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第一章
第7話 ロヴェルとヒューリア
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二年に一回。
国中の貴族の当主が、一同に王宮に呼ばれ、様々な報告や、場合によっては意見具申などをする、王宮会議「シナディリオ」。
今回も、その時期が訪れた。
王宮主催のその一大イベントに呼ばれた父上は、数日前から、母上を連れて屋敷を離れていた。
まあ、王宮会議と言っても、見方を変えれば、王都への旅行なのだ。夫婦水入らずで楽しんでもバチくらい当たるまい。
家臣や使用人たちは、このタイミングを機に実家に帰ったり、済ませたい用事を済ませたりと、各々、時間を有効に活用するのが通例であった。
そんな訳で、全国の貴族のご領主が大移動を繰り広げている正に今、逆に全国の貴族のお屋敷は、これ以上無いほどの平穏が訪れていた。
特に王都から遠い我がカートライア辺境伯家は、まるまる一ヶ月以上の春休み状態になっていた。
「よう、ヴァルス、来たぞ」
「やあ、ロヴェル、いらっしゃい」
その日、休みとはいっても特にやることは無いので、いつものように庭で剣の稽古をしていたところに、裏口から声を掛けられた。
剣の稽古? と思うかもしれないが、父上から、衝撃の事実を知らされて以来、俺は、ミューに手伝ってもらい、ひたすらに体力と筋力を鍛え、剣の稽古に明け暮れた。
いや、メイドに稽古の相手を強要すな! という意見が飛んで来そうだが、それはごもっとも。初めは俺もそう思っていたさ。しかし、これは毎日鍛錬をする俺を見て、ミューから申し出て来たのである。
聞けば、魔王復活の後、魔物との戦いに俺が出るときには、ご一緒出来るようになりたいとの事だった。
危険な目に合わせたくはなかったので断ろうかとも思ったが、正直いつも側にいる、彼女以上の稽古相手の適任者はいなかったので、俺は強くなるために、そしてベル様からのミッションを果たす為にも、その申し出を了承したのだった。
チート能力が無くても、本来ならば、前世の知識を生かして、重火器を作ったり、薬品の調合をしたりと、別の手段を模索しそうなものであるが、残念ながら、こちとら前世は、科学的専門性など皆無のデスクワーカーである。そんな知識など何も持ち合わせていなかった。
であれば、泥臭く、一から鍛え続けるしかない。
しかし、これがまた、意外に苦痛では無かった。
スポーツなどとは全く縁がなかった前世の反動か、体を動かして己を鍛えることが、こんなにすがすがしいものだとは思ってもみなかった。
それに精神年齢は、様々な事柄を理論的に考え、分析できる大人である。
ただ訳も分からずやみくもに剣をふるうのではなく、効果的な剣筋や、フェイント、効率的な構えや、間合いの詰め方。どうやったら剣に体重を乗せられるかなど、試行錯誤しながら練習を重ねていくうちに、俺はめきめきと強くなっていった。
鍛え始めておよそ5年、まだ12歳になったばかりの俺ではあるが、辺境伯領では、俺から一本取れる人間は数えるほどしかいなくなっていた。
いや、そんな俺の剣の稽古に、ずっと付き合ってくれているミューも、かなりの上達が伺えるのだが。
「いらっしゃいませ、ロヴェル様」
槍を置き、俺に汗拭き用の布と飲み物を渡しながら、ミューが来客に応対する。
ちなみに、ミューは剣よりも槍の扱いのほうが圧倒的に上手かったので、そちらをメインウェポンにしていた。
「ありがとう、ミュー。サージ、馬を頼む」
馬から軽やかに降りたそいつは、ついて来た護衛の家臣に馬を預けた。
この男は、ロヴェル・リングブリム。西隣、リングブリム子爵家の嫡男である。
年齢は俺の一個上だ。栗毛色の髪をやや短く刈った、美少年というよりはソース顔系のイケメン君である。
前に少し触れたが、以前から、我が家に出入りしていたリングブリム子爵が、ある時息子のロヴェルを連れてきて、それ以来仲良くなったのだ。
最初は打算だった。
魔王が復活した後、大陸内は混乱が予想される。魔物たちが襲ってきたときに、近隣の領地とはうまく連携を取れた方が何かと都合が良い。
そんなつもりだったのだが……。
「なんだ、今日も剣の稽古か? 毎日毎日飽きねえなあ」
