幽霊屋敷の掃除婦

羽鳥紘

文字の大きさ
5 / 52

第四話 謎の声

しおりを挟む
 そしてこの日も散々だった。
 さっき拭いたはずの棚は、また埃だらけになってるし。
 磨いた筈の床には靴跡や泥。片付けたはずのテーブルにゴミの山。
 プルプルと肩を震わせながら、私は箒をへし折りたい衝動を堪えていた。もちろんへし折らない。何の解決にもならないし、貴重な掃除道具だし。

「辞めたくなったか?」
「はい!?」

 そんなときに声をかけられたものだから、つい気が回らず荒々しい返事をしてしまう。しかし振り向いてみて驚いた。――ミハイルさん。
 いけない、雇用主に失礼な態度を取ってしまった。

「すみません、失礼しました。何かご用でしょうか」
「いや、通りかかっただけだが。もう嫌だと言わんばかりの顔をしていたから声をかけただけだ」

 誰もいないと思って気が緩んでいたとはいえ、顔に出ていたなんてプロ失格。慌てて顔に営業スマイルを貼り付ける。

「これくらいなんでもありません」
「無理だ。どんなに片付けたってこのざまだ。今までもずっとそうだった」

 ……もしかして、ミハイルさんは私を馬鹿にしたいわけじゃなく。私に諦めさせようとして、こんなことを言っているのかな。すごく前向きに考えると心配してくれているのかも。
 でもそんなの、どっちでも同じこと。「無理だ、できないだろう」、そう言われると余計に手を引けない。

「無理かどうか、今の段階ではまだわかりません。少なくとも私はまだ諦める気になりません」

 笑顔を貼り付けたまま、そう答える。

「確かに難しいとは思います。でも苦難が大きいほど、達成したときの喜びも大きくなるじゃないですか。綺麗なお部屋を掃除するより、『あ、これは普通の人には無理だ』っていう部屋を掃除する方が私は断然燃えます。掃除、好きですから」
「おかしな奴だ。ここに来るのは大体金や住処に困っている者で、掃除がしたくて来ている奴はいなかったぞ」

 確かにお金と住処にも困っているし、さっき言ったことは半分くらいは強がりだけど。でも嘘は言っていない。いや、好きっていうのはちょっと嘘かな。そりゃ、今の会社で掃除をしてるのも生きて行く為だし、やらなくていいならしないかもしれない。
 それでも、少なくとも嫌いじゃない。

「だって、こんなに広くて大きいお屋敷ですし、綺麗になったら絶対に素敵ですよ。お掃除が終わったら壁を塗りなおして、棚を作って、お花飾って……とか、考えるだけで楽しくなります」
「楽しく? この状況で?」
「ほら、桶やほうきは静かになりましたし、根競べだってわかりましたから。根気は掃除に必須ですし、自信があります」

 腕まくりしなおして、私は散らかった部屋に向き直った。大丈夫、同じ手順を繰り返すだけだから、さっきよりもっと早くできる。そうして掃除を再開する私を、しばらくミハイルさんは眺めていたが。やがてその気配は消えていた。

 結局、今日片付けられたのは一部屋だけだった。
 でも、ミハイルさんとリエーフさんしかいないお屋敷だし、そうそう散らかることはない。いやまぁ……勝手に散らかってるけど。
 それで困る人がいるわけじゃない。私が困ってるけど。私だけだ。

「明日は……、もう少し片付くといいな……」

 まだまだ全然見通しは立たないけど、無事このお屋敷を綺麗に生まれ変わらせることができたら、きっとすごい達成感だろうな。先が遠ければ遠いほど、困難が多ければ多いほど、そのときを考えるだけでやる気が出る。我ながら変だと思うけど。
 今日も疲れていた私は、すぐに眠りに落ちていった……

 ※

 ――ザワ ザワ ザワ――

 ああ、今日もだ――、今日も誰かが騒いでる。
 でも、今日はいつもより声が少し遠い。
 ふと、私は目を覚ました。この屋敷に来て三日目。慣れもあるのか、少し落ち着いたのか。昨日も一昨日も疲れ果てて熟睡していたのに、今日は目が醒めてしまった。

