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一方その頃、王妃の私室を飛び出したフォルセリーヌは自室で膝を抱えていた。
城を抜け出してクラウディア帝国跡地に向かったときは、堅苦しい監視の目から逃れられた解放感からわくわくしていたのに……あの聡明な母を出し抜いたことが愉快で堪らなかった。高揚はほんの一時で、今こんな惨めな気持ちになるなんて思わなかった。
ディゾ・リーリング、人の身ながら最高位の破壊神である白き死神イシュトレイグを御したと言う伝説の人物。戦いの最中で敵同士でありながら母サスキアを愛し、守る為に存在理由でもあった復讐の念を手放して逝った人だ。
戦争終結後に蘇るも、精霊に身を堕としたイシュトレイグとともに、新たな諍いの火種になることを避けて表舞台からその姿を消した。
彼リィンがいなければ、きっと自分はこの世に生を受けることが出来なかった。大好きな両親にも会うことができなかった。母が語るその人となりに、好意を抱くのは簡単だった。
忌まわしい、呪われたと評される戦火を映し込んだような赤い瞳も死神の吐息のような白い髪も……目を瞑れば細部に亘るまで鮮明に思い出されるようになった頃、この気持ちは感謝ではなく恋慕であると気付いた。
肖像画を眺めるだけの一方通行で、会うことさえ叶わないのに。
「……オジサンって言っちゃった」
先ほどまで目の前にいた彼は、瞳も髪の色も、母と同じ夜の闇のようだった。壮年を過ぎた容姿に身をやつしていたリィンは、自分が脳裏に焼き付けたディゾ・リーリングとはまるでかけ離れていたのだから。
膝を抱いていた手で、頭を抱える。二人の初対面は、これ以上ない最悪なものだった。
彼は自分のことを、両親を困らせて楽しんでいる我がまま娘だと思ったはずだ。実際、はねっ返り呼ばわりされてしまい、あれだけの醜態を晒して今さら弁解はきかない。
今頃リィンは、母と何を話しているのだろう。
自分のことなど、もう忘れてしまっているに違いない。その命を賭して守ったほどの想い人サスキアは、四十を超えてなお輝くばかりに美しい。父親似を自覚しているフォルセリーヌは、母に似なかったことが残念でならなかった。
ほんの僅かでいいから似ていれば、彼の心の隅にも自分の存在を残せたのに。城を抜け出したりしなければ良かった。こんなことなら、引き留めたりしなければ良かった。
リィンへの想いを知っている母のからかうような態度が嫌で逃げ出したのではない。
彼が母に笑顔を向けるのを見たくなかった……それは、自分には絶対に向けられることなどないのだから。
「フォル、入るよ」
愛する母に対して嫉妬を覚えるフォルセリーヌの耳に、当の本人の声とともに、扉を叩く音が突き刺さる。ギョッとした彼女は、間髪を置かずに湧き起こった罪悪感に、思わず無視を決め込んでしまった。
「……フォールー、いるのはわかってるんだよ。心配しなくても今回は説教じゃない、大事な話があるんだ」
しばらく返事を待って、再びノックとともに呼びかけられる……このまま無視を続けていようか、と一瞬思ったが、そんなことをすればサスキアは何の躊躇いもなく扉を蹴破るだろう。そういう人なのだ。
仕方なく彼女は蹲っていた長椅子の上から下りると、自室の扉を開けにいった。
「素直でよろしい」
「きゃぁっ……!」
扉を開けて現れた母の笑顔の後ろに立つ人物が目に入ったフォルセリーヌは、小さく叫んで硬直する。
「……私は化け物か」
どうして、彼までいるのだろう……リィンを見つめたまま固まるフォルセリーヌに、彼は眉を顰めた。
「ちょっと驚いているだけだろう」
「少しどころじゃないだろう。これでは不自然過ぎる……先が思いやられるな」
「大丈夫、大丈夫。端から見たらそれも微笑ましく見えるよ。似合いな二人だよ」
二人の話題が自分のことだろうが、一体何を話しているのかわからない。サスキアと話している間も自分に固定されたリィンの視線のせいで、頭が巧く働かなかった。
