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第三十八話 命を一つ
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それは、今まで聞いた中で一番不機嫌な声だった。
光を裂いて、闇が現れる。突如として場に現れたミハイルさんが、その言葉も終わらぬうちに賢者の胸倉を掴み上げ、拳を振り被る。
「どけ!!」
だがそれが届く前に、賢者の姿はフッと掻き消えた。そして、少し離れた場所に姿を現す。そこからこちらを見る表情には、驚きがあった。
「お前、今どうやって現れた。魔法を使った気配がしなかったぞ……」
私も驚いた。
「どうして……?」
「屋敷の者は俺が喚べば来るし、逆に俺を喚ぶこともできる」
確かに、アラムさんに襲われたとき、ライサが呼んだらすぐに現れていたけれど。
「でも私は屋敷の住人じゃないのに」
「……認めろと言ったのはお前だろ」
私を抱え起こして、素っ気ない声で呟く。何の話だろうと考えていると、ふと彼が私を見て目を見開く。そして、片手を私の首に伸ばした。
触れられて、ズキリと首の傷が痛む。
「おい、無視するなよ」
不満そうな賢者の声に、彼は――私の血で汚れた手で――腰のナイフを引き抜いた。
「何? やる気?」
せせら笑って、賢者が身構える。だがそのナイフでミハイルさんが切り裂いたのは、自分自身だった。……止める暇もなかった。完全に予想外だったんだろう。ぽかんとする賢者に向けて、ミハイルさんが手を翳す。
『捉えよ!』
流れる血が、緋色の刃を模り、賢者へと奔る。
「なんだ、それ」
刃は賢者に届く前に、見えない壁に遮られて砕け散った。それと同時に賢者が手を振り上げる。手の軌道に合わせて生まれた光が、まるでギロチンの刃のようにこちらに迫る。ミハイルさんは私を抱え上げてそれを避けたが、光の端が彼の脇腹を掠め、バッと血しぶきが舞った。
「ミハイルさんっ!」
私の悲鳴に、にやりと笑った賢者の顔が――凍り付く。流れた血は床に零れることなく、無数の矢へと形状を変え、一斉に賢者へと向かっていく。
「なんなんだ、お前は……!」
初めて、賢者の顔に動揺がゆらいだ。だけどやられるようなヘマはさすがにしない。両手をかざして光の幕を作り出し、攻撃を全て弾いた。そのままふわりと宙に逃れて、下に向かって手を突き出す。その手から、まるで雨のように光の筋が降り注ぐ。
「リエーフ!」
銀色の尻尾が目の前で揺れた。私たちの前に立ち塞がったリエーフさんに、容赦なく光の矢が突き刺さる。だが、振り向いた彼は顔色一つ変えていなかった。
「やっと見つけました」
にっこりとリエーフさんが微笑む。それを見て、こんな状況なのに私も笑みが零れた。
……この笑顔に、私はずっと救われてきたんだと思う。
「リエーフ、ミオを頼む」
「はい」
涼やかに答えるリエーフさんに、ミハイルさんが私の体を押し付ける。そして、二人は逆方向に走り出した。
「しかし、こういうのこそ坊ちゃんがやったらいいのに……」
私を庇って賢者の攻撃を一身に受けながら、リエーフさんが場違いな不満を漏らす。だが、私はそう心穏やかでもいられなかった。
「リエーフさん、ミハイルさんが……!」
「ご主人様なら大丈夫ですよ。幼少より、不死者や世界最強の騎士を相手に修練を詰んでおりますから」
リエーフさんが人差し指を唇に当て、力強くニッと笑う。そして、 ミハイルさんの方に視線を投げた。負けることなど考えもしていないように、その瞳に心配の色はない。
現に、ミハイルさんは全く動じていなかった。かざした左手の先に赤い呪印が生まれ、それに触れると賢者の生み出した光は消えた。何本かは通り抜けてミハイルさんを傷つけたが、流れた血は全て矢になり賢者へと飛んでいく。
傷つけられれば傷つけられるほど、ミハイルさんの攻撃は苛烈さを増していく。みるみるうちに、光の雨は血の雨に飲み込まれた。
「うっ……エグぅ。引くわー」
「そうか? 俺は結構気に入ってるがな」
攻撃の手を休めないまま、ミハイルさんが壮絶な笑みを見せる。
……嘘ばっかり。いつも引かれないか気にしてるくせに。
けどそんなこと微塵も感じさせないハッタリに、賢者は一瞬怯んだ。その隙をついてミハイルさんが床を蹴る。作った呪印の上に乗り、さらにそれを蹴って飛び上がる。それを繰り返して、賢者に肉薄すると、呪印は剣へと姿を変えて、ミハイルさんの手に収まった。
「……ッ」
キィィン、と澄んだ音が広間に響く。賢者に届くギリギリで、剣は止まっている。まるで見えない壁に阻まれているかのように。
「もらった!」
すかさず賢者が放った光がミハイルさんの肩を大きく抉る。だがその血は流れ出ることなく、螺旋を描いてミハイルさんの体に戻って行く。眉一つ動かさず、ミハイルさんが一言呟く。
「……何を?」
「マジで、なんなのお前……」
ギリ、とミハイルさんが手に力を込める。勝てるかも。そう思ったところでハッとした。
違う、私たち、賢者を倒しにきたわけじゃない!
