【完】君を呼ぶ声

ナナメ

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連合軍が迫るステュクスは防衛体勢を整えていた。
闘うことは本意ではなく、平和的解決が出来ないものかと頭を悩ませるシアを追い詰めるように敵はヒトハを差し出せと言い続ける。

「…敵の言い分に納得がいきませんね」

作戦室と化したラーナ館一室でサカキは呟いた。

「うん、今更ヒトハが世界の侵略者だとか言われてもねぇ」

アティベンティスとセンティスを無理矢理繋ぎ世界を危機にさらしたヒトハは侵略者。
世界を救ったとみせかけて、再び世界を支配下におくつもりだなどと彼らを見てよくも言えるものだ。

ヒトハ達はただそこに在り、今を懸命に生きているだけだと言うのに。

「何かがズレている気がします」

「…ヘラクルスのラーナはこんなに頭が悪かったかなぁ…」

魔術を極めた魔導師の男。壮年を僅かに超えた、アティベンティス1の魔導師と言っても過言ではない彼は相当頭のキレる男であった筈。
ラーナ会合で顔を合わせることの多かった厳めしい顔つきの男を思い出しながら首を傾げる。
軽いノリのシアとは馬があわず、出会えばチクチク文句を言っていたラーナ・ロレス老にしては色々な事が粗末すぎる。

「さてはボケたか…?」

「後でロレス老に伝えておきます」

「やめてサカキ君!」

諜報活動を行っているカッツ達からはヘラクルスラーナに関しての情報は入ってきているものの、それが本当にロレス老かどうかという情報はない。
何故ならロレス老は体調を崩し屋敷で静養しながら政務をしている、との事で公の場に姿を現さないのだ。
そしてその姿を確認しろという指示を出してはあるが向こうも今のところ尻尾を見せようとはしない。
何かある、と公言しているようなものだ。

(…リッちゃんの子がそろそろ生まれるのに…)

予定日まであと一月程である。せめて彼だけでもどこかへ避難させられないものか。
しかし今の連盟都市の中、安全な場所など考え付かないのも事実である。

(とにかく…、話し合って解決できれば)

自分の首一つでヒトハを認めてやってもいい、と言われたらシアは喜んで首を差し出す事もいとわないつもりだ。






「…って事は、今のラーナはニセモンて事??」

油断すれば舌を噛みそうな馬上でソラが首を傾げる。
ヘラクルスラーナ館を脱出したのはほんの数十分前。
詳しい話を聞くだけの余裕もなくラトゥルに用意してもらっていた馬に乗り、逸る気持ちを押し込んでステュクスへと駆け戻る最中。カナトの後ろに乗ったラーナ・ロレス老は途切れ途切れに事情を語った。

ヘラクルスに謎の男達がやって来た事。
出来の悪い息子がロレスを失脚させようと目論んでいた事。
アヤヒト達の所為でその目論みが失敗した息子に彼ら共々閉じ込められた事。
そして体調が悪く屋敷から出られないという言い訳の元に、息子がロレスを名乗り政務を取り仕切っていた事。

「その謎の男達ってのは誰なんだ?」

「わかっとったら苦労はせぬわ」

「デスヨネー」

鼻を鳴らすロレス老にソラが同意する。

「とにかく今はステュクスに展開してる連合軍を止めるのが先決だ」

鉱山都市ノームスへはラトゥル達が向かっている。
カナトは焦りで暴走しそうな感情を持て余しながら馬を繰り続けた。







「兄上!兄上!!」

真っ先に狙われるであろうラーナ館は危険だと、カツキの守る教会の孤児院へ避難して半月。
ついに連合軍は進撃を開始した。その極度の緊張に晒されたリツが床に倒れ込んでしまったのは、外から攻防を繰り広げる騒動が聞こえ始めた直後である。

息も絶え絶えに弟を安心させようとして笑みを浮かべるリツを診ていたリョウが眉を寄せた。

「…医者を、呼ばないと」

痛みの波に飲まれそうなのか、アサギの伸ばした手を握りしめる力が尋常ではない。

「陣痛が始まってます」

「そんな…っ」

外は戦場である。主治医は確か作戦本部に詰めると言っていた。戦いの真っ只中を抜けなければ辿り着けない事実にアサギは青ざめた。

しかし。

「僕…っ、呼んできます!」

「ダメ、…っアサギ…!」

額に珠のような汗を浮かべ、苦しそうな息の下からリツが言うけれどアサギはその手をやんわり離す。

「兄上。兄上はずっと僕を助けてくれた。まだそのお礼をしていません」

自分とて壊れそうな心に怯えながらも弟を守り続けたリツは、それでも首を振る。

「私も、ずっと…、アサギに救われていたんだよ」

僕は大丈夫だから、とリツに微笑むアサギを守る。その思いがリツの心を守り命を守り続けた。
だから礼などいらないのだと、そう言いたいのに襲ってきた痛みが口を噤ませる。