「どう考えても、誘拐犯と人質だ」
「無粋なことを言うな。あんただって、ちょっとは努力してくれないと困るぞ……二人は愛し合っているんだからな」
母の言葉に、フォルセリーヌの脳に衝撃が走った。大事な話、愛し合う二人……激情とともに言葉が口を吐く。
「酷いわっ、お母様! 私達を捨てるって言うのっ……?」
「はっ……?」
彼女の非難に、サスキアは目を丸くした。
「彼が素敵なのはわかるけどっ……、今さら駆け落ちなんて信じられない!」
叫んだフォルセリーヌの頬に、涙が伝う。母への怒りと悲しみで、我を失っていた。
「……何か盛大に勘違いしてないか?」
大きな瞳からボロボロと大粒の涙を流して母を責める彼女に、渦中のリィンが端正な顔を歪める。
「とにかく、泣きやんで……フォル」
「いやっ、触らないで! お母様なんて嫌いっ、見損なったわ! お父様が可哀想過ぎるっ……彼を愛しているなら何でお父様と結婚なんてしたのよ! 私まで産んどいてっ、汚らわしい!」
伸ばされた手を弾きながら、フォルセリーヌは恥じ入る様子もなく己を懐柔しようとする母を涙で濡れた双眸で睨みつけた。
「落ち着きなさい、フォル。私は駆け落ちもしなければ、アルフレインもお前もちゃんと愛してるよ」
「じゃあ何っ? まさか不倫っ……貴方もよくそんなの承諾したわね! 男としてどうなのよっ、矜持はないの!」
「……っ……よくもまあ、そこまで支離滅裂な誤解ができるな」
突如、怒りの矛先を向けられたリィンは、生温かい双眸をフォルセリーヌに注ぎながらため息を吐く。
「それだけ純粋だってことだ……聞きなさい、フォル。リィンと私は何でもないし、大事な話というのも、リィンとお前とのことだよ」
サスキアは更なる非難の言葉を押し留めるように片手を上げ、真面目な顔をしてそう口を開いた。
「リィンと婚約しなさい、フォルセリーヌ。これは母親の言葉ではなく、オルガイム国王妃としての命令です」
告げられた言葉にフォルセリーヌは、石化の魔法にかかったかのように、息を吐くことさえ忘れてその場に立ち尽くした。
城を抜け出してクラウディア帝国跡地に向かったときは、堅苦しい監視の目から逃れられた解放感からわくわくしていたのに……あの聡明な母を出し抜いたことが愉快で堪らなかった。高揚はほんの一時で、今こんな惨めな気持ちになるなんて思わなかった。
ディゾ・リーリング、人の身ながら最高位の破壊神である白き死神イシュトレイグを御したと言う伝説の人物。戦いの最中で敵同士でありながら母サスキアを愛し、守る為に存在理由でもあった復讐の念を手放して逝った人だ。
戦争終結後に蘇るも、精霊に身を堕としたイシュトレイグとともに、新たな諍いの火種になることを避けて表舞台からその姿を消した。
彼リィンがいなければ、きっと自分はこの世に生を受けることが出来なかった。大好きな両親にも会うことができなかった。母が語るその人となりに、好意を抱くのは簡単だった。
忌まわしい、呪われたと評される戦火を映し込んだような赤い瞳も死神の吐息のような白い髪も……目を瞑れば細部に亘るまで鮮明に思い出されるようになった頃、この気持ちは感謝ではなく恋慕であると気付いた。
肖像画を眺めるだけの一方通行で、会うことさえ叶わないのに。
「……オジサンって言っちゃった」
先ほどまで目の前にいた彼は、瞳も髪の色も、母と同じ夜の闇のようだった。壮年を過ぎた容姿に身をやつしていたリィンは、自分が脳裏に焼き付けたディゾ・リーリングとはまるでかけ離れていたのだから。
膝を抱いていた手で、頭を抱える。二人の初対面は、これ以上ない最悪なものだった。
彼は自分のことを、両親を困らせて楽しんでいる我がまま娘だと思ったはずだ。実際、はねっ返り呼ばわりされてしまい、あれだけの醜態を晒して今さら弁解はきかない。
今頃リィンは、母と何を話しているのだろう。
自分のことなど、もう忘れてしまっているに違いない。その命を賭して守ったほどの想い人サスキアは、四十を超えてなお輝くばかりに美しい。父親似を自覚しているフォルセリーヌは、母に似なかったことが残念でならなかった。