「待って、ミハイルさん!」
拮抗していた両者が、私の声で動きを止める。
「その人が賢者です!!」
急なことについ成り行きを見守ってしまったが。
ここで賢者を倒してしまっては、伯爵が使った魔法について聞くことができなくなる。
「こいつが賢者だと?」
ミハイルさんがじっと賢者を見つめる。そして、何かに気が付いたかのようにはっと目を見開いた。
「陛下……?」
そう呟くと、ミハイルさんは剣を引いた。そして足元の呪印も消して、私たちの前に着地した。賢者の攻撃が止んだので、リエーフさんが私を下に降ろしてくれる。
賢者は戦いによって乱れた着衣を直しながら、床に降りてきた。
「オレに用があるなら、なんでいきなり襲ってくるんだ。疲れたぞ」
けだるげな様子に、ミハイルさんがチッと舌打ちする。
「ミオを傷つけたからだ」
「ちょっとからかっただけだよ。オレと同じ、異世界人だったから気になって」
「なんだと?」
ミハイルさんが、私と賢者を見比べる。
「ならば……、ミオが元の世界へ帰る方法を知っているのか」
「聞きたいのはそれ?」
意味ありげに賢者が笑う。
「違いま――」
「お前は黙ってろ」
咄嗟に否定しかけた私の頭を、ミハイルさんが押さえつける。
「全く別の世界に行くのは難しいけど、帰るだけなら簡単にできる。この世界から弾き出せば、勝手に本来の場所が引き寄せてくれるだろう。まぁ……器が残っていればの話だけど」
「簡単に言うがどうやって?」
「まぁ、少なくともオレにとっては簡単だよ。そうだな。お前が土下座してオレに刃向かったことを詫びるなら、ミオを元の世界に帰してやってもいい」
腕を組み、ふんぞり返って、賢者が楽しそうにそんなことを言う。
……なんて幼稚な人なんだ。そんな挑発に乗る私も、人のことは言えないかもしれないけど……、
「いりません」
「そんなことでいいなら――」
「しないで! そんなの見たくない」
珍しく私が声を荒げたからだろうか、ミハイルさんが少し怯む。
千載一遇のチャンスを逃したのだとしても――後悔しない。キッと顔を上げ、私は正面から賢者を見据えた。
「それより、プリヴィデーニ伯爵をご存じですか?」
ミハイルさんの咎めるような視線を感じながら、私は本題を切り出した。その名を出すと、賢者は意外にも「ああ」と頷く。
「彼は魔法を人々に広めることにいい顔をしていなかった。だからオレも何度か会って説得した」
「だからってどうして、人を蘇らせる魔法など教えたのですか!」
リエーフさんが勢い込んで会話に割って入る。いつも一歩退いて控えている彼らしからぬ行動だったけど、それほど耐えられなかったんだろう。そもそも、そんな魔法を教えなければ。リエーフさんの顔がそう雄弁に語っていたが、賢者の答は意外なものだった。
「人を蘇らせる魔法なんかない」
実にあっさりと。何を馬鹿なことをと言いたげに。あっさり切って捨てる賢者に、リエーフさんが反論する。
「しかし旦那様は、貴方からお聞きしたと……!」
必死の様相で語るリエーフさんを見上げ、賢者は珍しく神妙な顔をした。
そして、リエーフさんの頭に手を伸ばし、触れる。だがすぐに離す。
「お前、不死者か」
「はい。旦那様が、魔法を使うのに命が必要だと言いました。ですから私は私の命を……、それ以来、不死となってしまったのです」
「……魔法の不文律を破った報いだ」
しばし賢者は考え込むように腕を組んでいたが、やがて顔を上げた。
「つまり……、お前たちは伯爵の外法によって呪いを受けた者たちで、それを解く方法を求めている……というところか?」
「はい、大体それで合っています。詳しく話すと長くなりますが……」
「面倒だ、頭を読ませろ。ついでに解呪の方法も考えてやる。伯爵が魔法を使うところも見たいから、それを見ている奴がいい」
――おかしい。
さっきは、土下座しろとか絡んできたのに、どうして急に協力的になったんだろう。
「それなら、わたくしが」
「お前は駄目だ。不死者の頭は煩くて読めない。――そうだな」
