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3話 すずの鬱屈

まりあとしぐれの休日

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 とある休日。
 まりあの家に遊びに来ていたしぐれは、そこでいきなり服を脱ぐよう強要された。


「身体を見せ合うことは大切なことよ、しぐれ。トレーニングの成果を確かめて、どこが足りないかを言い合いっこしましょう」


 というのがまりあの言い分。
 しぐれは渋々従った。

 というか、まごついている間にスカートを降ろされた。

 魔法の力を授かり、彼女を守ると心に誓った以上、まりあと一緒に筋力トレーニングに励むことに異論はない。

 けれど、正直こういうことは遠慮したかった。


「もう少し段階を踏んで、ゆっくりとお互いの気持ちを確かめ合ってから。その方がきっともっと……」
「もっと、なあに?」
「えっ、ううん、独り言!」
「そう?」


 まりあはそれ以上気に留めず、今度は私の番だと言わんばかりに半裸を晒して、堂々と薄い胸を張る。


「わ。まりあちゃん、きれい……。とっても細くてすらっとしてて、すごく美人さん♪」


 しぐれは感激したように指を絡めて両手を組み、声調をひとつ明るくする。


「ちっとも嬉しくない……っ」


 屈辱だった。
 まりあは苦汁とともに膝を屈して床を叩く。

 鍛えた体を細くてきれいと称される。
 これ以上に悔しいことがあろうか、いやない。


「ご、ごめん……。違くて、そうじゃなくてね、えっとぉ。ま、まりあちゃんってスレンダーだなって、うらやましいなって。それでっ」
「ぐぬぬ……っ」


 おろおろしながらさらに追い打ちをかけるしぐれ。

 不安げに三つ編みを揺らしながら、自尊心を抉りに来るとは驚きだった。

 まりあは負けじと意地を張り、ぐっと二の腕を曲げてアピールする。


「見よ、この力こぶ。私が丹精込めて育てたのよ」
「おお……。さ、触ってみてもいい?」
「お好きなだけどうぞ」


 惚れ惚れと感嘆するしぐれにあっさりと気を良くし、まりあはお触りの許可を出す。

 発展途上ながら小さく盛り上がる筋肉の丘に、しぐれの指先が触れる。


「すごく固いし、こりこりしてる。とっても強そう」
「ふふふ、私なんてまだまだよ」
「すごいなあ、まりあちゃんは」
「いやいや、そんなそんにゃっ!」


 予想外の刺激がまりあを襲った。

 わき腹から下腹部を駆け抜けた掻痒感。

 びっくりのあまり、まりあはその場にへたり込んでしまう。


「な、なんでお腹を触るの……?」
「ご、ごめん。腹筋もすごいのかなって思って」
「うう。腹筋は全然トレーニングできてないんだよぅ」


 良いように弄ばれ、どこまでも惨めだった。

 正直、浮かれていた。

 しぐれと友達になって、目的意識を共有する競争相手を得て、つい見比べてしまいたくなった。

 この一か月、筋トレをしてきたという自負に甘えて、自慢げに情けない筋肉を晒してしまった。
 
 やはりまだまだ鍛錬が足りない。
 筋肉も、そして精神力も。

 トレーニングの割り振りを見直す必要がありそうだ。


「ごめんね、まりあちゃん」


 しぐれは、申し訳なさそうに謝罪の言葉を重ねる。

 むしろ、謝らなければならないのはまりあの方だ。
 
 だが、


「……えい、お返し」
「きゃあああっ!」


 それとこれとは話が別だった。

 まりあは鬱憤を晴らすように、しぐれの腹部を思う存分蹂躙した。


「ひどいよ、まりあちゃん……っ」


 しぐれはくすぐりの末に力尽き、赤らんだ頬を床にくっつけて、ぐったりと横たわる。

 さすがにやり過ぎたかと心配するが、しぐれが浮かべる表情はどこか恍惚とし、楽しげだ。

 きっと、友達と楽しく遊べて嬉しいのだろう。
 まりあはそう解釈した。

 そういうことならばこれからも遠慮はいらない。

 しぐれを助け起こし、ともに成長することを誓い合う。


「くすぐりにも負けない強靭な腹筋を作り上げましょうっ」
「ひゃい……」


 まだ余韻から抜け切れず、身体を丸めてお腹を擦っていたしぐれは、そこでふと異変に気が付いた。

 衣装棚の隣に置かれた姿見が、どこかおかしい。


「まりあちゃん、見て。鏡が真っ黒に」


 姿見は鏡面が黒々と色づき、何も映さない。
 のっぺりとした黒い壁で蓋されたような有様だった。

 確か、さっきまで普通にまりあたちのはしゃぐ姿を映し出していたはず。

 割れてしまったのだろうか、と訝しって顔を近づけるが、そんな風には見えない。

 じっと見つめていると、今にも吸い込まれてしまいそうなほどに仄暗く、まるで底が覗けない。

 異世界にでも繋がっていそうだ。


「ああ、魔女が来たのね」
「ま、魔女?」


 至極何でもなさそうな調子の発言に、しかししぐれはぎょっとして鏡から身を引いた。

 まりあは「おや?」と少し不思議そうに首を傾げ、


「しぐれは魔女の結界見るの初めてだっけ?」
「う、うん。初めて……」


 しぐれは、緊張の面持ちで頷いた。

 魔法少女になってまだ日が浅く、倒すべき魔女について知っていることがあまりに少ない。

 怖がりな一面を持つ彼女のことだ、未知への不安は人知れず大きいだろう。

 ならば、ちょうど良い機会かも知れない。

 まりあは、姿見に映る暗闇の向こうを指差した。


「魔女や魔獣は物と物との境界に、自らの領域として結界を作り出すの。一度結界が生まれた場所には必ず魔力の残滓が残るから、また同じ場所に現れやすい。かがみんがそう言ってた」
「へえ」
「覚えておいて。しぐれもこれから魔法少女として魔女と戦うんだから」


 パシン、と拳と手のひらを叩き合わせ、やる気十分のまりあ。

 まるで、これから友達とひと勝負始めるかのような気軽さに、しぐれは少なからず戸惑いを見せる。

 が、すぐにいらぬ心配だと思い直した。

 魔法少女になってからというもの、まりあは襲い来る強敵をバッタバッタと薙ぎ倒してきた。
 全戦全勝、向かうところ敵なし。

 こと魔女退治においては、一日の長がある。


「よし、さっさと倒してトレーニングの続きをしようか。ね、しぐれ」
「う、うん」


 自信に溢れる横顔をじっと見つめ返したしぐれは、瞳にほんのわずかな陰りを覗かせた。

 まだ見ぬ魔女に対する畏怖と懸念。
 待ち構えているのは命を削り合う闘争。

 恐れるなという方が無理である。


「……できるかな、わたしに」
「しぐれならできるよ。大丈夫」


 俯かせた顔の前に、にこやかな励ましと一緒に手が差し伸べられる。

 目と目を合わせ、手と手を握り、まりあが伝えてくるのはたったひと言の、大丈夫。


「しぐれは私が守るから」
「……うん、わたし頑張るから」


 ただそれだけで、躊躇う気持ちを飲み込んで、何度でも歩き出せる気がした。
 
 
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