死霊使いの花嫁

羽鳥紘

文字の大きさ
62 / 97

第六十一話 家族への憧憬

しおりを挟む
 空になった私のカップに、リエーフさんがポットから二杯目を注ぎながら口を開く。

「エフィルは、何を教えてもあっという間に吸収してしまいます。わたくし今まで何人も子供を見てきましたが、あのように優秀な子は、百年に一人くらいの逸材でしょう」

 私の前にカップを置きながら、遠くを見るような目をしてリエーフさんが呟く。……いやもう、本当に、何歳なんだこの人は。

「いずれここを出たときに一人でも生きていけるよう、できるだけのことはしてやれ」
「お任せを。このリエーフ子供の世話、教育には慣れております。ですからいつ後継ぎがお生まれになりましてもバックアップは万全でございますよ。ねぇミオさま――」

 らんらんと輝く目を向けられて、お茶を吹きかけた私の前を、ヒュッと何かが通りすぎていく。

「妙な脅迫をするんじゃない。ミオは対外的に当家の花嫁でいるだけの契約だろう。屋敷の事情や俺とは関係ない」

 ――そんな言い方って。
 カップを置いた私を見てリエーフさんは笑顔を消すと、いつの間にか手にしていたペーパーナイフを執務机の上に戻した。

「そもそも俺は子孫を残す気などない。屋敷の幽霊はもうあいつらだけだ。その他の死霊について当家が負う責任などないだろう」
「では、このプリヴィデーニ家はご主人様の代で終わりということでございますね」

 抑揚のないリエーフさんの声。彼はミハイルさんの方を向いていて、私からはその背しか見えない。そして、ミハイルさんは俯いたまま目を伏せていた。
 しばらく、静寂が流れる。

「……、個人的にこのようなことを申し上げるのは非常に不本意ではあるのですが。ご主人様にその気がないのであれば、エフィルを養子とするのも手段の一つかと思います」

 ミハイルさんが目を開けて、顔を上げる。そして、渋面になった。

「フン。この期に及んで屋敷を潰されては困るのか」
「ええ、それは……このお屋敷を守ることがわたくしの全てでございますから。ですが今はお屋敷よりも、坊ちゃんの身の方を案じております」
「白々しい」

 一言で突っぱねられて、リエーフさんは執務机を離れると、扉近くのワゴンに手を掛けた。その顔はいつもどおり穏やかな笑顔を湛えていたが、少し寂しそうなのはきっと気のせいではないと思う。
 逡巡を挟んで、再びリエーフさんは唇を震わせた。

「わたくしの主人はずっと一人だけでした。でも、今は二人おります。最初にお仕えした旦那様と、最後にお仕えする……あなたです。ミハイル様」

 そう言って、リエーフさんは微笑んだ。いつも優しいリエーフさんの笑顔の中で、一番優しい笑顔だった。
 ミハイルさんが、少し怯んだように目を瞬かせる。

「貴方は本当は孤独より、人と触れ合いたいと――、家族が欲しいと思っておられるはずです」
「知ったような口を」
「聞きますよ。誰よりも長く側でお仕えして参りましたから。そして誰よりも貴方の幸せを願っております」

 突き放すようなミハイルさんの声を気にする素振りもなく、ワゴンを押して退室しかけてから、思い直したように私の傍に来て耳打ちする。

「さっきの坊ちゃんのお言葉、どうか間に受けませんよう……素直でないだけなのです」
「確かに言い方はどうかと思いましたが。素直でないというより、私が気負わないよう、気を遣ってくれたんだと思いますけど」

 遠慮なくグイグイ来る誰かと違って――という皮肉を込めて囁き返すと、リエーフさんは数回瞬きをしてから、何故かまた少し寂し気な顔をした。

「誰よりも坊ちゃんを理解してきたつもりでおりましたが……誰よりも、というのはそろそろ撤回すべきかもしれませんね」

 そう言うとリエーフさんは一礼し、ワゴンを押して退室した。同時にミハイルさんが長い溜息を吐く。

「帝国やイスカに睨まれてるこの状況で、屋敷のことまで考えられるか」

 渋面で吐き捨てるその様子は、いかにもリエーフさんへの嫌悪を表しているようだけど。でも、私にはそうは見えなかった。

「ミハイルさん、嬉しそうです」
「――は? 嬉しそうだと? 俺が?」

 心底わけがわからないという風に見返すからには、自分でも気づいてないのかな。

「ええ。リエーフさんが、主人は二人だと言ったときから嬉しそうでしたよ。ミハイルさんとリエーフさんって、なんだか親子みたいですよね」
「勘弁してくれ……」
「それから。エフィルとミハイルさんも、親子みたいだと思いました」