賢者が、スッと目を細めて人差し指を立てる。そしてその指先をゆっくりと移動させて、とめる。それから彼は、歳に不相応な無邪気な笑みを見せた。
「お前がいい」
ミハイルさんを指差して、楽しそうに呟く。
「何を企んでいる?」
「人聞き悪いね。澪には言ったけど、オレは自分の力で世界を良くするためにこの世界に来た。オレは箱庭の人形に過ぎないが……現実世界のオレもきっと、外法を使って呪われた一族がいるなんてことは不本意だろう」
ああ、だから――
国王様が賢者の生まれ変わりなのか、子孫なのか、それはわからないけれど。ミハイルさんのことを気にかけていたのは、その記憶を継いでいたからなのかもしれない。
「即ちオレの為さ。でも、オレは別にどっちでも構わないよ。さぁ、どうする?」
賢者が軽い調子で肩を竦める。――ミハイルさんが、私の横を通りすぎて賢者の前に立つ。
どのみち、伯爵の魔法をろくに見ていない私では役に立てない。適任者はミハイルさんしかいない。そして、罠かもしれないとしても、賢者に手だてを聞く以外には解決法を思いつかなかった。
「……わかった」
「特別に土下座はなしにしてあげよう」
賢者がニヤァと笑って手を伸ばし――ミハイルさんの額に触れる。しばらく、静かに時間が流れて。
賢者の顔が仄暗く歪む。
「ふーん……」
「約束通り、解呪の方法を教えてもらおうか」
「……逆魔法というものがある。魔法の構成を逆に行うことで効果を解く術だ。今見た限りだと、伯爵が使った魔法はあまりに様々な要因が重なりあっていて、オレでもきっと解けなかった。だが、経年により呪術が綻び暴走しているのなら、可能性がある」
何か無理難題を押し付けるのでは……と身構える私たちを前に、賢者はあっさりと解決法を教えてくれた。
頭から信じることはできないけど……、でも、これで終わらせられるかもしれない。けれど、だとしても喜ぶのは早かった。
「嬉しそうな顔をしてるけど、澪。逆を行うということは、蘇った分の命が一つ、必要になるよ?」
賢者の声が、耳に突き刺さる。咄嗟に理解できなくて、え、と掠れた声が出た。
ミハイルさんは最初から察していたのか、表情を動かさない。逆にリエーフさんはぱっと顔を輝かせた。
「でしたらこのわたくしが!! わたくしの命でお屋敷が救えるなら、今日まで生きた意味もあります!」
「不死者がどうやって命を使う気だ」
冷たいミハイルさんの声に、リエーフさんの表情が凍り付く。
「そう。この中で命を捧げられるのは、澪。キミか、ミハイル・プリヴィデーニの二人だけだ。オレが逆魔法を教えたことには、ちょっとした意趣返しもある」
顔から血の気が引いていく。この人は……、
きっと私の気持ちを知って、それで敢えてこの方法を。
「よく話し合って決めなよ、どっちの命を使うか」
「貴様……」
「そろそろ、この箱庭の終わりだ」
賢者が両手を広げ、それと同時に景色がぐにゃりと歪む。
「待て! この世界を出るにはどうすればいい!」
「作ったものを壊せばいい。さぁ――ちゃんと受け取ってよ、澪。オレからの贈り物を」
彼へと視線を移した瞬間、風景は溶けた。賢者の哄笑が聞こえる中、耳の奥で、何かが壊れる音がした。
光を裂いて、闇が現れる。突如として場に現れたミハイルさんが、その言葉も終わらぬうちに賢者の胸倉を掴み上げ、拳を振り被る。
「どけ!!」
だがそれが届く前に、賢者の姿はフッと掻き消えた。そして、少し離れた場所に姿を現す。そこからこちらを見る表情には、驚きがあった。
「お前、今どうやって現れた。魔法を使った気配がしなかったぞ……」
私も驚いた。
「どうして……?」
「屋敷の者は俺が喚べば来るし、逆に俺を喚ぶこともできる」
確かに、アラムさんに襲われたとき、ライサが呼んだらすぐに現れていたけれど。
「でも私は屋敷の住人じゃないのに」
「……認めろと言ったのはお前だろ」
