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【エピローグ:二十一歳現在・現状】
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この八年間、『爪を剥ぐ』という欲求は起こっていない。
『呪い』が事細かく解明されてしまった以上、さほどの怯えはなくなったようだ。東和町の祖父母の家に行っても、強く意識はしなくなった。母親の目も、何事もなかったように優しくなった。
しかし相変わらず、まだ若い親戚の子達は意識的に怪我をする―――『呪い』にかかっている。バーベキュー用の串を何本も体に刺したり、断食をしてみたり、冬の最中に川に入り出てこなかったりと、方法は様々だ。布津の家に帰省するたびに、そういった話をどこからともなく聞いてしまう。命には別状がないそうだが、兄弟がいる所では連鎖的に起こるので困っているらしい。『呪い』が起こるたび、祖母は私の父親に電話をかけてきて、愚痴を言っている。
そして、祖父も変わらずに『たたら』に火を入れている。
少しだけ転機があったとすれば、私はキリスト教を信仰しなくなったということだ。大学に入学するとすぐ、私はロザリオと十字架を教会に返した。父親は何も言わなかった。
私自身は、カトリック信徒であっても構わないと思っている。しかし、まだ見ぬ将来のことを考えれば、あまり余裕はなかった。
私の子供が、もし精神的に弱い子だったとしたら―――。
自然に藤蔓保都の姿が浮かんでくる。
今現在、妊娠しているわけでもないのだが、できれば『呪い』を連想させるようなものは、身の回りに置きたくない。そして、ある程度自分の子供が年を取るまでは、あの土地に連れて行きたくはない。
私の時は、同じ立場にいて、さらに頼りになる智広兄さんのような人がいたから立ち直れた。しかし、そういった人が自分の子供に現れるとは限らないのだ。
だから、子供は産まないことに越したことはないと思う。できれば産みたくはない。
はっきり言って、怖いのだ。今でも脳裏に、あの踊る炎がいる。
将来の子供のことまで考えてしまうなんて、きっとこれは私に好きな人がいるからなのだろう。
私の好きな人は、私の通う大学の事務員でありながら、同じ大学の院生でもある。働いてはいるが、彼には学生という言葉がよく似合う。キャンパスを目的もなくぼうっと歩く姿を見ていると、就職先の教務室で忙しく働いている姿には違和感を覚える。
時々、私が書類を提出しに行くと、彼は面白いほどに事務的になる。照れ臭いのだろうけれど、そう意識されると私のほうが恥ずかしい。
私は普通の女になった。もう『呪い』に突き動かされることはない。爪を剥がした傷跡は全く残っていない。忌わしい過去はただの過去になった。
しかし、私だけがそうであっていいのか、そんな罪悪感が心の奥にある。
藤蔓保都が亡くなったという話は聞かないが、元気でやっているという話も聞かない。
それに、智広兄さんの腕の火傷は、やはり盛大に痕が残った。
初めて見せてもらった時、小さく悲鳴を上げてしまったほどだ。皮膚移植するにも限度があるのだろう。智広兄さんは、何でもないといったふうに表情一つ変えなかったが、火傷の痕は胸の辺りまで達していた。私は心配して、何度も皮膚移植を繰り返して火傷痕を消した例もあると言ったが、「それは面倒だなあ」と他人事のように笑った。顔に負った火傷は消えているので、「面の皮が厚いと便利なものだ」と冗談まで言っていた。
腕の火傷の痕を触ると、ザラザラとした感覚が私の手の平を刺激した。痛くはないが、どうもくすぐったいのだ。服を着ていれば、火傷はさほど目立たない。しかし、本人は気にしているのかもしれない。
だから、智広兄さんに会う時には火傷に目を向けないようにした。それでも、智広兄さんは一度も気にしているといった素振りは見せたことはない。自分の容姿には無頓着なのかもしれない。
気をつけてはいるのだが、やはり智広兄さんの手に触ると、くすぐったくて笑ってしまうし、冗談混じりに触らないでと正直に言ってしまう。その時だけ、智広兄さんは不機嫌になった。
智広兄さんに、将来子供を持つのは怖くないかと訊いてみた。
「いいや。僕は気にしてないよ。子供なんて、怪我する時には怪我をするもんだ。それに生死に関わることなんて、いつでも誰にだってある。事故に遭えば、命を落とす事もあるだろう?『呪い』なんて、その危うさの一部を占めているにすぎない。それに、あんなのは、取れかかっているかさぶたを無性に取りたくなる衝動と一緒さ」