「…アサギ…ッ、行っては、ダメ…っ」

「イヤです、兄上は僕が守ります!アオ、ユウ、兄上をお願いね」

「ママ…」

「ママー…」

置いて行かれると察した子供達が悲しげに顔を歪めて、しかしそれがアサギの言いつけならばと頷いて。

「リョウ、…兄上をお願いします」

リョウにも多少医療の心得はある。
だが出産に立ち会ったことなど一度もなく、不安は付きまとうけれど強く輝く琥珀に後押しされて少し年上の彼は神妙に頷いた。

「アサギ…!行かないで…!」

「ごめんなさい、兄上。必ず戻ります!」

アサギは戦禍の中、外へと飛び出した。







「…っ」

カツキの制止の声も振り切り駆け抜けた町中は酷い有り様である。
そこかしこに切り捨てられた死者が転がりそれでもまだどこからか悲鳴が聞こえる。

(…ひどい…っ)

血を流し息絶えた子供の亡骸を横目に駆け抜けて、曲がりかけた角に兵士を見つけ足を止めた。
このまま進んでは見つかってしまう。

(…どうしよう…。早くしないと兄上が…っ!)

視線を巡らせた先に僅かな隙間を見つけ、アサギはギュッと胸元を握った。
そこにあるのは、アサギが報酬として渡した琥珀の一部を使ったペンダント。

ソラがくれたものだ。

(ソラ、力を貸してください!)






「息を詰めないで、吸って。先生、お湯は用意できましたか?」

前半は痛みに息を詰めるリツへと、後半はリョウの手伝いをかって出た孤児院の院長へと向けて言うリョウの手は震えている。

「大丈夫なのかい?」

扉の前で外を警戒しながら確認するカツキに、ブツブツとかつて読んだ医学書を反復しながら何とか頷いて。
しかし早く本職が来てくれないかと弱音を吐きそうになるのを耐える。
最近漸く友と呼べるまでになった年下の彼は命を睹して戦場を駆けているのだ。ここで弱気になるわけにはいかない。

「絶対助けます。だからあなたも気をしっかり持ってください」

苦しげな息を吐くリツの瞳が不安に揺れるのを見た子供達が、両側からリツの握り締める手の平を握る。

「あにうえ、赤ちゃん頑張ってるよ」

「赤ちゃんがママって呼んでます、あにうえ」

「…、うん…っ」

表から怒声が聞こえてきたのはその瞬間。







(あと、少し…)

荒い息を吐き、泥と煤にまみれた顔を拭い建物の角から覗く。
ラーナ館近くでは警備兵、正規兵が連合軍と戦闘を繰り広げている。このまま突き進むのは危険だ。だがこの先は一本道。

(大丈夫、僕にはソラがいます…)

まだ上手くはできないけれど、身を守る術くらい持てとカツキに教わった障壁もある。
常に発動させられる訳ではないそれを、上がった息の所為で乱れる集中力をかき集め発動させた。

(兄上…、あと少し頑張ってください…ッ)







「目障りだ」

パンッ、と空気を破裂させるような音に続いて飛び散った赤い液体を浴びながらカツキは次の獲物に視線を向けた。
怯えを混ぜた視線を受け止め緩く笑う。

「そんな逃げ腰で戦えるのかい?」

「く…っ」

「そもそも子供達ばかりの教会など狙って何になるというのかな?金目の物だってここにはないというのに」

心底不思議でかなわない、そんな表情のカツキに逃げ腰の敵は互いに目配せしあう。

逃げるか、このまま玉砕するか。

その瞬間的な視線のやり取りを遮ったのは、

「殿下!?」

という驚愕の声。







「アッちゃん!?」

戦闘が始まってから場所を移した作戦本部のテントの中、指示を出していたシアは驚いて立ち上がった。
息を切らせた彼は所々薄汚れ、よく見れば擦り傷だらけ。敵に見つからないようありとあらゆる隙間を駆け抜けて来たのが窺える。

アサギは息を整えながらもシアの顔を見て安堵の表情を浮かべ、それからその腕に縋りつく。

「お義父、さん…っ、お医者様は…!?」

切羽詰まった様子に、原因は一つしかないと思い当たったのはリツの容態。

「!まさか、リッちゃん!?」

「はい、産まれそうなんです!早くお医者様を呼ばないと…っ!」

外は戦乱の真っ只中。この中を駆け抜けて来たアサギの思いに答えたいのは山々だ。
しかし、医療班は他の怪我人達で手一杯。今は一人でも二人でも医療の心得を持つ者にいてもらわなければ困る。