私を抱え起こして、素っ気ない声で呟く。何の話だろうと考えていると、ふと彼が私を見て目を見開く。そして、片手を私の首に伸ばした。
触れられて、ズキリと首の傷が痛む。
「おい、無視するなよ」
不満そうな賢者の声に、彼は――私の血で汚れた手で――腰のナイフを引き抜いた。
「何? やる気?」
せせら笑って、賢者が身構える。だがそのナイフでミハイルさんが切り裂いたのは、自分自身だった。……止める暇もなかった。完全に予想外だったんだろう。ぽかんとする賢者に向けて、ミハイルさんが手を翳す。
『捉えよ!』
流れる血が、緋色の刃を模り、賢者へと奔る。
「なんだ、それ」
刃は賢者に届く前に、見えない壁に遮られて砕け散った。それと同時に賢者が手を振り上げる。手の軌道に合わせて生まれた光が、まるでギロチンの刃のようにこちらに迫る。ミハイルさんは私を抱え上げてそれを避けたが、光の端が彼の脇腹を掠め、バッと血しぶきが舞った。
「ミハイルさんっ!」
私の悲鳴に、にやりと笑った賢者の顔が――凍り付く。流れた血は床に零れることなく、無数の矢へと形状を変え、一斉に賢者へと向かっていく。
「なんなんだ、お前は……!」
初めて、賢者の顔に動揺がゆらいだ。だけどやられるようなヘマはさすがにしない。両手をかざして光の幕を作り出し、攻撃を全て弾いた。そのままふわりと宙に逃れて、下に向かって手を突き出す。その手から、まるで雨のように光の筋が降り注ぐ。
「リエーフ!」
銀色の尻尾が目の前で揺れた。私たちの前に立ち塞がったリエーフさんに、容赦なく光の矢が突き刺さる。だが、振り向いた彼は顔色一つ変えていなかった。
「やっと見つけました」
にっこりとリエーフさんが微笑む。それを見て、こんな状況なのに私も笑みが零れた。
……この笑顔に、私はずっと救われてきたんだと思う。
「リエーフ、ミオを頼む」
「はい」
涼やかに答えるリエーフさんに、ミハイルさんが私の体を押し付ける。そして、二人は逆方向に走り出した。
「しかし、こういうのこそ坊ちゃんがやったらいいのに……」
私を庇って賢者の攻撃を一身に受けながら、リエーフさんが場違いな不満を漏らす。だが、私はそう心穏やかでもいられなかった。
「リエーフさん、ミハイルさんが……!」
「ご主人様なら大丈夫ですよ。幼少より、不死者や世界最強の騎士を相手に修練を詰んでおりますから」
リエーフさんが人差し指を唇に当て、力強くニッと笑う。そして、 ミハイルさんの方に視線を投げた。負けることなど考えもしていないように、その瞳に心配の色はない。
現に、ミハイルさんは全く動じていなかった。かざした左手の先に赤い呪印が生まれ、それに触れると賢者の生み出した光は消えた。何本かは通り抜けてミハイルさんを傷つけたが、流れた血は全て矢になり賢者へと飛んでいく。
傷つけられれば傷つけられるほど、ミハイルさんの攻撃は苛烈さを増していく。みるみるうちに、光の雨は血の雨に飲み込まれた。
「うっ……エグぅ。引くわー」
「そうか? 俺は結構気に入ってるがな」
攻撃の手を休めないまま、ミハイルさんが壮絶な笑みを見せる。
……嘘ばっかり。いつも引かれないか気にしてるくせに。
けどそんなこと微塵も感じさせないハッタリに、賢者は一瞬怯んだ。その隙をついてミハイルさんが床を蹴る。作った呪印の上に乗り、さらにそれを蹴って飛び上がる。それを繰り返して、賢者に肉薄すると、呪印は剣へと姿を変えて、ミハイルさんの手に収まった。
「……ッ」
キィィン、と澄んだ音が広間に響く。賢者に届くギリギリで、剣は止まっている。まるで見えない壁に阻まれているかのように。
「もらった!」
すかさず賢者が放った光がミハイルさんの肩を大きく抉る。だがその血は流れ出ることなく、螺旋を描いてミハイルさんの体に戻って行く。眉一つ動かさず、ミハイルさんが一言呟く。
「……何を?」
「マジで、なんなのお前……」
ギリ、とミハイルさんが手に力を込める。勝てるかも。そう思ったところでハッとした。
違う、私たち、賢者を倒しにきたわけじゃない!
