未完成のビリーフ

紫苑色のシオン

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未完成のビリーフ 10

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 あれからの夏休みは淡々と過ぎていき、夏休みの課題をするだけの日々だった。
 近野先輩と話をするために何度か連絡を取ろうと試みたのだが、連絡がつかなかった。近野先輩が拒否しているのか、それともまだ何かあったのだろうか。
 何も分からないまま、夏休みが終わり、二学期が始まった。九月になったとはいえ残暑は厳しく、久しく家を出た僕にはこの暑さが非常に辛い。家を出た瞬間に眩暈さえも起きたほどだ。早く秋になって涼しくなって欲しいものだ。
 学校について、久しく会うクラスメイト達は夏休みの思い出話に花を咲かせていた。僕は飛び切り強烈な出来事を経験したとはいえ、それが思い出話になるとは到底思えない。適当に笑顔でも振りまいておいて、抵当にやり過ごそう。幸いにも僕の存在はこのクラスにとっていてもいなくてもどちらでも同じ様な立ち位置だ。誰も僕の夏休みの出来事に興味は無いのだろう。

「おい知ってるか、沢藤!」

 久しく話す彼は僕がこのクラスで一番話す機会の多い、ええと、何クンだったっけな。確か漢字一文字だったはずだったけども…。

「なに、どうしたの?」
「三年生の及川って人、ヤクやってて、それがバレて逮捕されたらしいぜ!」

 違います。と心の中で突っ込んでいると、隣の席の女子が唐突に話に入ってきた。

「え、林、私が知ってんの違うけど。私が聞いたのはひき逃げしたとか」
「私が聞いたのはなんか手出した女がヤクザの関係だったとかで…」

 あ、名前は林君か。多分覚えないけども。
 それにしても噂ってこうして広まっていくのか。凄いな…。そしてどれも違うという。まぁ、事実が広まるよりは遥かにマシかもしれない。
 僕は特に訂正することもなく、張り付けたような笑顔でクラスメイトの話をうんうん、と聞くだけだった。


 そして放課後。僕は近野先輩に一通のメールを送った。

『今日の放課後、図書室に来てください』

 果たして今日近野先輩が学校に来ているのかは分からないが、送るだけは送っておいた。
 そして今、僕は適当に本棚にあった聞いたこともない様な作家の推理小説を読みながら近野先輩を待っていた。
もうかれこれ一時間は経っただろうか。真っ赤な夕日が差し込み、顔が焼かれそうになる。今日は流石に来ないか、と諦めて鞄を持った時、図書館の扉が開いた。
近野先輩だった。
僕を見つけた近野先輩が目の間に来る。持ち掛けた鞄を再度置き、座りなおす。

「どうしたの、私を呼び出して」
「わざわざ来てもらってすみません。どうしても近野先輩に聞いておきたいことがあったんです」
「何かしら」

 近野先輩は凄く柔らかい微笑を浮かべていた。今まで見た中で、一番の。


「七不思議を作ったのは、近野先輩ですよね」


 僕がそう言っても、近野先輩の表情は一切変わらなかった。

「どこで分かったの?」
「あの日の後、ニュースでとある男が逮捕されていました。容疑は娘を虐待していた容疑とか」
「まぁ、大変ね。その娘さん、可哀想に」
「その男の名前は近野 悟朗。先輩と奇遇にも同じ苗字なんですね」
「偶然って凄いわね」
「先輩の父親なのでしょう」
「えぇ、そうよ。あんな男、捕まって当然だわ」

 あっけらかんと先輩は言いのけた。

「先輩をずっと付け回していた及川先輩が近野先輩に暴力を振るって、その流れで近野先輩の父親の虐待が発覚。これは偶然なんでしょうか」
「何が言いたいのかしら」
「先輩は、七不思議を作り、広め、そしてその調査を新聞部がすることを期待した。結果篠崎部長は調査に乗りだした」

 全て、近野先輩の思惑通りだったのかもしれない。
 近野先輩は度々夜に学校に侵入し、様々な工作をし、七不思議を作った。ピアノや石膏は自分が授業があるときに設定を目を盗んで弄ったのだろう。結果的に七不思議は広まった。
 そして新聞部が調査に乗り出す。しかし聞き込みなどでは調査に限界があった。だから夜に学校に忍び込んで調査しようと篠崎部長が『近野先輩の期待通り』に言い出した。そう、人目も少なく、暗い、いくら迫っても冷たくかわす近野先輩に『近野先輩の期待通り』に乱暴した。そうすれば父親からの虐待の跡が『近野先輩の期待通り』に嫌でも露呈する。
 そう、つまり。

「七不思議は、先輩を虐待する父親を逮捕させるためのものに先輩が作り、広めたものですね」

 今回の一連の騒動は、七不思議というのは全て、自分を虐待する憎き父親に社会的罰を与えるための布石でしかなく、その上、及川先輩が性的暴行を加える事でさえ、布石でしかなかったのだ。

「まず、あまりにも不安定すぎないかしら。七不思議の仕掛けをしたとして、それを誰かが目撃するかどうかも分からない。広まるかも分からない。新聞部が調査に乗り出すかも分からない。及川先輩が私に暴行を加えるかも分からない。むしろ狙ってやる方が難しいんじゃないかしら」

