俺とクロのカタストロフィー

munetaka

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31.高速道路で眠くなる現象は「高速道路催眠現象」。英語ではハイウェイ・ヒプノシス(Highway hypnosis)

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午前六時。枕元のスマホが小さく震え、まだ薄闇の客室で目を開く。隕石のニュースが世界をざわつかせた翌日、だがここ札幌は拍子抜けするほど静かだ。カーテンの隙間から覗く空は淡い紺色、街路灯が点いたままの大通公園が見えた。
 熱めのシャワーで眠気を払い、着替えてレストラン階へ。朝食はビュッフェ形式のはずだったが、料理台に並ぶのは食パンの袋、個包装ジャム、それに保温ポットのコーヒーだけ。調理スタッフは家族と過ごすために休みを取ったらしい。道内には避難指示が出ていないが、食料や日用品などの買い溜めなど、災害にへの備えを始めているのだろう。
 設置してあるトースターで食パンを二枚焼き、舞、湊、リンと同じテーブルに腰掛ける。トーストにマーガリンとジャムを厚く塗り、熱いコーヒーで流し込むと腹の底がようやく温まった。舞はコーヒーのお替りを取りに行き、湊は「明後日、本当に落ちるのかな」と呟く。リンは無表情でトーストを頬張っていた。
 六時四十五分、チェックアウトを済ませてロビーを出る。フロントの女性は規定どおりの笑顔で「お気をつけて」と頭を下げた。ホテル前の歩道には平日の朝にも関わらず通勤らしい人の姿はない。車道も通常の朝よりむしろ空いている。誰もが心のどこかで“あと二日”を数えながら、表面だけ平常を保っているのだろう。
 ホテルの白い外壁に寄りかかって待っていると、遠くでエンジン音が膨らみ、黒いランドクルーザーがゆっくり近づいてきた。到着は約束より十分遅れ――七時一〇分。運転席のドアが開き、爽が軽く手を振る。
「兄ちゃん、遅くなってごめん、24時間のガソリンスタンドで給油してきたんだけど、すっごい並んでてさ」
「十分くらい平気だ。それより、忙しいのにすまんな」
 拳を合わせる短い挨拶のあと、ホテルのロビーで待っていた湊が駆け寄ってきた。
「爽くん!」
「彩菜!」
 再会は言葉より先に抱擁だった。互いの無事を確かめるように腕を回し合い、湊の目尻が少し赤くなる。付き合い始めてから初めての再会――その重みが、周囲の時間をゆっくりにした。舞とリンは微笑んで一歩引き、クロだけが首を傾げた。
 湊との再会の抱擁を終えた爽は、ポケットからメタリックグレーのキーを取り出し、俺の掌に載せる。
「契約期間は30日で、返却は札幌じゃなくて、足寄から一番近い店舗がある帯広市にしてあるよ。返しに行ったところで、お店が開いてるかは微妙だけど」
「了解。まあ、そのときになったら返す方法は考えようか」
 半笑いで軽く拳を返す。爽は肩掛けのデイパックを締め直し、少し離れた道庁のビルを指差す。
「道庁職員総出で、東京から避難してきた政府のお偉いさん方の相手しなきゃいけなくてさ、足寄に避難するの無理そう。僕が迎えに行くまで彩菜のこと守って欲しい」
「大丈夫なのか?」
「うん、政府のお偉いさん達と一緒に行動する方がむしろ安全だから、僕のことは少しも心配いらいないよ。あの人たちがいる場所が日本で一番安全だから」
「なるほどな。わかった、湊のことは任せろ。おまえが迎えに来るまで絶対に俺が守るから、おまえは何も心配しないで国のために働いてこい」
「うん、兄ちゃんが付いてれば安心だ。じゃあ、そろそろ行くね」
 爽は湊にしばしの別れを告げて、道庁方面に向かって歩いていった。朝の光に白い吐息が流れ、街の騒音に溶けていく背中を見届けたあと、俺たちは車に向き直る。
 荷室はすでに爽が整えてくれていた。医薬品とトイレットペーパーやボックスティッシュ、洗剤などの日用品が透明を透明な衣装ケースに入れて積み込んである。空いた隙間に俺たちの荷物とクロのケージを押し込み、リアゲートを閉める。
 車内の席順は決まっている。運転席に俺、助手席に舞、後部左に湊、右にリン。クロはリンと湊の間に陣取り、顎をリンの膝の上に乗せてくつろいでいる。
 エンジンをかけると、ディーゼル特有の低い振動がステアリングに伝わる。メーターに“外気温 -3°C/ガソリン Full”。頼もしさと緊張が混じった数値だ。
「ナビ入れるね」舞が中空ディスプレイに触れ、目的地を“足寄町役場”に設定。最短は道東道経由で約三時間半と表示された。
「高速で行こう。この先渋滞はないみたい」リンがスマホで交通情報を確認しながら言う。
「了解。途中の十勝清水で休憩入れる」
 シフトをDに入れ、スロットルを踏み込む。ランドクルーザーは静かなホテル前の道を滑り出した。朝の札幌中心部は思った以上に平穏で、信号待ちの車も少ない。ラジオからは日本各地で発生している渋滞や買い溜めのニュースが流れ、どの周波数に合わせても隕石関連の話題だけしか流れていない。
「この景色を見てると、ニュースの出来事が別の世界の話みたいに聞こえるね」舞が窓外の穏やかな街並みを見ながら呟く。
「そうだね。こっちに避難してきて正解だったよ。首都圏や本州の大都市周辺は大騒動になってるよ」俺はハンドルを握り直しながら答えた。
 湊はクロの首を撫でつつ、スマホで足寄周辺の情報を検索している。「足寄町も本州から避難してきた人たちのために、体育館が開放されるみたいだよ。毛布と水は町が用意するらしいです。涼風先輩から私たちは被災者に襲われたと聞いているので心配です」
「これから北海道に避難してくるのは、政府関係者とか大学の研究者がほとんどから、避難民で治安が悪くなることはないと思うぞ」俺の言葉を聞いて車内の空気が少し軽くなった。
 市街地を抜け、道央自動車道へ合流。冬晴れの空に白い雲が浮かび、雪原の中を突き進む。下り方面の交通量は思っていたより少なく、スムーズに巡航速度に乗った。
 舞は助手席から飲み物を渡してくれたり、お菓子を口に入れたりしてくれている。リンは昨日の夜あまり眠れなかったみたいで後部座席で寝息を立てている。湊はスマホで足寄町やその周辺の街、政府からの情報などを収集している。クロは寝ているリンをクッション代わりにして窓に鼻を押しつけ、白い息で曇らせては舌で拭っていた。
 こうして見ると、北海道は驚くほど普通だ。滑らかなアスファルト、連なる防音壁、路肩の標識――すべてが壊れそうにない顔で続いている。だが二日後、その上空を巨大な火の玉が掠める。見かけだけの平穏と底知れない不安が、フロントガラスの向こうで二重写しになっていた。
「颯、ごめん、トイレ行きたい。次のサービスエリアで一回止まって」舞の声が現実を引き戻す。
「うん、もうちょっと言ったら由仁サービスエリアがあるからそこで止めるね」
「そんなギリギリじゃないから、急がなくてもいいからね」
「わかったよ」
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