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浅井長政編
誰かの記憶
幼い頃から、同じ夢を見たーー
そこは暗闇の中、歩くことも、話すことも出来ず、
ただその場にいる不思議な夢だ。
「………!」
…何が聞こえる。
音が聞こえたと同時に、視界がぐにゃりと形を変え、また別の景色が目に映った。
ここは…木造建ての家だろうか。
この景色もぼんやりしているけれど、
木のような梁が微かに見えた気がした。
「……ーー!」
耳の奥でさっきよりも強く音が反響している。
これは…人の声だろうか?
何を言っているのか分からない。
「ーーー!」
すると、何かがこちらに向かって走ってきていた。
あれは…人だ。
目を細めて凝視するも、顔が見えず、
身体のシルエットしか見えない。
「……」
声が出せない。
何度も何度も声を出そうと試しても
口からは無駄に吐き出される息だけ。
どうして声が出ないの。
なぜ、周りの視界がぼやけているの。
どんなに必死に足掻いても、
夢は変わらず、何も語ってはくれなかった。
「~~~~」
その人が近付いてきたことにより、
音が大きくなったけれど、それでも
何を言っているかは分からない。
どうしたの?
あなたは、なにを伝えたいの?
目の前にいる人は必死になって話していた。
その姿を見る度に、なぜか胸が苦しくなる。
そしてーーー
「ーーぃ!」
「……っ!」
やっと声が聞こえたと思った時には
既に夢から覚めてしまっていた。
ベッドから身体を起こし、両手を広げた。
手のひらには手汗がついており、
カタカタと少しだけ震えていた。
「……また、ダメだった」
いつまで経っても、何度試しても、
あの夢は変えられない。
分かっているのに、どうしようもなくもどかしがった。
あの人は……一体、何を伝えたかったのだろう。
朝からモヤモヤした気持ちに深く息を吐き、
ベッドから下りた。
ーーーーーーーーーーーー
「お疲れ様でーす!」
「お疲れ様です。」
少し肌寒い天気だけど、晴れてよかった。
雲ひとつない空の下、現場の準備が着々と進んでいく。
どこか緊張と期待が混じった空気の中、
椅子に座り、冷めかけたコーヒーをひと口飲んだ。
「……美味しくない」
飲みかけのコーヒーを置き、ぼーっと空を眺める。
いつもなら、夢のことなどすぐ忘れているのに、
今日はなぜかあの夢が頭から離れなかった。
あの人は、誰なのだろう。
考えれば考えるほど気になって、
仕事中であることを忘れてしまいそうになる。
今は集中しないとーー
そう自分に言い聞かせ、準備が整った現場に向かった。
「しっかし、今日も多いなぁ~…」
立ち位置についた時、1人の男性が頭を抱えていた。
彼の視線の先には多くの人たちが群がっていた。
「いや、見たい気持ちも分からなくは無いけどさ…こうも人が多いとやりにくいな。」
「……」
この仕事をしている以上、目立つのは致し方ないこと。
あの人たちはどんな眼差しで見ているのだろうか。
どんな感情を持ってここにいるのか。
期待と憧れ、或いは好奇と揶揄ーー
どちらにしても、今ここは自分を最大限に魅せる場所。
人から見られることなんてもう慣れてしまった。
「初めましょう。」
そう言って、ゆっくりと目を閉じた。
一度、外の音を遮断する。
——大丈夫。
いつも通りやればいい。
胸いっぱいに息を吸い込み、
ゆっくりと吐き出す。
「本番、行きます!」
その声を合図に、静かに目を開けた。
次の瞬間だった。
——ドンッ!!
足元が跳ね上がり、衝撃が遅れて全身を揺らした。
「!?」
……いまの、地震?
