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第6章「愛されなさ過ぎて、愛されるのが怖かった」

6.3 分家の男

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 父、センリの不穏な発言から数日。
 何をやらかすのかと怯えるわたしの自室に、遂に父が母を携えてやって来た。


「父親として、僕はリュイとの交際は反対させてもらおうかな」


 そう言って、母を後ろに従えた父は、腕に抱えた淡い赤地に白の紋様と金粉が散らばった振り袖をわたしの目の前に落とす。


「何言ってるんですか……?交際も何もリュイは異世界ですよ?それに、その着物って……」


 豪奢な着物に嫌な予感しかしない。
 出られなかった成人式のための着物なんてことはないだろう。


「うん、きっとお前の思っている通りだ。
差し当たって、お前のために男を見繕ってきたから。
お前はこの世界で幸せになりなさい、トウコ」


「正気ですか。リュイの子どもがいるのに?」


 信じられない。
 独善的な父の発言に、すぐに反論する。

 自分への反抗が意外だったのか。父が青い瞳を丸くする。
 すぐにふっと鼻で笑って、母の手にある橙色に染められた分厚い冊子を受け取り。


「――リュイとの子どもについても、織り込み済みに決まっているだろう?
お前と子どもごと貰ってくれる男を、岸上家こちらで用意しておいた。
善は急げという。これからすぐ会う約束を取り付けているから」 


 着物の横に、釣書も落とす。

 落下の拍子に鈍い音を立てて、中身が開く。
 岸上家の分家―――岸波家の男との縁談だった。
 右側に家族構成と経歴が書きつけられ、左側にスーツを着た男が映っている。


「嘘でしょう。やっぱり父さんは正気じゃない」


「だろうね。正気でキョウコと夫婦はできないさ」


 父はそう言って意に介すことなく微笑み、母の黒髪を一房掴んで口づけを落とす。
 

 そうして問答無用だとばかりに、両手を叩いた父の合図で老女――着付けの先生が部屋に入ってきて。
 岸上家のことを心得たもので、老女は何も言わずに、わたしに薄く化粧をし振り袖を着せ、髪を手早く上げて飾りつける。


「ぐ…っ」


 ぎゅうっと濃い緑色の帯をキツく締められる。お腹への圧迫感に声を上げるが、問題ないと父は先生に向かって手を振る。


「僕の目にはお前の腹の魔法陣が見えているからね。振り袖の締めつけなんて全く問題ないし、たとえお前が事故に遭おうが、どんな目に遭おうが、魔法陣ソレがある限り子どもは必ず無事に生まれてくる」 


 あの世界の神の愛の証のひとつだね、と父は言う。 


「…………」


 神の愛という言葉に、その後ろにいる母のわたしの腹をじっと見つめる目が怖くなる。 
 父の言葉の意味よりも、母の視線のほうが怖い。
 事情を知らない着付けの先生の後ろに隠れれると、ようやく先生は表情を崩した。 


「あちらの世界でリュイと上手くいかなかったから、こちらの世界にお前は帰って来れた。
異世界というボーナスタイムは終わりだよ。 お前は諦めて、僕の言うとおり結婚しなさい。
幸い、岸波の家の男は―――お前のことを会う前から、随分と気に入ってくれているようだ」 


 親戚づきあいとか僕らはほとんどした覚えないんだけどな、と父は首を傾げる。   



「……私は、嫌い。でも、センリのすることに反対しない。トウコ、センリに迷惑掛けないで」 


 父以外に一切の興味のない母が、珍しく知っているらしい。もの凄く嫌そうに顔を顰めて、岸波の男についての感想を吐き捨てる。 
 だが、父の願いであれば、自分の嫌いな人間と娘が添い遂げるのは問題ないらしい。父の腕に後ろから腕を絡めた母に、瞬きせずに見つめられればノーとは言えない。


「はい……母さん」 


 物心ついた頃から変わらない、どこまでも父至上主義な母の態度に、疲れた声で返事する。
 母との決まり切ったやり取りに、ほとんど反射的に頷いてしまう。もう癖みたいなものだった。 



 ―――そうしてあれよあれよという間に、先方が指定した旅館にタクシーでやって来た。 


 今日も道中にはほとんど人がいなかった。前回とは別の運転手のおじさんが珍しいねと言いながら、山奥近くにある旅館に降ろしてくれる。旅館の外観は、ドラマに使われそうな純和風の落ち着いた外観で、いかにもお見合いの場所という感じだった。 
 仲人は、いない。ほとんど人の気配が感じられない旅館の内部を、事前に父から教えてもらっていた地図を頼りに進む。岸上家の人間は基本的に他人と関わることを嫌う。父も母も外出を好まないし、本家うちに合わせて岸波家の人間も本人だけが来ているとのことだった。

 
 ししおどしの音が綺麗に聞こえる中庭を通りぬけると、ようやく人影が見えた。


 「ようこそ。お待ちしておりました、岸上様」


 品の良さそうな仲居さんが、別館への入口に佇んでいた。
 会釈をすれば、深いお辞儀を返されて。別館の長い廊下を歩き、さらにその先にある離れに案内される。 


「どうぞ、ごゆっくり」 


 やはり中までは入ってこないようだ。
 壁にくり抜かれた窓からは、廊下から見えた日本庭園が美しく切り取られて見える。 
 仲居さんに綺麗な笑顔で別れを告げられ、扉がゆっくり閉めて行った。 


