幽霊屋敷の掃除婦

羽鳥紘

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第三十八話 命を一つ

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 それは、今まで聞いた中で一番不機嫌な声だった。

 光を裂いて、闇が現れる。突如として場に現れたミハイルさんが、その言葉も終わらぬうちに賢者の胸倉を掴み上げ、拳を振り被る。

「どけ!!」

 だがそれが届く前に、賢者の姿はフッと掻き消えた。そして、少し離れた場所に姿を現す。そこからこちらを見る表情には、驚きがあった。

「お前、今どうやって現れた。魔法を使った気配がしなかったぞ……」

 私も驚いた。

「どうして……?」
「屋敷の者は俺が喚べば来るし、逆に俺を喚ぶこともできる」

 確かに、アラムさんに襲われたとき、ライサが呼んだらすぐに現れていたけれど。

「でも私は屋敷の住人じゃないのに」
「……認めろと言ったのはお前だろ」

 私を抱え起こして、素っ気ない声で呟く。何の話だろうと考えていると、ふと彼が私を見て目を見開く。そして、片手を私の首に伸ばした。
 触れられて、ズキリと首の傷が痛む。

「おい、無視するなよ」

 不満そうな賢者の声に、彼は――私の血で汚れた手で――腰のナイフを引き抜いた。

「何? やる気?」

 せせら笑って、賢者が身構える。だがそのナイフでミハイルさんが切り裂いたのは、自分自身だった。……止める暇もなかった。完全に予想外だったんだろう。ぽかんとする賢者に向けて、ミハイルさんが手を翳す。

『捉えよ!』

 流れる血が、緋色の刃を模り、賢者へと奔る。
 
「なんだ、それ」

   刃は賢者に届く前に、見えない壁に遮られて砕け散った。それと同時に賢者が手を振り上げる。手の軌道に合わせて生まれた光が、まるでギロチンの刃のようにこちらに迫る。ミハイルさんは私を抱え上げてそれを避けたが、光の端が彼の脇腹を掠め、バッと血しぶきが舞った。

「ミハイルさんっ!」

 私の悲鳴に、にやりと笑った賢者の顔が――凍り付く。流れた血は床に零れることなく、無数の矢へと形状を変え、一斉に賢者へと向かっていく。

「なんなんだ、お前は……!」

 初めて、賢者の顔に動揺がゆらいだ。だけどやられるようなヘマはさすがにしない。両手をかざして光の幕を作り出し、攻撃を全て弾いた。そのままふわりと宙に逃れて、下に向かって手を突き出す。その手から、まるで雨のように光の筋が降り注ぐ。

「リエーフ!」

 銀色の尻尾が目の前で揺れた。私たちの前に立ち塞がったリエーフさんに、容赦なく光の矢が突き刺さる。だが、振り向いた彼は顔色一つ変えていなかった。

「やっと見つけました」

 にっこりとリエーフさんが微笑む。それを見て、こんな状況なのに私も笑みが零れた。
 ……この笑顔に、私はずっと救われてきたんだと思う。

「リエーフ、ミオを頼む」
「はい」

  涼やかに答えるリエーフさんに、ミハイルさんが私の体を押し付ける。そして、二人は逆方向に走り出した。

「しかし、こういうのこそ坊ちゃんがやったらいいのに……」

 私を庇って賢者の攻撃を一身に受けながら、リエーフさんが場違いな不満を漏らす。だが、私はそう心穏やかでもいられなかった。

「リエーフさん、ミハイルさんが……!」
「ご主人様なら大丈夫ですよ。幼少より、不死者や世界最強の騎士を相手に修練を詰んでおりますから」

 リエーフさんが人差し指を唇に当て、力強くニッと笑う。そして、 ミハイルさんの方に視線を投げた。負けることなど考えもしていないように、その瞳に心配の色はない。

 現に、ミハイルさんは全く動じていなかった。かざした左手の先に赤い呪印が生まれ、それに触れると賢者の生み出した光は消えた。何本かは通り抜けてミハイルさんを傷つけたが、流れた血は全て矢になり賢者へと飛んでいく。
 