 ――ザワ ザワ ザワ――

 やっぱり聞こえる。
 私はリエーフさんに用意してもらった寝間着にガウンを羽織ると、ベッドを降りて靴を履いた。
 最初からわかっていたことだけど――この屋敷には何かある。
 それを突き止めることができたら、もしかしたら掃除を妨害してくる『何か』に対抗できるかもしれない。
 私は手探りでロウソクを探すと、月明りを頼りに火をつけた。
 恐怖よりも、掃除を進めたい気持ちが勝っていた。部屋の扉を開けて、声の方に向かって進んで行く。

「……あれ?」

 聞こえてくる声は複数のもので、何を言ってるかまでは、ハッキリとはわからない。だけどその声の中に聞き覚えのあるものが混じっているのに気が付いた。

「ミハイルさんの声だ……」

 あっちは大広間……だったと思う。足音を殺して廊下を歩き、壁にぴったりとくっついて、そっと広間の様子を窺う。ここまできても、声はとりとめなく、まるでさざ波のようで喋っている内容が聞き取れない。それに、ミハイルさん以外、大広間には誰の姿も見えない。

「いいか。この屋敷での勝手は当主の俺が許さない――」

 ミハイルさんの声は静かだが、怒気を孕んでいる。だがミハイルさんが持つランプの火は、彼の蒼白な表情を映し出している。

 ザワ ザワ ザワ。

 うるさいのに、聞こえない。そんな不思議な感覚に、知らず肌が粟立つ。それに対して、ミハイルさんがまた何か答える。一体誰と。何を喋っているのだろう。

 それが気になって、思わず身を乗り出した――そのとき。

 不意に、肩に何かが触れる。

「――――!!!」
「しーっ、わたくしです。リエーフにございます」

 悲鳴を上げる前に口が塞がれる。意識の外に出ていた恐怖がなだれこんでくるが、穏やかな囁き声がそれを打ち消した。バクバクと騒ぐ胸を押さえて振り返ると、リエーフさんが唇に人差し指を当てて、にっこりと微笑んでいた。

「好奇心の強い方ですねぇ」

 薄目で私を見下ろし、そう言うリエーフさんが、感心しているのか咎めているのかその表情からは読めない。
 地下には立ち入るなと言われたけれど、夜間に出歩くなとは言われていない――かといって、使用人に過ぎない私が屋敷の事情を詮索するのは良いこととは言えないだろう。

「すみません……」
「見られてしまったからには……仕方ありませんね?」

 その声はいつもと変わらぬ穏やかさだったが、それが逆に怖い――
 スウッと、温厚そうなリエーフさんの瞳が鋭く細まる。
 ごくりと、私が生唾を飲み込む。
 一歩、音もなくリエーフさんが距離を詰める。収まりかけていた鼓動がまた激しくなる。動けないでいる私を見下ろしてリエーフさんは。


「……事情をお話ししますが、辞めないで下さいね?」

 いつものフレーズを繰り返され、私はやや肩をコケさせた。
しおりを挟む
感想 21

あなたにおすすめの小説

「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある

柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった 王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。 リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。 「わかりました。あなたには、がっかりです」 微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。

はじめまして、私の知らない婚約者様

有木珠乃@『ヒロ弟』コミカライズ配信中
ファンタジー
ミルドレッド・カーマイン公爵令嬢は突然、学園の食堂で話しかけられる。 見覚えのない男性。傍らには豊満な体型の女性がいる。 けれどその女性から発せられた男性の名前には、聞き覚えがあった。 ミルドレッドの婚約者であるブルーノ王子であることを。 けれどミルドレッドの反応は薄い。なぜなら彼女は……。 この世界を乙女ゲームだと知った人々による、悪役令嬢とヒロイン、魔女の入れ替え話です。 悪役令嬢を救いたかったはずなのに、どうしてこんなことに? ※他サイトにも掲載しています。

【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く

ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。 5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。 夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…

