初恋~ちびっこ公爵令嬢エミリアの場合

山口三

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3エミリア、帽子を踏みつける

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 四日目の朝、やっと熱が下がりあたしは目を覚ました。

「お嬢様、おはようございます」

 ノックがしてルーカスがワゴンを押しながら部屋に入って来た。ベッド近くまでワゴンを運び、あたしの傍までやって来て額に手をあてて言った。

「やっと熱が下がったようです。どうですか起きられますか?」

 あたしが体を起こすとルーカスは背中に沢山クッションをあてがってくれた。

「喉が渇いたでしょう? さ、口を開けて」

 そう言うと、ルーカスはワゴンからすりおろしたリンゴが入った器とスプーンを手に取り、あたしの口にそっと流し込んだ。みずみずしく、ほんのり甘いリンゴが喉元を過ぎて行く。リンゴってこんなに美味しかったかしら? 

 リンゴをせっせとあたしの口に運ぶルーカスを見ながら思い出した。そうだ夢の中にもルーカスが出てきた様な気がする。あたしを抱えた腕は、おじいちゃんの割には力強く逞しかった。そしてあの青白い光を纏った剣はなんだったんだろう。

「夢にあんたが出てきたわ」
「ほう? そうですか」

「・・まだ助けて貰ったお礼を言ってなかったわね」
「そんな事より、沢山食べて早く元気になって下さい」

 ルーカスはあたしの口元にまたスプーンを運びながらにっこりと笑いかけた。薄い緑色の瞳に朝の光が当たってキラキラと輝いている。優しさに満ち溢れた暖かい瞳。家族の誰も、いや周囲にいる誰も私にこんな優しい目を向けてくれた人はいなかった。

 きっと、始まりはこの時だったと思うの。

「さ、いい子ですからもう少し食べましょう」

 いい子、そう言われてあたしは急に恥ずかしさが込み上げてきた。「こ、子供扱いしないでよっ!」

 ルーカスが差し出したスプーンをあたしは払いのけてしまった。スプーンは床に落ち、リンゴの欠片が毛布に飛び散った。だがルーカスは怒ったような素振りも見せず、そのまま屈んでスプーンを拾おうとした。

 そこへまたノックがして母と私付きの侍女が入って来た。

「やっと目を覚ましたのね。三日も寝込んでいたから心配したのよ」

 私の母でありゴールドスタイン公爵家の当主であるリタ・ゴールドスタイン。母は完璧な淑女と言われているわ。輝くような美貌と優れた話術で社交界の頂点に立ち、領地を治める才覚はもちろん、これまで築いて来た公爵家の莫大な財産をその手腕で更に増やし続けている。

 でも世の中にとっては完璧なレディでもあたしにとってはそうではなかった。

 侍女長のアン・ディクソン夫人がそそくさとあたしに近づいて来てルーカスより先に落ちていたスプーンを拾った。アンは赤毛でやせ細った背の高い神経質な年増だ。

「お嬢様はお着替えをされます。あなたは出て行って下さい」

 冷たく自分を見下ろす彼女にルーカスは微笑みを返しながら立ち上がった。そしてあたしに軽く会釈してワゴンを掴んだ。

「ワゴンも私が片付けます!」アンはぴしゃりと言い放った。
「そうですか。ではお願いします」

「ふふ、アンの言い方ったら・・ウォーデンさん、気にしちゃだめよ」

 母は二人のやり取りを面白そうに眺めながら言った。

「さてと、エミリアも元気そうだし私も出掛けようかしら。新しいドレスに合うネックレスを探しに行かないと」
「熱はもう下がったようです。ですが少しお痩せになられました・・」

 二人は部屋を出て行きながら話している。

「育ち盛りの子供だもの体重なんてすぐに戻るわ。でも本当に一時はどうなる事かと思ったわね。公爵家のたった一人の跡継ぎに何かあったら一大事だもの。私、もう一人子供を産むなんてとてもじゃないけど無理よ」