「いつ魔王が復活して、魔物が襲ってきても良いようにな。全く難儀な時代に産まれたものだよ。折角だ、手合わせしてくれないか? ロヴェル」
そう言って、刃の部分が削られた、練習用の剣を投げてよこす。
「ふっ! 俺がいつまでもお前の後塵を拝する男だと思うなよ」
受け取った剣を構え、ロヴェルはニヤリと笑った。
お、今日は珍しくやる気じゃないか。
いつもなら、「痛いのやだ」「眠いからやだ」「疲れるからやだ」のダメ人間な三択しか選ばないというのに。こいつにもようやく次期領主としての自覚が芽生えた、ということだろうか。
三分後。
俺は、地面に突っ伏したロヴェルの尻を、剣先でつついていた。
「やー、やっぱこれっぽっちも敵わねえや」
けらけらと笑って言う。
いくらこちらの家の方が爵位が上とはいえ、年下に勉学も剣術も圧倒的に劣っているのだ。
俺は精神年齢的にあれだから、そんな事で驕ったり、相手をさげすんだりはしないが、ロヴェルはどうなのだろうか。
正直、逆の立場だったら、悔しいとか、羨望とか、妬ましいとか、そういう感情が湧いてしまいそうである。
いや、絶対に湧く。
当の父上のリングブリム子爵も、よく俺とロヴェルを比べる、と言っていたし。
「なあ、ロヴェルはさ、俺の事、その、妬ましいとか、ムカつくとか思ったことは無いのか?」
「ねえな」
即答である。あっけにとられるくらいに。
「でもお前、父上に俺と比べられるの嫌がってたじゃないか」
「そりゃあ嫌さ。何にも言い返せねえもん。でもそれって、お前は悪くねえじゃん」
「いや、でもさ」
「たまたま隣の領地だからって仲良くなった奴がさ、めちゃ天才だったなんて、むしろ俺はラッキーだぜ。大人になっても色々と助けてくれよな!」
ロヴェルはそう言って、再びけらけらと笑った。
そう、こいつはこういう奴だ。
(いや、お前の方がよっぽどすげえ奴だよ、ほんと)
地球人と異世界人の、魂のレベルの差を見せつけられたような気がした。
こうして、打算のつもりで付き合い始めた俺は、この男に完全に心を許し、今では親友と呼べるほどの仲になっていた。そして俺は、コイツと友達になれたことを本当に幸運に思っていた。
調子に乗るから本人には絶対に言えないけど。
「ロヴェル様、こちらで汚れを落としてくださいませ」
ミューが、ロヴェルに予備の汗拭き用の布を手渡した。
「ありがとう、ミュー。それにしても、ミューは本当に可愛いし良い子だね。うちのメイドにならないかい?」
「おい、ミューに手を出すとは……いい度胸してんな、貴様。……敵なの? ねえ、君、敵なの? 一線超えたらマジで、分子レベルで解体するけど?」
前言撤回、こいつは殺すリスト入りだ。
「あははは、すみませんロヴェル様」
ヤンキー漫画の特攻隊長みたいな表情の俺の横で、明るさ100%、申し訳なさ0%でロヴェルの誘いをぶった切るミュー。
当たり前である。うちのミューをよその家になんかやれるか!
「おいおい冗談だって。子爵家が、辺境伯家の人間を引き抜きなんてしたら、それこそ大問題だろうが。ぶ、んし? ってのがなんだかわからんが、お前もそんなに怒んなって」
「ちっ、分かってるけど、いくらお前でも、俺の前で言っていい冗談といけない冗談があるんだからな」
さすがに、俺も大人気なかった。少し反省しながらロヴェルにそう返した。
「はいはい、すみませんって。それにしてもミューは、本当に幸せ者だね」
「はい、幸せ者です」
満面の笑みのまま、ロヴェルに返答するミュー。
(ははは、こりゃ、本当に幸せものだわ、ヴァルスは)
ミューの返事を聞いて、ロヴェルは心の中でそう呟くのだった。
その時、屋敷の方から一つの人影が小走りに近寄って来た。
「あ、ロヴェル様、いらっしゃってたのですね? どうぞごゆっくりしていって下さいな」
ハーフアップにした金色の長い髪に良く映える青いドレスの可愛い少女が、太陽の様に微笑んだ。
天使である。
じゃない、エフィリアである。
「よう、エフィリア、こんにちは」
「はい、こんにちは」
5年経ち、少し大人になったエフィリアは、幼かった言葉遣いも無くなり、ますます天使に磨きがかかっていた。
そんなうちの天使に挨拶をしたロヴェルだったが、エフィリアの顔を見るやいなや、何故か急に少し表情に影を落とした。そして、ため息をついた。
「はぁ……」
なんだ、いつものこいつらしくない。なんか悩み事でもあるのか? 大体、うちの天使の顔を見て溜息なんて、不敬罪であるぞ?
