眠り騎士と悪役令嬢の弟

塩猫

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アルトとトーマ

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そのまま俺をお姫様抱っこしてトーマは歩いていた。

なにが起きているんだ?こんなイベント…ゲームになかった。
俺とトーマの出会いはここじゃない、姉と一緒に現れて最初から敵だった。
でもそれだと死亡フラグだし、自分に人を傷付ける事が出来るとは思えない。

とりあえずまだ名乗ってないからセーフだ、どうにか離れないと…

腕を振りじたばたしていると肩を抱いていた力が強まり引き寄せられた。

「大人しくしないとキスして黙らせるぞ」

耳元に感じる吐息と共にじたばたしていた腕の動きが一瞬で止まった。

さすが乙女ゲームのキャラクターだ、女の子が好きそうなセリフを言うなぁ。
男の自分もちょっと冷めた感じの言い方にドキッとしてしまった。
……なんか男として負けたような感じがして少しだけ悔しかった。

ゲームをやっていた時、キャラクターのキザなセリフとか何とも思わなかったのに…自分が直接言われてるからだろうか。
女の子に感情移入はしなかったけど、ここまでセリフが似合う人物もそうそういないだろう…ゲームのキャラクターだけど…

大人しくなった俺は運ばれ、大きな屋敷が目の前に見えた。

表札には「聖騎士団寄宿舎」と書かれていたからトーマが暮らしている場所だろう。

ヤバいヤバい、俺がシグナムだってバレると殺される。

聖騎士団とシグナム家の因縁は深い、そんなところにのこのこやって来たら殺されに来たも同然だ。

カタカタと体を震わせていて、お姫様抱っこをしているトーマにも伝わり俺を心配したような顔をしていた。

「……なんか寄宿舎の中が騒がしそうだな、正面は止めて裏から入るか…………大丈夫、襲ったりしないから」

俺の頭を撫でてゲームではヒロインしか見せない筈の微笑みを見せて安心させる。
初めて出会った頃にも見たが、今は子供の無邪気な笑みではなく美しい大人の男性の笑みだった。

襲うって殺さないって事か?本当に信じていいのだろうか。

まだ俺だって名乗ってないし、今はトーマにとってはただの国民だ。
トーマはただの国民に酷い事をする人ではない、それは信じていいだろう。

俺が頷くとトーマは安心したような顔をして再び歩き出した。

屋敷を回り裏庭にやってきて、裏庭の扉を器用に片手で俺を抱えながら鍵を差し込み中に入った。
確かに誰かの話し声が聞こえている、感情的になり怒鳴る声も聞こえてビクッと驚いた。
トーマは俺に「大丈夫だ」と優しい声で話しながら階段を上った。

幸い声がするのはドアの向こう側の部屋でトーマ達には気付いていなかった。

トーマは自分の部屋の鍵を開けて入ると俺を下ろしてくれた。

やっと解放されて、ちょっとよろけたがやっぱり床に足がつく感触に感動していた。
なんで部屋に呼ばれたのか分からないままでいると、カチャと後ろから鍵を閉める音が聞こえた。

静かな部屋にやけに大きく響きビクッとして後ろを振り返る。

「…トーマ?」

「悪かったな、友人に嘘をついて…二人だけでゆっくり話がしたかっただけなんだ」

「……話」

「それより、なんで俺の名前を知ってるんだ?」

つい無意識にトーマの名を呼んでしまい、一気に緊張が走る。
ゲームの事がバレるのはあり得ないからそうじゃなくて、一度も自己紹介をしていないのに何故知ってるのか気になるだろう。