 傷つけられれば傷つけられるほど、ミハイルさんの攻撃は苛烈さを増していく。みるみるうちに、光の雨は血の雨に飲み込まれた。

「うっ……エグぅ。引くわー」
「そうか? 俺は結構気に入ってるがな」

 攻撃の手を休めないまま、ミハイルさんが壮絶な笑みを見せる。
 ……嘘ばっかり。いつも引かれないか気にしてるくせに。
 けどそんなこと微塵も感じさせないハッタリに、賢者は一瞬怯んだ。その隙をついてミハイルさんが床を蹴る。作った呪印の上に乗り、さらにそれを蹴って飛び上がる。それを繰り返して、賢者に肉薄すると、呪印は剣へと姿を変えて、ミハイルさんの手に収まった。

「……ッ」

 キィィン、と澄んだ音が広間に響く。賢者に届くギリギリで、剣は止まっている。まるで見えない壁に阻まれているかのように。

「もらった!」

 すかさず賢者が放った光がミハイルさんの肩を大きく抉る。だがその血は流れ出ることなく、螺旋を描いてミハイルさんの体に戻って行く。眉一つ動かさず、ミハイルさんが一言呟く。

「……何を?」
「マジで、なんなのお前……」

 ギリ、とミハイルさんが手に力を込める。勝てるかも。そう思ったところでハッとした。
 違う、私たち、賢者を倒しにきたわけじゃない!

「待って、ミハイルさん!」

 拮抗していた両者が、私の声で動きを止める。

「その人が賢者です!!」

 急なことについ成り行きを見守ってしまったが。
 ここで賢者を倒してしまっては、伯爵が使った魔法について聞くことができなくなる。

「こいつが賢者だと?」

 ミハイルさんがじっと賢者を見つめる。そして、何かに気が付いたかのようにはっと目を見開いた。

「陛下……?」

 そう呟くと、ミハイルさんは剣を引いた。そして足元の呪印も消して、私たちの前に着地した。賢者の攻撃が止んだので、リエーフさんが私を下に降ろしてくれる。

 賢者は戦いによって乱れた着衣を直しながら、床に降りてきた。

「オレに用があるなら、なんでいきなり襲ってくるんだ。疲れたぞ」

 けだるげな様子に、ミハイルさんがチッと舌打ちする。

「ミオを傷つけたからだ」
「ちょっとからかっただけだよ。オレと同じ、異世界人だったから気になって」
「なんだと?」

 ミハイルさんが、私と賢者を見比べる。

「ならば……、ミオが元の世界へ帰る方法を知っているのか」
「聞きたいのはそれ?」

 意味ありげに賢者が笑う。

「違いま――」
「お前は黙ってろ」

 咄嗟に否定しかけた私の頭を、ミハイルさんが押さえつける。

「全く別の世界に行くのは難しいけど、帰るだけなら簡単にできる。この世界から弾き出せば、勝手に本来の場所が引き寄せてくれるだろう。まぁ……器が残っていればの話だけど」
「簡単に言うがどうやって?」
「まぁ、少なくともオレにとっては簡単だよ。そうだな。お前が土下座してオレに刃向かったことを詫びるなら、ミオを元の世界に帰してやってもいい」

 腕を組み、ふんぞり返って、賢者が楽しそうにそんなことを言う。
 ……なんて幼稚な人なんだ。そんな挑発に乗る私も、人のことは言えないかもしれないけど……、

「いりません」
「そんなことでいいなら――」
「しないで! そんなの見たくない」

 珍しく私が声を荒げたからだろうか、ミハイルさんが少し怯む。

 千載一遇のチャンスを逃したのだとしても――後悔しない。キッと顔を上げ、私は正面から賢者を見据えた。

「それより、プリヴィデーニ伯爵をご存じですか?」

 ミハイルさんの咎めるような視線を感じながら、私は本題を切り出した。その名を出すと、賢者は意外にも「ああ」と頷く。

「彼は魔法を人々に広めることにいい顔をしていなかった。だからオレも何度か会って説得した」
「だからってどうして、人を蘇らせる魔法など教えたのですか!」

 リエーフさんが勢い込んで会話に割って入る。いつも一歩退いて控えている彼らしからぬ行動だったけど、それほど耐えられなかったんだろう。そもそも、そんな魔法を教えなければ。リエーフさんの顔がそう雄弁に語っていたが、賢者の答は意外なものだった。

「人を蘇らせる魔法なんかない」

 実にあっさりと。何を馬鹿なことをと言いたげに。あっさり切って捨てる賢者に、リエーフさんが反論する。

「しかし旦那様は、貴方からお聞きしたと……!」

 必死の様相で語るリエーフさんを見上げ、賢者は珍しく神妙な顔をした。
 そして、リエーフさんの頭に手を伸ばし、触れる。だがすぐに離す。

「お前、不死者か」
「はい。旦那様が、魔法を使うのに命が必要だと言いました。ですから私は私の命を……、それ以来、不死となってしまったのです」
「……魔法の不文律を破った報いだ」