そう思って、俺が口を開こうとした刹那、ロヴェルは言った。
「なあ、エフィリア。俺の婚約者にならない?」
……は?
なんだとー!!!!!!!!!!?
こいつは今、このヴァルクリスの逆鱗に触れたのだ。それ相応の覚悟は出来ておろうな?! 勿論、逆鱗と書いて、さかさうろこと読む!
「ねぇなんなのチミ、さっきから。発情期なの? 生物学的には人間に発情期は無いんだけど、それでも発情期なの? ひょっとして人じゃないの? 魔物なの? 性欲の魔物なの? さっき言わなかったっけ? 俺の前では『言っていい冗談と、言ったら股間のアレが八つ裂きになる冗談がある』って、言わなかったっけ?」
「八つ裂きは聞いてねえよ!? そして、ええっ八つ裂き!!??」
面白いツッコミをする奴である。
「いやいや、違う、そうじゃなくってさ。……はぁ、参ってんだよ」
今度こそ本気で、なにやら重いため息をつくロヴェル。
「……なんだよ、言ってみろよ。事と次第によっちゃあ、八つ裂きだけは勘弁してやるよ」
「その罰則、まだ生きなの?」
「お二人とも仲良しですね」
エフィリアが俺たちのゲスいやり取りを、微笑ましく眺めていた。
いかん、天使に聞かせるような話では無かった。
その時、今度はどこからともなく、馬のいななきが聞こえた。
「なにやら、馬車の音がしますね。誰かがいらっしゃったのでしょうか?」
この裏庭は、正門から建物をはさんで反対側にある。そして確かに、建物を超えた反対側から、それらしい音が聞こえて来た。確認のために、ミューが俺に軽く一礼をして、小走りに駆けて行った。
「お、来たかな?」
ロヴェルがぼそっと呟いた。なんだ? 誰が来たのかこいつは知っているのか?
暫く待つと、すぐにその来客は、ミューに連れられて姿を現した。赤いドレス姿のその女の子は、俺たちの前に立つと、ドレスの裾をつまみ上げ、軽くカーテシーをした。優雅なものである。
「お招き頂きまして、ありがとうございます。ヴァルクリス・カートライア様」
さすがに、形式にのっとった挨拶をされた以上、こちらも礼をもって返さねばなるまい。
「これは、ヒューリア・パリアペート男爵令嬢。私、招いた記憶を無くしてしまったようですが、ようこそ当家へいらっしゃいました。歓迎いたします」
どうも、俺、嘘はつけない性格のようである。
「ああ!? ちょっと、ロヴィ!? てめぇヴァルスに話通してないの!? おい!」
「ぐわっ!」
俺が真実を話すと優雅さが吹き飛ぶ。
風が吹けば桶屋が儲かる、みたいなことだろうか? 違うか。
ともあれ、俺の言葉を聞いて、一秒前まで優雅な貴族だったその女の子は、俺の横でニヤニヤして立っているロヴェルに突っかかっていき、器用にドレス姿のまま蹴りを繰り出した。
おおっ……ケンカキック。イヤ、本当に同一人物デスカ?