辺りを見渡すと、人集りの奥で灰色の煙が立ち上っているのが見えた。
「きゃー!」
「な、なんだあれ!!」
その場にいる全員が、叫び声のする方へ視線を向けた。
そこには、現実とは思えない光景が広がっていた。
倒壊した建物、あちこちで火の手が上がり、立ち込める煙。
けれど、それ以上に恐ろしいものが――“そこにいた”。
「ば、化け物だ……」
誰かが、震えた声で呟いた。
見上げるほどの巨体。
二階建ての建物を優に超える大きさの“巨人”が、
甲冑を身にまとい、右手に握った大きな槍を振り回して暴れている。
「―――っ!」
凍りつくような寒気が、背筋を駆け上がった。
このままここにいたら、
間違いなくあの巨人の攻撃に巻き込まれる。
「ここは危険です! 早く避難を!!」
けれど、現場は既にパニック状態になっていた。
だめだ…何を言っても届かない。
逃げ惑う人々と、燃え盛る建物。
巨人が槍を一振りするたび、
地面が跳ね、視界が砂埃に覆われた。
何故だろう。
初めて見るはずの光景なのに、胸の奥がざわついた。
途方に暮れながら、なぜか心の中で"既視感"が芽生えていた。
ガラッ
「……!」
すると、倒壊した建物からガラスの破片が
目の前を走っていた女の子の頭上へ落ちてきた。
咄嗟に背中を押して庇った瞬間――
足に、鋭い衝撃が走った。
恐る恐る視線を落とすと、
右のふくらはぎがざっくりと裂け、
そこから血がとめどなく溢れている。
止血をしないと……!
巨人が迫ってくる中、着ていた服を破り、
必死にふくらはぎへ巻き付ける。
激痛に耐えながら、何とか立ち上がった。
けれど――
足に力が入らない。
怪我をした足を庇いながら前に進もうとしても、
思うように、走れなかった。
ズドーーーンッ
その時、暴れていた巨人が突然地面に倒れたのだ。
「あ、いた!遥さん……って!大丈夫ですか!?」
遥と名を呼ばれ、振り向くとマネージャーの塚本くんがこちらに向かって走ってきた。
足の怪我を見た塚本くんが慌てふためきながらも、
自分の肩に腕を回してサポートしてくれた。
「酷い怪我……僕が支えますんで、一緒に病院へ向かいましょう!ちょうど巨人が倒れて動かなくなったようなので、逃げるなら今がチャンスです!」
行きましょう、という声に促され、
足を引きずりながら瓦礫の中を進んでいく。
「すみません、この先の道しか病院に繋がっていないみたいで……」
塚本くんは申し訳なさそうに言って、視線を前方へ向けた。
そこには倒れ伏したまま、動かなくなった巨人の姿があった。
正直、近づくのは危険な気がする。
けれど、他に逃げ道はない。
塚本くんに支えられながら、一歩、また一歩と進んだ。
その拍子に、ふと視線が逸れ――
嫌でも、巨人の身体が視界に入った。
胴体と足は、刃物で断ち切られたかのように
不自然なほど滑らかな断面を晒している。
血も、呻き声もない。
ただのガラクタだけが横たわっていた。
……一体、誰が。
そう思った時だった。
「すっげぇぇ! かっけぇよーー!」
どこからか、場違いなほど明るい声が響いた。
巨人のすぐ近くから聞こえた気がする。
あの奥に、誰がいる……?
目を細めて眺めてみるが、
砂埃が酷くて姿はまだ見えない。
「どうかしましたか?」
「……ううん。大丈夫。」
気のせいだったのかな。
そう思い、再び歩き出した。
「まだ魂が消えていない!!」
突然、背後から響いた少年の声。
私達はその声に驚いて振り向いた。
その直後、先程まで倒れていたはずの巨人が、
再び動き出した。
「あ……あっ!」
真っ二つになっていたはずの身体が、
まるで時間を巻き戻すかのように一瞬で、
元の形へと戻り、先程よりも激しく暴れ始めた。
塚本くんは恐怖で怯え、その場で硬直してしまった。
このままじゃ2人とも巻き込まれてしまう!
『逃げてっ!』
「ーー!」
ドンッ!
気がつくと、私は塚本くんを思い切り押していた。
「遥さん!?」
今、何をしたの……?
頭の中で知らない声が聞こえて、それでーー
ドガァンッ!!
巨人の槍が地面を薙いだ衝撃が、遅れて押し寄せ、崩れた建物の瓦礫が、こちらへ弾き飛ばされてきた。
「きゃー!!」
瓦礫の破片が腕や身体に当たり、
至る箇所で傷ができていた。
急がないと…また巨人がーー
「ガァァァ……」
「!?」
気付いた時には手遅れだと感じた。
先程叫んだせいで、巨人が私の存在に気付いてしまった。
「~~~!」
周囲が何か叫んでいるようだったけれど、
私の耳には届かなかった。
巨人は槍を構え、ズンズンと重い足で
こちらに向かって歩いてくる。
怪我をした足では走ることも出来ない。
もうダメだ…そう思い、地面に座り込み、
死を覚悟した。
ーーーその時だった。
「お市ぃぃぃぃいいい!!!」
「……えっ?」
今の声ってーーー
ズドーーーーンッ!!
