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婚約破棄と真実の愛
公爵子息から平民へ 2
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バッターン!
リーンは、おっとと、たたらを踏んだ。こんなに大きな音で戸を閉められた経験がなかったから、驚いたのだ。閉まる戸が顔に当たるのではないかと焦り、戸を閉める真実の愛の相手の鬼の形相が目に入らなかったのは僥倖だったかもしれない。
公爵家を追い出されトランク一つを持って貴族街を歩くと、屋敷の門番たちからは奇異の目で見られた。貴族たちはほんの少しの距離でも馬車を使う。身の安全を守るためでもあるし、淑女のドレスと靴は道を歩くのには不適だ。貴族ではない商人でさえ馬車だし、食材を運ぶ者も荷馬車に乗ってやってくる。呑気に歩いているリーンが異常なのだ。
しかも、貴族街は爵位順に屋敷が決められている。王城に近くなればなるほど高位であり、平民街に近いのは下位貴族や騎士爵など一代貴族の屋敷となる。つまり、リーンはほぼ王城から平民街まで歩いて貴族街を通り抜けようとしている。公爵子息として顔バレしていなければ、貴族街を巡回する騎士たちに即捕縛されていただろう。
本人は「歩くと平民街まで遠いなぁ」と考えながら、呑気に歩いていたが。
平民街は大きく二つの区域に分けられている。
西側は商業ギルドがあり、商店と住宅が立ち並ぶ比較的治安の良い場所だ。貴族街に屋敷を得ることが財政的に難しい貴族は、こちらに屋敷を買ったり集合住宅の一室を借りたりしていた。
東側は冒険者ギルドと鍛冶ギルドがあり、いささか血の気の多い者が多い。労働者向けの安価な宿や飲み屋が贔屓にされ、いわゆる夜の街も隅っこにひっそりと存在している。犯罪者が隠れ住んだり、闇ギルドがあるなど後ろ暗い噂に事欠かない街である。
王都には他にも数少ない魔法使いたちが日夜魔法を研鑽しているという魔塔が聳え建っていた。
リーンは、真実の愛の相手に会うために、足運びも軽やかに東側の区域へと進んでいく。通いなれた道が、今日は身分が平民となったせいか違う街のように感じられた。
真実の愛の相手は、年頃の女性が好む雑貨屋の近くで営む定食屋の給仕だ。ウェイトレスと呼ぶらしいが、自分が利用するレストランの給仕たちと違い、丈の短いスカートを履き胸元が開いた肩に布がひっかかっているデザインの白いブラウス、フリフリの白いエプロン姿で料理と酒を運ぶ姿は、ウェイトレスではないと思う。
婚約者……元婚約者のガブリエラからのお願いで、その平民たちに人気の雑貨屋で彼女に渡すプレゼントを選んでいたのだが、何がいいのかわからず途方に暮れていたリーンを助けてくれたのが、真実の愛の相手イリーネだ。屋敷まで商品やカタログを持ってきてもらい、そこから欲しいものを選んだり、欲しいものの要望を伝えオーダーメイドで作ってもらうのが当たり前だった公爵子息では、平民の品の良しあしがわからなかったので、彼女のアドバイスはたいへん助かった。
婚約者へのプレゼントだと伝えて、王都で流行っているというガラス玉の髪飾りや、花の刺繍が美しい靴下、繊細な彫刻の栞など、素朴ではあるが「かわいい」という品を選んでもらい、無事にガブリエラにプレゼントをすることができた。彼女がそれらを使っているのを見たことはないが、喜んでいたとは思う。
イリーネとはそれきりではなく、買い物を付き合ってくれたお礼として会い、相談があると言われ会い、忘れ物をしたと会い……そうして逢瀬を重ねて、元婚約者がいう真実の愛の相手となったらしい。
イリーネが住むアパートの前で足を止め、彼女との出会いから今までを反芻する。愛……愛? はて、愛の告白などしただろうか? リーンは暫しアパートの前で考えこんだが、答えが出ないと悟りイリーネに会うためアパートの階段を上ることにした。
トントン。
二階の右端の部屋はイリーネが借りている部屋だ。狭くて散らかっているからと、部屋の中に入れてもらったことはない。正確には、彼女を送り届けただけで部屋に入れてほしいと頼んだこともない。
ノックをしてしばらく、バタバタと荒い足音がしてガチャリと戸が開けられた。
ぼさぼさの髪と着崩したナイトウェアに裸足。どうやら寝ていたらしい。もうすぐ日が暮れるのだが?