「ロヴィに言われたのよ、今日、ヴァルスの屋敷で集合しようって。だからてっきり、伝えてくれてるものだと思うじゃない!?」
なるほど、そういう事だったか。面白がって、わざと伝えなかったな、コイツ。
「ああ、確かにな。ヒューリアは悪くない。悪いのは全部こいつだ」
俺は、横に立っていたロヴェルを顎で指した。が、あれ、いない。
いや、下にいた。
見れば、ロヴェルは股間を抑えてうずくまっている。
そういえば、先ほどの男爵令嬢キック。なかなかきわどい所にヒットしたような気がしてはいたのだが。
まあ、俺の代わりに、彼女が手を、じゃない、足を汚してくれたので、先ほどの八つ裂きの件は水に流してやることにした。
俺に、ではなく、ロヴェルに呼ばれてやって来た彼女は、ヒューリア・パリアペート。パリアペート男爵家の一番上のご令嬢である。確か三姉妹の長女だったか。
彼女の、その黒い瞳と灰色のボブヘアは、とても可愛らしく見えるが、実はなかなかに男勝りな性格の持ち主である。今の赤いドレスはとても似合っていたが、普段、パリアペート家の屋敷にいる時は、パンツ姿なのだそうだ。外に出る時は、作法として、仕方なくドレスを着るのだとか。
ところで、大陸の北東に位置する、我がカートライア辺境伯領は、二つの領地に隣接している。西のリングブリム子爵領と、南のパリアペート男爵領である。もちろん、子爵領と男爵領も隣接している。
リングブリム子爵領のさらに西側にはレバーシー伯爵領があるが、そこに行くためには、大きな森林地帯を超えなくてはならない。
パリアペート男爵領も、その更に南側にはラザフ男爵領があるが、これまた山を一つ越えなくてはならない。つまり、我らが三家は、山と森に囲まれた陸の孤島のような配置になっているのである。
ちなみにこの三領地を纏めて『北東三辺境領』と呼ばれる事もあった。
そんな訳で、当然、この三領地は互いに親密な関係を築いてきたのだった。その中でも、リングブリム子爵家とパリアペート男爵家は昔からより親交が深かったようで、ロヴェルとヒューリアはいわゆる幼馴染であった。
俺がロヴェルと知り合い、仲良くなってから、ヒューリアを紹介された、と言うのが馴れ初めである。
ちなみに、ヒューリアは俺の二個下だったから、今は10歳のはずだ。
この場にいる人間を年齢順に整理すると……。
ロヴェルとミューが同い年で13歳。
次いで俺が12歳。
ヒューリアが10歳。
そしてエフィリアが9歳、という感じである。
それにしても、こんなに勢ぞろいするのは久しぶりだった。たまにはいいものだな。
「それで? 二人して、ここに来た理由は、なんなんだ?」
ロヴェルのダメージが収まるのを待って、俺たちは中庭に向かい合わせでおいてあるベンチに移動した。ここならば六人は座れる。
勿論、ミューは座るのを拒んだが、エフィリアが無理やり袖を引っ張って彼女を座らせた。ナイス。
「……なんなのよ?」
俺の視線を受けて、完全にこちら側のポジションでロヴェルを見るヒューリア。まあ、そりゃそうだ。理由も聞けずに呼び出されたんだから。
「会う理由がなくっちゃ、会えないなんて。寂しいなあ。はははは。うっ……」
アリス・○ャロルかお前は、というツッコミは、この世界の誰にも通じないので、言わなかった。
いや、地球で言っても通じなそうだけどさ。
そして、軽口を叩いて誤魔化そうとしたロヴェルだったが、ヒューリアの氷の女王のような視線を受け、さすがにその態度をひっこめた。
それにしても、まだ10歳の少女なんだから、そんな人を殺しそうな目をしないで欲しいものである。
ヒューリアの圧を受け、少し目線を伏せてため息をついたロヴェルだったが、ようやく観念したように語りだした。
「実はさ……『成人のお披露目』について、相談があって来たんだ」
「ああ、この中じゃ、ロヴェルが一番最初だな。楽しみだよ」
この世界の貴族は、15歳で成人となる。そして、成人になる年の頭の冬から春にかけて、都合の良い日取りを決め、近隣の貴族たちを集め、無事に成人を果たしたことを周知してもらうための『お披露目』を催すのが、一般的であった。
しかし、ロヴェルはまだ13歳になったばかりだ。『お披露目』はその年の前半だから、あと丸二年は猶予がある。そんなに焦ることも無いはずだが?