衝撃音と共に、吹き飛ばされるような衝撃波が
全身を包んだ。
咄嗟に目をつぶっていたけれど、
なぜか不思議と身体に痛みはほとんど無い。
恐る恐る目を開けると、
視界いっぱいに、逞しい胸元が迫っていた。
「くっ……!」
顔を上げると、一人の男性が、巨人の攻撃を
片手で受け止めていた。
もう一方の腕で、私を抱き寄せながら。
誰……この人。どうして、私を?
ギリギリという音と共に、男性の呼吸が荒くなる。
それでも私を守る手は離そうとせず、
巨人に向かって鋭い目つきで睨んでいた。
「あの!私はいいから!」
このままでは、私を庇っているせいで
巨人に押し潰されてしまう。
そう思い、男性から少しでも離れようとした。
「大丈夫だ。」
「え……?」
男性は顔を向けると、優しく微笑み、そしてーーー
「もう…君を一人にはさせない。」
『市、おいで……』
その時、私の脳裏に知らない“記憶”が流れ込んできた。
一つや二つどころではない。
脳の奥に押し込められていた“記憶の断片”が、
堰を切ったように、一気に溢れ出す。
春の匂い。
柔らかな畳の感触。
誰かの大きな手に、そっと指を絡められる感覚。
この記憶ってーーズキンッ
何かを思い出しそうになり、
男性に声をかけようとした瞬間、
激しい頭痛が襲ってきた。
「大丈夫か?少し待ってくれ」
刀を納めた男性は、軽々と私を抱きかかえ、
倒壊していない建物まで運んでくれた。
そして巨人はというといつの間にか、
また別の男の子?と戦っているようだった。
「ここに入れば大丈夫だろう。すぐに戻ってくるから君は怪我の治療を。」
「あ……の!」
ズキンッズキンッ
引き留めようとしたタイミングで、
再び頭の痛みが激しくなる。
「ぅ……ぉえっ」
視界が揺れ、頭の奥がぐらりと傾き、そして吐いた。
なんで、何なの……?
あの男性に声をかけられた瞬間、
脳裏に焼き付いたあの光景。
その中にいたはずの“誰か”。
どの記憶にも、隣にいるはずの“顔”だけが、
何かに塗り潰されたように、見えなかった。
「あの人は……誰、なの?」
頭を抱えながらも、口元を袖で拭い、
それでも視線だけは逸らせなかった。
ーーーーーーーーーーーー
その後、あの男性と一緒に戦っていた少年……確か陽介くんと言っていたかな。その2人によって巨人が完全に倒された。
安全を確認したあと、負傷者や避難してきた人達が
建物に誘導され、駆けつけた救急隊員によって治療された。
私はというと右足の怪我について、破傷風の恐れがあると言われ、このあと病院へ運ばれることになった。
塚本くんは泣きながら私の無事を喜び、大袈裟に謝罪していた。
あれは、私が勝手にした事だから謝ることなんてないのに…。
そう思っていた時、私の前にあの人が現れた。
「傷を見せてくれ。」
「え…」
少し強引に、けれど優しく手を取り、
右腕にできていた傷を包帯で塞いでいく。
その横顔はとても穏やかで、それでいて、
どこか頼もしさを感じさせた。
「ありがとうございます…」
「当然のことをしたまでだ。市が無事であれば何よりだ…」
「…いち?」
そう言えば、記憶の中あの男性も”市”って呼んでいた。この男性と何か、関係しているのだろうか?