「―――あんたが、岸上透子か。ふうん、想像していたよりはマシか」 


 仲居さんがいなくなると、早速無礼な言葉を浴びせられる。


「…………」 

 
 わたしは無言で、失礼な男の声がするほうを見た。


 部屋の中央に置かれた檜のテーブルに置かれた湯飲みから湯気が立ち昇っていた。
 二つ置かれた一方の前に、立て膝をしたスーツの男性が湯飲みを持ち、わたしを値踏みするように見上げて笑っている。


「気が利くな、ここ。俺この菓子好きなんだわ」


 何も言葉を返さないわたしに気分を害した様子もなく、今度は茶菓子に手をつけ食べ始める。
 一口でモナカを頬張る。指先のカスを懐紙で丁寧に拭き取り、ようやく岸波家の男は立ち上がった。 


「んじゃ改めて。俺は、岸波聡きしなみさとしつうんだ。 
いきなりだけどよ、あんた、知ってっか?岸上家は昔からウチと婚姻するのが慣わしなんだ。 
けどよ、岸上の女つうのは20歳になるまでにやたらと神隠しに遭うんだよな」 


 入口から動かないわたしのもとへ近づき、男は扉に手をついて距離を詰める。 
 ワックスで固められた短髪に、焦茶色の鋭い瞳。あちらの世界の男性ほどではないが、男らしい容貌で鼻につくような傲慢さが見え隠れしていた。格式張った場所だというのに、ネクタイを締めたシャツのボタンはふたつ外されているし、カフスも緩められていた。 


「俺の親父はあんたの母親が好きで好きで仕方なかったつうのに、神隠しに遭った。珍しく戻ってきたと思ったら、男連れだろ。あんたの親父つうか、今の岸上の当主は明らかに日本人離れした外見だよな。……で、だ。親父は帰ってきたんだからあんたんとこの母親と結婚させろと喚いたみたいだったが、先代の岸上と岸波の意向で見事に却下された」 


 岸波の男―――聡が、本家と分家、そして親世代の話を唐突にし始める。

 知らされていなかった事実に、聡の説明があまり頭に入らない。


 神隠し? 
 それは、母とわたしのことを考えると、リュイのいる世界に? 
 つまり、岸上の家の女がよく召喚されるということだろうか。 
 時間の流れが違うのはこちらに帰って来て実感した。であるならば、わたしのご先祖様に会ってもおかしくなさそうだが。そうだ、わたしは、リュイと基本的に過ごしてきたから、他の女性についてはわからないんだったと思い当たり、苦笑してしまう。


「――――無視すんな。 
あんた、状況わかってるか?どうして俺がこんな話をあんたにしてるかって意味を」 


 わたしの見当違いな笑みを見咎めて、聡が声を荒げる。


「……あっ」


 後ろ手に扉を触れば、聡の力強い手のひらでドアノブごと押さえつけられる。 
 それでもがたがたと動かすも、扉は動かない。鍵をかけられたのだと悟る。 


「つかさ、笑えるわ。岸上京子に続いて娘のあんたまで他の男に手を出されてるとか。
俺はよ、その親父に言われてここに来てんだよな。
―――どんな手段を使っても今度こそ、岸上の女をモノにしろって。
だからよ、他の男のガキだろうがなんだろうが安心しろ?男が生まれたなら本家に返してやるし、女ならあんたと一緒に可愛がってやるぜ?だって、俺とは血が繋がってないガキだろ?」 


 ―――――吐き気を覚えるほどの、嫌悪感を、目の前の男に抱く。 


 最後は最早、同じ人間とは思えない、獣以下の思考だ。 


 思わず庇うように腹を抱えれば、鼻で笑われる。 
 そのまま重ねられた手ごと聡の腕の中に抱き寄せられる。 


「この部屋、二間続きなんだわ。こっちは見ての通り茶飲む部屋。んで、この襖の向こうはおあつらえ向きに布団が敷かれてるってわけ」 


「離して……!」 


「ははっ、よーやく喋った。口がきけねえのかと思ったぜ。 
いやよいやよも好きのうちつうだろ。男に股開いたことあんなら、俺がもっとよがらせてやるよ」 


 下品な口の利き方をされて、耐えられない。 


「この………っ!」 


 じたばたもがくも、キツく締められた振り袖のせいで自由が利かない。 
 ガタイの良い成人男性に拘束され、抵抗らしい抵抗もまともに出来ず、振り袖の襟元が大きく乱れる。 


「よっこらしょっと!」


 聡は行儀悪く足で襖を開け広げる。
 隣の部屋に敷いてある薄い布団の上にわたしの身体を放り投げ、素早く馬乗りになる。 


「これはあんたとこの親も了承してる話だからよ。なーに、事が終われば、あんただって俺のトリコだぜ?俺セフレも結構いるし上手いぜ?」 


 いやらしく聡は笑い、わたしの襟元に手を伸ばした。 


(もう、だめ) 


 万事休す。 
 タクトのフリをしていたリュイの時と違って。
 こちらの世界にいる影響か、お腹の子は何も反応しない。 


 迫り来る聡の手に、思わず目を閉じれば、



「――――誰が、だれの虜、かな? 
ぼくなら、触れなくとも、女どころか、男でさえ親密な関係になってみせるよ」 



 ぴちゃん、と水滴が跳ねる音がした。
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