「のんきに言ってんじゃねえよ。あと二年だぞ。お前らも貴族なんだから、分かるだろう。ほとんどの貴族の息子が、成人までに決めなくてはならないアレを」
ロヴェルにそこまで言われて、ようやく得心がいった。
つまり、あと二年の間に、ロヴェルは決めなくてはいけないのだった。
そう、つまり「婚約者」を、である。
……かくいう、一個下の俺も、そろそろ微妙なお年頃だな……。
うーん。
婚約者か……。
(第8話『ラルアー貴族の婚約事情 その1』へつづく)
国中の貴族の当主が、一同に王宮に呼ばれ、様々な報告や、場合によっては意見具申などをする、王宮会議「シナディリオ」。
今回も、その時期が訪れた。
王宮主催のその一大イベントに呼ばれた父上は、数日前から、母上を連れて屋敷を離れていた。
まあ、王宮会議と言っても、見方を変えれば、王都への旅行なのだ。夫婦水入らずで楽しんでもバチくらい当たるまい。
家臣や使用人たちは、このタイミングを機に実家に帰ったり、済ませたい用事を済ませたりと、各々、時間を有効に活用するのが通例であった。
そんな訳で、全国の貴族のご領主が大移動を繰り広げている正に今、逆に全国の貴族のお屋敷は、これ以上無いほどの平穏が訪れていた。
特に王都から遠い我がカートライア辺境伯家は、まるまる一ヶ月以上の春休み状態になっていた。
「よう、ヴァルス、来たぞ」
「やあ、ロヴェル、いらっしゃい」
その日、休みとはいっても特にやることは無いので、いつものように庭で剣の稽古をしていたところに、裏口から声を掛けられた。
剣の稽古? と思うかもしれないが、父上から、衝撃の事実を知らされて以来、俺は、ミューに手伝ってもらい、ひたすらに体力と筋力を鍛え、剣の稽古に明け暮れた。
いや、メイドに稽古の相手を強要すな! という意見が飛んで来そうだが、それはごもっとも。初めは俺もそう思っていたさ。しかし、これは毎日鍛錬をする俺を見て、ミューから申し出て来たのである。
聞けば、魔王復活の後、魔物との戦いに俺が出るときには、ご一緒出来るようになりたいとの事だった。
危険な目に合わせたくはなかったので断ろうかとも思ったが、正直いつも側にいる、彼女以上の稽古相手の適任者はいなかったので、俺は強くなるために、そしてベル様からのミッションを果たす為にも、その申し出を了承したのだった。
チート能力が無くても、本来ならば、前世の知識を生かして、重火器を作ったり、薬品の調合をしたりと、別の手段を模索しそうなものであるが、残念ながら、こちとら前世は、科学的専門性など皆無のデスクワーカーである。そんな知識など何も持ち合わせていなかった。
であれば、泥臭く、一から鍛え続けるしかない。
しかし、これがまた、意外に苦痛では無かった。
スポーツなどとは全く縁がなかった前世の反動か、体を動かして己を鍛えることが、こんなにすがすがしいものだとは思ってもみなかった。
それに精神年齢は、様々な事柄を理論的に考え、分析できる大人である。
ただ訳も分からずやみくもに剣をふるうのではなく、効果的な剣筋や、フェイント、効率的な構えや、間合いの詰め方。どうやったら剣に体重を乗せられるかなど、試行錯誤しながら練習を重ねていくうちに、俺はめきめきと強くなっていった。
鍛え始めておよそ5年、まだ12歳になったばかりの俺ではあるが、辺境伯領では、俺から一本取れる人間は数えるほどしかいなくなっていた。
いや、そんな俺の剣の稽古に、ずっと付き合ってくれているミューも、かなりの上達が伺えるのだが。
「いらっしゃいませ、ロヴェル様」
槍を置き、俺に汗拭き用の布と飲み物を渡しながら、ミューが来客に応対する。
ちなみに、ミューは剣よりも槍の扱いのほうが圧倒的に上手かったので、そちらをメインウェポンにしていた。
「ありがとう、ミュー。サージ、馬を頼む」
馬から軽やかに降りたそいつは、ついて来た護衛の家臣に馬を預けた。
この男は、ロヴェル・リングブリム。西隣、リングブリム子爵家の嫡男である。
年齢は俺の一個上だ。栗毛色の髪をやや短く刈った、美少年というよりはソース顔系のイケメン君である。
前に少し触れたが、以前から、我が家に出入りしていたリングブリム子爵が、ある時息子のロヴェルを連れてきて、それ以来仲良くなったのだ。
最初は打算だった。
魔王が復活した後、大陸内は混乱が予想される。魔物たちが襲ってきたときに、近隣の領地とはうまく連携を取れた方が何かと都合が良い。
そんなつもりだったのだが……。