なにかトーマが納得するようないい言い訳はないのか。
頭をフル回転させて考えろ、考えるんだアルト!えーっと、えーっと……

全然思い付かず焦る俺を見てトーマは我慢出来ず笑った。
何処か笑われるポイントがあっただろうかと俺は呆然とトーマを見る。

「悪い、困らせるつもりはなかったがころころ変わる顔が面白くてな……分かってる、パレードで知っていたのだろ?」

パレード……そうだ、確か音楽と共にアナウンスでトーマの説明をしていたのを聞いてたっけ。
それ以前にトーマの事を知ってたからそこまで思い付かなかった。

とりあえず嘘になってしまうが自然な理由が出来て頷いた。
良かった……トーマとキスした時にトーマと口を滑らせなくて…もうそれだったら言い訳出来ない。

トーマにソファに座るように言われ、座るとトーマは部屋に備え付けられているキッチンに向かった。
こぽこぽと湯を沸かしている音が聞こえてトーマはこちらを見ていた。

「俺だけ名前を知ってると不公平だな、名前…今度こそ教えてくれないか?」

「……でも」

「君の口から聞きたいんだ」

まるでもう名前を知ってるような言い方だなと思いながら、名前は教えるわけにはいかないよなと悩む。
…偽名使うとか?でも適当に名前つけて呼ばれてすぐに返事出来る気がしない。
アルト・シグナムだなんて名乗ったら変な死亡フラグが…

彼には悪いけど余計な事は言わずに黙る事にした、こんな平凡の名前を知ったってトーマには何の特もないし。

トーマはトレイに二人分の紅茶とケーキを乗せてやってきた。

紅茶とケーキを俺の前に出して「食べていい」と言われたからいただきますをしてまず喉が渇いたから紅茶を一口飲む。
ほんのりバニラの香りと優しい甘さ、これはグランの紅茶を超えたのではないか?美味しい。

「……どうしても教えてくれないのか?」

「うっ、ごめんなさい」

「人それぞれいろんな事情がある気にするな」

トーマはそれ以上聞こうとしなくて優しいなと思う。
昔の事は忘れてるだろうし一度会っただけなのに家にも入れて…警戒心がなさすぎも危ないけどね。

向かいのソファにトーマは座って紅茶を一口飲み込む。
正装もよく似合い何処かの貴族みたいで様になっている。
一般人丸出しのTシャツにズボンの自分とは大違いだ。

ケーキも果肉が豪勢に使われたフルーツタルトで頬が緩むほど美味しい。

「名前がないと不便だな、俺が君を名付けてもいいか?」

「へ?…あ、はい」

トーマの言ってる意味が分からずとりあえず頷いた。
名付けるってあだ名みたいなものだろう、それならいいかな。

名前を名乗らない自分が悪いから何でも受け入れるが、反応しづらいあだ名だとちょっと困るかな。
でもなんかあだ名って初めての事だし友達みたいでワクワクする。

トーマはジッと俺を見つめて少しの間沈黙があり、口を開いた。

そして俺の嫌な予感はとても当たると身に染みて分かる。

「………め」

「ん?」

「うん、なんかしっくり来るな…やはり騎士には姫だろう」

トーマは一人で納得していて俺は置いてきぼりで首を傾げた。
よく分からないが確かに騎士は姫を守るのがおとぎ話でもよくある。

ゲームでもトーマが仕えて守るのは姫であるヒロイン。
勿論国民や王族の人達を守ったりするが、ヒロインへの想いが人一倍なだけだ。
トーマにはヒロインが必要、ヒロインのためなら強くなるのだから…

それでなんで今のタイミングで騎士と姫の話になるのだろうか。

最後のタルトをひと切れフォークで刺して口に放り込む。

「君と居て確認するまでもなかった、この胸の鼓動は…君はパーティーで会った子なんだね」

「……覚えてたんだ」

「忘れた日なんてなかった、ずっとずっと君は俺のお姫様だった」

「…………はい?」

「姫、今日からそう呼ぶよ」

あれ?あれれ?空耳?何だか変な事になっていませんか?

短い時間しか会っていなかったのにあの小さい頃を覚えていたのは驚きだった。
しかし、お姫様ってなんですか?なんで俺がお姫様?

………可笑しいな、男として生まれた筈なんだけどなー…
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