私の夢十夜

nejimakiusagi

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第四夜 替玉計画

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こんな夢を見た。

私は夢の中で自分ではないサラリーマンになっていた。

池袋行きの東上線の車内で文庫本を読んでいる。

定期には「瀬田涼太」と書いてあった。

涼太は、池袋にある大型書店に向かっている最中であった。

駅の東口を出て右に曲がり、大きな交差点をわたると、目的の書店が見えてくる。

交差点をわたり切ったところで「あれ、瀬田君?」と声をかけられた。

声がした方に向き直ると、どうも学習塾だか予備校だか薄汚れたビルの階段に、見覚えのある男が腰を下ろしている。

「おー久しぶり!」

涼太も声を上げた。

彼の名前は「栗林」。涼太の高校の同級生であった。

彼と涼太は同じクラスになったことはなかったが、涼太の親友が彼と同じバスケ部に所属していたため二人は顔見知りなのであった。

「こんなところで何しているの?」

涼太が尋ねると、栗林は「ここの学習塾で働いてるんだよ。景介も一緒にね。…ちょっと待ってて。」

そういい残して、ビルの中に引っ込んでしまった。

少しすると栗林と並び、懐かしい顔が涼太の前に現れた。

「よっ!涼ちゃん、久しぶり!」

彼こそが栗林とともにバスケ部に所属していた涼太の親友、「望月景介」であった。

涼太と景介は小学校一年生からの付き合いでお互い「景ちゃん」、「涼ちゃん」と呼ぶ仲である。

こういうのを腐れ縁というのだろう。同じ小学校、中学、高校を卒業し、すべてとはいわないが八割方が同じクラスであった。

大学はさすがに別々であったが、その頃まではよく連絡を取り、月に二、三度は会っていた。

大学卒業後、お互い社会人になり忙しくなったのだろう。

徐々に連絡を取る回数が減り、ここ数年は顔を合わせていなかった。
それがここで偶然の再会というわけである。

涼太もビルの階段に座り込み、それから二時間はしゃべっていただろうか。

最近、面白かったお笑い芸人の話、ムカつく上司の話、学生時代の思い出など、時間が経つのを忘れて話した。

会話に夢中になっていると、栗林が血相を変えてビルから飛び出してきた。

「景介!いつまで話してんだ。アナゴがカンカンになっておまえのこと探してたぞ!」

「やっば!いま行くよ。」と景ちゃんが返す。涼太が「アナゴって誰?」と訊くと「ここの塾長」と答え、ビルへと入っていった。

別れ際に景ちゃんは、「あのさ、今晩時間割けないか?ちょっと話し足りないし…涼ちゃんに折り入って頼みがあるんだ。」と言った。

涼太は特に予定もなかったので了承し、学習塾を後にした。


午後八時、涼太と景介は学習塾近くのファミリーレストランにいた。

窓際の席に座り二人揃ってチョコレートパフェを注文した。

一般的に男二人でファミレスに来て、パフェをつっつきながらおしゃべりをしている図というものはあまり気持ちが良いものとは言えないと思うのだが、この二人にはそんな違和感がない。