「なんだ、今日も剣の稽古か? 毎日毎日飽きねえなあ」
「いつ魔王が復活して、魔物が襲ってきても良いようにな。全く難儀な時代に産まれたものだよ。折角だ、手合わせしてくれないか? ロヴェル」
そう言って、刃の部分が削られた、練習用の剣を投げてよこす。
「ふっ! 俺がいつまでもお前の後塵を拝する男だと思うなよ」
受け取った剣を構え、ロヴェルはニヤリと笑った。
お、今日は珍しくやる気じゃないか。
いつもなら、「痛いのやだ」「眠いからやだ」「疲れるからやだ」のダメ人間な三択しか選ばないというのに。こいつにもようやく次期領主としての自覚が芽生えた、ということだろうか。
三分後。
俺は、地面に突っ伏したロヴェルの尻を、剣先でつついていた。
「やー、やっぱこれっぽっちも敵わねえや」
けらけらと笑って言う。
いくらこちらの家の方が爵位が上とはいえ、年下に勉学も剣術も圧倒的に劣っているのだ。
俺は精神年齢的にあれだから、そんな事で驕ったり、相手をさげすんだりはしないが、ロヴェルはどうなのだろうか。
正直、逆の立場だったら、悔しいとか、羨望とか、妬ましいとか、そういう感情が湧いてしまいそうである。
いや、絶対に湧く。
当の父上のリングブリム子爵も、よく俺とロヴェルを比べる、と言っていたし。
「なあ、ロヴェルはさ、俺の事、その、妬ましいとか、ムカつくとか思ったことは無いのか?」
「ねえな」
即答である。あっけにとられるくらいに。
「でもお前、父上に俺と比べられるの嫌がってたじゃないか」
「そりゃあ嫌さ。何にも言い返せねえもん。でもそれって、お前は悪くねえじゃん」
「いや、でもさ」
「たまたま隣の領地だからって仲良くなった奴がさ、めちゃ天才だったなんて、むしろ俺はラッキーだぜ。大人になっても色々と助けてくれよな!」
ロヴェルはそう言って、再びけらけらと笑った。
そう、こいつはこういう奴だ。
(いや、お前の方がよっぽどすげえ奴だよ、ほんと)
地球人と異世界人の、魂のレベルの差を見せつけられたような気がした。
こうして、打算のつもりで付き合い始めた俺は、この男に完全に心を許し、今では親友と呼べるほどの仲になっていた。そして俺は、コイツと友達になれたことを本当に幸運に思っていた。
調子に乗るから本人には絶対に言えないけど。
「ロヴェル様、こちらで汚れを落としてくださいませ」
ミューが、ロヴェルに予備の汗拭き用の布を手渡した。
「ありがとう、ミュー。それにしても、ミューは本当に可愛いし良い子だね。うちのメイドにならないかい?」
「おい、ミューに手を出すとは……いい度胸してんな、貴様。……敵なの? ねえ、君、敵なの? 一線超えたらマジで、分子レベルで解体するけど?」
前言撤回、こいつは殺すリスト入りだ。
「あははは、すみませんロヴェル様」
ヤンキー漫画の特攻隊長みたいな表情の俺の横で、明るさ100%、申し訳なさ0%でロヴェルの誘いをぶった切るミュー。
当たり前である。うちのミューをよその家になんかやれるか!
「おいおい冗談だって。子爵家が、辺境伯家の人間を引き抜きなんてしたら、それこそ大問題だろうが。ぶ、んし? ってのがなんだかわからんが、お前もそんなに怒んなって」
「ちっ、分かってるけど、いくらお前でも、俺の前で言っていい冗談といけない冗談があるんだからな」
さすがに、俺も大人気なかった。少し反省しながらロヴェルにそう返した。
「はいはい、すみませんって。それにしてもミューは、本当に幸せ者だね」
「はい、幸せ者です」
満面の笑みのまま、ロヴェルに返答するミュー。
(ははは、こりゃ、本当に幸せものだわ、ヴァルスは)
ミューの返事を聞いて、ロヴェルは心の中でそう呟くのだった。
その時、屋敷の方から一つの人影が小走りに近寄って来た。
「あ、ロヴェル様、いらっしゃってたのですね? どうぞごゆっくりしていって下さいな」
ハーフアップにした金色の長い髪に良く映える青いドレスの可愛い少女が、太陽の様に微笑んだ。
天使である。
じゃない、エフィリアである。
「よう、エフィリア、こんにちは」
「はい、こんにちは」
5年経ち、少し大人になったエフィリアは、幼かった言葉遣いも無くなり、ますます天使に磨きがかかっていた。
そんなうちの天使に挨拶をしたロヴェルだったが、エフィリアの顔を見るやいなや、何故か急に少し表情に影を落とした。そして、ため息をついた。
「はぁ……」
なんだ、いつものこいつらしくない。なんか悩み事でもあるのか? 大体、うちの天使の顔を見て溜息なんて、不敬罪であるぞ?
