貴方が愛した総ての淑女たちに

佐竹りふれ

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24. 公爵夫人との過去

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 古今東西、一般的に禁忌とされる話題はいくつも存在する。例えば、過去の恋愛関係にまつわる話題である。自分が過去に誰とどのような恋愛をしてきたのかを語ることは、不適切であると考えられることが多い。
 特に、それを語る相手が意中の人物である場合は、殊更の注意が必要だ。そのため、多くの人物がこの話題を避けてきたことであろう。
 最も難しいのは、意中の相手がその話題をせがんできた場合である。たとえ相手が望んだことだとしても、その望みに従うことが最善策とは限らない。

 だが、我らがヒーローはすべてのリスクを理解した上で、それを冒すことを選んだようである。

「私たちが出会ったのは、彼女のデビュタントの日の舞踏会でした」

 そう語り始めたイアンに対して、ルースの表情がわずかにこわばる。そんな彼女とは対照的に、エヴは続きを促すように好奇心に輝いた瞳でイアンを見つめていた。

「あの頃の私は、心に傷を負っていました。ある女性に失恋したのが原因です。その心の痛みに苦しんでいた。だから、舞踏会を楽しむ気分じゃなかった。会場にすらいたくないと思った私は、屋敷のテラスに隠れていました」

 その夜を思い出しているかのように、彼の瞳がスッと、遠くを見つめ始めた。

「プリシラはきっと、初めての舞踏会に圧倒されたのだと思います。新鮮な空気を求めて、彼女は私が隠れていたテラスにやって来た。そこで、私たちは出会ったのです。初めて彼女を見た瞬間、その美しさに私は息を吞みました。月夜の光に照らされた彼女は、まるで妖精かお姫様かのように輝いていた。美しい白いドレスが彼女の純粋さを際立たせていた。彼女の美しさに魅了された私は、心の痛みを忘れてしまいました。まさに、ひとめぼれという奴ですね」

 そう語るイアンの口元には小さな微笑が浮かんだ。それを見て、エヴの心がわずかに沈んだ。彼にこの話をして欲しいとせがんだのは、自分だ。それは分かっている。なのに、どうして心の底からこの話を楽しみ切れないのか、彼女には理由が分からなかった。

「私は何も考えることなく、プリシラをダンスに誘いました。そして彼女はその誘いを受けた。ダンスフロアで踊る私たちを見つめる、人々の視線など一切気になりませんでした。それほどに私たちはたがいに夢中だったのです。その翌日、私は彼女の屋敷を訪問しました」

 イアンの話を聞きながら、エヴは微笑を浮かべてはいるものの、胃のあたりがモヤモヤとするのを感じていた。舞踏会の翌日に、公爵夫人の屋敷を訪れた。その事実が、エヴの胸につっかえる。自分とは状況が違う。それは分かっているのに、なぜだか気分が晴れない。
 すべてをごまかすかのように、エヴは手近な林檎にかぶりついた。
 話すことに夢中になっていたイアンは、残念なことにエヴの微細な表情の変化に気づかないまま、話を続けた。
 
「プリシラはあの年の社交界の華でした。あの年に最も人気の令嬢だったので、私が屋敷に到着する頃には、彼女を求める紳士たちであふれかえっていましたよ。それでもなぜか、私には彼女が自分を選んでくれるだろうという、根拠のない自信があったのです。そして、それは現実となりました」

 そこまで話してから、イアンはちらりとエヴの様子を窺った。相槌を打ちながら梨をほおばる彼女の表情からは、感情が読み取れない。
 思い返せば、あの頃の自分はどれだけ無鉄砲だっただろうか。あの時の根拠のない自信が、懐かしい。だが、今の自分は決してあの時のようには振舞えない。イアンはそう感じていた。

「当時、私はプリシラに対して最も真剣な求愛者でした。いくつもの舞踏会で何度も共に踊り、花束を持て彼女の邸宅を訪問し、共に散歩へ出かけたり競馬を観に行ったり、音楽会にも出向きました。お互いに抱いた好意は確かなもので、共に良い時間を過ごせていたと思います。ですが、私は彼女が最も望んでいたものを差し出せませんでした」

 そう語りながら、イアンは自身の掌に汗がにじむのを感じていた。

「……それは、なんだったのですか?」

 問いかけるエヴの声音からも、やはり感情は読み取れない。イアンはゆっくりと口を開いた。

「将来の約束です。彼女のことが好きだったのに、私は彼女にプロポーズできなかった」

 話し続けるうちに、だんだんとイアンの視線は落ちていく。情けなさや不甲斐なさといった気持ちが溢れ出し、エヴを直視できなかった。

「私たちの相性はとても良いと、思っていました。彼女が良き妻になることも、分かっていた。それなのに、どうしてだかプロポーズできなかったんです。私の恋の古傷が原因だったのかもしれません。とにかく、私は彼女に求婚できなかった」

 エヴはイアンの言葉の端々から、わずかな後悔の念を感じ取っていた。ただ、それが誰に向けたものなのかは、分からない。

「プリシラは賢い女性です。彼女は、私がプロポーズできないことに気づいていた。そしておそらく、憤ったことでしょう。彼女はデビュタントの年に結婚相手を見つけたいと、真剣に願っていましたから」
「あら、誰だってそうよ」

 唐突にルースが割って入り、エヴとイアンは思わず肩を跳ねさせた。二人とも話に夢中で、ルースの存在などすっかり忘れ去ってしまっていたのだ。

「多くの令嬢が、デビュタントの年に結婚相手を見つけたいと思っているわ。彼女だけが特別なわけでも、驚くことでもないわよ」

 ルースの言葉にうなずきつつも、なんとなくエヴの中ではそれがしっくりとこない。デビュタントを迎えたばかりの自分は、まだ社交界になれるだけで精いっぱいだ。その状況で、結婚について真剣に考えられるものかと、疑問に思ってしまう。

「とにかく」

 1つ咳払いをしてから、イアンは話を続けた。
 
「プリシラはある計画を思いつきました。私たちの状況を利用して、ある紳士と結婚の約束をするという計画です」

 イアンの話を聞きながら、思わずエヴの眉間にしわが寄る。

「公爵の到着は、シーズンの始まりより少しばかり遅かった。出だしで遅れたことで、彼の状況はかなり不利でした。彼は最初からプリシラに求婚したかったようなのですが、すでに私が彼女の隣にいた」

 だんだんと、エヴにはこの話の行き着く先が見えていた。プリシラは現在の公爵夫人だ。ということは……。

「彼女は公爵の望みに気づいていました。だからこそ、彼の嫉妬心と競争心を煽り、彼女をより熱烈に求めるように、焚きつけた。彼女が具体的にどのような作戦を使ったのかは、分かりません。ですが、彼女は見事にそれに成功しました。シーズンの終わりまでに、公爵に求婚させたのです」
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