最初のうちは馬鹿話をしていたが、一時間ほどで話題もつきパフェのグラスも空になった。

「そういえば、景ちゃんなんか頼みたいことがあるって言ってなかったっけ?」

「ああ、その話しなんだが…」

景ちゃんが話し始める。「涼ちゃん、来週の土曜って暇?」

少し考えてから涼太は、「暇だ」と答えた。

「来週の土曜な、いま付き合ってる彼女の誕生日なんだ…。それでな、二人で高級ホテルで夜景を見ながら食事をして、お祝いすることになっている。」

「ほう、ほう」涼太が頷く。

「ところがだ…来週の土曜にうちの塾で『入試前最終クラス編成テスト』というのを行う。そして俺はそれの試験官をやらなければならない。」

「それはそれは…ご愁傷様。」

景介はおどけた涼太を軽く睨んでから続ける。

「そこでだ。その試験官を涼ちゃんに代わりにやってもらいたいんだ。」

「ははん、そういうことか。」涼太は頼みの大部分を理解した。

「それは構わないけど…『入試前最終クラス編成テスト』だっけか?そんな重要そうなテストの試験官を部外者の俺がやっていいのか?」

「いや、駄目だ。」景ちゃんは即答した。

「涼ちゃんは俺として塾に行くんだ。」

言っている意味がよくわからず、ポカンとしていると景ちゃんが繰り返すように言う。

「来週の土曜、瀬田涼太は望月景介になるんだよ。」

「...」

「いらっしゃいませー!」

店員の声がレストラン内に響いた…。


「おいおい、馬鹿言うなよ。」涼太が笑いながら言う。

「俺はお前のドッペルゲンガーでも双子の兄弟でもないんだぜ、ばれるに決まってるだろ。」

「いや、ばれない。」景ちゃんはニヤリとした。

「順序立てて説明していこう。まずは、うちの塾についてだ。
うちの塾は、他の塾とちがい『完全担任制』という制度を採っている。
これは、簡単にいうなら小学校と同じだ。数学だろうと英語だろうと、担任になった人間がすべての教科を講義することになる…ここまでで何か質問はあるか?」

「お前の塾、珍しいことやってるんだな…なんでそんなことを?」涼太が尋ねる。

「いい質問だな…。いいか。受験生ってヤツは非常にデリケートな生き物だ。俺たち塾講師の仕事はただ勉強を教えるだけじゃない。家庭環境や学校生活で悩みは抱えてないか…万全の状態で受験勉強に臨めているのか…それを常に観察し、相談にのることで信頼関係を築く。と、まあ完全担任制の目的はそんなところだな。」

景ちゃんはまるで、百戦錬磨の営業のように説明をする。

「しかし今回のような重要なテストを行うときは、試験官には担任でない講師が付くことになっているんだ。」

「それはどうして?」

「信頼関係にも色々あるっていうことさ。親身になって話を聞いてれば、男女関係に発展することだってありえるだろう。
例えば、生徒と関係をもった講師がカンニングを黙認してほしいとせがまれたら…事実、そんなことが過去にあったらしい。」

「なるほど。」涼太はありそうなことだなと思った。

「つまり、今回のテストで俺が試験官を担当するクラスの生徒は、俺のことをまったく知らないってわけだ。次に会うのはテストを返す一週間後だ。」

「でも…結局、一週間後におまえはその生徒たちに会うんじゃないか。そのときに試験官をやってた人じゃないってばれるだろう?」

「それが、この計画の一番重要なところだ。」景ちゃんが得意げな顔で答える。

「俺と涼ちゃんは顔こそ似ていないが、初対面の人間に与える印象が限りなく近い。」

「印象?」涼太が首を傾げる。

「人間の記憶ってものは非常に曖昧なものだ。
一週間前に会った試験管の顔の細かいところまでいちいち覚えちゃいない。大切なのはどんな感じだったかっていう印象なんだ。
増してやその日、生徒たちは試験のことで頭がいっぱいだ。
まず、ばれないだろう。」

確かに二人とも男の割りに睫毛が長く女性に近い顔立ちであり、おまけに色白で細身という絵に描いたような優男である。

「しかし…生徒はともかく、他の塾関係者はどうする?やっぱり無理だろう。」

「それも大丈夫だ。
試験のときは講師同士は顔を合わせないんだ。
みんな事務からテストを受け取り、それぞれの教室で試験官をして、再び事務にテストを預けて帰宅する。そして後日全員で採点を行う。これも講師による不正を防ぐためだ。
ちなみに事務の…木下さんっていうんだが、最近入ったばっかりで講師の顔も名前もちゃんと覚えていない。」

「うーん、だけどなぁ…」

「頼むよ、一生のお願いだ!彼女を喜ばせてやりたいんだよ。もちろんバイト料もはずむからさ。」

「どうしてもというなら…二つ、条件がある。」

「一つ目、今度その彼女を俺に紹介してくれ。
おまえがそこまで入れ込むオンナってのを是非見てみたい。
二つ目は…」景ちゃんが真剣な顔をして頷く。

「さっきのパフェ、おまえの驕りな。」

二人は同時に笑い、堅い握手を交わした。

こうして契約は成立し、ファミレスを出たときには、午前零時を過ぎていた。


金曜の夜、涼太は眠れず、ベッドに横になりDVDを見ていた。

(明日は一世一代の大芝居を打たなければならない…)

