わたしを捨てるのですね。では、さようなら伯爵様

夜桜

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豪華客船での婚約破棄

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 王国でもっとも豪華だと言われている貴族専用客船――アストラ・セレニア号。

 その大広間で、航海初日の舞踏会が開かれていた。

 煌びやかなシャンデリアが輝き、磨き上げられた床に光を落としている。
 音楽隊の奏でる優雅なワルツ。
 豪華なドレスと正装に身を包んだ貴族たち。

 まるで夢のような光景だった。

 だけど。

 わたしの胸は、なぜか少しだけ落ち着かなかった。

(大丈夫よ……)

 胸の前で手をそっと握る。

 今日は大切な日。

 婚約者であるヴァルディオン・クロムベルク伯爵と、社交界の前で婚約を正式に発表する予定だった。

 ここで発表すれば、わたしは正式に伯爵夫人になる。

 だから、今まで頑張ってきた。

 彼の隣に立つために。
 恥ずかしくないように。

 礼儀作法も、社交も、政治の知識も必死に勉強した。

 全部――ヴァルディオン様のため。
 わたしはそっと顔を上げる。

 大広間の中央。

 金髪の青年が立っている。

 ヴァルディオン・クロムベルク伯爵。

 わたしの婚約者。

(もうすぐ……)

 そう思ったときだった。

「――おい、セラフィーナ」

 突然、彼の声が大広間に響いた。

 思わずびくっと肩が震える。
 こんなに大きな声を出す人じゃないのに。
 周囲の貴族たちの視線が、一斉にこちらへ向く。

 わたしは戸惑いながらも微笑んだ。

「はい、ヴァルディオン様?」

 だけど。

 次の瞬間。

 わたしの世界は、音を立てて崩れた。

「俺たちの婚約、今ここで破棄する」

 ……え?
 一瞬、意味が分からなかった。

 音楽が止まる。

 ざわざわと会場が騒ぎ始める。

 でも、わたしの耳には何も入ってこない。

「……え?」

 やっと出た言葉は、それだけだった。
 ヴァルディオン様は、呆れたように笑った。

「聞こえなかったのか? 婚約破棄だよ。破棄」

 周囲がざわめく。

 貴族たちがひそひそと囁き合っている。
 胸が、どくんと大きく鳴る。


「ど、どうして……?」


 声が震える。

 わたしは必死に彼を見上げた。

 するとヴァルディオン様は、鼻で笑った。


「どうして? 決まってんだろ」


 そして。

 信じられない言葉を吐き捨てた。

「お前、つまんねぇんだよ」

 胸が、ぎゅっと締め付けられた。

 会場がざわつく。

「顔も地味、性格も地味。一緒にいて退屈なんだよ」

 頭の中が真っ白になる。

「そんな……」

 わたしは震える声で言った。

「わたし、ずっと……」

 必死に言葉を探す。

「あなたのために……」

 だけど。

 ヴァルディオン様は盛大にため息をついた。

「あー、そういうのが重いんだよ。努力? 勉強? そんなの誰も頼んでねぇって」

 その言葉が、胸に突き刺さる。

 視界が揺れる。
 それでも、必死に立っていた。

 すると。

 ヴァルディオン様は、隣にいた女性の腰を抱いた。

「それにさ。俺にはもう、新しい婚約者がいる」

 わたしは息を呑んだ。

 抱き寄せられたのは、赤いドレスの美女だった。
 艶やかな赤髪。
 妖艶な笑み。

「紹介するぜ。リュシエラ・ヴァントレア子爵令嬢だ」

 会場がどよめく。
 リュシエラ様は優雅に扇子を広げ、くすりと笑った。

「初めまして、皆様」

 そして。

 わたしを見た。

 その目には、はっきりと優越感が浮かんでいた。

「申し訳ありませんわ。でも、恋というものはどうしようもありませんもの」

 嘘だ。

 わたしには分かる。
 この二人は、きっと前から関係があった。

 胸が締め付けられる。

 苦しい。

 それでも、必死に言葉を出した。

「……ヴァルディオン様。わたしは……あなたの婚約者です」

 すると彼は鼻で笑った。

「だから何だ? もう終わりだって言ってんだろ」

 さらに言葉を続ける。

「どうせお前、俺の金と地位が目当てだったんだろ?」

「違います……!」

 思わず声が出た。

「わたしはそんな――」

「うるせぇな」

 言葉を遮られる。

「見苦しいんだよ」

 その瞬間。

 会場中の視線がわたしに集まった。

 同情。
 好奇心。
 嘲笑。
 全部が突き刺さる。
 胸が痛い。
 息が苦しい。
 涙が出そうになる。

 でも。

 こんな場所で泣いたら、もっと笑われる。

 わたしは必死にこらえた。

 するとヴァルディオン様は、最後に言った。

「せいぜい、どっかの冴えない貴族にでも拾ってもらえよ。お前みたいな女でも、物好きがいるかもしれねぇしな」

 大広間に下品な笑い声が響いた。

 ……もう、無理だった。

 わたしは背を向けた。
 これ以上ここにいたら。
 本当に壊れてしまう。

 ドレスの裾を掴んで歩く。

 視界が滲む。

 涙が止まらない。

(どうして……)

(どうしてわたしなの……)

 大広間を飛び出す。

 廊下を走る。
 誰にも見られない場所へ。

 胸が痛い。
 苦しい。

 心が引き裂かれそうだった。


 やがて辿り着いたのは――

 静かな甲板だった。


 夜の海が広がっている。

 わたしは手すりにしがみついた。


 そして。


 堪えていた涙が、ついに溢れた。

「……どうして……」

 声が震える。

「わたし、ずっと頑張ってきたのに……」

 波の音だけが、静かに響いている。

 豪華客船は夜の海を進んでいる。

 だけど。
 わたしの心は、今にも沈みそうだった。


 ――この夜が、わたしの運命を変えることになるなんて。


 そのときのわたしは、まだ知らなかった。
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