「あぁ!いや…な、なんでもない」
明らかに動揺し、頬が赤くなっていた。
わかりやすい人。そう思い、笑っていると
男性はさらに恥ずかしがり、
そそくさと別の負傷者の方へと行ってしまった。
「遥さん!救急車の準備が出来ました!」
「あ……はい。」
もう少し、話してみたかったな……名残惜しさを胸に
塚本くんと一緒に病院へ向かった。
ーーーーーーーーーーーー
「ダメです。」
「……けち」
病院を出る頃には、すっかり日も暮れて夜になっていた。
白く明るかった廊下とは違い、外の空気はひんやりとしている。
足は瓦礫で裂けた傷を十数針も縫われ、
包帯の奥で、じんじんと鈍い痛みが脈打っていた。
一歩踏み出すたびに違和感はあるけれど、
歩けないほどではない――ただ、無理はできない。
医師からはしばらく安静にすること、
そして破傷風の予防接種を受けるよう、念を押された。
そして今、塚本くんと少し揉めている。
「そんな怪我で飲み会なんて連れて行けません!」
「……大丈夫だもん」
そう。治療が終わり、待機室で待っていた時、
スマホを取りだしてメッセージアプリを開くと、
撮影スタッフのグループチャットに通知が来ていた。
中身を見ると、あの時助けてくれた男性と少年を誘い、
懇親会を開こうという内容だった。
『本日20時、○△屋にて飲み会を開催します!なお、今回は俺たちを助けてくれた長政さんと陽介君という子を誘う予定です!参加可能な方はここにメッセージを!』
長政…あの人、長政さんって言うんだ。
チャットには次々と参加する人達の返事がきていた。
時間は……19時37分、行けるかも。
そう思い、塚本くんに飲み会の参加を告げたところ、怒られてしまった。
「もし傷口が開いたらどうするんですか!今日は自宅に帰って大人しくしててください!」
「……あの人に、お礼言えてない。」
「え?」
この機会を逃してしまったら、
次いつ会えるのか分からない。
それにあの人……長政さんとまた会ったら
”あの記憶”について聞けるそんな気がした。
「今日だけわがままを言わせて欲しいの!お願い……どうしても会いたい人がいるのーー」
「遥さん……」
頭を下げる私を前に塚本くんは少し考え事をしていた。
そして不意にポケットからスマホを取りだし、誰かに電話をかけた。
「はい……はい……分かりました。」
電話が終わると、軽くため息をついて振り向いた。
「どうしてもと言うなら、少しだけ顔を出しに行きましょう。」
「……ありがとう!」
そうして塚本くん運転のもと、私達も懇親会をやっている居酒屋へと急いで向かった。
「けど、遥さんからお願い事なんて初めてですよ。その会いたい人ってあの助けてくれた恩人さんですか?」
「そう……命の恩人で、私の長年の悩みを解決してくれそうな、そんな人」
「そう?……ですか」
それ以上塚本くんから聞かれることはなく、
車で40分ほどかけて無事に居酒屋へとたどり着いた。
「少し遅くなっちゃいましたが、まだやってそうですね。」
緊張しながら意を決して暖簾をくぐった瞬間、
昼間の惨状が嘘のような、賑やかな声と料理の匂いが鼻をくすぐる。
「……」
店の暖気のせいか、それともまだ残る頭痛のせいか、視界がわずかに揺れる。
本当は来るべきではないと分かっている。
けれど、それでも来たかった。
あの人はどこにいるんだろう。
辺りを見渡し、先を進むと誰かの笑い声に
ふと視線を向けた。
「あ…」
いた。
そこにはうちのスタッフと陽介くんの間に
座っている長政さんがビールを飲んでいた。
楽しそう…何を話しているんだろう。
私が行っても大丈夫かな。
病院にいた時は早く会いたくて仕方がなかったのに、今になって心臓の鼓動が早くなり、いつになく緊張していた。
一呼吸置いて勇気を出し、長政さんへ声をかけた。
「ここ、いいかしら…?」
「!!」
長政さんと目が合う。
その表情はとても驚いていて、
でも嫌そうな様子はなさそうだった。
「ど、どうぞ…」
返事をしたのは長政さんではなく
隣に座っていた陽介くんだった。
私はお言葉に甘え、彼らの間に座り、
今日の出来事についてお礼をした。
陽介くんは緊張しながらも、会話してくれていたけれど、長政さんはずっと私を見るだけで黙って座っていた。
どうしたんだろう…私なにかしたのかな。
「……あの、どうかしましたか?」
「いや!なん、でもないっ!」
「そうですか?少し顔が赤いですよ?」
「大丈夫っ!本当に大丈夫っ!!」
恐る恐る声をかけてみたら、突然顔を赤くして
動揺しているようだった。
それを見た陽介くんが呆れた顔で立ち上がると
長政さんの腕を掴み、どこかへ行ってしまった。
10分後ーーー
「お待たせしました。」
陽介くんを先頭に2人が戻ってきた。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、すまない。もう平気だ」
戻ってきた長政さんは、赤面では無いにしろ、
何故か少し強ばったような、表情がさっきより硬くなっている気がした。
そして、ジョッキに入ったビールを手に
喉を鳴らして飲み干すと、
まるで覚悟を決めるように、私を見た。
「……お市。」
「!!」
低く、確かめるようにまたお市という名を呼ぶ。
「君は、私の妻・お市なのだろう?」
そこは暗闇の中、歩くことも、話すことも出来ず、
ただその場にいる不思議な夢だ。
「………!」
…何が聞こえる。
音が聞こえたと同時に、視界がぐにゃりと形を変え、また別の景色が目に映った。
ここは…木造建ての家だろうか。
この景色もぼんやりしているけれど、
木のような梁が微かに見えた気がした。
「……ーー!」
耳の奥でさっきよりも強く音が反響している。
これは…人の声だろうか?