涼太は迫りくる不安に押し潰されそうになっていた。

大体、涼太は自分に大きな責任や重圧がかかることを非常に嫌う男であった。

それがなぜ今回の替玉計画を引き受ける気になったのか…それにはわけがあった。

涼太は景介のことを一番の親友だと思っているが、どうしても受け入れられないところが一つだけあった。

それは彼が女好きだということである。いや、女が好きでない男などいないはずもないのだが、彼のそれは常軌を逸していた。

高校時代、彼が一部の人間に呼ばれていた渾名が「八岐大蛇」ならぬ「八股の望月」であった。

その名のとおり、彼は女の子に八股をかけて高校生活をおくっていた。

さらに女のこととなると、彼は嘘をつくのが非常に上手く、八股をかけていて卒業するまで誰にもばれなかったというのだから、これはもう表彰ものである。

涼太はといえば、中学三年のときの彼女と未だにと付き合っているような男であったから、なおさら理解ができなかった。

しかし、その景ちゃんが彼女の誕生日を祝ってやりたいがために、こんな大変な計画を立てたのだ…あの八股の望月が…。

そのことが涼太は心から嬉しかった。

なんとしても協力をしてやりたいと思ったのだ…。

「ピピッ!ピピッ!」

…涼太の部屋にケータイのアラームが鳴り響く。
気がつくと、いつ間にやら朝になっていた。

そして、それから一週間が経った。

涼太は部屋で読書をしていた。

ふと、ケータイに目をやると「着信アリ」と出ている。

履歴を見ると景ちゃんからであった。

涼太は急いでかけなおした。


一週間前、涼太は万事を上手くやってのけた。

栗林や他の講師たちと鉢合わせないようにテストを受け取り、教室に入った。

試験の最中も言われたとおり、目立つ行動はせず大人しくしていた。

生徒に「お兄さんだぁれ?」と言われることもなく試験は終わり、帰りも誰とも会わず無事帰宅したのだった。

景ちゃんはすぐに電話にでた。

「もしもし、涼ちゃん?」

「今日、涼ちゃんが監督した生徒たちにテストを返してきたけど…バッチリだったよ。誰一人気づいていない!完璧だよ。涼ちゃん!」

景ちゃんは些か興奮気味である。

「で、彼女の方は?」涼太が尋ねる。

「そっちもバッチリさ。最高の夜だったよ!」

「そいつはよかった!俺も協力した甲斐があったってもんだよ…しかし、おまえも変わったよな。昔は『八股の望月』なんて呼ばれてたのにな。」涼太が愉快そうに言う。

「まあ、俺も色々と修羅場を潜って成長したってことさ。」

景ちゃんがケタケタと笑う。

「女って生き物は裏切ると恐いんだぜ。…そういえば、アナゴのこと覚えてるか?ほら、うちの塾長の…!」

「うん、あぁ…」なんの話しがしたいのかわからず涼太は曖昧に頷いた。

「じつは、あいつ死んじゃってさ…」

「えっ…!どうして…?」

「高層ビルの屋上から転落死だってさ。警察は自殺だろうって…」

「遺書でもあったのか?」

「いや、遺書はなかった。」

「なら、なんで…?」

「じつは…あいつ塾の女生徒に手出しててさ、最近それが奥さんばれたらしいんだよね。前に言った生徒と関係もって試験で不正したっていうのも、あいつだったんだよな...」

「なら…なおさら自殺じゃない可能性だってあるんじゃないのか?その…奥さんとか女生徒に…恨まれてたんだろう?」

「しかし、アナゴが死んだ時間に奥さんにも女生徒にも完璧なアリバイがあるんだとよ。他に動機がありそうな人間も調べたみたいだけど、犯行が可能な人間が一人もいないんだって…」

「だからさ…!」景ちゃんが大きく息を吸った。

「涼ちゃんも女遊びは程々にしろってことだよ!やっぱ誠実が一番だ!」

「それは、おまえだろ!」二人は同時に笑い、少しして電話を切った。

「女は裏切ると恐いか…」涼太は尤もだと思った。

しかし、景ちゃんはあのとき…「バイト料もはずむからさ」と言った後、こうも言っていた。

「俺、もうすぐ塾長だし。」


おそらく、塾長の座は景ちゃんのものであろう。

例の約束は...パフェは驕ってもらったが、景ちゃんの彼女には結局会えていない…ただの一度も…。
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