 うんざりした様子だったミハイルさんが、ふとその表情を変える。

「エフィルを見るときのミハイルさんの目はとても優しいです。私も……、貴方にはもっと人との触れ合いが必要だと思う」
「……俺は、お前がいればいい」
「関係ないんじゃなかったんですか」

 ここぞとばかりに切り込むと、罰が悪そうにミハイルさんが顔を背ける。

「すまん。お前にこれ以上負担を強いたくなかっただけだ」
「それは、わかってますけど。それから……、私を必要としてくれるのは嬉しいですが、もう少し視野を広げてもいいと思いますよ。そういうのが依存と固執というのでは」
「ぐ……、しかしだな。敵が多い今、あまり弱味は作りたくないんだ。エフィのことが知られれば、あいつまで狙われかねんだろうが」

 ミハイルさんはまだ罰が悪そうだったけれど。視野が狭かったのはどうやら私の方だったみたいだ。

「……すみません。いつも守られてばかりなのに、偉そうなことを言って……。私こそ、もっとミハイルさんに負担を掛けないように配慮すべきでした」

 しゅんとしていると、ふとソファが軋んだ音を立てた。隣に座ったミハイルさんが私を見下ろして、少し笑う。

「俺は最初エフィを呼ぶことには反対だった。弱味が増えればそれだけ立ち回りに苦労する。そう思っていたんだが……、不思議なことに、守るのものや考えることが増えるほど、体も頭もよく動くようになる。何も持たなかった頃、何もする気になれなかったのとはまるで逆だ」
「ミハイルさん……、そうですよ。だから、ミハイルさんは孤独になろうとしない方が――」

 良いと。言おうとした声が、チクリとした胸の痛みと共に止まった。少し怪訝そうに私を見下ろした後で、ミハイルさんもやや複雑そうに私から目を逸らす。

「お前やエフィが少しでも幸せに暮らせるのならと……だがそう思う一方で、幸せを望むならやはり、俺の傍にはいない方が良いとも思うんだ。俺に関われば不幸になる」

 それを聞いた途端、喉につかえたようになっていた声が滑り出た。

「勝手に決めないで下さい。私は不幸だなんて思っていません」
「だが、お前が思い描いていた幸せと今は違うんじゃないか?」
「どうして、今更そんなこと言うんですか」
「そうだな。済まない」

 娘がいたら、なんて口にしたせいだろうか。それともリエーフさんの圧力のせいか。だけどミハイルさんがそれ以上は引きずらなかったから、私もそれを追及するのはやめておく。

 私が思い描いていた幸せ……か。今はただ、どこかと争うことなく、静かに暮らせたらそれで幸せだと思うけど。
こうなる前は……、ここに来る前の私は。
 ……ここに来る前……、もう、あまり思い出せない。

「……ミオ?」

 名を呼ばれて我に返る。
 ぼうっとしてしまっていた。

「いえ……、なんでもありません。とにかく私はここを離れる気はないですし、もう契約だけでここにいるわけでもありませんから」
「すまなかった。あんな言い方をして」
「わかってくれればいいんです」

 私の不満を理解してくれたようで、ミハイルさんはそう詫びると少し苦笑した。そしてじっと私を見下ろす。

「俺はこんなだから、幸せにするとは言えないが――」
「誰かに幸せにしてもらいたいなんて思いませんから、気にしないで下さい」
「ふっ……、本当にお前は可愛げがない」
「それはすみません」
「貶してるわけじゃないぞ」

 そう言って、ミハイルさんが私を抱き寄せる。

「可愛げがないが、可愛くないとは言っていない」
「……ッ」

 か、顔が。爆発する。

「ミオ、俺は――」

 自分の心音がうるさすぎて――気が付くのに一瞬遅れた。その、けたたましい足音に。

「ご主人様!!」
「わあああああ!!」

 突然耳に飛び込んできたリエーフさんの声と、扉が勢いよく開く音に。
 一拍置いて、つい――思い切りミハイルさんを突き飛ばしてしまった。

「ああああ!!? またやってしまいました!! かくなる上はこのリエーフ、喉笛を切り裂いてお詫びを!!」
「やめろ、二度と見たくない」

 苦虫を噛み潰したような声で、ミハイルさんが吐き捨てる。
 ……二度と??