 艶やかな母の笑い声が聞こえる。そう、母の心配は『あたし』ではなく『跡継ぎ』の事。

 完璧な淑女の欠点はたったひとつだけ。あたしにとって彼女は完璧な母親ではないという事よ。



______



「ちょっと待ってください!」

 ここまでじっと話を聞いていたスーザンが私を止めた。

「まさかエミリア様の初恋の相手と言うのはその老執事なのでは‥」
「ええ、その通りよ」

「いくら親身に世話をしてくれた相手だからといって、その執事はエミリア様のおじい様位の年齢でしょう?」
「そうね。でも気づいたら好きになっていたのよ。恋ってそういうものでしょう?」



__________



 時を戻して、コカトリス襲撃の半年前。


 贅を尽くし広々としたあたしの部屋に、帽子用の大きな箱を抱えて真っ蒼な顔をした若い女が立っている。その後ろにはメイドが二人待機しているが、二人ともうつむいて彫刻の様に微動だにしない。

「だからっ! 誰がこんなニワトリみたいな帽子を持って来いって言ったのよ。あんたはあたしをピエロに仕立て上げたいの? あたしが子供だからってバカにしてるんでしょう?! それともあんたの目にはこのへんちくりんな帽子があたしに似合って見えるわけ?」

 あたしの前に立っている丸々と太った帽子屋の若い女の顔はすっかり青ざめて、今にも卒倒しそうだった。

「あの・・あの・・」口ごもり、額からは玉のような汗がボトボトと落ちてきている。

 ますますこちらを苛立たせる態度。あたしはテーブルの傍に立っているアンに言った。「アン! そこにあるスプーンを取って! この女の目をくり抜いてやる!」

 あたしの癇癪にもアンは動じず、平然としたまま「それはよされた方が」と一言言った。

「いいわ、自分で取るから!」

 細い柱のように直立しているアンを押しのけ、デザートスプーンを握りしめたあたしを見て帽子屋は泣き出した。「お許し下さい! どうかお許し下さい!」

 この騒動を聞きつけてか、執事長のジョージ・オダウドが入って来た。その顔には「やれやれ、またか」という表情がありありと見て取れる。廊下にもあたしの声が響き渡っていたのね。

「お嬢さ・・」
 
 言いかけたジョージの後ろから、同じ執事の制服を着た初老の男が軽く足を引きずりながら歩み出て来た。そして床に放り出された白い帽子をつまみ上げ、飾り付けられた大きな緑色のリボンと朱色の羽飾りをむしり取った。

「これで良くなりました。さあどうぞ」そうして飾りの無くなったただの白い帽子を私の頭にポンと乗せた。

 その場に居た全員が唖然としてその光景を眺めている。メイドの一人はぽか~んと口が開いたままだ。

「ちょっ、何を・・!」
「あなたの様にふわふわとカールした髪には、ごてごてした飾りは無い方がいいですね」

 その初老の執事は膝をついてあたしの顔を覗き込みながらニコニコしている。その隙に執事長のジョージはアンに合図を送り帽子屋の女を部屋から下がらせた。

 あたしは頭に帽子を乗せたままジョージを睨んだ。「ジョージ、こいつは誰なのっ?!」

「ご紹介が遅れました。新しく執事見習いとしてゴールドスタイン家で働く事となりましたルーカス・ウォーデンでございます」ジョージは取り澄まして言う。

 ルーカスは立ち上がった。

「ウォーデン、こちらはゴールドスタイン公爵家のお嬢様であられるエミリア・ゴールドスタイン様だ」
「これからお世話になります」ルーカスは微笑んだままで私に挨拶した。

「それでは失礼致しますお嬢様、ウォーデンを連れて屋敷内を回りませんといけませんから」

 ジョージ達が出て行くと、散らかっていたリボンやスプーンを拾い集めていたアンが言った。

「新しい帽子屋を手配致しますわ。これは捨ててようございますね?」
「そんなトサカ、さっさと燃やしてしまって!」

 アンが出て行った後ふと窓辺の大きな姿見に目が行くと、そこには白い帽子を頭にちょこんと乗せたままの自分が映っていた。なんと間抜けな絵面だろう!

「こんな物っ! こんな物っ!」

 何なのよ、あの男! あんな執事見習いの年寄りにうまく丸め込まれて・・あたしは帽子を床に叩きつけ、足で何度も踏みつけた。
 
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