「待って、ミハイルさん!」
拮抗していた両者が、私の声で動きを止める。
「その人が賢者です!!」
急なことについ成り行きを見守ってしまったが。
ここで賢者を倒してしまっては、伯爵が使った魔法について聞くことができなくなる。
「こいつが賢者だと?」
ミハイルさんがじっと賢者を見つめる。そして、何かに気が付いたかのようにはっと目を見開いた。
「陛下……?」
そう呟くと、ミハイルさんは剣を引いた。そして足元の呪印も消して、私たちの前に着地した。賢者の攻撃が止んだので、リエーフさんが私を下に降ろしてくれる。
賢者は戦いによって乱れた着衣を直しながら、床に降りてきた。
「オレに用があるなら、なんでいきなり襲ってくるんだ。疲れたぞ」
けだるげな様子に、ミハイルさんがチッと舌打ちする。
「ミオを傷つけたからだ」
「ちょっとからかっただけだよ。オレと同じ、異世界人だったから気になって」
「なんだと?」
ミハイルさんが、私と賢者を見比べる。
「ならば……、ミオが元の世界へ帰る方法を知っているのか」
「聞きたいのはそれ?」
意味ありげに賢者が笑う。
「違いま――」
「お前は黙ってろ」
咄嗟に否定しかけた私の頭を、ミハイルさんが押さえつける。
「全く別の世界に行くのは難しいけど、帰るだけなら簡単にできる。この世界から弾き出せば、勝手に本来の場所が引き寄せてくれるだろう。まぁ……器が残っていればの話だけど」
「簡単に言うがどうやって?」
「まぁ、少なくともオレにとっては簡単だよ。そうだな。お前が土下座してオレに刃向かったことを詫びるなら、ミオを元の世界に帰してやってもいい」
腕を組み、ふんぞり返って、賢者が楽しそうにそんなことを言う。
……なんて幼稚な人なんだ。そんな挑発に乗る私も、人のことは言えないかもしれないけど……、
「いりません」
「そんなことでいいなら――」
「しないで! そんなの見たくない」
珍しく私が声を荒げたからだろうか、ミハイルさんが少し怯む。
千載一遇のチャンスを逃したのだとしても――後悔しない。キッと顔を上げ、私は正面から賢者を見据えた。
「それより、プリヴィデーニ伯爵をご存じですか?」
ミハイルさんの咎めるような視線を感じながら、私は本題を切り出した。その名を出すと、賢者は意外にも「ああ」と頷く。
「彼は魔法を人々に広めることにいい顔をしていなかった。だからオレも何度か会って説得した」
「だからってどうして、人を蘇らせる魔法など教えたのですか!」
リエーフさんが勢い込んで会話に割って入る。いつも一歩退いて控えている彼らしからぬ行動だったけど、それほど耐えられなかったんだろう。そもそも、そんな魔法を教えなければ。リエーフさんの顔がそう雄弁に語っていたが、賢者の答は意外なものだった。
「人を蘇らせる魔法なんかない」
実にあっさりと。何を馬鹿なことをと言いたげに。あっさり切って捨てる賢者に、リエーフさんが反論する。
「しかし旦那様は、貴方からお聞きしたと……!」
必死の様相で語るリエーフさんを見上げ、賢者は珍しく神妙な顔をした。
そして、リエーフさんの頭に手を伸ばし、触れる。だがすぐに離す。
「お前、不死者か」
「はい。旦那様が、魔法を使うのに命が必要だと言いました。ですから私は私の命を……、それ以来、不死となってしまったのです」
「……魔法の不文律を破った報いだ」
しばし賢者は考え込むように腕を組んでいたが、やがて顔を上げた。
「つまり……、お前たちは伯爵の外法によって呪いを受けた者たちで、それを解く方法を求めている……というところか?」
