踏切

山口三

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踏切

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 カンカンカン、チンチンチン、シャンシャンシャン

 踏切の警報音を聞いて感じることはなんだろう? 

 開かずの踏切に捕まってしまった時のイライラか、眠い授業で頬杖をつきながら聞く単調な調べは、心地よい子守唄か。それとも旅の思い出を彷彿とさせるノスタルジックな感情か。

 俺の場合は恐怖だ。紛れもない恐怖。



「だからさ、終電は遅くても1時だろ? 基本的にそれ以降に踏切が作動するはずはないんだから。だからまずいんだよ」

 何がまずいのか分からない。ユウタはこの大学に入ってから仲良くなった奴だが、話をはしょる傾向が強い。

 要は俺が引っ越した先の新しいアパートにが出ると言いたいらしいのだ。



 俺は大学2年になった今年の6月、以前住んでいたボロアパートが老朽化のために解体することになり、引っ越しを余儀なくされた。

 半年前から通告されていたから時間はあったのだが、のんびりしている間に引っ越しの期限が目前に迫っていた。急いで引っ越し先を見つけなければいけないが、限りある予算内でいい物件はそうそうないのだ。

 そこへ新築アパートが入居者を募集していると不動産屋が連絡してきた。まだ築年数1年で、以前の入居者も一人だけ。大学からも徒歩で15分ほど。こんな好条件で家賃が安いのは線路が目の前だからだ。

 週4でバイトを入れてる俺は部屋で過ごす時間は少ない。電車の音もすぐ慣れるだろうと、即決した。線路は道路を挟んでいるし、何より引っ越しの期限が迫っていたのが大きかった。

 俺の引っ越し先を知ったユウタが何やら面白がって言いがかりをつけて来たのが3日前だった。

「だからさ、夜中に踏切の警報音が聞こえたら外を見ちゃだめなんだって」

 まだ言ってるのか。

「見たらどうなるんだよ?」
「呪われるに決まってるだろ」

「呪われて死ぬのか?」
「そうだ。踏切にいざなわれて電車に飛び込んじゃうんだって」

 ユウタはどこからそんな話を仕入れて来たのか・・。俺はそういうのは信じない。もちろん幽霊を見たりする体質でもない。

「はいはい、俺を怖がらせようたってそうはいかないぞ」



 ユウタの話なんてすっかり忘れていたある日、夜中に雨音で俺は目を覚ました。やべっ、ベランダに洗濯物を干しっぱなしだ。

 慌てて飛び起き、線路を見下ろす2階のベランダに面した窓のカーテンを勢いよく開けた。そろそろ梅雨入りか。そう思いながら洗濯物を取り込んでいると、踏切の警報音が耳に入って来た。

 まだ終電前か、そんなに寝てなかったんだな。ぼんやりと最後のバスタオルを物干しざおから引っ張ると、踏切前に女性が立っている光景が目に飛び込んできた。踏切は隣家の目の前なのだ。

 洗濯物を抱えて部屋に戻りスマホを取り上げる。なんだよ3時じゃん。幸い洗濯物はそんなに濡れてない。このまますぐ寝るか。




 それから2,3日後。夕方、カーテンを閉めようとベランダの前に立つと、踏切前に女性が立っている。肩に付く位の長さの黒髪に赤いワンピースを着ている。後ろ姿だが、この前の夜に見かけた女性と雰囲気が似ている気がした。この踏切を利用している近所の人なんだろう。初めはそれくらいの認識だった。

 次の日もカーテンを閉める時、その女性は同じ場所に立っていた。ちょうど帰宅する時間なんだな。

 だがなんとなくおかしいと気づいたのは3回目に見た時だった。バイトから戻ったのは23時だ。また踏切前に赤いワンピースが立っている。3日続けて同じワンピースか。制服なのか? それとも色が赤なだけで違うワンピースか? いや、違和感はそれじゃない。踏切が開いているのだ。

 誰かを待っているのか? 電車オタクにしちゃカメラも持っていない・・。

 翌日も23時過ぎにカーテンを閉めようと立ち上がると、赤いワンピースが目に入って来た。やはり踏切は空いているのに同じ場所に立ち止まっている。昨日より心なしか、横を向いている気がする。

 次の日は寝坊してカーテンを開けずに大学へ行き、そのままバイトをしてから帰宅したので赤いワンピースは見ることがなかった。



「どうだ、出たか?」

 またユウタだ。

「この間、夜中にも踏切が動作してたぞ。スマホ見たら3時だった。きっと工事とか回送車で、終電が行った後も動作すんだって」

「いや、お前ぜったいそれヤバいやつだ。あの踏切に飛び込み自殺した人がいるんだぞ」

 ユウタは飛び込み自殺した人の幽霊が、あの踏切に出ると決めつけている。


 大体、俺はあの踏切を利用しない。線路の向こう側へいく用事がないから。踏切の近くに住んでるってだけで呪われたらたまらないだろう。だが好奇心が頭をもたげた。まさかまた立ってないだろうな・・。

 今日はバイトが休みで真っすぐ帰宅した。まだ日が高い、こんな真昼間に幽霊が立ってるわけないさ。

 ベランダの前に立つと、果たして赤いワンピースは立っていた!

