恋獄~あなたを見るたび恋をする

奈古七映

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六、

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「お疲れ様でーす!」
 挨拶が撮影スタジオ内に波紋のように広がっていく。張り詰めた空気がゆるむのを感じ、壁際で邪魔にならないように見学していたショーンも思わずホッと息を吐いた。
「ご挨拶して帰りましょ」
 付き添ってくれているマネージャーの山口が、演出家の方を指す。ショーンは緊張がのしかかって来るのに堪え、重い足を踏み出した。

 小説ドラマの撮影がはじまって二ヶ月。初回ロケが予定通り終わり、現在は都内にあるテレビ局のスタジオで連日タイトなスケジュールで撮影が行われている。
 ショーンが演じる予定なのはヒロインの家にホームステイするアメリカ人留学生で、進路に悩むヒロインと厳格な兄との関係を取り持ち、明るい雰囲気で家族を和なごませる役だった。順調に進めば来月からの出番となる。
 由莉を通じて高宮奏のアドバイスを聞いたショーンは、出番前からの見学を申し出た。山口と一緒にキャストやスタッフにも一通り挨拶を済ませ、おおむね好意的に迎えてもらえたところだ。
「明日の予定変更は今のところなしです。皆さんよろしくお願いしまーす!」
 アシスタントディレクターが声を張り上げている。クランクアップまでの撮影予定は、あらかじめ配られるスケジュール表や香盤表こうばんひょうという資料に細かく書いてあるが、変更も多いため毎日こうやって確認するのだという。

「ドラマの現場は初めてですが、色々と勉強させていただきました。ありがとうございます」
 事前に山口に練習させられた言葉を、ショーンは必死で口にした。演出家が男性で良かったと思い、短いやり取りを何とかこなす。
「それじゃ、またお邪魔させてもらいますので、よろしくお願いします」
 山口がすかさず会話をしめ、二人はその場を離れた。
「大丈夫?」
 気遣わしげに小声で聞かれ、ショーンは無言で首を振る。スタジオ内にも廊下にも大勢の人がいて、ここから出口にたどり着くまで何人に挨拶すればいいのかと思うと気が遠くなる。

「ショーンくん、お疲れ様」

 正面からヒロインの母親を演じる久永めぐみがやって来た。ベテランの大物女優で、会うのはこの現場が初めてだ。
「お疲れ様です」
 なるべく平静を保とうとしたが、声がうわずってしまい、恥ずかしさでショーンは赤面した。欧米人の血が濃いせいで皮膚が薄いのか、ちょっとしたことですぐ赤くなってしまう。
「あら、意外と照れ屋さんなのね」
 久永は笑って立ち止まる。ショーンは身を固くして青ざめ、見かねた山口が割って入ろうとしたその時だった。

「めぐみさん、お疲れ様です」
 爽やかな声とともに高宮奏が現れた。
「あら、お疲れ様」
 彼の方を向いた久永は、いたずらっぽい顔になって言った。
「高校生コスプレなかなか似合ってるわよ、奏ちゃん」
「からかわないで下さいよ」
 奏は黒いスラックスに白いシャツという姿だが、学ランの上衣を腕にかけて持っている。今日は高校生を演じるシーンの撮影があった。メイクと髪型のせいか、三十過ぎにはとても見えない。
「十代を演じるの、そろそろ限界だと思うんですよね」
「まだいけるわよ。私なんか四十でセーラー服着せられたことあるんだから」
 ショーンは目の前で談笑する二人を眺めていることしか出来なかった。会話に入っていいかどうかわからず、入れたとしても何を言えばいいか見当もつかない。
「じゃ、また明日ね」
 マネージャーに呼ばれた久永は手を振って立ち去った。

「おまえ、大丈夫か?」
 呆れたような口調で言いながら、奏はショーンを見た。
「あんな気さくな人とも話せないとか」
「ご心配ありがとうございます、高宮さん」
 うつむいて何も答えられないショーンの代わりに山口が口を開いた。
「本人も頑張ってはいるんですけど」
「甘やかしてるからじゃないですか」
 奏は真顔で言い、腕組みして二人に向き合った。
「由莉にもよろしく頼まれてるけど、俺は甘やかすつもりないからな」
 さすがの山口も顔色を変える。
「高宮さん、それは」
「すいませんけど黙っててくれますか。俺はこいつに言ってるんで」

 身長百八十八センチのショーンが、自分より十センチ近く小さい奏の前で、すっかり委縮して固まっていた。

「おまえが昔からコミュ障なのは知ってる。めぐみさんとか、他のキャストにも一応そう話してあるよ。でも、今までモデルやってこれたんだから、おまえなりに努力はしてきたんだろ?」
 意外なことを言われたショーンは驚き、視線を上げて奏の表情をうかがった。
「違うのか?」
「いえ……」
「じゃ、今回はその努力にあと少し足せばいいだけだ」
 奏はニッと白い歯を見せて笑った。
「堂々としてろよ。もし言葉が出てこなかったら、表情を使い分けて対処しろ。おまえなら笑顔ひとつで乗り切れる」

