妊娠しないか確かめたくなったんですよ。同性婚もできると聞いたので、ますます興味が湧きました。すごいですね魔法は、事前処理が一発で済んでしまう」

 結局はそこかよって言いたくなったけれど、医師として知っていた知識から、それが魔法なら一瞬で出来てしまったことが面白かったのだろう。

「まあ、好みの美形に一通り手を出したことは認めます。が、ロイはいいですねぇ」

「やっぱり」

 テオドールの最期の一言にアーシアは食いついた。

「あの、特に特徴にない顔が、快楽に堕ちるとたまらないエロティシズムを感じますね」

「わかりみ」

 アーシアはテオドールの手をとった。互いの笑顔は、決してロイに見せていいものではない事ぐらいわかり合っていた。

「ところで、アレックス様の寮の自室には、結界が張られていないことをご存知ですか?」

そう言ったテオドールの笑顔は、また一段と輝いていた。
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