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「虚空病」
しおりを挟むきっとこれは、どこかで起きているお話。
高校最後の冬、終わることも始まることのない、いつもと同じでいつもと違う日々。
そんなプロローグ。
何も無い天井を見る。何もない訳でもない、木目があり、人の顔のように見える部分もある。だが、それらは何かを訴えかけてくるものでもない。
僕にとっては木目があたっとしても、何もない天井となってしまう。
六畳の狭い部屋、何かを考えるような、何も考えないような時間を過ごすのは決まって此処。
自分の部屋、無造作に引かれた布団の上で見上げる天井。
小さいテレビ、勉強机、漫画本ばかりの本棚、そして、壁にかかった時計。
カチカチカチカチ…
部屋に鳴り響くのは壁にかかった時計が時を刻む音。
そして、僕は天井を見る。この時間の経過を何かに形容しなければいけない衝動に駆られる。
”虚空病”
この言葉とはもう友人以上の関係を持てただろうか。僕が望んでもきっと彼は望まないだろう。
いや、名付け親は僕なのだからせめて友人であってほしい。
名付けておきながら時間の経過に対して『病』という言葉を用いるのは疑問を覚えることがある。
だが、名付け親は自分なのだ。文句は誰も言わない。唯一言うならば彼だろう。
………
いつからだろうか、天井を見つめている時間に『虚空病』名前を付け、その形容した物を『彼』と呼びだしたのは。
彼と出会ってどれだけの時を過ごしたのだろうか。気づくと彼と居た。でも、気づくと彼は消える。
きっと、その終わりが見えないところに『病』という言葉が自分の中でしっくりきているのであろう。なぜなら、自分が名づけ親だから。
………
そんなことを考えているうちにまた彼が消えた。
虚空病の時はこの狭い部屋にいることすら忘れる。どこか違う世界にいるようなそんな感覚。
だが、気づくと自分の部屋にいる。それを認識すると嬉しさや寂しさが自分を襲う。
きっとこれも『病』がしっくりくる由縁であることは言うまでもないであろう。
彼との別れは悲しいものではない、望まなくともまた会えるのだから。
………
彼がどこかへ消えるとダルそうな声が耳に届く。
その声は一層僕を自分の部屋という世界に引き戻してくる。
「ヒロキ、ごはん」
狭い部屋の壁の向こうから一人の声が響く。
「わかった」
目には目を、歯には歯を。
喧嘩をしているわけでもないが、僕は四つ上の姉にダルそうに返事を返した。
別にそれで姉が怒るわけでも、僕に罪悪感が残るわけでもない。これが日常なのだ。
僕の名前はヒロキ、姉はサラ。
父と母は仲が悪いわけではないが、訳あって家に居たり居なかったり。必然的に姉と僕だけの空間になる。
前、母に会ったのはいつだったか、一週間か二週間前だろうか…
父に会ったのは………忘れた。
デコボコなんて生易しい言葉では収まらない家族だが、不思議と一体感はある。なのでご心配はご無用である。
………
姉は大学に通い、僕は高校の二年。
空っ風が吹き荒れ、庭の木もずいぶん寒そうな格好になってしまったのを見ると冬が近づいてくるのを感じる。
一瞬、彼が近づく予感がした。だが、彼は決まって天井でやってくる。
予感で済んだのは後ろからのダルそうな声が催促をしたおかげに違いない。
「ごはんだって言ってるでしょうが」
ごはんに行かないつもりもないのに怒りが混じっている言葉に疑問や反論があったものの行動の遅さには自覚があった。
「今行く」
『彼』にしばしの別れを告げ、自分の部屋を後にし、食卓へと向かう。
そして、自分の部屋を出る度に考える。
僕はいつから、”虚空病”になっているのだろうか。
………
食卓での会話はほぼ皆無。
唯一の会話は
「おはよ、元気?」
「元気」
「そう、ならいいわ」
これである。十秒もかからない会話。
素っ気ないと感じる人は多いだろう。だが、何か異常があれば言葉に変化が出る。
大丈夫。この姉弟は案外仲が良い。
お互いが胃袋にごはんを詰め込むと各々の用意をし、学校へと向かう。
これも日常。
もう一度、この姉弟は仲が良い。はずである。
あくまで僕の中での話なので、姉に聞いたときにどのような反応が返ってくるかは僕自身も興味があるところでもあるが、触れる理由もないので触れない。
………
「行ってきます」
玄関を開けながら言う。向いてる方向の関係上、言葉は空を切る。
後ろから返事がやってくる。
「行ってらっしゃい」
おかしい、空を切った言葉ははっきりとした形で返ってきた。
形を得た言葉をまた空に切ることになるのでそのまま玄関を閉め、気分が乗らない学校へと向かう。
ガチャン…
外の空気が冬の到来を知らせてくれる。
正直、そんなお知らせはいらない。地域の回覧板に八乙女公園前の一番大きな家の佐藤さんが家をリフォームしましたという情報くらいいらない。
………
「受験という考えたくもないものがやってくるのか…」
ここ最近の学校までの通学路はこの意味があるのかわからないことを考えている。
正直、そこらへんのことは成り行きであると、姉を見て思っている。
「ヒロキ、受験先決めたかー」
後ろから声がする。この声は退屈と言っていいほどの日常の中でも一番退屈な友人の声だ。
だが、退屈な日々の中で唯一はっきりと退屈といえる仲であるから、よく言えば救いなのかもしれない。
「俺がそんなことを考えると思うのか、俺はそんなどうでもいいことなんか考えてる暇なんてない」
何に忙しいかといわれるとまた、これは面倒くさい。
「まぁ俺も考えてないんだけど、ヒロキ、頭いいから悩む必要ねぇよなぁ」
この退屈な日常を退屈にしてくれる成績は中の中くらいの友人、名前はカズ。