「はい、大体それで合っています。詳しく話すと長くなりますが……」
「面倒だ、頭を読ませろ。ついでに解呪の方法も考えてやる。伯爵が魔法を使うところも見たいから、それを見ている奴がいい」
――おかしい。
さっきは、土下座しろとか絡んできたのに、どうして急に協力的になったんだろう。
「それなら、わたくしが」
「お前は駄目だ。不死者の頭は煩くて読めない。――そうだな」
賢者が、スッと目を細めて人差し指を立てる。そしてその指先をゆっくりと移動させて、とめる。それから彼は、歳に不相応な無邪気な笑みを見せた。
「お前がいい」
ミハイルさんを指差して、楽しそうに呟く。
「何を企んでいる?」
「人聞き悪いね。澪には言ったけど、オレは自分の力で世界を良くするためにこの世界に来た。オレは箱庭の人形に過ぎないが……現実世界のオレもきっと、外法を使って呪われた一族がいるなんてことは不本意だろう」
ああ、だから――
国王様が賢者の生まれ変わりなのか、子孫なのか、それはわからないけれど。ミハイルさんのことを気にかけていたのは、その記憶を継いでいたからなのかもしれない。
「即ちオレの為さ。でも、オレは別にどっちでも構わないよ。さぁ、どうする?」
賢者が軽い調子で肩を竦める。――ミハイルさんが、私の横を通りすぎて賢者の前に立つ。
どのみち、伯爵の魔法をろくに見ていない私では役に立てない。適任者はミハイルさんしかいない。そして、罠かもしれないとしても、賢者に手だてを聞く以外には解決法を思いつかなかった。
「……わかった」
「特別に土下座はなしにしてあげよう」
賢者がニヤァと笑って手を伸ばし――ミハイルさんの額に触れる。しばらく、静かに時間が流れて。
賢者の顔が仄暗く歪む。
「ふーん……」
「約束通り、解呪の方法を教えてもらおうか」
「……逆魔法というものがある。魔法の構成を逆に行うことで効果を解く術だ。今見た限りだと、伯爵が使った魔法はあまりに様々な要因が重なりあっていて、オレでもきっと解けなかった。だが、経年により呪術が綻び暴走しているのなら、可能性がある」
何か無理難題を押し付けるのでは……と身構える私たちを前に、賢者はあっさりと解決法を教えてくれた。
頭から信じることはできないけど……、でも、これで終わらせられるかもしれない。けれど、だとしても喜ぶのは早かった。
「嬉しそうな顔をしてるけど、澪。逆を行うということは、蘇った分の命が一つ、必要になるよ?」
賢者の声が、耳に突き刺さる。咄嗟に理解できなくて、え、と掠れた声が出た。
ミハイルさんは最初から察していたのか、表情を動かさない。逆にリエーフさんはぱっと顔を輝かせた。
「でしたらこのわたくしが!! わたくしの命でお屋敷が救えるなら、今日まで生きた意味もあります!」
「不死者がどうやって命を使う気だ」
冷たいミハイルさんの声に、リエーフさんの表情が凍り付く。
「そう。この中で命を捧げられるのは、澪。キミか、ミハイル・プリヴィデーニの二人だけだ。オレが逆魔法を教えたことには、ちょっとした意趣返しもある」
顔から血の気が引いていく。この人は……、
きっと私の気持ちを知って、それで敢えてこの方法を。
「よく話し合って決めなよ、どっちの命を使うか」
「貴様……」
「そろそろ、この箱庭の終わりだ」
賢者が両手を広げ、それと同時に景色がぐにゃりと歪む。
「待て! この世界を出るにはどうすればいい!」
「作ったものを壊せばいい。さぁ――ちゃんと受け取ってよ、澪。オレからの贈り物を」
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