「あ……。や、やあだ、リーンハルト様じゃない。ど、どうしたの? 急に来て」
あははは、と取ってつけたように笑うが、化粧をしていないイリーネの顔には眉毛が半分しかなく、肌も荒れていて別人のようで驚いた。驚いたからリーンは、取り繕うこともなく正直に自分に起きたことを話した。
「婚約破棄」され「廃嫡」され公爵家から放逐された、と。
「なにそれ? はあああぁっ? じゃあ、あんたはただの平民ってこと? お金もないの? なにそれ」
早口でまくし立てられたが平民になったことは間違いないので頷き、でもお金は持っていると言う前に、真実の愛の相手は悪魔のような顔でリーンを睨み低い声で別れを告げると戸を乱暴に閉めた。
「あ……」
固く閉ざされた戸の向こうでイリーネが癇癪を起こして騒ぐ声と、若い男の声が聞こえた。
リーンは、イリーネが真実の愛の相手なのかどうか確かめに来たのだが、自ずと答えは出たようだ。
「これでスッキリした。さて、商業ギルドに顔を出すとしよう」
リーンは、おっとと、たたらを踏んだ。こんなに大きな音で戸を閉められた経験がなかったから、驚いたのだ。閉まる戸が顔に当たるのではないかと焦り、戸を閉める真実の愛の相手の鬼の形相が目に入らなかったのは僥倖だったかもしれない。
公爵家を追い出されトランク一つを持って貴族街を歩くと、屋敷の門番たちからは奇異の目で見られた。貴族たちはほんの少しの距離でも馬車を使う。身の安全を守るためでもあるし、淑女のドレスと靴は道を歩くのには不適だ。貴族ではない商人でさえ馬車だし、食材を運ぶ者も荷馬車に乗ってやってくる。呑気に歩いているリーンが異常なのだ。
しかも、貴族街は爵位順に屋敷が決められている。王城に近くなればなるほど高位であり、平民街に近いのは下位貴族や騎士爵など一代貴族の屋敷となる。つまり、リーンはほぼ王城から平民街まで歩いて貴族街を通り抜けようとしている。公爵子息として顔バレしていなければ、貴族街を巡回する騎士たちに即捕縛されていただろう。
本人は「歩くと平民街まで遠いなぁ」と考えながら、呑気に歩いていたが。
平民街は大きく二つの区域に分けられている。
西側は商業ギルドがあり、商店と住宅が立ち並ぶ比較的治安の良い場所だ。貴族街に屋敷を得ることが財政的に難しい貴族は、こちらに屋敷を買ったり集合住宅の一室を借りたりしていた。
東側は冒険者ギルドと鍛冶ギルドがあり、いささか血の気の多い者が多い。労働者向けの安価な宿や飲み屋が贔屓にされ、いわゆる夜の街も隅っこにひっそりと存在している。犯罪者が隠れ住んだり、闇ギルドがあるなど後ろ暗い噂に事欠かない街である。
王都には他にも数少ない魔法使いたちが日夜魔法を研鑽しているという魔塔が聳え建っていた。
リーンは、真実の愛の相手に会うために、足運びも軽やかに東側の区域へと進んでいく。通いなれた道が、今日は身分が平民となったせいか違う街のように感じられた。
真実の愛の相手は、年頃の女性が好む雑貨屋の近くで営む定食屋の給仕だ。ウェイトレスと呼ぶらしいが、自分が利用するレストランの給仕たちと違い、丈の短いスカートを履き胸元が開いた肩に布がひっかかっているデザインの白いブラウス、フリフリの白いエプロン姿で料理と酒を運ぶ姿は、ウェイトレスではないと思う。
婚約者……元婚約者のガブリエラからのお願いで、その平民たちに人気の雑貨屋で彼女に渡すプレゼントを選んでいたのだが、何がいいのかわからず途方に暮れていたリーンを助けてくれたのが、真実の愛の相手イリーネだ。屋敷まで商品やカタログを持ってきてもらい、そこから欲しいものを選んだり、欲しいものの要望を伝えオーダーメイドで作ってもらうのが当たり前だった公爵子息では、平民の品の良しあしがわからなかったので、彼女のアドバイスはたいへん助かった。
婚約者へのプレゼントだと伝えて、王都で流行っているというガラス玉の髪飾りや、花の刺繍が美しい靴下、繊細な彫刻の栞など、素朴ではあるが「かわいい」という品を選んでもらい、無事にガブリエラにプレゼントをすることができた。彼女がそれらを使っているのを見たことはないが、喜んでいたとは思う。
イリーネとはそれきりではなく、買い物を付き合ってくれたお礼として会い、相談があると言われ会い、忘れ物をしたと会い……そうして逢瀬を重ねて、元婚約者がいう真実の愛の相手となったらしい。
イリーネが住むアパートの前で足を止め、彼女との出会いから今までを反芻する。愛……愛? はて、愛の告白などしただろうか? リーンは暫しアパートの前で考えこんだが、答えが出ないと悟りイリーネに会うためアパートの階段を上ることにした。
トントン。
二階の右端の部屋はイリーネが借りている部屋だ。狭くて散らかっているからと、部屋の中に入れてもらったことはない。正確には、彼女を送り届けただけで部屋に入れてほしいと頼んだこともない。
ノックをしてしばらく、バタバタと荒い足音がしてガチャリと戸が開けられた。
ぼさぼさの髪と着崩したナイトウェアに裸足。どうやら寝ていたらしい。もうすぐ日が暮れるのだが?
「あ……。や、やあだ、リーンハルト様じゃない。ど、どうしたの? 急に来て」
あははは、と取ってつけたように笑うが、化粧をしていないイリーネの顔には眉毛が半分しかなく、肌も荒れていて別人のようで驚いた。驚いたからリーンは、取り繕うこともなく正直に自分に起きたことを話した。
「婚約破棄」され「廃嫡」され公爵家から放逐された、と。
「なにそれ? はあああぁっ? じゃあ、あんたはただの平民ってこと? お金もないの? なにそれ」
早口でまくし立てられたが平民になったことは間違いないので頷き、でもお金は持っていると言う前に、真実の愛の相手は悪魔のような顔でリーンを睨み低い声で別れを告げると戸を乱暴に閉めた。
「あ……」
固く閉ざされた戸の向こうでイリーネが癇癪を起こして騒ぐ声と、若い男の声が聞こえた。
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