だいたい、学校に行くまでの間はカズとの登校になる。
他愛もない会話の中で興味を引く話はない。これが退屈と言いたくなる由縁だろうか。
だが、今日のカズは違った。いつもならそんな話は退屈の中に消えていく。
今日は何やら違うものを感じた。感覚的なもの、一種の職人芸のようなものだろう。
「なぁ、ヒロキ。今日転校生が来るらしいぜ」
「ふーん、転校生ねぇ。この時期にめでたいこった」
ヒロキに対してはいつもと変わらないテンションだが、内心は見えない好奇心のようなものが自分を駆り立てるのを感じた。これは職人芸である。
「そういえばカズ。彼女はどうしたの」
カズの彼女確認。これは日常の会話である。そこにわくわく、キュンキュンのようなものはない。
「んー、別れたよ」
この言葉は予想の範囲内であることは明白である。
「何人目」
これも予定調和のように出てきた言葉。日常の会話であることは改めて確認をする事でもないということを確認しておきたい。
「両手じゃ収まらねぇなぁ、うんうん」
カズは胸を張る。おかしな話だ。そして、だいたいこの会話のあとは恋愛談義が始まる。
「カズ、いつもそうだけど、お前一回人間関係の改善をした方がいいぞ」
カズとの出会いは高校入学時からだが、日常の会話が別れ話であれば、問題があるであろう。
「なんでさ、経験値の有無というのはその経験をしない限りは得られないんだぜ」
カズのいう事はもっともでもある。経験値というものは得るためにはその行動を実行しなければいけない。なおかつ、恋愛経験という事に関してはカズには敵わない事は明白だ。
「あぁ、経験値を得るということはそれが必要だろう。だけど、すぐに別れるってコミュニケーション能力に何か問題がありそうなもんだけどな」
人とのコミュニケーションをあまりしない自分が言うのはおかしな話である。
「ヒロキ、お前はそのコミュニケーション能力に何か問題があるであろう人間とこうコミュニケーションしてるじゃねぇか」
カズは自分の考えてることをうまく突いてくる。これだから退屈は退屈ではなくなってくれるのでありがたい。
「コミュニケーション能力ってのは、自分がしたい時にすればいいじゃん。わざわざいい顔して人間関係を広める予定は今のところ俺にはないからな。お前くらいでいいよ」
カズとの談義は意外と楽しい。退屈といいながらもこの時間は終わらせたくない時間であることは認めざるを得ない。
カズとの恋愛談義、もとい、哲学談義。
人の考えを知る事の方が行動をする経験値よりも重要視をしている自分がいる。
それは絶対ではないことは承知している。つもりである。
この果てしなく、無意味に思えてくる時間は学校という退屈を具現化したような場所への退屈な時間を感じさせないでいてくれるからありがたい。
………
気づけば、いつもの教室。
いつもそう。気づけばここにいる。
「おはよー」
自分とは無縁だったであろう彼女は毎朝律儀にあいさつをしてくれる。
「おはよう」
無縁だったはずの彼女に律儀にあいさつを返す。
カズの話がある以上ここで彼女と明記はしているが、交際関係を持つ意味の彼女ではないことは説明しておこう。
彼女の名前はアヤナ。この変わり者とコミュニケーションをとってくれる一人である。
そして、彼女の口癖はこうである。
「あれ、カズは?」
この質問をするときアヤナは少女のような、母のような、やさしい目をする。なぜ、そのような目をするかはわからないが、なんとなく言いたいことはわかる。なぜわかるか、それは職人芸によるものだ。つまりなんとなく。
「トイレ行ったよ。たぶんチャイムが鳴りだすまで帰ってこないと思う。すげー腹痛そうだったから」
きっと、腐りかけの何かを食べたのだろう。目の前のものなら大体食べるのがカズだ。
「そう…」
アヤナは悲しげな表情を見せるが、やさしい目のままなのが不思議だ。
アヤナは自分の席へと向かう。1限の教科書やノートを用意するのである。本当に律儀だ。
………
教室はノイズとも言えるクラスメイトの声が響き渡り、おのずと自分の耳に入る。
教室の窓を見つめるとノイズは消える。この時間が永遠に続くのであれば命以外のものを差し出そう。
『病』『彼』にも似た時間がやってくる。大体の人間はこの自分だけの世界があるのであれば喜ぶだろう。だが、この時間、世界、病は思考を止める。なんて忌まわしい。
人は一人を好むのに独りを好まない。テレパシーなんてものはないし、相手が何を考えているかなんて事を考える時間がもったいない。きっとだからこそ、独りではなく、一人を望むのだと思う。でも、いっそ、独りになれるのなら。きっとどれだけ楽なんだろうか。
だが、『彼』はそれをさせてはくれない…。独りは虚空ではないのか、もしかしたら一人が虚空なのか。交友関係は多くて損はないだろう。それはあくまで人脈に限った話であって、相手の思考を推察する事に時間を割く事は損だろう。
「あぁ、独りなら世界も変わるのかなぁ」
退屈な時間を満たしてくれる友人と律儀にあいさつをしてくれる友人がいる限りは叶わぬ夢だろう。
退屈な世界には不満があるが、退屈な世界にいる友人には感謝している。
~一人は好き、独りは嫌い。人が人であるが故の思考。虚空を嫌い、虚空を好む。山の天候のように移り変わる人の心。どこに正解があり、どこに間違いがあるのだろうか~
そして、教室にはチャイムが響く。チャイムの余韻が静寂を連れてくる刹那、教室の前方からは担任が、後方からはカズが、やってくる。
この刹那、こう思う。
きっと、虚空病は近いうちに消える。
なぜ、そう思うか。言うならば、職人芸であろう。
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