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一章

3 質問の答え

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 今更ながら心臓が音を立てる。教室が近くなるに連れて足が震え出してきた。

 斜め前、少し先を行く沢西君を窺う。彼はこの状況に緊張しないのだろうか。後ろ姿からはその心境を推察できなかった。


 件の教室手前まで来た時、中の方から声がした。

「明ちゃん遅いなーっ。どこに行ってるんだろう。岸谷君、知らない?」

 思わず足が止まる。気持ちが重くなり下を向いて教室から目を逸らした。

 そうだ。晴菜ちゃんは普段、岸谷君の事を「岸谷君」と呼んでいる。だからさっきは本当に驚いた。「聡ちゃん」って呼んでいたから。もしかして二人きりの時はそう呼んでいるのかな。

 俯いていた視界に私のものより大きめの上履きが入り込む。顔を上げ目の前に立つ沢西君を見た。彼は顔を険しくしかめていた。

 あっ……。せっかく沢西君が協力してくれてるのに。今、大事な時なのに私……何考えてるんだろう。

 一度でも止まってしまったら、きっと復讐なんてできない。勢いのまま突き進まないと目的を果たすまでに心が折れてしまうだろうから。

 謝ろうと口を開きかけたけど、すぐに閉じた。沢西君が自らの口に人差し指を当てるジェスチャーをしたからだ。彼は顔を寄せヒソヒソ話をしてきた。

「先輩。何か忘れてません?」

 尋ねられて考えた。

 あれ? 今から私たちが行う予定の「復讐の先制攻撃」に何か必要な手順ってあったっけ? そういえば私は何をすればいいんだろう。第二図書室にいる内に、もっとよく聞いておけばよかった。

 視線を彷徨わせる私に沢西君が言った。

「オレたち今日、両想いになりましたよね?」

 うっと一拍息が詰まり、間近の顔を見返した。眼鏡越しに強気な目。
 綺麗に一笑して再び背を向ける彼の後を追う。

 釘を刺された。気を引き締めないと。私たちは今日から「恋人」なのだ。心の中で唱える。
 沢西君が教室の戸を開けた。


「あっ、明ちゃん!」

 私を見た晴菜ちゃんが座っていた椅子から立ち上がり、こちらへ駆けて来た。
 教室に残っているのは彼女と岸谷君だけだった。岸谷君は教室中央近くにある晴菜ちゃんの席……その隣の席に横向きに腰掛けていた。こちらを見ている。

 教室へ足を踏み入れ晴菜ちゃんと向き合った。私の横へ並んだ沢西君の、後ろ手に引き戸を閉める音が私に覚悟を決めさせた。後には引けない……違う。引かない。

 晴菜ちゃんが私から視線を移動させた。私の右隣に立つ沢西君を大きな瞳で一瞥し、再び私と目を合わせた。

「明ちゃん、この人……」

 晴菜ちゃんが何か言いそうだった時ガタッと音がした。そちらに目を向ける。
 岸谷君が立ち上がりこっちを凝視していた。

「そいつ……っ」

 沢西君に驚いているのかもしれない。さっき第二図書室で言葉を交わした岸谷君と沢西君。沢西君が私と一緒にここへ来たから焦っているんだよね? 岸谷君と晴菜ちゃんの秘密を沢西君は見ているから。岸谷君は私には教えたくないんでしょ? 酷いよ。

 湧き上がる悲しみや怒りを抑えて静かに笑った。努めて明るく紹介する。

「こちらは沢西君。付き合ってるの、今日から」

「え……?」

 岸谷君が発した声に惑うような響きがあった。その表情もいつもと違う。目を見開きこちらを……特に沢西君をガン見している。

「へえ……」

 小さくそう呟いた主に視線を戻す。晴菜ちゃんが暗く淀んだ目を細めて沢西君を見ていた。
 見間違いかと思って瞬きした次の瞬間には普段のキラキラした彼女で、私は自分の目を擦った。

 晴菜ちゃんが両手を合わせ大きく微笑んだ。

「わーっおめでとーっ!」

「あ、ありがとう……」

 晴菜ちゃんのニコニコ嬉しそうな祝福に圧倒される。戸惑って声が上擦ってしまった。

「わああ……。明ちゃんを選ぶなんて見る目あるぅ! ねぇ、どっちから告白したの?」

 晴菜ちゃんが明るく聞いてくる。物言いの最後に彼女の目が鋭く光ったと感じたのは……気のせいだよね?

 それにしても。いきなりピンチだ。何て答えよう。付き合ってるフリをお願いしたのは私だから私から告白したって言った方がいいかも。よし。

 口を開いた矢先、沢西君の声に遮られて慌てて閉じた。

「図書室で……坂上先輩を何度も見かける事があって。ずっと気になってたんです」

 平然とした口調で語られる私たちの馴れ初め(嘘)。
 驚いて勢いよく右を見た。沢西君は落ち着き払った表情。…………そっか! さっき彼は言っていた。

『オレ、あいつらの前で口から出任せに突拍子もない事を言うかもしれませんけど坂上先輩も話を合わせて下さいね。そういう「設定」だと思って下さい』

 ……って! なるほど。この事だったんだね! ちゃんと、それっぽい理由に聞こえるよ。

 沢西君の話は続く。

「オレが坂上先輩に願ったんです。オレの彼女になってほしいって」

 よくスラスラ本当にあった事みたいに話せるなぁ。彼の頭の中では今、そういう架空のストーリーが展開されているさなかなのかもしれない。

「まさかこんな風に付き合えるとは思ってなかったから、まだ信じ切れてなくて。夢だったらどうしようって思ってます」

 沢西君はそう結びニッと笑った。私は薄ら感動さえしていた。
 演技うまっ! 沢西君は口から生まれてきたのかな? 詐欺師になれるよ!
 その自然な表情も相まって言葉が違和感なく胸に入ってくる。


「坂上。さっき第二図書室にいた?」


 苛立ちの滲むような響きが耳に届く。沢西君の醸したほんわかした場の空気が一気に冷えた気がした。

 聞かれたくなかったけど避けて通れないと分かっていた。
 目を逸らしたくて仕方なかった問題に向き合う。受けて立つよ。岸谷君へ真っ直ぐ返した。


「うん、いたよ」

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