上 下
6 / 15

自由に飛べない

しおりを挟む
 ラインを既読スルーした日、講義室に入ると友香が変わらず前の席に座ってスマホをいじっていた。
 私は彼女から視線を外して彼女の姿を見ないようにする。
 講義を受けている間もチラつく友香の背中を必死に見ないようにした。
 講義が終わった後は友香がいなくなるまで真希たちと雑談をして時間を潰した。しかし真希も好美も景子もアルバイトやサークルがあるため、そう長くは居られず十分ほどで解散することになった。
 真希たちと別れた後、一人で構内を歩いていると背後から友香の声がした。
 「祐美~」
 名前を呼ばれて振り向くとニコニコと笑う友香と目が合う。
 私はその顔を見ると無言で彼女から視線を逸らして背中を向けた。そんな私に友香はへこたれず話しかけてくる。
 「ねぇ、ライン見た~?」
 「……………」
 「チーズフォンデュのお店、いつ行く~⁇」
 「……………」
 「祐美、チーズ好きだったよね⁇」
 「……………」
 私の隣にくっついて話しかけ続ける彼女の言葉に視線を逸らして全て無視を決め込んでいると、やがて彼女は何も言わなくなった。お互いに何も喋らずに無言で構内を並行する。
 私が無視をしても友香はなぜか私の側から離れずに歩き続けていた。何故なのかと思い、ふと横顔を覗くと今にも泣き出しそうな彼女の横顔が見えた。
 泣き出しそうなのに私の側から離れず、めげない彼女の姿勢に胸が痛んだ。
 友香は今、なぜ自分が無視をされているのか分かっていない。
 昨日まで普通にラインしていた友達が急に無視をしてきたら、どれほど傷つくだろうか。
 そんなこと考えてはいけないのに考えてしまった。
 自分を守るために情なんて湧かせてはいけないのに。
 中途半端な情は自分も相手も苦しむだけだ。分かっているのに中途半端な情は無駄な手を差し伸べてしまう。
 「コガネムシって窓を開けるとすぐに家の中に入ってくるよね。」
 急に私が話しかけると驚いた様子で顔を上げた友香が私の顔を見た。
 そして驚いた表情はやがて嬉しそうな表情へと変わり、笑顔で喋り出した。
 「家の照明を月明かりだと勘違いして入って来ちゃうみたい。」
 「へぇ~そうなんだ。私、虫が嫌いで触れないからすぐに殺虫剤で殺しちゃうんだよね。」
 「そうなんだ。…私はね、窓を開けたまま部屋の照明を消して真っ暗にするの。それで勘違いして飛び回る虫に教えてあげるんだ。これは月じゃないよ、もっと広くて自由な世界に行きなさいって…そしたら虫は勝手に外へ出て行くの。私はそれを見届けると安心するんだ…あぁ、よかった、自由に飛べる場所に戻れて…広い世界に戻れてよかったぁ~って……」
 前を向いて話を聞いていた私は友香の顔を見た。
 友香は前を向いた状態でどこか遠くを見つめていた。
 私ではないどこか遠くを見ていて、まるで空中を自由に飛び回る虫に憧れているようだった。
 小さな虫籠に閉じ込められて自由に飛べない虫が、空を見上げて自由に飛ぶ仲間を見ているような目だった。
 狭い場所で無理に飛ぼうとすると羽を怪我する。
 一度怪我した羽は二度と元には戻らない。
 私達はもしかしたら違う部分の羽を怪我して飛べないままでいるのかもしれない。
 友香はどの部分を怪我しているのだろうか。
 「あ、そうだ!これ…」
 急に思い出してバッグから合鍵を出して差し出すと彼女は優しく微笑んでそれを受け取った。
 「チーズフォンデュいつ行く?」
 友香に再度、問われた私は、あぁ~…と言って断り切れず、日曜日の夜に行くと返した。
 「わかった。そしたら私がお店の予約するね!」
 そう言って友香が嬉しそうに手を振って離れていくと、私はその背中をぼんやりと眺めていた。
 夜、友香から店の予約が完了したと報告ラインが来た。
 “日曜日の18時で予約したよ❤︎楽しみだなぁ(*´꒳`*)“
 ラインを見ながら彼女は長女なだけあってしっかり者だと感心した。
 私はいつも店の予約も旅行の計画も人任せだし忘れ物が多いから何でも一人でしっかり出来る友香が羨ましかった。
 羨ましいけれど私は友香のようには到底なれそうにない。