「お前を愛する事はない」を信じたので

あんど もあ
ファンタジー
「お前を愛することは無い。お前も私を愛するな。私からの愛を求めるな」 お互いの利益のために三年間の契約結婚をしたアヴェリンとロデリック。楽しく三年を過ごしたアヴェリンは屋敷を出ていこうとするのだが……。

ため息ひとつ――王宮に散る花びらのように

柴田はつみ
恋愛
「離縁を、お願いしたいのです」 笑顔で、震えずに、エレナはそう言った。 夫は言葉を失った。泣いてくれれば、怒ってくれれば、まだ受け止め方があった。しかしあの静けさは、エレナがもう十分に泣き終わった後の顔だと、ヴィクトルにはわかった。 幼なじみと結ばれた三年間。すれ違いは静かに始まり、深紅のドレスの令嬢によって加速した。ため息を飲み込み、完璧な微笑みを保ち続けた公爵夫人が、最後に選んだのは――。 王宮に散る花びらのような、夫婦の崩壊と再生の物語。

幽閉王女と指輪の精霊~嫁いだら幽閉された!餓死する前に脱出したい!~

二階堂吉乃
恋愛
 同盟国へ嫁いだヴァイオレット姫。夫である王太子は初夜に現れなかった。たった1人幽閉される姫。やがて貧しい食事すら届かなくなる。長い幽閉の末、死にかけた彼女を救ったのは、家宝の指輪だった。  1年後。同盟国を訪れたヴァイオレットの従兄が彼女を発見する。忘れられた牢獄には姫のミイラがあった。激怒した従兄は同盟を破棄してしまう。  一方、下町に代書業で身を立てる美少女がいた。ヴィーと名を偽ったヴァイオレットは指輪の精霊と助けあいながら暮らしていた。そこへ元夫?である王太子が視察に来る。彼は下町を案内してくれたヴィーに恋をしてしまう…。

旦那様、彼は仕事において必要不可欠なパートナーなのです

ましゅぺちーの
恋愛
伯爵夫人フルールは、夫である伯爵と愛人の秘書に長年頭を悩ませていた。 何度夫に苦言を呈しても「彼女は仕事において必要不可欠なパートナーだから」と一切聞く耳を持たない。 困り果てていたそのとき、彼女は突然前世の記憶を取り戻した。 このままだと夫と愛人の真実の愛の犠牲になってしまう。 それだけは御免だ。 結婚五年目にして、彼女はようやく夫を見限り、新たな事業を立ち上げた。 そして事業を成功させたフルールの隣には、いつも同じ男が立っていた。 その男は誰なのかと問い詰める夫に、フルールはニッコリ笑って言った。 「彼は仕事において必要不可欠なパートナーなのです」と。

死に物狂いで支えた公爵家から捨てられたので、回帰後は全財産を盗んで消えてあげます 〜今さら「戻れ」と言われても、私は隣国の皇太子妃ですので〜

しょくぱん
恋愛
「お前のような無能、我が公爵家の恥だ!」 公爵家の長女エルゼは、放蕩者の父や無能な弟に代わり、寝る間も惜しんで領地経営と外交を支えてきた。しかし家族は彼女の功績を奪った挙句、政治犯の濡れ衣を着せて彼女を処刑した。 死の間際、エルゼは誓う。 「もし次があるのなら――二度と、あいつらのために働かない」 目覚めると、そこは処刑の二年前。 再び「仕事」を押し付けようとする厚顔無恥な家族に対し、エルゼは優雅に微笑んだ。 「ええ、承知いたしました。ただし、これからは**『代金』**をいただきますわ」 隠し金庫の鍵、領地の権利書、優秀な人材、そして莫大な隠し資産――。 エルゼは公爵家のすべてを自分名義に書き換え、着々と「もぬけの殻」にしていく。 そんな彼女の前に、隣国の冷徹な皇太子シオンが現れ、驚くべき提案を持ちかけてきて……? 「君のような恐ろしい女性を、独り占めしたくなった」 資産を奪い尽くして亡命した令嬢と、彼女を溺愛する皇太子。 一方、すべてを失った公爵家が泣きついてくるが、もう遅い。 あなたの家の金庫も、土地も、働く人間も――すべて私のものですから。

処理中です...