「それより、どうした。何かあったのか」
「あ……そうでした。お客様です」

 少し、空気がぴりっとする。無理もない。このところ、来客の度に散々な目にあっている。

「誰だ。またマスロフか?」
「いえ……」

 リエーフさんは否定すると、珍しく緊迫した表情で答えた。


「ネメス領主、フェオドラ・レノヴァ様です」
しおりを挟む
感想 33

あなたにおすすめの小説

【完結】転生7年!ぼっち脱出して王宮ライフ満喫してたら王国の動乱に巻き込まれた少女戦記 〜愛でたいアイカは救国の姫になる

三矢さくら
ファンタジー
【完結しました】異世界からの召喚に応じて6歳児に転生したアイカは、護ってくれる結界に逆に閉じ込められた結果、山奥でサバイバル生活を始める。 こんなはずじゃなかった! 異世界の山奥で過ごすこと7年。ようやく結界が解けて、山を下りたアイカは王都ヴィアナで【天衣無縫の無頼姫】の異名をとる第3王女リティアと出会う。 珍しい物好きの王女に気に入られたアイカは、なんと侍女に取り立てられて王宮に! やっと始まった異世界生活は、美男美女ぞろいの王宮生活! 右を見ても左を見ても「愛でたい」美人に美少女! 美男子に美少年ばかり! アイカとリティア、まだまだ幼い侍女と王女が数奇な運命をたどる異世界王宮ファンタジー戦記。

私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました

放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。 だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。 「彼女は可哀想なんだ」 「この子を跡取りにする」 そして人前で、平然と言い放つ。 ――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」 その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。 「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」

積みかけアラフォーOL、公爵令嬢に転生したのでやりたいことをやって好きに生きる!

ぽらいと
ファンタジー
アラフォー、バツ2派遣OLが公爵令嬢に転生したので、やりたいことを好きなようにやって過ごす、というほのぼの系の話。 悪役等は一切出てこない、優しい世界のお話です。

王女の中身は元自衛官だったので、継母に追放されたけど思い通りになりません

きぬがやあきら
恋愛
「妻はお妃様一人とお約束されたそうですが、今でもまだ同じことが言えますか?」 「正直なところ、不安を感じている」 久方ぶりに招かれた故郷、セレンティア城の月光満ちる庭園で、アシュレイは信じ難い光景を目撃するーー 激闘の末、王座に就いたアルダシールと結ばれた、元セレンティア王国の王女アシュレイ。 アラウァリア国では、新政権を勝ち取ったアシュレイを国母と崇めてくれる国民も多い。だが、結婚から2年、未だ後継ぎに恵まれないアルダシールに側室を推す声も上がり始める。そんな頃、弟シュナイゼルから結婚式の招待が舞い込んだ。 第2幕、連載開始しました! お気に入り登録してくださった皆様、ありがとうございます! 心より御礼申し上げます。 以下、1章のあらすじです。 アシュレイは前世の記憶を持つ、セレンティア王国の皇女だった。後ろ盾もなく、継母である王妃に体よく追い出されてしまう。 表向きは外交の駒として、アラウァリア王国へ嫁ぐ形だが、国王は御年50歳で既に18人もの妃を持っている。 常に不遇の扱いを受けて、我慢の限界だったアシュレイは、大胆な計画を企てた。 それは輿入れの道中を、自ら雇った盗賊に襲撃させるもの。 サバイバルの知識もあるし、宝飾品を処分して生き抜けば、残りの人生を自由に謳歌できると踏んでいた。 しかし、輿入れ当日アシュレイを攫い出したのは、アラウァリアの第一王子・アルダシール。 盗賊団と共謀し、晴れて自由の身を望んでいたのに、アルダシールはアシュレイを手放してはくれず……。 アシュレイは自由と幸福を手に入れられるのか?

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

記憶を失くして転生しました…転生先は悪役令嬢?

ねこママ
恋愛
「いいかげんにしないかっ!」 バシッ!! わたくしは咄嗟に、フリード様の腕に抱き付くメリンダ様を引き離さなければと手を伸ばしてしまい…頬を叩かれてバランスを崩し倒れこみ、壁に頭を強く打ち付け意識を失いました。 目が覚めると知らない部屋、豪華な寝台に…近付いてくるのはメイド? 何故髪が緑なの? 最後の記憶は私に向かって来る車のライト…交通事故? ここは何処? 家族? 友人? 誰も思い出せない…… 前世を思い出したセレンディアだが、事故の衝撃で記憶を失くしていた…… 前世の自分を含む人物の記憶だけが消えているようです。 転生した先の記憶すら全く無く、頭に浮かぶものと違い過ぎる世界観に戸惑っていると……?

【完結】憧れのスローライフを異世界で?

さくらもち
ファンタジー
アラフォー独身女子 雪菜は最近ではネット小説しか楽しみが無い寂しく会社と自宅を往復するだけの生活をしていたが、仕事中に突然目眩がして気がつくと転生したようで幼女だった。 日々成長しつつネット小説テンプレキターと転生先でのんびりスローライフをするための地盤堅めに邁進する。

「わざわざ始まるまでまたないで、今のうちに手を打ったってよくない?」

イチイ アキラ
恋愛
アスター公爵令嬢エステルは、夢をみる。それは先を映す夢。 ある日、夢をみた。 この国の未来を。 それをアルフレッド王太子に相談する。彼女を愛して止まない婚約者に。 彼は言う。 愛する君とぼくの国のためなら、未来を変えるのも仕方なくない?

処理中です...