 しばし賢者は考え込むように腕を組んでいたが、やがて顔を上げた。

「つまり……、お前たちは伯爵の外法によって呪いを受けた者たちで、それを解く方法を求めている……というところか?」
「はい、大体それで合っています。詳しく話すと長くなりますが……」
「面倒だ、頭を読ませろ。ついでに解呪の方法も考えてやる。伯爵が魔法を使うところも見たいから、それを見ている奴がいい」

 ――おかしい。
 さっきは、土下座しろとか絡んできたのに、どうして急に協力的になったんだろう。

「それなら、わたくしが」
「お前は駄目だ。不死者の頭は煩くて読めない。――そうだな」

 賢者が、スッと目を細めて人差し指を立てる。そしてその指先をゆっくりと移動させて、とめる。それから彼は、歳に不相応な無邪気な笑みを見せた。

「お前がいい」

 ミハイルさんを指差して、楽しそうに呟く。

「何を企んでいる?」
「人聞き悪いね。澪には言ったけど、オレは自分の力で世界を良くするためにこの世界に来た。オレは箱庭の人形に過ぎないが……現実世界のオレもきっと、外法を使って呪われた一族がいるなんてことは不本意だろう」

 ああ、だから――

 国王様が賢者の生まれ変わりなのか、子孫なのか、それはわからないけれど。ミハイルさんのことを気にかけていたのは、その記憶を継いでいたからなのかもしれない。

「即ちオレの為さ。でも、オレは別にどっちでも構わないよ。さぁ、どうする?」

 賢者が軽い調子で肩を竦める。――ミハイルさんが、私の横を通りすぎて賢者の前に立つ。
 どのみち、伯爵の魔法をろくに見ていない私では役に立てない。適任者はミハイルさんしかいない。そして、罠かもしれないとしても、賢者に手だてを聞く以外には解決法を思いつかなかった。

「……わかった」
「特別に土下座はなしにしてあげよう」

 賢者がニヤァと笑って手を伸ばし――ミハイルさんの額に触れる。しばらく、静かに時間が流れて。

 賢者の顔が仄暗く歪む。

「ふーん……」
「約束通り、解呪の方法を教えてもらおうか」
「……逆魔法というものがある。魔法の構成を逆に行うことで効果を解く術だ。今見た限りだと、伯爵が使った魔法はあまりに様々な要因が重なりあっていて、オレでもきっと解けなかった。だが、経年により呪術が綻び暴走しているのなら、可能性がある」

 何か無理難題を押し付けるのでは……と身構える私たちを前に、賢者はあっさりと解決法を教えてくれた。
 頭から信じることはできないけど……、でも、これで終わらせられるかもしれない。けれど、だとしても喜ぶのは早かった。

「嬉しそうな顔をしてるけど、澪。逆を行うということは、蘇った分の命が一つ、必要になるよ?」

 賢者の声が、耳に突き刺さる。咄嗟に理解できなくて、え、と掠れた声が出た。
 ミハイルさんは最初から察していたのか、表情を動かさない。逆にリエーフさんはぱっと顔を輝かせた。

「でしたらこのわたくしが!! わたくしの命でお屋敷が救えるなら、今日まで生きた意味もあります!」
「不死者がどうやって命を使う気だ」

 冷たいミハイルさんの声に、リエーフさんの表情が凍り付く。

「そう。この中で命を捧げられるのは、澪。キミか、ミハイル・プリヴィデーニの二人だけだ。オレが逆魔法を教えたことには、ちょっとした意趣返しもある」

 顔から血の気が引いていく。この人は……、
 きっと私の気持ちを知って、それで敢えてこの方法を。

「よく話し合って決めなよ、どっちの命を使うか」
「貴様……」
「そろそろ、この箱庭の終わりだ」

 賢者が両手を広げ、それと同時に景色がぐにゃりと歪む。

「待て! この世界を出るにはどうすればいい!」
「作ったものを壊せばいい。さぁ――ちゃんと受け取ってよ、澪。オレからの贈り物を」

 彼へと視線を移した瞬間、風景は溶けた。賢者の哄笑が聞こえる中、耳の奥で、何かが壊れる音がした。
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