そう思って、俺が口を開こうとした刹那、ロヴェルは言った。
「なあ、エフィリア。俺の婚約者にならない?」
……は?
なんだとー!!!!!!!!!!?
こいつは今、このヴァルクリスの逆鱗に触れたのだ。それ相応の覚悟は出来ておろうな?! 勿論、逆鱗と書いて、さかさうろこと読む!
「ねぇなんなのチミ、さっきから。発情期なの? 生物学的には人間に発情期は無いんだけど、それでも発情期なの? ひょっとして人じゃないの? 魔物なの? 性欲の魔物なの? さっき言わなかったっけ? 俺の前では『言っていい冗談と、言ったら股間のアレが八つ裂きになる冗談がある』って、言わなかったっけ?」
「八つ裂きは聞いてねえよ!? そして、ええっ八つ裂き!!??」
面白いツッコミをする奴である。
「いやいや、違う、そうじゃなくってさ。……はぁ、参ってんだよ」
今度こそ本気で、なにやら重いため息をつくロヴェル。
「……なんだよ、言ってみろよ。事と次第によっちゃあ、八つ裂きだけは勘弁してやるよ」
「その罰則、まだ生きなの?」
「お二人とも仲良しですね」
エフィリアが俺たちのゲスいやり取りを、微笑ましく眺めていた。
いかん、天使に聞かせるような話では無かった。
その時、今度はどこからともなく、馬のいななきが聞こえた。
「なにやら、馬車の音がしますね。誰かがいらっしゃったのでしょうか?」
この裏庭は、正門から建物をはさんで反対側にある。そして確かに、建物を超えた反対側から、それらしい音が聞こえて来た。確認のために、ミューが俺に軽く一礼をして、小走りに駆けて行った。
「お、来たかな?」
ロヴェルがぼそっと呟いた。なんだ? 誰が来たのかこいつは知っているのか?
暫く待つと、すぐにその来客は、ミューに連れられて姿を現した。赤いドレス姿のその女の子は、俺たちの前に立つと、ドレスの裾をつまみ上げ、軽くカーテシーをした。優雅なものである。
「お招き頂きまして、ありがとうございます。ヴァルクリス・カートライア様」
さすがに、形式にのっとった挨拶をされた以上、こちらも礼をもって返さねばなるまい。
「これは、ヒューリア・パリアペート男爵令嬢。私、招いた記憶を無くしてしまったようですが、ようこそ当家へいらっしゃいました。歓迎いたします」
どうも、俺、嘘はつけない性格のようである。
「ああ!? ちょっと、ロヴィ!? てめぇヴァルスに話通してないの!? おい!」
「ぐわっ!」
俺が真実を話すと優雅さが吹き飛ぶ。
風が吹けば桶屋が儲かる、みたいなことだろうか? 違うか。
ともあれ、俺の言葉を聞いて、一秒前まで優雅な貴族だったその女の子は、俺の横でニヤニヤして立っているロヴェルに突っかかっていき、器用にドレス姿のまま蹴りを繰り出した。
おおっ……ケンカキック。イヤ、本当に同一人物デスカ?