何を言っているのか分からない。
「ーーー!」
すると、何かがこちらに向かって走ってきていた。
あれは…人だ。
目を細めて凝視するも、顔が見えず、
身体のシルエットしか見えない。
「……」
声が出せない。
何度も何度も声を出そうと試しても
口からは無駄に吐き出される息だけ。
どうして声が出ないの。
なぜ、周りの視界がぼやけているの。
どんなに必死に足掻いても、
夢は変わらず、何も語ってはくれなかった。
「~~~~」
その人が近付いてきたことにより、
音が大きくなったけれど、それでも
何を言っているかは分からない。
どうしたの?
あなたは、なにを伝えたいの?
目の前にいる人は必死になって話していた。
その姿を見る度に、なぜか胸が苦しくなる。
そしてーーー
「ーーぃ!」
「……っ!」
やっと声が聞こえたと思った時には
既に夢から覚めてしまっていた。
ベッドから身体を起こし、両手を広げた。
手のひらには手汗がついており、
カタカタと少しだけ震えていた。
「……また、ダメだった」
いつまで経っても、何度試しても、
あの夢は変えられない。
分かっているのに、どうしようもなくもどかしがった。
あの人は……一体、何を伝えたかったのだろう。
朝からモヤモヤした気持ちに深く息を吐き、
ベッドから下りた。
ーーーーーーーーーーーー
「お疲れ様でーす!」
「お疲れ様です。」
少し肌寒い天気だけど、晴れてよかった。
雲ひとつない空の下、現場の準備が着々と進んでいく。
どこか緊張と期待が混じった空気の中、
椅子に座り、冷めかけたコーヒーをひと口飲んだ。
「……美味しくない」
飲みかけのコーヒーを置き、ぼーっと空を眺める。
いつもなら、夢のことなどすぐ忘れているのに、
今日はなぜかあの夢が頭から離れなかった。
あの人は、誰なのだろう。
考えれば考えるほど気になって、
仕事中であることを忘れてしまいそうになる。
今は集中しないとーー
そう自分に言い聞かせ、準備が整った現場に向かった。
「しっかし、今日も多いなぁ~…」
立ち位置についた時、1人の男性が頭を抱えていた。
彼の視線の先には多くの人たちが群がっていた。
「いや、見たい気持ちも分からなくは無いけどさ…こうも人が多いとやりにくいな。」
「……」
この仕事をしている以上、目立つのは致し方ないこと。
あの人たちはどんな眼差しで見ているのだろうか。
どんな感情を持ってここにいるのか。
期待と憧れ、或いは好奇と揶揄ーー
どちらにしても、今ここは自分を最大限に魅せる場所。
人から見られることなんてもう慣れてしまった。
「初めましょう。」
そう言って、ゆっくりと目を閉じた。
一度、外の音を遮断する。
——大丈夫。
いつも通りやればいい。
胸いっぱいに息を吸い込み、
ゆっくりと吐き出す。
「本番、行きます!」
その声を合図に、静かに目を開けた。
次の瞬間だった。
——ドンッ!!
足元が跳ね上がり、衝撃が遅れて全身を揺らした。
「!?」
……いまの、地震?
辺りを見渡すと、人集りの奥で灰色の煙が立ち上っているのが見えた。
「きゃー!」
「な、なんだあれ!!」
その場にいる全員が、叫び声のする方へ視線を向けた。
そこには、現実とは思えない光景が広がっていた。
倒壊した建物、あちこちで火の手が上がり、立ち込める煙。
けれど、それ以上に恐ろしいものが――“そこにいた”。
「ば、化け物だ……」
誰かが、震えた声で呟いた。
見上げるほどの巨体。
二階建ての建物を優に超える大きさの“巨人”が、
甲冑を身にまとい、右手に握った大きな槍を振り回して暴れている。
「―――っ!」
凍りつくような寒気が、背筋を駆け上がった。
このままここにいたら、
間違いなくあの巨人の攻撃に巻き込まれる。
「ここは危険です! 早く避難を!!」
けれど、現場は既にパニック状態になっていた。
だめだ…何を言っても届かない。
逃げ惑う人々と、燃え盛る建物。
巨人が槍を一振りするたび、
地面が跳ね、視界が砂埃に覆われた。
何故だろう。
初めて見るはずの光景なのに、胸の奥がざわついた。
途方に暮れながら、なぜか心の中で"既視感"が芽生えていた。
ガラッ
「……!」
すると、倒壊した建物からガラスの破片が
目の前を走っていた女の子の頭上へ落ちてきた。
咄嗟に背中を押して庇った瞬間――
足に、鋭い衝撃が走った。
恐る恐る視線を落とすと、
右のふくらはぎがざっくりと裂け、
そこから血がとめどなく溢れている。
止血をしないと……!
