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仁人さんと空き教室で時間が許すまで話をした。輝かしい人生の裏には、血の滲むような努力と、苦しい日々があったのだと、察することができる内容だった。
「俺は、芸能界に入ってまだ7年だ。下積みの方が長い、今はな」
「私……、テレビをここ数年見ていないので、本当に疎くて申し訳ないです。簡単に頑張ったんですねって言えない……」
「まあ、たしかに、あの時は苦しかったけど……。あの時代あってこその俺だ。頑張ったんだって認めてもらえるのは、実際に評価を与えられているのと同じだ。もっと頑張ろうって思える」
私は、それに比べてどうだろうか。努力を、しただろうか。環境を少しでも変えようという、努力を、しただろうか。

「私は……」
「奏?」
「いえ、私もより一層、頑張ろうと思いました」
急遽、スケジュール変更で仕事になった仁人さんとの別れ際。少し、悲しくなった。人は人、自分は自分だと頭では理解していても、心は辛い。こんなに頑張ってやっと光り輝く世界を歩き出した仁人さんと、諦めて逃げ出した私。努力もしなかった私とは違う。
「それじゃ、また連絡する」
「はい、応援しています」
慌ただしく出ていく仁人さんを見送って、私は次の授業に出る準備をする。お昼とその直後の時間は講義がなかったけど、その次と最後の時間に講義がある。また、一人だ。仁人さんと会った後、一人になるのは寂しい。
「私、もっと頑張らなきゃ。あんなに仁人さんは努力しているのに、私は逃げてばかり……」
仕事も、耐えられなくなって辞めた。自分がこのままでは死んでしまうと思ったから逃げた。まだ、耐えられたかもしれないのに。これ以上、耐えるのは無意味だと知って逃げ出した、環境を変える努力をしなかった。
「悲しいものね。無駄な努力はどこにも無いとわかっているのに」
いつか実を結ばない努力も良い経験となる、思い出となる、そうわかっているのにそうは思えない。

午後の授業、眠たさを堪えながらしっかりとノートを取る。頑張れなかった私は、今度こそ頑張るのだと言い聞かせて。受験勉強だって、努力無しには実を結ばない。悲しくなって、自分の価値が見いだせなくても、前を向くしかない。それが、私にチャンスをもう一度与えてくれた、優しい両親へ返せる唯一のこと。

一度でも。
壊れてしまったものは、元通りにならないと、わかっていながら。

私は、努力をしようとする。社会に出て、働けなくなって、どれほど両親に迷惑をかけたことか。うつ状態で、自傷行為だって何度も繰り返した。そんな、迷惑ばかりかけた私が、また頑張るのだと決めたのなら……。ちゃんと、頑張らないと。
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