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冬の婚約編

第六話 衣装合わせ(2)

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「クラーク様?」

 これまでに見たことのない彼の表情に、思わず名前を呼ぶ。悲痛な顔をしていたクラークは、現実に引き戻されたかのように、はっとこちらを見た。

「一生……か。これは、とんでもない借りができたみたいだね」

 笑おうとして失敗したのか、顔をくしゃりと歪ませる。

 いつもと同じ軽い嫌味のつもりだったのに、想像以上に深刻な反応の彼に焦ってしまう。

「えっ、と……私、言い過ぎましたか?」
「いや、君は何も悪くないよ」

 クラークは頭を振り、いつものほほ笑みを顔に貼り付けようとしていた。

 しかし、先ほどから何度も剥がれた仮面はもう完全には繕えなくなっていて、笑顔の裏に何か別の感情があるのは明らかだった。

(この人、前からこんなに表情を隠すのが下手だったかしら?)

 私の知る彼は、気持ち悪いくらい完璧な外面を持つ男だったはずなのに。

 こちらからは何も言えず、彼から言葉が発せられることもなく、静寂が辺りを包んだ。

 沈黙を打ち破って部屋のドアを叩く音がしたのは、その直後のことだった。

「レオナルド、大きくなったわね」
「お久しぶりですレティシア様」

 お母様とクラークが抱擁を交わす姿を、少し離れた場所から眺めほっと息をつく。

 お母様ってば、本当にいいタイミングで来てくれたわ。

 メイドたちがいるとはいえ、実質私と彼の二人きりだったから、気まずくて仕方なかったもの。

「顔が見れてよかったわ。実はこの後用事があって、すぐ家を出なければならないの。でも気にせずゆっくりしていってね」
「えっ、お母様?!」

 助け舟が来たとばかりに安心していたので、思わず目を剥く。それとは逆にクラークは静かな調子でお母様の申し出をやんわりと断った。

「ありがとうございます。でももう用事は済みましたし、アメリアに怒られないうちに帰りますよ」
「あら、リアが怒るの?」
「はい、学校でもいつも叱られてばかりです」
「クラーク様……!」

 慌てて止めに入っても、勢いのついた二人の会話は止まらない。

「やだわリアったら。お友達に対してツンケンしちゃダメっていつも言ってるでしょ」
「っ、お母様、それは子供の頃の話です!」

 その言い方じゃ、今でもお小言をもらっているみたいじゃない。とっさにお母様に詰め寄ると、今度は反対側から声がする。

「確かにアメリアは、ある時から急に澄ましたような態度を取り始めましたよね」
「そうだったわね~。『もうわたくしも8さいだからサリバンとしてりっぱにふるまいますわ!』とか言っちゃって」

 ああ、もうやめて!

 羞恥で顔を赤くする私を眺めて意地の悪い顔を浮かべる二人は、とても外で聖人君子のように振る舞っているようには見えない。

 もう何も言うまいとだんまりを決め込むと、クラークは私とお母様に向かって一礼した。

「冗談はこれくらいにして、そろそろ本当にお暇します。レティシア様、お忙しい中お時間をいただき光栄でした」
「こちらこそ嬉しかったわ、レオナルド。次はゆっくりお話ししましょうね」

 こうしてあまりにも急に、そしてあっさりと、衣装合わせの時間は終わった。

 お母様を残し、私は屋敷の出口まで彼を見送る。

 馬車寄せを待ちながら、クラークは私に視線を向けた。

「やっぱり君はレティシア様に似てるね」
「え……?」

 そんなことを言われたのは初めてだ。お父様に生き写しだと言われこそすれ、瞳の色以外お母様には似ても似つかないと言われてきたのに。

 彼の意図するところがわからず、瞳を数回瞬かせて見返すと、穏やかな緑色の瞳と目が合う。

「祝賀会当日に迎えに来るよ」

 それだけ言って、クラークは馬車に乗り込んでいった。



 * * *




「衣装合わせはいかがでしたか?」

 自室に戻るなり、アンナが待ちきれないといったように口を開いた。

「問題なく済んだわ。当日は何とかなりそうよ」

 おざなりに返事をしてカウチに沈み込む。今になってどっと疲れが押し寄せてきた気がして、大きくため息をついた。

 私の返答に、アンナは拍子抜けした声を出した。

「それだけ、ですか?」
「それだけって?」

 何が言いたいのかわからず視線を向けると、躊躇う彼女と目が合った。

「いえ、だからあの……婚約については何も話されなかったのですか?」
「あ……」

 そう言えば、彼は一言も婚約については話題にしなかった。

 まさか、婚約話を知らされていない? いや、そんなはずはない。陛下直々のお言葉なのに、本人の耳に届いていないだなんてありえない。

 ひょっとして、わざとそのことには触れずにいたのかしら。

 私も最初は敢えて口にしなかったのだけれど、途中からは別のことに気を取られて頭から抜けてしまっていた。

 そう、今日のクラークの奇妙な態度。すごく不安定に見えた。あれは何だったのか。

しばらくの間考え込み、ふと一つの結論が浮かんだ。

 もしかして、彼も婚約の話に動揺していたのかもしれない。相手が私だなんて、きっとこれまで考えたことすらないだろうから。

「どうしたら婚約を避けられるかも相談すればよかったわね」

 そうつぶやくと、アンナが信じられないものを見る目つきで私を見た。

「何よ、なにか言いたいことでもあるの?」
「いえ、申し上げることは何もございません」

 侍女としての回答をした後、アンナはそれ以上は何も言わなくなった。

 その答えにやや納得がいかないながらも、陛下にお会いした時に何と申し上げるべきか考えることに一日の残りを費やした。



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