ほんの僅かでいいから似ていれば、彼の心の隅にも自分の存在を残せたのに。城を抜け出したりしなければ良かった。こんなことなら、引き留めたりしなければ良かった。
リィンへの想いを知っている母のからかうような態度が嫌で逃げ出したのではない。
彼が母に笑顔を向けるのを見たくなかった……それは、自分には絶対に向けられることなどないのだから。
「フォル、入るよ」
愛する母に対して嫉妬を覚えるフォルセリーヌの耳に、当の本人の声とともに、扉を叩く音が突き刺さる。ギョッとした彼女は、間髪を置かずに湧き起こった罪悪感に、思わず無視を決め込んでしまった。
「……フォールー、いるのはわかってるんだよ。心配しなくても今回は説教じゃない、大事な話があるんだ」
しばらく返事を待って、再びノックとともに呼びかけられる……このまま無視を続けていようか、と一瞬思ったが、そんなことをすればサスキアは何の躊躇いもなく扉を蹴破るだろう。そういう人なのだ。
仕方なく彼女は蹲っていた長椅子の上から下りると、自室の扉を開けにいった。
「素直でよろしい」
「きゃぁっ……!」
扉を開けて現れた母の笑顔の後ろに立つ人物が目に入ったフォルセリーヌは、小さく叫んで硬直する。
「……私は化け物か」
どうして、彼までいるのだろう……リィンを見つめたまま固まるフォルセリーヌに、彼は眉を顰めた。
「ちょっと驚いているだけだろう」
「少しどころじゃないだろう。これでは不自然過ぎる……先が思いやられるな」
「大丈夫、大丈夫。端から見たらそれも微笑ましく見えるよ。似合いな二人だよ」
二人の話題が自分のことだろうが、一体何を話しているのかわからない。サスキアと話している間も自分に固定されたリィンの視線のせいで、頭が巧く働かなかった。
「どう考えても、誘拐犯と人質だ」
「無粋なことを言うな。あんただって、ちょっとは努力してくれないと困るぞ……二人は愛し合っているんだからな」
母の言葉に、フォルセリーヌの脳に衝撃が走った。大事な話、愛し合う二人……激情とともに言葉が口を吐く。
「酷いわっ、お母様! 私達を捨てるって言うのっ……?」
「はっ……?」
彼女の非難に、サスキアは目を丸くした。
「彼が素敵なのはわかるけどっ……、今さら駆け落ちなんて信じられない!」
叫んだフォルセリーヌの頬に、涙が伝う。母への怒りと悲しみで、我を失っていた。
「……何か盛大に勘違いしてないか?」
大きな瞳からボロボロと大粒の涙を流して母を責める彼女に、渦中のリィンが端正な顔を歪める。
「とにかく、泣きやんで……フォル」
「いやっ、触らないで! お母様なんて嫌いっ、見損なったわ! お父様が可哀想過ぎるっ……彼を愛しているなら何でお父様と結婚なんてしたのよ! 私まで産んどいてっ、汚らわしい!」
伸ばされた手を弾きながら、フォルセリーヌは恥じ入る様子もなく己を懐柔しようとする母を涙で濡れた双眸で睨みつけた。
「落ち着きなさい、フォル。私は駆け落ちもしなければ、アルフレインもお前もちゃんと愛してるよ」
「じゃあ何っ? まさか不倫っ……貴方もよくそんなの承諾したわね! 男としてどうなのよっ、矜持はないの!」
「……っ……よくもまあ、そこまで支離滅裂な誤解ができるな」
突如、怒りの矛先を向けられたリィンは、生温かい双眸をフォルセリーヌに注ぎながらため息を吐く。
「それだけ純粋だってことだ……聞きなさい、フォル。リィンと私は何でもないし、大事な話というのも、リィンとお前とのことだよ」
サスキアは更なる非難の言葉を押し留めるように片手を上げ、真面目な顔をしてそう口を開いた。
「リィンと婚約しなさい、フォルセリーヌ。これは母親の言葉ではなく、オルガイム国王妃としての命令です」
告げられた言葉にフォルセリーヌは、石化の魔法にかかったかのように、息を吐くことさえ忘れてその場に立ち尽くした。
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