 ショーンは思わずじっと奏を見つめた。こんな励ましを受けるとは思いもよらなかったのだ。

「いつもの撮影と同じだと思えよ。ちょっとセリフがあるだけだ」
「はい」
 奏は手を伸ばし、ショーンの背中に軽く触れた。
「今日から猫背禁止な」
「え?」
「おまえ、でかいから縮こまってると目立つんだよ。明るく元気なアメリカ人役なんだから、そんな猫背じゃダメだろ」
「……なんで気にかけてくれるんですか?」
 ショーンは子供のころの自分が、どんなふうに奏と接していたか覚えている。けっして可愛げのある態度ではなかった。
「おまえんとこの社長に昔お世話になったから」
 奏はあっさり答えた。
「モデルの誘い断った俺に、業界のこと色々学ぶチャンスくれて、役者に力入れてる事務所を紹介してくれたんだ。売れっ子の由莉の結婚引退も了承してくれた。だから、ショーンをよろしくなんて頼まれたら断れないだろ」
 みもふたもない言い方だが「放っておけない」などといううさんくさい理由より納得できる。
「知らない仲じゃないしな。由莉の弟分なら俺にとっても弟みたいなもんだろ」
 奏は冗談めかして笑った。
「ありがとうございます、高宮さん」
「おまえに高宮さんとか呼ばれると変な感じする。そうでいいよ」
 ショーンの肩をポンポン叩く。
「ま、しっかりやってくれ」
 離れていく奏に、ショーンは深く頭を下げる。
「たいしたものねえ」
 出る幕なく見守っていた山口が、感嘆の声をもらした。
「うちの事務所でバイトしてたころとは比べものにならない男ぶりじゃないの。由莉ちゃんがどれだけ献身的に支えて来たか、よくわかるわね」
 ショーンは複雑な気持ちでうなずき、奏の後ろ姿が見えなくなるまで眺めていた。




 それから演技レッスンと台本読みに明け暮れる日々が続き、やがてショーンの撮影初日がやって来た。

 今回のドラマは伝統工芸の職人を目指すヒロインを描いたもので、名人である祖父に弟子入り志願する時に兄に厳しく反対される場面がある。そこで悩みながらも自分の夢を見つめ直し、熱意を訴えて理解してもらい逆に応援されるようになるという展開なのだが、ショーンが演じるアメリカ人留学生はヒロインの決断に大きく関係する役どころなため、短期間の登場とはいえ出番は多かった。

「楽屋で待ってるね」
 準備を整えてスタジオに向かうショーンを、由莉が手を振って見送る。取材で来ているとはいえ、顔を出せばまわりに余計な気を遣わせるからと、遠慮して中に入らないことにしたようだ。楽屋にいてもモニターで様子を見ることは出来る。
「ショーン、ちょっと待って」
 二、三歩進みかけたところで、背後から由莉の声が追いかけて来た。
「顔色、悪過ぎ」
 心配そうにのぞき込まれ、ショーンは青い顔で口元に手を当てた。
「……吐きそう」
「ちょっと楽屋に戻ろう」
 由莉はショーンの背中を押して楽屋にUターンさせた。ドアを閉め、向かい合って視線を合わせる。

「背筋伸ばして息吐いて。もっと吐き切って、そしたらお腹使って大きく息吸って……はい止めて。七秒で吐くよ。一、二、三……」

 ショーンは言われた通りに呼吸する。小さいころにも、リラックスするための呼吸法だと言われて由莉にやらされた覚えがある。

「次は十秒で吐いてみよう。ゆっくり、ゆっくりね。次は十二秒かけて」

 何度か繰り返すうち、ショーンはこわばっていた体が緩むのを感じた。
「大丈夫?」
 由莉は穏やかに微笑んでいる。
「うん、楽になった」
 胸に灯りが点ったようにあたたかい気持ちになり、ショーンは口元をほころばせた。
「ありがとう、由莉さん」
「山口さん先にスタジオ入っちゃったからね、特別サービスよ」
 いたずらっぽく言いながら由莉がドアを開けると、そこに高宮奏が立っていた。
「びっくりした!」
 声を上げた由莉を見て、奏は可笑しそうに目を細めて入って来た。
「死にそうな顔が見えたから様子見に来たんだけど、大丈夫そうだな」
 笑顔で言われているのに、なんだか威圧されているような気がして、それでもショーンは口角を上げ笑顔を返した。
「ご心配おかけしました」

「由莉にキスでもしてもらった?」

 ショーンは耳を疑った。思わず真顔になって奏の目を見ると、一瞬冷たく光った気がして言葉を失う。
他人聞ひとぎきの悪い冗談はやめて」
 由莉は奏を叩くふりをしたが、表情はこわばっていた。
「それでショーンが落ち着くなら、目をつぶってやるよ」
 奏は冗談めかして言いながら、由莉の頭を子供をなだめるように撫でた。
「三回までだな」
「もう、馬鹿なことばっかり」
 笑って奏の手を払いのけた由莉は、廊下に逃れてドアを大きく開けた。
「時間だから、二人とも早く行って」
「はいはい」

 一見、仲の良い夫婦のじゃれ合いのようだが、どことなくぎくしゃくした噛み合わなさを感じる。ショーンは目を伏せ、何も気付いていないような無表情で、奏の背後に続いて楽屋を出た。

「由莉、今日は終わりまでいる?」
 奏に尋ねられた由莉がうなずく。
「じゃあ一緒に帰ろう」
 由莉は嬉しそうに笑って、もう一度うなずいた。
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