 土曜日、あづさが私の家に来た。
 あづさとは定期的に互いの家に行って喋りながらくつろぐのが定例となっている。
 コンビニで買ったサラダと自分で作って持って来たと言う玄米おにぎりを食べる彼女の傍らで、私はコンビニで買ったミートソーススパゲッティと即席のクラムチャウダースープを飲んだ。
 生活習慣は変わっても中学から一緒なだけあってあづさには実家のような安心感がある。
 あづさに友香のことを話すと彼女は終始、険しい顔で話を聞いていて話し終えると腑に落ちない顔をした。
 「そんなに仲良くなっちゃって先輩はどうするの?」
 心配するあづさに、まだ先輩が好きで諦めたくないことを伝えると彼女は首を傾げながら呆れたように警告する。
 「今は大丈夫でもバレたら修羅場になるよ。気をつけな。」
 「…そうだよね。わかってる。」
 「両方を手に入れるなんて無理だから、いつかどっちかの関係が壊れる時が来るかもね…。」
 髪を掻き上げながら遠い目をするあづさを見て私の未来はどうなるのだろうと考えた。
 先輩と友香、私と先輩、私と友香…私達は最後、何を手にして何を失うのだろうか。
 私だけが何も得られずに終わるのかもしれない。そう考えると悔しくて仕方なかった。

 翌日、夕方に友香と電車に乗ってチーズフォンデュを食べに行った。
 駅から数分ほどで辿り着いた店は、中に入るとウッド調の暖かみのある内装で落ち着いた空間となっていた。
 中には夕方にも関わらず、すでに多くの客で賑わっていて人気なのが窺えた。
 私達は友香が予約をしていた為、スムーズに席へと案内されたが、後から予約せずに来た客は満席のため断られていて友香がテキパキと予約してくれたことに安堵した。
 二人で向かい合って料理を待っている間、友香は私に大学の講義や単位の話など当たり障りないことを話して来たが、私の頭の中は先輩のことでいっぱいだった。
 最初は黙って彼女の話を聞いていたが、ついに我慢ならなくなった私は友香に先輩のことについてあれこれと聞いてしまった。
 「ねぇ、友香はいつも彼氏とどんなデートをするの?」
 急に今まで聞いてこなかった彼氏とのことについて聞かれた友香は一瞬だけ、きょとんとしたが特に気にしない様子で快く答えてくれた。
 「どんなって…別に普通だよ。飲食店にご飯を食べに行ったり、カフェに行ったり、お互いの家を行き来したり…そんな感じ。」
 「へぇ~そうなんだ。彼氏は優しい人?」
 「うん、優しい…けど、ちょっと子供っぽいところがあるから連絡が遅かったり中々、会えないとすぐに拗ねて機嫌を直すのが大変かな…。あとすぐに会いたがる割に待ち合わせはいつも遅刻してくるから、この間は三十分も待たされたよ~。」
 そう言って困った顔をして笑う友香に私は驚いて無意識に瞬きが速くなった。
 私の中の先輩は待ち合わせの十五分前にはすでに到着していて爽やかな笑顔で、全然待っていないよ~なんて言っている姿を想像していたから、まさか遅刻魔であるなんて予想だにしていなかった。
 「あとは優柔不断でご飯に行くとずーっとメニュー決めるのに悩んでるし、家の中は散らかり放題だから向こうの家に行くといつも私が片付けしてしてるんだ。」
 「……そうなんだ。」
 「うん。でも隼人のことを見てるとなんだか放っておけなくてつい手を出したくなっちゃうんだよね。向こうもそれを分かっていて甘え上手だから、つい絆されちゃうの。」
 友香はそう言って私と向かい合った状態で先輩のことを思い出しながら、ちょっと恥ずかしそうに笑った。
 その顔は紛れもなく恋をしている女の顔だった。
 私は今、彼女の前で同じ顔をしているのだろうか…
 「ねぇ、彼氏は友香みたいにアルバイトとかしていないの⁇」
 そう尋ねると友香は平然とした顔で先輩のアルバイト先についていとも容易く教えてくれた。
 「してるよ~。大学近くに国道があるでしょう?そこの国道沿いのガソスタで週二日、月・金の夜に働いているんだ。」
 先輩のバイト先を知れた私は内心、喜びで舞い上がりそうになったが必死にそれを抑えて、そうなんだ~大変だね~と笑った。
 すると友香は少し切なそうに眉を下げながら微笑み返して、「なんだか祐美は私よりも隼人に興味津々だね。」と言った。
 私は慌てて、そんなことないよ~と返すと話題を変えるために前日にあづさが家に来た話にすり替えた。
 友香に私とあづさの関係性について話して、しょっちゅう互いの家を行き来していることを言うと彼女はとても羨ましそうに目を輝かせて、いいなぁ、いいなぁ…と連呼した為、来週の日曜日に私の家へ招くことにした。
 じゃあ、遊びに来る?と言うと友香は嬉しそうに目を細めて、行きたい‼︎絶対に行く‼︎と返事した。
 そんな話をしているうちにお目当てのチーズフォンデュが来て、私達はさっきまでの話を忘れたように食べることに夢中になった。
 忘れたように夢中になった。
 だけど私は友香から得た先輩の情報を何一つ忘れていなかった。

しおりを挟む

処理中です...