玲香哀愁

矢野 零時

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11突入

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 午後一時四十五分、青いビルに真治がやってきた。
 駐車場に立花がのる紺色の車が停まっていた。車の中から立花がフロントガラス越しに視線を真治に向けてきた。真治は軽くうなずいてみせた。その隣に並んだ灰色の車も立花の仲間がのっているらしかった。
 いつものように真治は青ビル内の十五階に行った。真治は検査室に入ると村上がお決まりの検査を行い増強剤の注射を真治に打っていた。真治はその間、村上の胸を見続けた。そこにあるバッジをどうにかして、手に入れられないかと考えていたからだ。だが、そんな隙はみせない。
 検査室を出てロッカー室に向かった。途中で通る受付カウンターを前に荻野がすわっていた。思わず荻野の胸に目が行ってしまう。胸にバッジをつけているからだ。
 誰かを襲って強引にバッジを取り上げるしかないと思い出していた。だが、決断はつかない。いつまでもウロウロしている訳にもいかない。もう訓練を開始しないと不信感を抱かせてしまう。ロッカー室に行き、着替えを終えると真治は塚本のところに行った。
 すると、塚本は訓練生二人を前にして驚くようなことを言い出した。
「今日を最後にBレベルの指導を終わらせてもらう」
「えっ、どうされたんですか?」と、宮本が聞いた。
「明日からは、Cレベルで指導することになりそうだ」
「じゃ、明日から、私たちの指導は誰がするんですか?」
「私が聞いているのは、ロボットになるらしい。もはや、Bレベルの指導に人間はいらないということだ」
 戦争になれば、クローンが活躍する時代がきている。そうなれば、人を強化する訓練など無意味だと、どこかにいる上が考えているのだ。そう思いつくと真治は額にしわをつくっていた。
「ロボットですか」と言った宮本は悲しそうだった。
「ロボットと言っても、今は人工知能がついているからな」
 塚本は思い出したように、真治の方に顔を向けた、
「ともかく、やるべきことは、ちゃんとやってもらいたいと思う。以上だ」
 真治たちは訓練を始めた。
 塚本が見ている前で訓練をやっているので手を抜くことはできない。
 二時間後に訓練を終えると、塚本が最後の挨拶をした。
「これまで、ただの自衛隊あがりにつきあってくれて、ありがとう。明日からは、もうこのバッジをつけられないな」
 塚本は受付カウンターまで行って、その上に胸からはずしたバッジを置いていた。看護師と話をしている荻野は席を立っている。置かれたバッジに荻野はまだ気づいてはいなかった。真治は思わず、塚本の方に顔を向けた。だが、塚本はわざとのように顔をそらし、真治に背を向けるとロッカー室の方に向かっていた。
 塚本は真治が何かをやらかすのでないかと思っている。いや起こして欲しがっていたのかもしれない。
 真治はつばを飲み込むと、受付カウンターに行き、バッジを手に掴んだ。そして、まっすぐにエレベーター昇降口に向かった。
 この時ほど、エレベーターがやってくるのを待ち遠しいと思ったことはない。やがてエレベーターの扉が開く。真治はのり込むと、すぐに一階へのボタンを押した。
 エレベーターが一階についてドアが開く。すぐに飛び込むように立花たちがのり込んできた。待ちきれずにロビーでたむろしていたのだ。
「真治さん、まず上に十階」
 言われるままに、ボタンを押す。総勢七人がいるのにエレベーターは動き出した。総裁四五〇キログラム以内だったからだ。
「そこに行けば、ビル管理室があります。このビルにあるすべての監視カメラをそこで見ることができる。どこに行けばいいのか確かめることができますよ」
 やがて、十階でエレベーターがとまり、扉が開いた。バッジを手でかかげた真治は先に飛び出した。すると、昇降口を覆うガラス筒についている扉が開いた。一団となって通路に入り歩くと、ビル管理室と書かれた表示板がある部屋が見えてきた。
 みんなで飛び込むと、そこにいた二人の職員は驚いている。立花の仲間たちが彼らを押さえつけ、用意してきたロープで縛りあげた。
 壁を塞ぐためのようにたくさんのデイスプレーが並んで埋めつくされている。どの画面もビルのどこかを映していた。立花はこの装置に熟知しているようだった。あちらこちらのスイッチをいじっている。
「十七階は武器庫だね。機関銃やロケットランチャーまで置かれている。こんなに充実している理由がわかりますか」
 立花に顔を向けられ真治は首を左右に振っていた。
「自衛隊入江口本部の方にも武器庫があって、こちらが予備だという事になっている。だが、本当はここがメインの武器保存庫なんですよ。ともかく、すぐに武器を運んできて欲しい。それで、真治くん、彼にバッジを貸してやってほしい」
 すぐに真治は手に持っていたバッジを彼に渡した。彼は仲間二人を連れてビル管理室から飛び出して行った。
 彼らが戻ってくるまでの間に、立花は、薬製造室と薬剤保存室をみつけ出した。
「ここだぞ、二十階に薬剤保存室。その上に薬製造室がある。ここから装置を運び出すんだ。作られているマンドリン液も忘れるな」
「了解」と残っている仲間が声を出した。
「玲香さんがいる場所は映っていませんか?」
 真治に言われて、立花は、あちらこちら部屋にある監視カメラの向きを変えていた。だが、どこを見ても玲香の姿はない。
「ここを伊藤がうろうろしている。それに並ぶ大きなフラスコの中に肉の破片と思える物が浮かんでいる。つまり、この近くにきみが会いたい玲香さんがいると思うんだ」
 真治は大きくうなずいた。だが、そうなると、このビルの最上の三十二階まであがって行かなければならない。
 やがて、武器庫に行っていた仲間が戻ってきた。
「まず武器を持ってもらう」
 真治は一丁の拳銃を手に持ち、それに挿入する銃弾を二〇発ほどポケットに押し込んでいた。他のみんなも拳銃を選び、腰に二丁をさげる者もいる。機関銃やロケットランチャーを選んで持つ者もいる。
「これだけの銃があれば、ハスワードなど関係なくドアを壊して入り込むことができるな」と言った立花はマンドリン細胞増殖器をとりにいくグループに参加することを宣言し、その後に段取りを話し出した。
「思ったより、マンドリン細胞増殖器はおおきい。これを運ぶためには、貨物用のエレベーターを使うしかない」
 みんなでうなずき合った。
 意をけっしたように、真治が片手をあげた。
「すいません。ぼくは別行動をとらさしてもらいます」
「玲香さんを探すんでしたね。私たちだって伊藤を許すきはありませんよ。マンドリン細胞増殖器を一階までおろしたら、下で待っている仲間に渡してしまう。その後、真治さんの後を追って、私たちも伊藤のところに駆けつけますよ」
 立花の鋭い視線には殺意がこもっていた。
「他に連絡をさせないように、ここを出る時にビル管理室も壊して行きましょう」と、仲間の一人が声をあげた。
「さあ、ゲーム開始です」
 立花の言葉にみんなは一斉にビル管理室から飛び出した。最後に出た者は、出る前にビル管理室の中で機関銃を振りまわし連射していた。縛られていた職員は頭をさげて、銃弾を避けていた。
 
