死霊使いの花嫁

羽鳥紘

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第三十五話 指輪

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 食堂を出た足で、私は中庭に向かっていた。今日も寝坊したので水やりが遅くなってしまった。そうそう毎日水をやる必要のないものがほとんどだけど、三日ほど屋敷を空けた後だ。
 一つ一つ丁寧に状態を見ながら、せっせと水をやる。何かしていれば気が紛れると思ったけど、なかなかモヤモヤした気持ちは晴れていかない。

「ミオ……怒ってるの?」
「怒ってない!」

 エドアルトに声をかけられ、思ったより刺々しい声が出た。我ながら説得力がないな、これは。それに、多分そんなことを聞かれるってことは、顔も険しかったんだろう。

「ごめん。少なくともエドアルトには怒ってないよ」
「別に、僕は気にしないけど。怒りながら世話をしたら、花が気にする」
「あ……、そうか。そうだよね。はぁー……」

 水さしを置いて、その場に座り込んで頭を抱える。勝手に溜息が零れ落ちてくる。表情すら取り繕えなくなるなんて。今までこんなことなかったのに。

「恋の病だねえ」

 アラムさんの声がして、がばりと私は顔を上げた。声の方を見ると、アラムさんとレイラの二人が、なんだかニヤニヤしながら私を見ていた。

「どうやったら治りますか!?」
「あっはっは。ぼくが生きてる頃からある病だけど、今までもこれからも不治の病さ」

 かなり切実だったんだけど、アラムさんは肩を竦めて気楽に笑う。よくよく考えれば、そんなことを真面目に聞いてしまう自分も大概だ。今時高校生でもこんなこと言わないだろう。中学生も言わないかもしれない。
 それくらいのときに、もっとまじめに恋愛しておくんだった。考えたところで今更だけどさ。
 気を取り直して、水差しを持ち直したところで。

「えっ……、ミオ、恋をしてるの? 誰に??」

 エドアルトの驚いたような声に、水差しを取り落としかける。チラ、とそちらを向くと、レイラとアラムさんが「は?」という顔でエドアルトを見下ろしていた。

「何言ってるんですのお兄様」
「他に心当たりがあるのかい?」

 二人に詰め寄られて、エドアルトさんがたじたじと後ずさる。

「あ、もしかして伯爵……ご当主にってこと?」
「だから、他に誰が」
「と思って、誰にって聞いたんだよ。だって……今さら??」

 三人が顔を見合わせる。

「確かに」
「今さらよね……」
「でしょ?」
「ちょっと」

 見ていられず、私は唸り合う三人の間に割って入った。

「当人を置いて納得しあわないで」
「だって、妻だと認めろって迫ったのはミオの方だったじゃない」
「お兄様!」

 咎めるようなレイラの声に、今度こそ水差しが手から滑り落ちた。パシャンと足元が濡れる。でもそんなことに構っている余裕は微塵もない。

「私、そんなこと言ってない……!」
「あ……ごめん。前のミオだったかもしれない」
「前の……」

 また出てきた、前の私。ことあるごとにチラつく癖に、何を考えていたのか全然わからない。同じ私自身のはずなのに。
 どうしてミハイルさんは、私の失くした記憶について何も教えてくれないんだろう。思い出したら何か不都合なことがあるから黙っているんだろうとは想像できる。でも、その不都合がなんなのかが全く想像できない。
 前の私が、そんなことを言って迫るくらいにあの人のことを好きだったなら、あの人はどうしてそれを思い出して欲しくないの?
 私に気がないからだと言うならわかる。
 けどそれじゃ、あんなことする説明がつかない。

 だめだ、頭の中がぐちゃぐちゃだ。全く片付かなくて苛々する。部屋を片付けるのならすぐなのに。

「ミオ」

 ――なんでこんなタイミングで。
 呼ぶ声は、ライサでもエドアルトでもアラムさんでもなく。助けを求めるように振り向くと、みんな示し合わせたかのように、一斉にどこかへ消えてしまう。

 なんなのよ、もう。

「何ですか……」

 諦めて、こちらに歩いてくるミハイルさんの方を見る。やっぱり顔は直視できないけれど。いつも話すときより少し離れたところで、彼は足を止めた。

「……何を怒っているのか教えてくれないか」
「怒っていません。自分だっていつも怒ってるような顔してるじゃないですか」
「俺はそれが地顔だ」
「じゃあ私もです」

 溜息が降って来る。屁理屈を言っている自覚はあるけど、もう放っておいて欲しい。
 本当に怒っているわけじゃない。だからといって、この片付かない心のうちをどう説明すればいいのかわからない。
 どちらも饒舌じゃないから、すぐ静寂が訪れてしまう。その沈黙の時間も別に嫌いじゃなかったのに。何か喋らなければいけないような空気が重い。
 空は青いのに。風は気持ちいいのに。
 不意にミハイルさんが一歩踏み出して、ドキリと一瞬鼓動が跳ねる。けど、彼はただ私の足元に転がった水差しを拾っただけだった。

「……俺は今まで人と関わって来なかったから、口も下手だし察しも悪い。不快にさせたなら済まん」
「そんな今更なことは気にしてません」
「お前なぁ……」
 
 何か言いたげな声に、口元を押さえる。また可愛げがないとか言われるな……と待ち構えていたけど、聞こえてきたのは笑い声だった。

「まぁ確かに。お前も、言いたいことを胸に留めておくような奴ではなかったな」

 それはそれで、結構失礼だと思うけど。お互い様か。
 なんだか、いつもの感じに戻れたような気がして少しほっとする。そんなタイミングで、ほんとは聞きたくなかったけど。彼の言う通り、言いたいことを留めておけるような性格ではないので、聞いてみる。

「あの。以前私が、妻だと認めろって迫った話って本当なんですか?」
「……誰から聞いた」

 笑みを消し、ミハイルさんが腕組みをして、複雑な顔をする。あんまり見ない類の表情だけど……そんな言い方をするってことは本当なのか……。

「それって本当に私なんですか??」
「それはアラムが悪霊に堕ちそうになったから、指輪の力を使おうとして言ったんだ。紛れもなくお前だろ」
「え……待って下さい。じゃ、私が貴方の花嫁になったのって、指輪の力を使うため?」
「それは違……、いや、俺に言い切れることじゃないな」

 言いかけてやめ、ミハイルさんが地面に目を落とす。
 
 そのとき、傍の茂みがガサリと揺れた。

「それは違います!」

 何かと注視する私たちの前で。両手に木の枝を持ったリエーフさんが勢いよく立ち上がる。ハラハラと、持ってる枝と茂みから葉っぱが舞う。

「……そこ、さっき水を撒いた気がするんですが」
「ええ、ですからちょっと濡れてます!」

 木の枝を放り投げ、リエーフさんが湿った銀髪の尻尾をつまむ。だがそれもすぐに放して、「ミオ様!」と私の両肩をわっしと掴む。

「その指輪は当家花嫁に代々受け継がれるもので、魔法ともその他のいずれとも異なる力を秘めたもの。嵌めてさえいれば霊を見るくらいの力は誰にでも引き出せますが、真の力を使うには、真に当主を想う心が必要なのです。つまり指輪を使うのに必要なのは単純な婚姻契約などではなく! 純然たる愛! 愛なのです! 即ちラブ――」
「やかましい」

 手を握りしめて熱弁するリエーフさんの頭に、ミハイルさんが無表情で手刀を落とす。声もなく昏倒するリエーフさんを見下ろしてから、私は溜め息をついてその横を通りすぎた。

「ちょっと待て、ミオ」

 ――呼び止めるミハイルさんの声を、聞こえない振りをして。
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