貴方が愛した総ての淑女たちに

佐竹りふれ

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13. 市場からの帰り道

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 買い物を終えたエヴは、たいそう満足げな笑顔を浮かべてルースの元へと駆け寄った。こんなにも満ち足りた、幸せそうな笑顔ができるのか、とルースが驚くほどの笑みだった。つられてルースもついつい笑顔になってしまう。
 まるで宝物のように、エヴは胸元で大切そうに本を抱えている。しかし、その冊数はあまり多くない。
 そんなエヴの後ろをついて歩くイアンは、疲弊した様子で大きな木箱を抱えている。箱の中身はもちろん、エヴの購入した大量の本だ。額ににじむ汗は、馬車のなかでかいていたものとは違う種類のものだろう。その様子は、ルースですら気の毒に思えてしまうほどだった。
 
 イアンは手早く馬車を呼びつけると、早々に中へと箱を運びこむ。服の上からでもわかる彼の腕の筋肉をエヴが盗み見ているのを、ルースは見逃さなかった。
 ようやく重たい荷物から解放されたイアンは、空を見上げて大きく息を吸い込む。そしてすぐさま、女性たちに手を差し出した。彼の大きくて力強い、男らしい手を見て、今更ながらエヴは頬を染めた。平静を装いながら、エヴは彼の手に自分のそれを重ねる。そんな彼女の様子に、イアンは全く気が付いていない。
 だが、そんな状況にルースが気付かないわけがない。微笑ましい光景だ、とニヤつきながら、エヴに意味ありげな視線を送る。夫人の視線の意味に気づいたエヴは、恥ずかしそうに俯いてしまった。

 馬車が動き出し、変わらず俯くエヴにルースが声をかける。

「バックマン嬢は、本当にかわいいわね。紳士たちが虜になる理由が、よくわかるわ。チェイスから聞いたの。舞踏会の翌朝、独身の紳士たちが大勢、あなたの邸宅に訪問したんですってね」

 ルースの言葉を聞いたイアンは、ぐっと顎を食いしばったものの、何も言葉を発しなかった。

「えっと、ありがとうございます。こういう場合、だいたいどれくらいの紳士たちがいらっしゃるものなのか、まだ分かっていないのですが、私にはとても多いように感じました」

 答えながら、ちらり、とエヴは正面のイアンの様子を窺った。会話の内容など、全く気にも留めていないようなふりをしているのに気づき、自分の中で何かのスイッチが入るのをエヴは感じた。

「でも、舞踏会の翌朝にいらっしゃらなかった殿方もいました」

 エヴのストレートでほんの少しこわばったような物言いに、思わずイアンは顔を上げてしまう。この二人の反応を大いに楽しみながら、ルースは次の言葉を考える。

「あら私、その人が誰だか、知っている気がするわ。弱虫さん、とでも呼ぼうかしら」

 そう話しながら、ルースは口に手を当てて高い笑い声をあげた。
 イアンもそこまでの愚か者ではない。女性たちが話しているのは自分のことだと気づき、明らかに居心地が悪そうな表情を浮かべる。

「あー、私も目の前に座っているんだけど?」
 
 イアンの小声の訴えを、二人は無視することにした。

「どうして彼をそんな風に呼ぶのですか?」

 無邪気なふりをして、エヴは問いかける。

「彼のことをよく知っているからよ。私たち、幼馴染なの。臆病だから、しっぽ巻いて逃げ出したのよ」

 ルースな率直の物言いに、イアンは苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべる。
 
「あの、当人が目の前にいるんですけど?」

 彼の控えめな訴えは、またも無視された。

「どうしてそんなことを?」
「アイツは、噂のことを気にし過ぎたのよ。あなたが噂を聞いて、アイツのことを嫌いになったんじゃないかって、心配していたみたい」

 この言葉に、イアンは思わず息を飲み込んだ。自分を目の前にしてあっけらかんとそんなことを宣う幼馴染を、信じられない、と言いたげな表情で見つめた。
 一方のエヴは、ルースのこの言葉で眉間にしわを寄せる。そしてまっすぐに、正面のイアンの顔を見つめた。

「どうしてですか?」

 エヴは直接、彼に問いかける。

「どうして噂なんかのせいであなたを嫌いになると思ったのですか?」

 彼女のまっすぐな問いかけに、イアンは何も答えられなかった。じっとりと、自分の手に汗が広がっていくのを感じる。

「ええ、確かにあなたの噂を聞きました。それに、確かにひどい内容の噂でした。でも、私はまだあなたのことを知りません。それなのに、どうしてあなたのことをそんな風に決めつけるとお思いになったのですか? たったそれだけのことで、すぐに私があなたのことを嫌うと?」

 頭に血が上った様子のエヴを目の前に、イアンは言葉を失った。

「私は、まだ社交界に入ったばかりです。だから、社交界がどういうものか、まだよく理解できていません。なので、噂が持つ力もまだよく分かりませんし、評判の大切さというものも、理解しきれていません。でも私は、表紙だけで本の内容を決めつけるような人間ではありません」
 
 エヴの告白に、イアンはただただ彼女を見つめ返すことしかなかった。その表情には、驚きだけではなく、尊敬の色すらも見て取れた。
 同様にルースも言葉を失っていたが、彼女の口角は楽しげに弧を描いていた。

 馬車がバックマン家の邸宅の前に到着すると、イアンは箱を持ち上げようと前にかがんだ。そんな彼を、エヴはすぐさま制した。
 馬車の扉が開くなり、エヴはそのまま従僕に箱を邸宅の中へと運ぶように命じた。馬車から飛び降りると、彼女はどこか所在なさげなイアンの瞳を、まっすぐと見つめる。

「本日は、ありがとうございました。明日の夜にまたお目にかかれることを、期待しています。それでは、ごきげんよう」

 微笑と共にそう言い切るなり、エヴはくるりと背を向け、邸宅に向かって歩き始めた。
 馬車の扉が閉まり、再び動きだす。
 いまだに言葉が見つからないイアンとは対照的に、ルースが大きな笑い声をあげる。お腹を抱えて笑う幼馴染を、彼は何とも言えない表情で見つめ返した。

「ええ。彼女は本当に他の令嬢たちとは全く違うし、私も彼女が大好きだわ。それに、見てよ、アンタの顔ったら! 傑作よ! ああ、自分じゃあ自分の顔は見れなかったわね!」

 アハハハ! と声を上げて笑い転げるルースを、イアンはもはや戸惑いの表情で見つめる。
 馬車がバーロウ家の邸宅に着く頃になっても、ルースの笑いは収まらなかった。どうにか場の空気を変えようと、イアンは咳払いをする。

「あー、それで、明日の晩には何があるんだっけ?」

 笑い過ぎて浮かんだ涙を拭いながら、ルースは答えた。

「明日は、チェイスの家の舞踏会よ」

 ルースの言葉を聞くなり、イアンは何かを思案するような表情で馬車を降りた。

 果たして、子爵家の舞踏会が波乱を呼ぶか否か。現時点でそれを知るのは、神のみである。
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