「…、アッちゃん、…ごめんね。お医者様は貸してあげられない」

「…っ!どうしてですか!?」

次々運び込まれる負傷者は、兄の危機に必死な彼には見えていなかったのだろう。シアの視線を追って気付いて息を飲む。

「…、でも、兄上…が…」

心優しい彼がこの負傷者を放っておける筈もなく、しかし兄を助けたい気持ちを捨てられるわけもなく。
縋っていた手は離れたけれど、泣きそうな顔をしたまま佇むアサギに俯きながら残酷な言葉を吐いた。

「この戦乱が収まるまで――、待ってて」

ハッキリと傷付いた顔をしたアサギは、少しの間の後キュッ、と唇を噛み締めて頭を下げる。

「ごめんなさい…。お邪魔しました…」

「…ううん、………ごめん、ね」

アサギとてシアが本心から見捨てる選択をしたとは思っていない。この状況で大事なのは秤にかけるまでもなく、運び込まれてくる重傷人達だ。

それでも泣きそうになってギュッと胸元を握る。
それから一つだけこの状況を打破できる可能性を思い付いた。
それは、『純血のヒトハの血は万能薬』というカツキの言葉。

ハッ、と気付いて言いかけた口を柔らかく押さえたのはシアだ。

「それは、言っちゃダメ」

ソラに良く似たその瞳はいつになく厳しい。
でも、と手の平の下でモゴモゴ動いた唇をムニッと摘まむ。

「ダメだよ。新たな戦禍の種になる。誰にも教えないで」

万能薬があると知れば今はヒトハの味方である都市が寝返る可能性もあるのだから。
ソッと摘まむ手を避けたアサギは必死だ。

「お義父さん…。でも僕は、」

兄上を助けたい。
ヒトハを受け入れてくれて、ヒトハの為に戦ってくれているこの都市の人々の力になりたい。
自分が残り、運ばれてくる怪我人に血を与えれば医者が一人抜ける余裕は出来る筈。

しかしシアは決してそれを良しとはしない。

「ダメ。人間は楽を覚えると元には戻らない。それに…」

この子は重傷人がどれだけいると思っているのか。全てに血を与えれば自分がどうなるのか考えないのか。

「アッちゃんは、ソラ君を待たなきゃいけないでしょう?ソラ君が戻ってきて、アッちゃんが動けなくなってたらきっと悲しむ」

行くんじゃなかった、側にいれば良かった、そう自分を責めて苦しむ。

「とにかく、急いで押し戻すからアッちゃんはここにいなさい」

本当に後回しにされるのだと、それもまた致し方ないことであると悟ったアサギはギュゥ、と眉間に皺を寄せ涙を堪える表情である。
だが彼は数回ハクハクと口を動かし、震える声で告げた。

「兄上の、所に…戻ります」

珍しく縋るかのようなリツの声はまだ脳裏に響いている。みんながいるとは言え、少しでもリツを安心させたいアサギは小さく頭を下げて踵を返そうとした。
その腕を寸での所で掴む。カタカタと震えている、細い腕を。

「アッちゃん!」

「兄上の所へ戻ると約束したんです」

「もう出ちゃダメ!ここに着いたのだって…」

偶然か奇跡か運のどれかだ。帰りも無事であるとは限らない。
アサギはその腕を解こうと懸命にもがく。

「僕は平気です。お願いします、離して下さい!兄上の側にいたいんです!」

何とか堪えていた涙が一つ、ホロリと落ちたら後はもう止まらない。ポロポロと大粒の涙が落ちて弾ける。

「ごめんね。…ごめんね。アッちゃん…ごめん」

リッちゃんを優先してあげられなくて、ごめん。

口にしないそれを読み取ったアサギがシアに抱き着いてフルフルと首を振った。

「お義父さんの所為じゃないです。…困らせてごめんなさい」

だから離して下さい、と言うアサギの額に親愛の意味を込めて唇を落とした彼はもう一人の息子を呼んだ。

「サカキ君、アッちゃんを送ってあげて」

そして出来れば恐らく一人頑張っているであろうカツキの手助けを、と言外に告げる。
孤児院にはリョウがいる。多少医療の心得がある彼ならば、全くの素人が取り上げるよりマシな筈。
そしてその間敵を近付けさせるわけにはいかない。
今のシアに出来る精一杯である。

サカキはその気持ちを汲み、 何も言わずに頷いた。



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