そう言って、以前と変わらずに優しく微笑んだ。
この人の子供ならば『呪い』にはかからないだろう。私もそうであるが、常に転ぶことについて心配している人はいない。事故は危険ではあるが、思い悩むことではないということだ。それと同じように、『呪い』も思い悩むことではないのだ。
身近すぎて、割り切れないものもあるが、智広兄さんが「大丈夫」と言ってくれている間は、なんとか安心できそうだ。
私の好きな人も、優しく微笑んで言った。
「思い悩むことがあるとしたら、この恋愛に危機が訪れないように、ということぐらいかな」
その意見には、私も賛成である。
完
『呪い』が事細かく解明されてしまった以上、さほどの怯えはなくなったようだ。東和町の祖父母の家に行っても、強く意識はしなくなった。母親の目も、何事もなかったように優しくなった。
しかし相変わらず、まだ若い親戚の子達は意識的に怪我をする―――『呪い』にかかっている。バーベキュー用の串を何本も体に刺したり、断食をしてみたり、冬の最中に川に入り出てこなかったりと、方法は様々だ。布津の家に帰省するたびに、そういった話をどこからともなく聞いてしまう。命には別状がないそうだが、兄弟がいる所では連鎖的に起こるので困っているらしい。『呪い』が起こるたび、祖母は私の父親に電話をかけてきて、愚痴を言っている。
そして、祖父も変わらずに『たたら』に火を入れている。
少しだけ転機があったとすれば、私はキリスト教を信仰しなくなったということだ。大学に入学するとすぐ、私はロザリオと十字架を教会に返した。父親は何も言わなかった。
私自身は、カトリック信徒であっても構わないと思っている。しかし、まだ見ぬ将来のことを考えれば、あまり余裕はなかった。
私の子供が、もし精神的に弱い子だったとしたら―――。
自然に藤蔓保都の姿が浮かんでくる。
今現在、妊娠しているわけでもないのだが、できれば『呪い』を連想させるようなものは、身の回りに置きたくない。そして、ある程度自分の子供が年を取るまでは、あの土地に連れて行きたくはない。
私の時は、同じ立場にいて、さらに頼りになる智広兄さんのような人がいたから立ち直れた。しかし、そういった人が自分の子供に現れるとは限らないのだ。
だから、子供は産まないことに越したことはないと思う。できれば産みたくはない。
はっきり言って、怖いのだ。今でも脳裏に、あの踊る炎がいる。
将来の子供のことまで考えてしまうなんて、きっとこれは私に好きな人がいるからなのだろう。
私の好きな人は、私の通う大学の事務員でありながら、同じ大学の院生でもある。働いてはいるが、彼には学生という言葉がよく似合う。キャンパスを目的もなくぼうっと歩く姿を見ていると、就職先の教務室で忙しく働いている姿には違和感を覚える。
時々、私が書類を提出しに行くと、彼は面白いほどに事務的になる。照れ臭いのだろうけれど、そう意識されると私のほうが恥ずかしい。
私は普通の女になった。もう『呪い』に突き動かされることはない。爪を剥がした傷跡は全く残っていない。忌わしい過去はただの過去になった。
しかし、私だけがそうであっていいのか、そんな罪悪感が心の奥にある。
藤蔓保都が亡くなったという話は聞かないが、元気でやっているという話も聞かない。
それに、智広兄さんの腕の火傷は、やはり盛大に痕が残った。
初めて見せてもらった時、小さく悲鳴を上げてしまったほどだ。皮膚移植するにも限度があるのだろう。智広兄さんは、何でもないといったふうに表情一つ変えなかったが、火傷の痕は胸の辺りまで達していた。私は心配して、何度も皮膚移植を繰り返して火傷痕を消した例もあると言ったが、「それは面倒だなあ」と他人事のように笑った。顔に負った火傷は消えているので、「面の皮が厚いと便利なものだ」と冗談まで言っていた。
腕の火傷の痕を触ると、ザラザラとした感覚が私の手の平を刺激した。痛くはないが、どうもくすぐったいのだ。服を着ていれば、火傷はさほど目立たない。しかし、本人は気にしているのかもしれない。
だから、智広兄さんに会う時には火傷に目を向けないようにした。それでも、智広兄さんは一度も気にしているといった素振りは見せたことはない。自分の容姿には無頓着なのかもしれない。
気をつけてはいるのだが、やはり智広兄さんの手に触ると、くすぐったくて笑ってしまうし、冗談混じりに触らないでと正直に言ってしまう。その時だけ、智広兄さんは不機嫌になった。
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