下界の神様奮闘記

LUCA

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優しさと矜持

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「自己紹介がまだでしたね。私は鳥居凪沙です。美大に通っていて、将来は多くの人に愛される絵をたくさん描く画家になりたいと思っています!そうですね……、みなさんの心のキャンバスに素敵な絵を描けるような画家といいますか。その絵で一人でも多くの人を笑顔にしたい!あ、人だけじゃなくても犬や猫、狸や狐なんかも。とにかく、あらゆる生物、森羅万象に対して素敵な絵を……」



よく喋る子だな。出会ってまだ一時間も経ってないぞ?しかも、横にいるのはさっきまで半身ゴミ箱に入ってた、古ぼけた着物を着た50過ぎのおじさんだぞ?傍から見れば通報されても仕方無いなこれは。早いとこ着かないものか……。



「……であるからして、絵を描くことというのは私の人生であり……」



自己紹介ってこんなに長く喋らないといけないんだっけ?たぶん次俺のターンだよね?あなたが長く喋るほど、プレッシャーが凄いんですけど……。



「……というわけで、私は絵を描くことによって気候変動、ジェンダーレス、ひいては世界平和に貢献できると考えているのです!」



……終わった?のかな?次俺でいいのかしら?



「そ、それは素敵だね!鳥居さんの絵でたくさんの人が救われるといいね!あ、俺は神山光一。前職は神……、あ、いやいや、紙を作る工場で働いてたんだけど、嫌になって辞めちゃったんだ。それで今はホームレスとして各地を転々としてるんだ。もちろん、アレだよ?自ら望んでホームレスになったんだからね?本当だよ?」



「ホームレスだったんですか……。ホームレスの方、これから寒くなる時期って特に大変ですよね……?私は一人でも多くの人が幸せになってほしいと願っています。それはホームレスの方も同じで、誰でも平等に幸せになる権利がある。幸せは独り占めするようなものじゃなくて、みんなで分け合うものだと思うの。いつか私が描く絵でみんな幸せになって、ひいては世界平和が実現するといいなぁ」



話が壮大になっていってるのが少し気になるが、とにかく凄く優しい子だなぁ。この子が自分の娘だったら泣いてるかもしれない。くたびれたおじさんの横にいていい子ではないだろう。人目が気になるので、早いところ着いてくれたらいいが……。



結局、小一時間くらいかかってしまった。その間、周りの目が物珍しそうに来てくるのが気になった。無理もない。可愛らしい若い女の子と、古ぼけた着物を着たよくわからないおじさんが並んで歩いているのだから。たとえ親子といっても通らないだろう。



「着きました、ここです。」



「え、なにここ?」



「私の家ですよ?どうぞ入ってください!」



「「居酒屋「花串」」って書いてあるよ?」



「私の実家は居酒屋なんです。お昼は定食屋みたいなものですけどね。一階部分がお店で、二階部分を住居として使ってるんです。」



居酒屋か。天界にもお酒を飲む広場みたいなものはあったが、下界の居酒屋を見るのは初めてだな。中から賑やかな声が聞こえてくる。お昼でも割と人が入っているようだ。



「おう、おかえり!……って、誰だそいつは?」



「ホームレスの方みたい。公園のゴミ箱に入ってたの。放っておいても大丈夫とは言ってたけど、お腹空いてるようだし、これからしばらく冷えそうだから、放っておけなかったの……」



紹介の仕方よ。嘘でも、ゴミ箱の件は伏せておいてほしかった。こんな紹介のされ方では門前払いを受けるだろう……。



「おう、そういうことなら仕方ねえな!見たところ、身なりがボロボロそうだから、ひとっ風呂浴びてきな!まかないくらいは出せるからよ!」



なんて優しい世界なんだ。正直、下界舐めてました。「元」神様、現在50過ぎの下界のおじさん、泣きそうです。



「すみません、いきなりお邪魔してしまって……。用が済みましたらすぐに出ていきますので……」



「誰だそのきったねぇおっさん!」



「こら!晴人!初めてあった人になんて口の聞き方をしてるんだ!まずは挨拶からだろ!」



「姉ちゃん、ちょっと前まで野良猫を保護してたからって、おっさんまで保護しちゃダメだろ」



「しょうがないじゃない。目の前に困ってる対象がいたらとりあえず助ける、お母さん口酸っぱく言ってたじゃない。そんなこと言うと、お母さんが悲しんじゃうよ」



「そうだけどよ。お母さんも別になんでもかんでも助けろとは言ってないし、そもそもおじさんを連れてきちゃうとは思わないだろ」



晴人くん……凪沙ちゃんの弟か。晴人くん、気持ちは分からないでもないし、ごもっともなんだが、本人を目の前にその言い方はさすがにおじさん傷付いちゃうな。あと、凪沙ちゃんはお母さん似なんだな。お母さんの優しさを受け継いでらっしゃる。この言い方だと、お母さん亡くなっちゃったのかな……?



「あら、お客さんの前でなに言い争ってるの?まったく、喧嘩するほどなんとやらというけど、せめて家の中で言い争ってちょうだいね。そちらの方は?」



「あ、お母さん、ただいま。この人はホームレスの方。ゴミ箱に……」



あれ、お母さんご存命だった……。勝手に殺してごめんなさい。そして、凪沙ちゃん。ゴミ箱の件はもう勘弁して。



「まぁまぁとにかく、まかないくらいなら用意してやっから、早いとこ風呂入って着替えてこい!」



「はい、すみません。晴人くんもごめんね、いきなり。」



「きったねぇからあっちいけ!」



……泣くよ?



