異世界まではあと何日

於田縫紀

文字の大きさ
上 下
2 / 41
第1章 騙されてみるのも悪くない

第1話 鬱で動けない寝床から

しおりを挟む
 大学卒業後の進路として、私は地方公務員を選択した。
 無難と言われているし安定しているらしいから。
 実家に帰りたくなかったというのもある。
 すぐに結婚話を持ちこむ母親と大卒の女なんてという目で見る地元にはうんざりしていたから。

 そんな訳でこの地域の中心で通っていた大学もある政令指定都市の採用試験に無事合格。
 しかし実際に働き始めると地方公務員は決して無難な進路ではなかった。
 少なくとも私にとっては。

 そんな訳で8年目にうつ病発症。
 アラサーにして3ヶ月の休職となったのである。
 これがあのメールがくる1月前、6月はじめだ。

 休職直前は本当にやばかった。
 しかし世話をしてくれる彼氏なんて当然いない。
 実家に連絡したらすぐ帰されてご結婚させられる可能性大だ。
 頼れるのは自分自身だけ。

 だから思いついた事前準備はやっておいた。
 通販で大量の固形バランス栄養食と無糖のドリンクを購入。
 更には家賃、水、電気、水道等は全て自動引き落としに。
 いざ動けなくなっても3ヶ月の休職期間は生き延びられるように。
 
 案の定その辺手配が終わって通販の食料を受け取った翌日から完全にダウン。
 そのまま1ヶ月の間最低限だけ動く生活を続け、ここ数日でやっとネットサーフィンが出来る程度になったのだ。

 カーテンを閉めたままの部屋、何時かわからない状態で目が覚めた。
 何となくタブレットパソコンを起動。
 メールソフトが小さい通知音で新着があることを知らせる。

 職場からだろうか。
 なら嫌でも見ないとなと思って目を通す。
 だが通信相手欄は見慣れたものと違う名称。
 オース移住計画事務局とある。

 移住か。
 どうせスパムだろうけれど、それはそれで夢だ。
 何もかも捨てて新天地でのんびりスローライフなんて。
 どうせなら緑が多い場所がいいな。
 就職してから山にも海にも行けていないけれど。

 そんな事を思いながらつい文面を見てしまう。
 勿論メールソフトはセーフモードだ。
 リンクの画像等は表示させないし添付ファイルもダウンしない。
 スクリプトはおろかHTMLも読まずテキストのみ表示。
 それくらい注意しないと何が起こるかわからない御時世だ。
 自治体の相談窓口なんてところにいるとその辺世知辛くなる。
 そして精神を病む訳だ。
 日本語、いや人間の言葉や論理が通じない人間が多くて。

『現代社会で生きにくい方、異世界でスローライフをしませんか』

 何だそれは、異世界へ移住だと。
 スパムにしては現実味がない。
 でも暇なのもあってついつい読み進めてしまう。

『これは現代社会から離れ自然豊かな異世界で新しい生活を送りたいという希望のある方向けの移住プログラムです。勿論現地言語をはじめ様々なサポート付き、アイテムボックス魔法で2トン程度、必要と思われる荷物を持ち込む事も可能です』
 
 うん、きっとこれは手数料と称して詐欺をする奴だ。
 でも話としては少しだけ心が惹かれる。
 自然豊かな場所で新しい生活、いいよな。

 どうせ暇だしやるべき事もやりたい事もない。
 具体的に私であるとわかるような情報さえ入れなければ大丈夫だろう。
 勿論ブラウザはプライベートモードにしておく。
 メールにあったリンクをカット&ペーストして、更に私の事を特定しそうな微妙な文字列を排除した上でGO! だ。

『オース移住計画事務局』

 Webページが出て来た。
 割と真面目っぽい作りのページだ。
 詐欺系とかアフィリエイト系によくある派手派手しさは無い。
 いかがでしたかブログ系の冗長さも無さそうだ。
 こういう作りの方が騙されやすそうだよな。
 そう思いつつついつい中の説明を読んでしまう。

『当協会は現代日本で生きづらさを感じる貴方の異世界移住を全面的にサポートします』

 やっぱり異世界と書いてある。
 ここの中の人、本気で騙すつもりはあるのだろうか。
 私はそう思いつつ惰性半分で読み続ける。

『移住先は現地の言葉でオースと呼ばれる惑星です。地球とは別の世界にありますが地球とよく似た環境で、地球と同一の人類が住んでいます。科学は近世レベルですが代わりに魔法が発達しており、暮らしの環境は概ね地球と同等です』

 いわゆるナーロッパな設定という奴だな。
 あれはどう考えても御都合主義だろう。
 物語としてなら別にいいと思う。
 一昔前の時代背景無茶苦茶な時代劇と同じで、共通の世界観のもとに説明を省いて手っ取り早く物語を展開できるから。

 しかし現実の設定と考えると無茶苦茶だ。
 だいたい同一の人類がいるという事自体おかしい。
 それに魔法なんてそもそもありえない。
 私はそう思いながらやはり惰性で読み続ける。

『当事務局は現地言語の習得、生活に必要な魔法の習得、現地情報の提供から円滑な現地住民との接触機会まで、移住者を広範囲にサポートします』

 ちょっと待て、魔法の習得だと!
 どういう事なんだ。

 惰性4割、魔法に対する興味6割で目がWebページをおいかける。
 この画面上には魔法についての詳細は書かれていない。
 なら何処に書いてあるのだろうか。

 私は怪しいと感じた『充実の事前学習サポート』と書かれたところをタップしてみる。
 画面が切り替わった。

『移住希望の方に対して、次のようなサポートプログラムを実施しています』

 どれどれ。

『言語学習サポート。パソコン、スマホ、タブレット等で現地の言語を学習することが出来ます。オース星の共通言語はローマ字と似た表記方法で言語としてはかなり簡単です。1日2時間の学習で1ヶ月程度あれば日常困らない程度の語学力をつける事が可能となっています』

 なんと1ヶ月で言語習得可能とな。
 私なんて小学校から大学まで10年英語を勉強したけれど未だに自信は無い。
 論文は英語で書いたけれどあれには翻訳AIを多用させて貰った。
 つまり私の語学力は反映されていない。
 これが事実なら是非日本の英語教育にも同じ方法論を取り入れて欲しいものだ。

 いや違う、私が見たかったのは魔法だった。

魔素マナが少ない地球では魔法を学習することは困難です。ですが当協会では疑似魔素マナを開発する事により限られた環境でではありますが基本的な魔法の習得を可能としました』

 なるほど、この怪しい魔素マナとやらを販売する事で儲けるシステムか。
 魔法の練習ならなかなか効果が出なくても不思議ではない。
 そういう理由で時間とお金を稼ぐわけだ。
 いざ苦情が多くなった頃には組織を畳んでドロンするのだろう。
 そう思った私は次の文言を発見してたまげる。
しおりを挟む

処理中です...