フレデリカ嬢は、ド田舎で忠犬と暮らしたい

小田マキ

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 驚いたことに、ウェイドは自らの世話は自らで見る主義らしい。そこはフレデリカも同じだが、王弟殿下である彼とは身分も経済状況も違う。その気になれば、ウェイドはいくらでも人任せの自堕落な生活を送れる身の上なのだ。
 フレデリカ付きになったというアマンダ以外の使用人の姿は、一切見えない。ウェイドの希望により、ここチェザービクの別宅は極限まで使用人の数が絞られているそうだ。
 人の気配から解放されたいという主の意を汲んだ家人達は、夜間に表業務をこなし、昼間は階下に詰めて極力姿を見せないように徹底しているらしい。当然ながら、客も滅多に訪れない。
 ウェイドにとっては理想的環境かもしれないが、アマンダを始めとする有能かつ真面目な使用人達にとって、実に重苦しく単調な日々だったと言う。
 そんな中、突如降って湧いたかの如きフレデリカは、救世主にも等しい存在らしい。それゆえにアマンダが醸し出す有無を言わせぬ威圧感は、侍女としての矜持、意気込みの表れだったのだ。
 すったもんだの後、人生初の介添え付きの着替えを済ませたフレデリカは、瀟洒な庭園を楚々とした足取りで散策していた。
 チェザービク領主邸の中庭は、上空から見るとツゲの生垣で幾何学模様が描かれていて、さながら広大な迷路のようだ。不在時も主の命を守る使用人達の姿はなく、辺りはシンと静まり返っていた。
 遠くで噴水が吹き上げる微かな水の音や、己の纏ったドレスの衣擦れの音ばかりが耳につく。歩を進めるごとにふくらはぎを舐めるペティコートの滑らかな感触が、彼女の足取りに細心の注意力を要求した。
 恐らくこの素晴らしく豪華なドレス一着で、実家全体の壁紙が張り替えられるだろう。ところどころ錆びて、歯抜けになった農機具だってピカピカの最新品へと新調できるに違いない。
 そんな大金を身に纏っていると思うと、激しく肩がこった。
 フレデリカは己の認識の甘さを痛感する。主がいない間はのんべんだらりと過ごせると思っていたが、どうも現実は違うようだ。
 ウェイドの言う通り、自分は資産家の愛人には向かないのかもしれない。

『ワフッ……』

 どんどん弱気になっていたところに、ここ一ヶ月余り耳にしていなかった懐かしい鳴き声に鼓膜が揺れる。
 まさか……咄嗟に信じられない面持ちで、フレデリカは背後を振り返った。
「待てっ、そっちは……!」
 そこには自らの背丈を優に超えるツゲの生垣があるだけだったが、今度は噴水の涼やかな水音に混じって男性の怒号が追ってくる。ウェイドの声に似ているような気もしたが、嫌味なほど余裕綽々な彼らしくない。
 小首をかしげた直後、閑静な中庭に地鳴りのような重低音が響いた。鎖を引きずるような甲高い金属音を引き連れて、自らの背丈以上ある生垣の隙間からは、盛大に灰色の粉塵を巻き上げ、大きな黒い影が迫ってくるのが見えた。
「嘘でしょ、まさかっ……?」
 無意識の呟きが口から零れ落ちたと同時に、弾丸のようなその影は、綺麗に刈り込まれた垣根を易々と飛び越えた。フカフカした毛皮に覆われた四つ足は大きく地を蹴り、一直線にフレデリカに向かってくる。
「ラウールっ!」
 フレデリカも、歓喜の呼び声を上げて駆け出した。履いていたヒールが脱げるのも構わず、大きく両腕を広げる。
『ウワフッ!』
 気を抜けば後ろにひっくり返されそうな勢いで腕の中に飛び込んできたのは、途方もなく巨大な犬だった。ピンと立ち上がった左の耳の先が僅かに欠け、白と茶の斑模様を纏ったその姿は、確かに愛犬ラウールだった。
 興奮し切った彼は長い舌を伸ばして顔中を舐め上げ、結い上げたばかりの頭をガブガブと噛んでくる。
「ラウール、お前どうし……って、痛い!」
 久々の愛犬から受けた盛大な親愛の情は、甘噛みと言うには少々力加減が強かった。いつもと違う匂いを纏った主が気に入らないのだろうか……そのことに気付いたと同時に、フレデリカの頭から血の気が引いていく。
「待って、ラウール! 離れてっ、この服とんでもなく高いの……!」
 ドレスまでその鋭い牙にやられては堪らない。慌てて一回り大きな毛むくじゃらの身体から距離を取ろうとするが、全力で圧し掛かる規格外な愛犬を引き剥がすのは至難の業だった。
 そうこうしているうちに、肩に食い込んだ前足の下から、ビリッという音が聞こえてくる。世にも恐ろしい響きに、フレデリカは凍りついた。
「あ〝ーーーーーーーーっ!」
「フリーっ!」
 身も世もない大絶叫を聞きつけ、呼号とともにウェイドが疾風の如き速さで駆けつける。
「え、フリーって……?」
 今となっては誰も呼ばない幼き日の愛称を投げられ、暫時固まってしまったフレデリカにはお構いなしに、彼はその身に圧し掛かるラウールを引き剥がした。ウェイドの肩越しには、今し方まで彼女の身を包んでいたはずのドレスが襤褸衣と化し、愛犬の爪先を飾っているのが見える。
 あり得ない光景を目の当たりにしたフレデリカは瞬時に我に返り、淑女としてあるまじき姿をこの麗らかな陽光の下に晒していることを悟った。ウェイドの咄嗟の行動には、窮地に陥った彼女を救うという勇気と善意しかなかっただろう。
「いやーーーーーーーーーーーーー!」
「ごふっ!」
 しかし、次の瞬間にはフレデリカは文字通り絹を引き裂くような黄色い悲鳴を上げ、ウェイドもまた低く呻いた。農作業で培った黄金の平手を加減なく振るってしまった彼女を、一体誰が責められようか……。

『ガウガウガウッ……』

 全ての元凶である巨犬は人間達の喧騒もどこ吹く風、新しく得た玩具に嬉々として爪と牙を見舞っていた。
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