 
12玲香昇天
 最上の三十二階まで真治は非常階段を駆けあがった。
 三十二階のフロアに入ろうとすると警戒音が鳴り出し、すぐに厚いガラスの遮断壁がおりてきた。真正面のガラスに向かって真治は立て続けに同じ場所に五発の銃弾を撃ち込んだ。穴は開き出したが、小さな網目だ。弾倉に弾をこめ直すとさらに二発撃った。ガラスの遮断壁にクモの巣のようなヒビが一気に入っていく。大きな音に、伊藤がやってきていた。
「真治くん、何をやっているんだ?」
 真治は足をあげてクモの巣の真ん中を蹴り上げた。ガラスにできたクモの巣はみじんに砕けて床に落ちて行った。真治は破片を踏みながら、伊藤がいるフロアに入っていく。
「ここに玲香さんがいるんですよね?」
「いるよ。それが、どうだっていうんだね」
「連れて帰ります」
「馬鹿な、どうして玲香を連れて行くと言うのかね?」
 伊藤は口をゆがめた。
「そうですよ。玲香をここから、連れ出すことが、ぼくが人体強化訓練所に入った本当の理由だったんですから」
 真治は手にしていた拳銃を伊藤に向け直した。このまま引き金を引けば、間違いなく伊藤の心臓を狙える。
「ちょっと待ってくれよ。私はまだ死にたくはない。だが、玲香は宝に成ってしまっている。われわれ人類がさらに発展していくために、彼女は必要なんだ。そして、それを可能にしたのが、私、伊藤俊彦だぞ。この業績は私がノーベル賞をもらっても、いいことなんだ。それを忘れんでくれよ」 
 伊藤は自分に酔っている。
「今のきみは何をするかわからん。まず冷静になって、銃をこちらに手渡してもらおうか」と言いながら、伊藤は隠していた手を前に出した。その手に拳銃が握られていたのだ。その拳銃で真治を撃ってきた。
 真治も強化訓練を受けてきた男だ。素早く銃弾を避けていた。それでも、銃弾はわき腹をかすり少し痛みをおぼえた。すぐに真治は伊藤に近づき、彼の手をひねりあげた。拳銃は足元に落ちたので、真治は遠くに蹴りとばしていた。伊藤の腕をひねり上げ、背中に拳銃をつきつけながら真治の前を歩かせる。
 すると、さらに奥を塞ぐ扉が現れた。今度は鉄の扉だ。伊藤の首に拳銃を押し付け、その前に立たせると鉄の扉が開いた。伊藤の胸につけたバッジの力だ。
 そこは、異形の空間が広がっていた。
 天井は高く、ガラスで幾つもの小部屋に仕切られている。その小部屋の中に肉片が浮かび、人の手や足、さらに腰や胸、体の一部に変化していた。ガラス部屋が重なってできた間を通る通路はまるで迷路のようだった。
 伊藤の背に拳銃をつきつけながら真治はこの空間の真ん中までやってきた。
 玲香がいた。
 大きなガラスの筒に入っていたのだ。玲香を見た真治は顔をゆがませ、叫び声をあげていた。玲香は、今まで見てきていた玲香の三倍の大きさになっていたからだ。両手はきらめく金色の鎖で吊りさげられていた。乳房は白い鎧のようにしか見えない。体中に無数のビニール管が差し込まれている。その背には無数の突起物が生えだし、まるで海の中で揺れる藻のように蠢いていた。
「先生、ここまですることはあるんですか!」
 真治は玲香をさしていた。
「われわれはね。玲香が作り出す柔突起が必要なんだ。その柔突起からたくさんのクローンを簡単に作り出すことができるからだ。彼女はクローン製造機だよ。これで、戦争を起こしても人が戦死することがなくなる。兵士が欲しいと思っている国々に送ってやれば、外貨だって稼ぐことができるんだよ。それができるのが玲香なんだ」
「馬鹿な!」
 怒りに襲われた真治は伊藤に向かって銃を撃った。
 伊藤はすばやくよけながら腕時計のスイッチを押していた。犬型ロボットが現れた。ロボットは真治に襲いかかり、再び伊藤を撃とうとする動きを阻止している。その間、伊藤は別の犬型ロボットを呼び、その背にのると逃げ出していった。