 全くもってその通りだ。だからこそ、僕は悩んだ。でも。

「えぇ、ですから、上手くいかなくてもよかった。上手くいかなかったら次の作戦を練るまで。そうじゃないんですか?」
「......。わざわざこんな回りくどい事しなくても、児童相談所なり何なり、直接通報すればいいんじゃないかしら」
「虐待っていうのはどうも逮捕までこじつけるのは難しいらしいです。だからこういう手を打ったのかと思いますが」

 完璧に言い負かした訳じゃない。まだ僕の推論は不完全で未完成で、穴だらけのものだろう。何より証拠も何もない。ただの状況証拠でしかない。でも、それでも。

「......ふふ、お見事ね。沢藤君。ほぼ正解よ」
「ほぼ、ですか」

 先輩は思っていたよりもあっさりと認めた。あの柔らかな微笑みを絶やすことないまま、近野先輩は騙り始める。

「沢藤君が外したのは、私が何故、こんな回りくどいやり方を取ったのか、だけよ。それ以外は正解」

 ふふ、と笑う。

「あの男ね、何かと私を殴るのよ。晩御飯の味付けが薄いとか。靴下が見つからないとか。もう、ほんと、下らない事で私を殴るの。痛かったわ。それにバレると困るから身体ばかり。おかげで私、露出度が凄く低い服しか着れなくなったわ。痣だらけだもの」

 前に一度見た、夏なのに冬用の制服を着て体育を見学している先輩を見かけたが、その理由がこれだ。先輩が虐待されている事に気が付いたのは、先輩の買い物荷物を家まで届けたあの日。頬を腫らして出てきた先輩を見て、気付いた。
 しかし先輩は見なかった事にしろ、と僕を脅してきた。あれは僕には何も出来ないのだから手出しなんかしようとするな、という忠告かと思っていたが、今にして思えばあれは、私のやろうとしてる事の邪魔になるから何もするな、という事だったのだろう。

「だから、極力言い逃れの出来ないようにして逮捕させたかったのよ。私なりの復讐よ。結果的とはいえ、全部上手くいって良かったわ。あ、でも」

 先輩から柔らかい笑みがスっと消えた。

「沢藤君が全てに気付くだなんて、思いもしなかったわ。それだけが誤算ね」

 ゾクリと背筋が凍るのを感じた。
 この人は、怖い。そう本能で感じ取った。

「先輩、一つ聞いてもいいですか」
「あら、何かしら」
「ファミレスで、僕の事好きだから付き合おうって言ったのは、あれは、本心からですか。それとも、何か利用するためですか」

 今の僕は先輩を何も信用できない。ならば、あの時のあの言葉さえ、疑ってしまうのも無理はないというものだろう。

「沢藤君は凄く役に立ってくれたわ。だって、貴方がいたからあんなにも、及川さんは感情的になってくれたもの」

 今度は打って変わって、恍惚とした表情を浮かべた。やはりこの人は、怖い。

「じゃあ、あの時の言葉は...」
「少なくとも本心ではないわ。それを嘘と呼ぶかは好きにして構わないわ」

 この人にとって、周りの人間はどんな風に写っているのだろうか。全て、利用できる駒にしか見えてないのではないだろうか。

「で、どうするの?」
「何がですか」
「私の事、警察に言う?」

 そう言われてキョトンとしてしまった。そう言えば僕は今回の真相を突き止めて、何がしたかったのだろうか。
 数秒考えて、答える。

「何も。何もしませんよ」
「え?」

 ここにきて初めて先輩が、意表を突かれたという顔をした。

「どうあれ、先輩は被害者ですし、もう全て終わってしまってる事ですから」

 あくまで建前だった。本心は結局、起きた事件の真相を知りたかった。そして出した結論の答え合わせをしたかっただけに過ぎない。つまるところ、僕の好奇心である。
 しかし嘘をついたのは、僕を騙し利用した先輩へのちょっとした仕返しだった。

「...怒らないの?」
「まぁ、一時の夢を見たことにしときますよ」

 利用されたのは気分は良くないが、これまで先輩がずっと虐待されていた苦しみを考えると、あまり強くは言えなかった。先輩の方がずっとずっと、苦しい思いをしてきて、それから解放されるためには、手段なんて選んでられなかったのかもしれない。

「沢藤君、変わってるのね」

 そしてクスクスと笑う。まるで、幼気な少女のように。
 何だ、そんな表情もできるんじゃないか。

「今までは確かに利用するためだけと思ってたけど、気が変わったわ。沢藤君の事、気に入っちゃった」
「僕は先輩のこと、怖い人って認識に変わりましたけどね」

 皮肉で言ったけど、先輩はクスクスと笑っていた。
 復讐のためなら何でもする。誰でも利用するし何だって利用する。何なら自分の身体さえも利用する。そんな気の狂ったような事、正気の沙汰であればとてもではないが出来るはずがない。
 だから、先輩は怖い。危うく、脆く、危険な存在だと思った。

「新聞部、どうする?」
「僕が抜けたら一年生誰もいなくて困るでしょう。辞めませんよ」

 先輩がまた、一段と良い笑顔になる。畜生、可愛いな、この人。

「来年もよろしくね、沢藤君」
「はい、よろしくお願いします、先輩」

 なぜだかこの人には一生かかっても勝てない気がする。そして、なぜかこの人とは長い付き合いになる気がした。

 未完成のビリーフ 終
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