巨人が迫ってくる中、着ていた服を破り、
必死にふくらはぎへ巻き付ける。
激痛に耐えながら、何とか立ち上がった。
けれど――
足に力が入らない。
怪我をした足を庇いながら前に進もうとしても、
思うように、走れなかった。
ズドーーーンッ
その時、暴れていた巨人が突然地面に倒れたのだ。
「あ、いた!遥さん……って!大丈夫ですか!?」
遥と名を呼ばれ、振り向くとマネージャーの塚本くんがこちらに向かって走ってきた。
足の怪我を見た塚本くんが慌てふためきながらも、
自分の肩に腕を回してサポートしてくれた。
「酷い怪我……僕が支えますんで、一緒に病院へ向かいましょう!ちょうど巨人が倒れて動かなくなったようなので、逃げるなら今がチャンスです!」
行きましょう、という声に促され、
足を引きずりながら瓦礫の中を進んでいく。
「すみません、この先の道しか病院に繋がっていないみたいで……」
塚本くんは申し訳なさそうに言って、視線を前方へ向けた。
そこには倒れ伏したまま、動かなくなった巨人の姿があった。
正直、近づくのは危険な気がする。
けれど、他に逃げ道はない。
塚本くんに支えられながら、一歩、また一歩と進んだ。
その拍子に、ふと視線が逸れ――
嫌でも、巨人の身体が視界に入った。
胴体と足は、刃物で断ち切られたかのように
不自然なほど滑らかな断面を晒している。
血も、呻き声もない。
ただのガラクタだけが横たわっていた。
……一体、誰が。
そう思った時だった。
「すっげぇぇ! かっけぇよーー!」
どこからか、場違いなほど明るい声が響いた。
巨人のすぐ近くから聞こえた気がする。
あの奥に、誰がいる……?
目を細めて眺めてみるが、
砂埃が酷くて姿はまだ見えない。
「どうかしましたか?」
「……ううん。大丈夫。」
気のせいだったのかな。
そう思い、再び歩き出した。
「まだ魂が消えていない!!」
突然、背後から響いた少年の声。
私達はその声に驚いて振り向いた。
その直後、先程まで倒れていたはずの巨人が、
再び動き出した。
「あ……あっ!」
真っ二つになっていたはずの身体が、
まるで時間を巻き戻すかのように一瞬で、
元の形へと戻り、先程よりも激しく暴れ始めた。
塚本くんは恐怖で怯え、その場で硬直してしまった。
このままじゃ2人とも巻き込まれてしまう!
『逃げてっ!』
「ーー!」
ドンッ!
気がつくと、私は塚本くんを思い切り押していた。
「遥さん!?」
今、何をしたの……?
頭の中で知らない声が聞こえて、それでーー
ドガァンッ!!
巨人の槍が地面を薙いだ衝撃が、遅れて押し寄せ、崩れた建物の瓦礫が、こちらへ弾き飛ばされてきた。
「きゃー!!」
瓦礫の破片が腕や身体に当たり、
至る箇所で傷ができていた。
急がないと…また巨人がーー
「ガァァァ……」
「!?」
気付いた時には手遅れだと感じた。
先程叫んだせいで、巨人が私の存在に気付いてしまった。
「~~~!」
周囲が何か叫んでいるようだったけれど、
私の耳には届かなかった。
巨人は槍を構え、ズンズンと重い足で
こちらに向かって歩いてくる。
怪我をした足では走ることも出来ない。
もうダメだ…そう思い、地面に座り込み、
死を覚悟した。
ーーーその時だった。
「お市ぃぃぃぃいいい!!!」
「……えっ?」
今の声ってーーー
ズドーーーーンッ!!