 真治を相手に戦っていた犬型ロボットが、突然攻撃するのをやめた。すぐに真治から離れ走り出していった。立花の仲間が伊藤と出会い、伊藤を攻撃し始めているのだろう。
 しばらく荒い息をしていた真治が顔をあげた。
 神像と化した玲香が目を閉じて、静かに眠り続けている。
「ぼくにできることは、もうないのか」
 真治は悲鳴の言葉を吐いていた。
 そんな時だった。
 声が聞こえた。真治は顔をあげた。玲香の口がかすかに動いていた。
 かすかな声がしている。真治が強化訓練を受けていなければ、こんな声を聴くことはできなかったろう。
 再び、真治は玲香の顔を見た。玲香の目が開いていて、大きな瞳が真治を見おろしていた。
 お願い。私を殺して。
 お願い、すべてを消しさって。
「玲香さん、それでいいのか」
 真治が大声をあげると、玲香は目を一度閉じてから再び目を開けた。その目は憂いを帯び、すべての悲しみが、そこに集まったようだった。
「わかった。わかったぞ」
 真治は異形の空間から飛び出し、階段を駆けおりて行った。
 十七階の武器庫に向かったのだ。訓練を受ける前の真治だったら、こんなことは、できなかっただろう。だが、今は違う。まるで学校の校庭を走っている程度の時間で十七階についていた。すでに立花の仲間たちが扉を壊してくれているし、ビル管理室のモニターを見てどこに何があるかも分かっている。
 中に入るとすぐにロケットランチャーをみつけた。真治は両肩にロケットランチャー二つをのせると階段に出た。その後、一気に駆け上がり元の異形の空間に戻ってきた。
 背負ってきた物を一度足元におろした。すぐにロケットランチャーの一つを右肩にかつぐと、真治は射撃レバーに指をかけた。
「行くぞ。玲香」
 真治は声をあげレバーをひいた。ロケット弾は大きな神像と化した玲香に向かって飛んでいく。玲香の前で覆うように包んでいた装甲ガラスが壊れ、大きな破裂音をたてて、はじけ飛んでいく。ロケット弾の威力は強く。さらに天井のガラスを壊し大きな穴を開けて夜の空が見えていた。
 ガラス内を満たしていたリンゲル液が流れ出してきて、真治の顔に吹きかかった。やがて水が無くなった時、玲香が笑みを浮かべていた。
 再び真治はロケットランチャーを肩に背負い、今度は玲香の腹部を狙った。
「行くぞ。玲香」
 真治は再び叫んだ。そして、レバーを引いた。ロケット弾は腹に命中していった。腹部は避けて、下半身は下に落ちていく。腹部に差し込まれたビニール管の中のマンドリンの抽出液が流れ出して行く。マンドリンは油分を含んでいる。その油分に火がついた。
 炎は玲香の体じゅうに広がっていった。
 真治は泣いていた。両目から涙を溢れさせながら、肩からロケットランチャーを投げ捨てていた。
 玲香の背に生えていた柔突起は動けば、そこから逃げ出せると、思っているのか、激しく先端を振り続けている。だが、炎は強い。ジュルジュルと音をたて、焦がしていく。
 炎が全身に広がり、玲香の顔さえも赤い炎に見えなくなっていた。
 すると、手の甲に膨らみが生じたのだ。
 膨らみは,始めいくらか褐色をおびていたが、やがて蛹の形になり、その中から異形の物が現れた。その物は次第に姿を明瞭にすると羽のある虫に変った。
 蛾だ。
 それもピースランドの駐車場で、玲香の手の甲に吸い込まれていったあの蛾だった。蛾は羽をひろげ、玲香の手から飛び出していった。
 蛾は、天井の穴から空に出ると、一気に登っていく。炎に包まれながら、真治は点のように小さくなっていく蛾をじっと見つめ続けていた。
 
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