 そして今日ははっきり横を向いている。言いようのない不安が押し寄せてきた。ユウタの言った言葉が何度も頭を巡る。真昼間だぞ、幽霊なわけない。やはり誰かを待っているのだろう。そうに決まってる。

 そう自分にいい聞かせ、俺はずっと赤いワンピースから目を離さなかった。誰か来るはずだ。子供か、恋人か、もしかしたら人じゃなく物かもしれない。

 だが、横を向いていた頭がゆっくりと回転した。まるで機械仕掛けの人形みたいな動きだ。錆びた歯車が軋む音まで聞こえてきそうだ。

 そしてこちらを向いた目が、はっきりと俺を捕えた。

「はっ!」

 俺は咄嗟に部屋に身を隠した。心臓が飛び出しそうなほど脈打っている。背中には嫌な汗が流れた。な、なんだ・・なんなんだ・・。

 

 その日から俺の部屋のカーテンは閉めたままだ。踏切前にまたあの女が立っていると思ったら、もうベランダに向かう気にはなれなかった。

 幸い、玄関ドアは線路と反対側にあるし、大学に行くにもバイトに行くにも線路方向へ行く必要はない。そのまま俺はずっと線路を避け続けた。


 
 そんなある日、ユウタが俺の部屋に泊まられせてくれと言ってきた。同棲している彼女と喧嘩したらしい。翌日俺は1限目から講義があったから、寝坊しているユウタに部屋の鍵を預けて先に出た。

「悪い、悪い、助かったよ。はいよ、これ鍵」
「お前なぁ~ったく。今日は帰って仲直りしろよ。それと昼飯はお前のおごりな!」

 その日ユウタは自分の部屋に帰った。だが帰宅してまず目に入ったのは、カーテンが開いているベランダだった。

 ちくしょう、ユウタにカーテンを開けるなって言っておくべきだった。だが考えてもみろ、幽霊なんて現実にいるわけがない。ユウタの悪ふざけに振り回されてたまるか。

 俺は努めて平静を装い、わざとゆっくりとベランダに近づいてカーテンに手を掛けた。見ろ。下を見ろ。赤いワンピースがいたとしてもあれが幽霊とは限らない。この前もただ偶然に目が合っただけだ。ちゃんと確認すれば、怖い事なんかない。

「うわっ」

 赤いワンピースは、今や体を真っすぐこちらに向けて立っていた。頭を上げ、視線は俺の方を向いている。だが顔がはっきり識別出来ない。度の合わない眼鏡をかけているみたいに、ぼやけて分からないのだ。眼だけがはっきり俺を見据えている。

 俺は力いっぱいカーテンを引いた。

「はぁっ、はぁっ」

 心臓は口から飛び出そうなほど激しく打ち、身じろぎひとつ出来ない。両足首を氷のような冷たい手でがっちりと掴まれているみたいだ。寒気がするのに、手にも脇にもじっとりと汗がにじみ出ている。

 もう2度とカーテンは開けないぞ・・。



「鈴木君、顔色悪いけど大丈夫?」
「はい、いえ・・その大丈夫です」

「今日は早めに上がっても大丈夫よ。雨だからお客様も少なそうだし」

 バイト先の店長が気を使って言ってくれたが、とんでもない。俺はあの部屋に帰りたくないんだ。


 再び赤いワンピースを見てしまってから俺はまたカーテンを閉め切った。その2日後だ、夜中にふと目が覚めた。踏切の警報音が聞こえる。はじめて赤いワンピースを見た時と同じ状況だ。きっと夜中なのに踏切が下りてるんだ。だが俺はスマホを見て時間を確認するのが怖かった。そのまま布団をかぶって無理やり目をつぶったが、ずっと踏切の警報音が聞こえてくる。

 カンカンカンカンカンカンカン・・・・

 それは朝方まで続いた。気づくと夜が明けている。踏切の警報音はまだ鳴っているが、電車が通り過ぎると踏切が開き、音は止んだ。正常に戻ったんだ。

 それが3日続いた。まるで早くカーテンを開けて下を見ろと脅迫しているように。俺はほとんど寝ていない。

「おい、お前ひどい顔してるぞ。大丈夫なのか?」
「お前の・・言ってた事が合ってたみたいだ」

「は? 俺なんか言ったっけ?」
「踏切に幽霊が出るってやつ」

「おいおい、冗談だろ」
「冗談で済むならこんな顔してない」

 俺は赤いワンピースの話を全てユウタにぶちまけた。

「まじかよ・・」

 ユウタは少し考えてから提案してきた。

「とりあえず今日お前んち行ってみるよ。俺が見てみる、赤いワンピースがいるかどうか」


 バイトが終わる時間に落ち合い、ユウタと一緒にアパートに着いた。鍵を開けて俺は先に部屋に入り電灯のスイッチを入れる。

「なっ、なんでだよ!?」

 カーテンが開いている! 全開だ。朝出る時は閉まっていたのに、何でなんだ!