衝撃音と共に、吹き飛ばされるような衝撃波が
全身を包んだ。
咄嗟に目をつぶっていたけれど、
なぜか不思議と身体に痛みはほとんど無い。
恐る恐る目を開けると、
視界いっぱいに、逞しい胸元が迫っていた。
「くっ……!」
顔を上げると、一人の男性が、巨人の攻撃を
片手で受け止めていた。
もう一方の腕で、私を抱き寄せながら。
誰……この人。どうして、私を?
ギリギリという音と共に、男性の呼吸が荒くなる。
それでも私を守る手は離そうとせず、
巨人に向かって鋭い目つきで睨んでいた。
「あの!私はいいから!」
このままでは、私を庇っているせいで
巨人に押し潰されてしまう。
そう思い、男性から少しでも離れようとした。
「大丈夫だ。」
「え……?」
男性は顔を向けると、優しく微笑み、そしてーーー
「もう…君を一人にはさせない。」
『市、おいで……』
その時、私の脳裏に知らない“記憶”が流れ込んできた。
一つや二つどころではない。
脳の奥に押し込められていた“記憶の断片”が、
堰を切ったように、一気に溢れ出す。
春の匂い。
柔らかな畳の感触。
誰かの大きな手に、そっと指を絡められる感覚。
この記憶ってーーズキンッ
何かを思い出しそうになり、
男性に声をかけようとした瞬間、
激しい頭痛が襲ってきた。
「大丈夫か?少し待ってくれ」
刀を納めた男性は、軽々と私を抱きかかえ、
倒壊していない建物まで運んでくれた。
そして巨人はというといつの間にか、
また別の男の子?と戦っているようだった。
「ここに入れば大丈夫だろう。すぐに戻ってくるから君は怪我の治療を。」
「あ……の!」
ズキンッズキンッ
引き留めようとしたタイミングで、
再び頭の痛みが激しくなる。
「ぅ……ぉえっ」
視界が揺れ、頭の奥がぐらりと傾き、そして吐いた。
なんで、何なの……?
あの男性に声をかけられた瞬間、
脳裏に焼き付いたあの光景。
その中にいたはずの“誰か”。
どの記憶にも、隣にいるはずの“顔”だけが、
何かに塗り潰されたように、見えなかった。
「あの人は……誰、なの?」
頭を抱えながらも、口元を袖で拭い、
それでも視線だけは逸らせなかった。
ーーーーーーーーーーーー
その後、あの男性と一緒に戦っていた少年……確か陽介くんと言っていたかな。その2人によって巨人が完全に倒された。
安全を確認したあと、負傷者や避難してきた人達が
建物に誘導され、駆けつけた救急隊員によって治療された。
私はというと右足の怪我について、破傷風の恐れがあると言われ、このあと病院へ運ばれることになった。
塚本くんは泣きながら私の無事を喜び、大袈裟に謝罪していた。
あれは、私が勝手にした事だから謝ることなんてないのに…。
そう思っていた時、私の前にあの人が現れた。
「傷を見せてくれ。」
「え…」
少し強引に、けれど優しく手を取り、
右腕にできていた傷を包帯で塞いでいく。
その横顔はとても穏やかで、それでいて、
どこか頼もしさを感じさせた。
「ありがとうございます…」
「当然のことをしたまでだ。市が無事であれば何よりだ…」
「…いち?」
そう言えば、記憶の中あの男性も”市”って呼んでいた。この男性と何か、関係しているのだろうか?