「ロヴィに言われたのよ、今日、ヴァルスの屋敷で集合しようって。だからてっきり、伝えてくれてるものだと思うじゃない!?」
なるほど、そういう事だったか。面白がって、わざと伝えなかったな、コイツ。
「ああ、確かにな。ヒューリアは悪くない。悪いのは全部こいつだ」
俺は、横に立っていたロヴェルを顎で指した。が、あれ、いない。
いや、下にいた。
見れば、ロヴェルは股間を抑えてうずくまっている。
そういえば、先ほどの男爵令嬢キック。なかなかきわどい所にヒットしたような気がしてはいたのだが。
まあ、俺の代わりに、彼女が手を、じゃない、足を汚してくれたので、先ほどの八つ裂きの件は水に流してやることにした。
俺に、ではなく、ロヴェルに呼ばれてやって来た彼女は、ヒューリア・パリアペート。パリアペート男爵家の一番上のご令嬢である。確か三姉妹の長女だったか。
彼女の、その黒い瞳と灰色のボブヘアは、とても可愛らしく見えるが、実はなかなかに男勝りな性格の持ち主である。今の赤いドレスはとても似合っていたが、普段、パリアペート家の屋敷にいる時は、パンツ姿なのだそうだ。外に出る時は、作法として、仕方なくドレスを着るのだとか。
ところで、大陸の北東に位置する、我がカートライア辺境伯領は、二つの領地に隣接している。西のリングブリム子爵領と、南のパリアペート男爵領である。もちろん、子爵領と男爵領も隣接している。
リングブリム子爵領のさらに西側にはレバーシー伯爵領があるが、そこに行くためには、大きな森林地帯を超えなくてはならない。
パリアペート男爵領も、その更に南側にはラザフ男爵領があるが、これまた山を一つ越えなくてはならない。つまり、我らが三家は、山と森に囲まれた陸の孤島のような配置になっているのである。
ちなみにこの三領地を纏めて『北東三辺境領』と呼ばれる事もあった。
そんな訳で、当然、この三領地は互いに親密な関係を築いてきたのだった。その中でも、リングブリム子爵家とパリアペート男爵家は昔からより親交が深かったようで、ロヴェルとヒューリアはいわゆる幼馴染であった。
俺がロヴェルと知り合い、仲良くなってから、ヒューリアを紹介された、と言うのが馴れ初めである。
ちなみに、ヒューリアは俺の二個下だったから、今は10歳のはずだ。
この場にいる人間を年齢順に整理すると……。
ロヴェルとミューが同い年で13歳。
次いで俺が12歳。
ヒューリアが10歳。
そしてエフィリアが9歳、という感じである。
それにしても、こんなに勢ぞろいするのは久しぶりだった。たまにはいいものだな。
「それで? 二人して、ここに来た理由は、なんなんだ?」
ロヴェルのダメージが収まるのを待って、俺たちは中庭に向かい合わせでおいてあるベンチに移動した。ここならば六人は座れる。
勿論、ミューは座るのを拒んだが、エフィリアが無理やり袖を引っ張って彼女を座らせた。ナイス。
「……なんなのよ?」
俺の視線を受けて、完全にこちら側のポジションでロヴェルを見るヒューリア。まあ、そりゃそうだ。理由も聞けずに呼び出されたんだから。
「会う理由がなくっちゃ、会えないなんて。寂しいなあ。はははは。うっ……」
アリス・○ャロルかお前は、というツッコミは、この世界の誰にも通じないので、言わなかった。
いや、地球で言っても通じなそうだけどさ。
そして、軽口を叩いて誤魔化そうとしたロヴェルだったが、ヒューリアの氷の女王のような視線を受け、さすがにその態度をひっこめた。
それにしても、まだ10歳の少女なんだから、そんな人を殺しそうな目をしないで欲しいものである。
ヒューリアの圧を受け、少し目線を伏せてため息をついたロヴェルだったが、ようやく観念したように語りだした。
「実はさ……『成人のお披露目』について、相談があって来たんだ」
「ああ、この中じゃ、ロヴェルが一番最初だな。楽しみだよ」
この世界の貴族は、15歳で成人となる。そして、成人になる年の頭の冬から春にかけて、都合の良い日取りを決め、近隣の貴族たちを集め、無事に成人を果たしたことを周知してもらうための『お披露目』を催すのが、一般的であった。
しかし、ロヴェルはまだ13歳になったばかりだ。『お披露目』はその年の前半だから、あと丸二年は猶予がある。そんなに焦ることも無いはずだが?
「のんきに言ってんじゃねえよ。あと二年だぞ。お前らも貴族なんだから、分かるだろう。ほとんどの貴族の息子が、成人までに決めなくてはならないアレを」
ロヴェルにそこまで言われて、ようやく得心がいった。
つまり、あと二年の間に、ロヴェルは決めなくてはいけないのだった。
そう、つまり「婚約者」を、である。
……かくいう、一個下の俺も、そろそろ微妙なお年頃だな……。
うーん。
婚約者か……。
(第8話『ラルアー貴族の婚約事情 その1』へつづく)
20
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