 玄関ドアの向こう側ではユウタが何か言っているがよく聞こえない。あいつは何で入ってこないんだ。いや、まずはカーテンだ! カーテンを閉めないと!

 俺は外が視界に入らないように、這うようにして窓に近づいた。手が届く距離から精いっぱい腕を伸ばしてカーテンを引く。シャーッとカーテンがレールを滑る小気味良い音がしてカーテンが閉まった。

 ふう~良かった、これでもう大丈夫だ。そう思った瞬間、外でドタンと、物がぶつかる大きな音がした。続いてガリガリと壁をひっかく音が下から上がってくる。その後に聞こえて来たのはベランダの手すりの金属が出す、カチャンという音。

 入ってくる! 窓から入ってくる気だ! そう思った時に頭をよぎったのは窓のカギがちゃんと閉まっているか? だった。よろけながら急いで立ち上がり、カーテンを勢いよく開ける・・。


 そこにはベランダの手すりに手をかけて覗く、血まみれの女の顔があった。黒髪も血でぐっしょり濡れている。片方の手は手首から先が無く、ズタズタに裂かれた断面から白い骨と血が滲んだ肉が露出していた。反対の手も爪がはがれ、切れ、裂け、潰れている。

 女はゆっくり体を持ち上げる。上半身が見えてきた。赤いワンピースだと思っていたのは。白地に滲んだ血の赤だった。

「うわぁぁっ」

 本能のままに俺は逃げ出した。

 ベランダに背を向け、玄関に向けて一歩を踏み出した俺の足は、床に落としたスマホを踏みつけた。フローリングの床の上をスマホは滑り、俺は前のめりに倒れた・・・・・・。


 気づくと自分のベッドの上で目が覚めた。話し声が聞こえる。一人はユウタでもう一人は知らない女性の声だ。

「あ、気が付いたみたいだよ」
「お、大丈夫か? びっくりしたよ、部屋に入ったらぶっ倒れてんだから」

 そうだっ、窓は? あの女は? 俺は勢いよく体を起こした。途端に頭に痛みが走る。

「・・っつ」
「頭打ったんじゃないか?」

 頭を押さえながら窓に目をやるとカーテンは閉まっていた。

「俺、確認してみたぞ。あ、それから俺の彼女。来てもらったんだ、お前はぶっ倒れてるし救急車呼ぶべきなのか、どうしたらいいか分かんなくてさ。彼女、看護師の卵なんだよ」

「どうも、佐々木ミワと言います」
「あ、どうも鈴木です」

 俺はユウタに向き直って聞き返した。

「確認したって窓の外か?」
「うん。誰も立ってなかった。普通に通行してる人はたくさんいたけど、立ち止まってこっち見てるような人はいなかった」

「さっき、さっきベランダに・・」

 もうそれ以上は口にするのも怖かった。俺はユウタと彼女に頼み込んで、今晩は泊めてもらうことにした。


「俺、引っ越す。もう限界だ、あの部屋に戻るのは無理だ」

 あの日、ユウタが俺に続いて部屋に入ろうとすると急にドアが閉まり、開かなかったらしい。ユウタは鍵を開けろとか、部屋に入れないと散々わめいたりドアを叩いたりしたそうだが、俺の返事がなかったと言っていた。

 俺が見たものをユウタに話したら、ユウタも引っ越しを強く勧めて来た。新しい引っ越し先を見つけるまで、俺は友人の家を転々とした。夏休みが近かったのが幸いで、休みに入るとすぐ俺は実家に帰省した。


 夏休みが終わるころ、俺は引っ越しの為にまたあの部屋に戻って来た。ユウタと彼女が手伝いに来てくれている。

「梱包は終わったな。後は掃除して引っ越し業者を待つだけか」

 一息入れようと、俺は近くのコンビニへ飲み物や軽食を調達しに出かけた。戻ると引っ越し業者が来て、荷物を運び出していた。

 部屋に入ると業者が二人、ベランダに出ている。

「室外機を先に外してます~」
「あっ、エアコンは備え付けだったんで外さなくていいです」

 そういった時にはもう遅く、室外機が持ち上げられていた。

「うわっ、何だこれ?!」

 その叫び声に驚いてベランダに出ると、室外機の下から出て来たのは白骨化した人の手だった。



「手を探してたんだな」
「あそこにある事を知ってたんなら、勝手に持って行ってほしかったよ」
「だけどさ、幽霊だぜ。実体がないから取り出せないだろ?」


 ユウタはそう言うがあいつは知らない。俺の部屋の下、壁に刻み付けられたひっかき傷の跡を。


 終わり
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