「あぁ!いや…な、なんでもない」
明らかに動揺し、頬が赤くなっていた。
わかりやすい人。そう思い、笑っていると
男性はさらに恥ずかしがり、
そそくさと別の負傷者の方へと行ってしまった。
「遥さん!救急車の準備が出来ました!」
「あ……はい。」
もう少し、話してみたかったな……名残惜しさを胸に
塚本くんと一緒に病院へ向かった。
ーーーーーーーーーーーー
「ダメです。」
「……けち」
病院を出る頃には、すっかり日も暮れて夜になっていた。
白く明るかった廊下とは違い、外の空気はひんやりとしている。
足は瓦礫で裂けた傷を十数針も縫われ、
包帯の奥で、じんじんと鈍い痛みが脈打っていた。
一歩踏み出すたびに違和感はあるけれど、
歩けないほどではない――ただ、無理はできない。
医師からはしばらく安静にすること、
そして破傷風の予防接種を受けるよう、念を押された。
そして今、塚本くんと少し揉めている。
「そんな怪我で飲み会なんて連れて行けません!」
「……大丈夫だもん」
そう。治療が終わり、待機室で待っていた時、
スマホを取りだしてメッセージアプリを開くと、
撮影スタッフのグループチャットに通知が来ていた。
中身を見ると、あの時助けてくれた男性と少年を誘い、
懇親会を開こうという内容だった。
『本日20時、○△屋にて飲み会を開催します!なお、今回は俺たちを助けてくれた長政さんと陽介君という子を誘う予定です!参加可能な方はここにメッセージを!』
長政…あの人、長政さんって言うんだ。
チャットには次々と参加する人達の返事がきていた。
時間は……19時37分、行けるかも。
そう思い、塚本くんに飲み会の参加を告げたところ、怒られてしまった。
「もし傷口が開いたらどうするんですか!今日は自宅に帰って大人しくしててください!」
「……あの人に、お礼言えてない。」
「え?」
この機会を逃してしまったら、
次いつ会えるのか分からない。
それにあの人……長政さんとまた会ったら
”あの記憶”について聞けるそんな気がした。
「今日だけわがままを言わせて欲しいの!お願い……どうしても会いたい人がいるのーー」
「遥さん……」
頭を下げる私を前に塚本くんは少し考え事をしていた。
そして不意にポケットからスマホを取りだし、誰かに電話をかけた。
「はい……はい……分かりました。」
電話が終わると、軽くため息をついて振り向いた。
「どうしてもと言うなら、少しだけ顔を出しに行きましょう。」
「……ありがとう!」
そうして塚本くん運転のもと、私達も懇親会をやっている居酒屋へと急いで向かった。
「けど、遥さんからお願い事なんて初めてですよ。その会いたい人ってあの助けてくれた恩人さんですか?」
「そう……命の恩人で、私の長年の悩みを解決してくれそうな、そんな人」
「そう?……ですか」
それ以上塚本くんから聞かれることはなく、
車で40分ほどかけて無事に居酒屋へとたどり着いた。
「少し遅くなっちゃいましたが、まだやってそうですね。」
緊張しながら意を決して暖簾をくぐった瞬間、
昼間の惨状が嘘のような、賑やかな声と料理の匂いが鼻をくすぐる。
「……」
店の暖気のせいか、それともまだ残る頭痛のせいか、視界がわずかに揺れる。
本当は来るべきではないと分かっている。
けれど、それでも来たかった。
あの人はどこにいるんだろう。
辺りを見渡し、先を進むと誰かの笑い声に
ふと視線を向けた。
「あ…」
いた。
そこにはうちのスタッフと陽介くんの間に
座っている長政さんがビールを飲んでいた。
楽しそう…何を話しているんだろう。
私が行っても大丈夫かな。
病院にいた時は早く会いたくて仕方がなかったのに、今になって心臓の鼓動が早くなり、いつになく緊張していた。
一呼吸置いて勇気を出し、長政さんへ声をかけた。
「ここ、いいかしら…?」
「!!」
長政さんと目が合う。
その表情はとても驚いていて、
でも嫌そうな様子はなさそうだった。
「ど、どうぞ…」
返事をしたのは長政さんではなく
隣に座っていた陽介くんだった。
私はお言葉に甘え、彼らの間に座り、
今日の出来事についてお礼をした。
陽介くんは緊張しながらも、会話してくれていたけれど、長政さんはずっと私を見るだけで黙って座っていた。
どうしたんだろう…私なにかしたのかな。
「……あの、どうかしましたか?」
「いや!なん、でもないっ!」
「そうですか?少し顔が赤いですよ?」
「大丈夫っ!本当に大丈夫っ!!」
恐る恐る声をかけてみたら、突然顔を赤くして
動揺しているようだった。
それを見た陽介くんが呆れた顔で立ち上がると
長政さんの腕を掴み、どこかへ行ってしまった。
10分後ーーー
「お待たせしました。」
陽介くんを先頭に2人が戻ってきた。
「大丈夫ですか?」
「あぁ、すまない。もう平気だ」
戻ってきた長政さんは、赤面では無いにしろ、
何故か少し強ばったような、表情がさっきより硬くなっている気がした。
そして、ジョッキに入ったビールを手に
喉を鳴らして飲み干すと、
まるで覚悟を決めるように、私を見た。
「……お市。」
「!!」
低く、確かめるようにまたお市という名を呼ぶ。
「君は、私の妻・お市なのだろう?」
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