それからお風呂を貸してもらい、お父さんの部屋着らしきものをあてがってもらった。また今夜は特に冷え込むらしいから、今夜は空いている部屋を一つ使って良いとのこと。住居部分、結構デカいんだな。



「何から何まですみません。これ以上迷惑をおかけしないよう、明日は早朝に出ていくこととします。」



「いいってことよ!困った時はお互い様だろ?で、明日はどうするんだい?」



「私は浮浪者なので、明日以降も特に行く宛はありません。いよいよ困ったことになれば、ハローワークにでも行ってみます。こんなおじさんに職なんて見つからないかもしれないですが。あはは」



「見たところあんまり若そうには見えないが、あんた一体いくつなんだい?」



「私は50過ぎのおじさんですよ。昔はシティボーイで鳴らしていたものですが、今はその影すらありません。あはは」



「あんた、俺より年上だったのかい!そんなんじゃ、ハローワークどころか、人手不足の日雇いですら難しそうだな!がははは!」



あ、お父さん、年下だったの?そりゃ、そうか。大学生の娘が長女としても、まだ50いってないのも珍しくないか。凄い情けないじゃん俺。「元」神様なのに。



「だったら、ここで雇えばいいじゃない。最近、お昼の営業も忙しくなって人手不足って、あなた言ってなかったっけ?」



お母さん……!凪沙ちゃんがこんな優しいお母さんから産まれたのも納得だ……!神様でもないのに後光が差してるように見える。あなたこそ真の女神様よ……!



「冗談じゃないぜ、こんなおじさん!空気が不味くなる!」



この坊主は本当にこの親の子か?この親のどこを受け継いだらこんなになるんだ?姉の凪咲ちゃんをもう少し見習えや。



「そんなこと言わないの晴人!人手不足なんだし、丁度いいじゃない。人が増えるのも賑やかになって楽しそうだし。ね?いいんじゃない、お父さん?」



凪咲ちゃん、あなたはやっぱり女神の子だ。



「うーん、そうだな!行く宛も無いならここで働くか?ずっとじゃなくても、次の仕事が見つかるまでとか、あんたが決めても良いしな!」



正直、ありがたい。もう寒くなる時期だし、このままフラフラと放浪していても、死んでしまうのが関の山だ。しかし、俺は「元」神様。一晩お世話になっただけでも申し訳無いし、その上職も用意してもらうのはさすがに面目なさすぎる。せめて職くらい自分で探さないと、「元」神様の名が泣くというものだ……。



「一晩お世話になった上に職まで用意していただけるのは非常にありがたいです。しかし、やはりそこまで迷惑をおかけすることはできません。私も一応大人ですから、職だけは自分で探そうと思います。」



あと、さっきから晴人くんが鬼のような形相でこっちを見てるのも気になるからね。



「そうかい?そういうことなら、仕方が無いな。しかし、せめて今晩だけでもゆっくりしていけよ、遠慮はいらないからな!」



「ありがとうございます!」



その夜、時折晴人くんの嫌味が聞こえてきたが、凪沙ちゃんがそれをかき消してくれた。まかないと呼ぶには申し訳ないくらい立派なご飯を用意してもらい、温かい布団まで用意していただいた。下界の人間は思ったよりも優しい。ただ俺はやっぱりいつか天界に戻りたい。やり残した事がたくさんあるからだ。そのためには下界で受ける厚意は最小限にとどめて置かなければならない。天界への戻り方なんて分からないけど……。



翌朝、お母さんは朝の仕込みで、晴人くんは……まぁ当然ながら、その場にはいなかったが。代わりにお父さんと凪沙ちゃんが見送りに来てくれた。



「大変お世話になりました。このご厚意はいつかお返し致します。」



普段だったら情に流されないところだが、ここは下界。多少の情くらい感じてもいいし、なにより厚意を受けたことは紛れもない事実だ。感謝の気持ちに偽りはなかった。



「気をつけて行けよ!寒くなるから、できれば日中のうちに行動して、夜は暖が取れるところに行きな!」



「本当に大丈夫ですか……?しつこいようですが、また困ったらいつでもいらして下さいね!」



どこまで優しいんだこの家族は。あ、いや、一人を除いてか。



「ありがとうございます!ではまた。」



その日、俺は下界2日目にして地獄を見ることになった。突然下界に降ろされた故に住所も名前も登録がなく、当然ながら全く職が見つからなかったのだ。というより、役所の人間に全く相手にされなかった。役所の人間は機械のようにマニュアル的、というのは天界にいる頃から何となく知っていた。しかし、ついさっきまで人間の温かさに触れていたこともあってか、同じ人間でもこうも違うのかと強く感じた。最悪の場合には、生活保護とやらを受けろと鳥居家のみんなに勧められたが、それは「元」神様のプライドが許さなかった。



俺は下界2日目にして早くも追い込まれてしまった。昨日の途中まで天界で神様をやってた奴が、である。



天国から地獄とはまさにこういうことか。

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