秘密と自殺と片想い

松藤 四十弐

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仮説とマスエさん

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 香月くんのバイト先でチーズバーガーとフライドポテトを頼み、俺は近くの席に着いた。さっきの会話を思い出すが、俺の会話は話題が飛びすぎている。自分では理路整然、一直線にゴールへと向かっていると思ったわけだが、客観的に見ると突拍子もない。
 そして、結局、あいつの死の理由にはたどり着けなかった。俺は香月くんにとっても部外者らしい。
 だが、俺はひとつの仮説を立てることができる。これが真実なら、俺は紅根に黙っておくべきだろう。ただ、それが許されるかどうかは分からない。
 あいつは、香月くんのことが好きだった。ゲイかバイセクシャルかは分からない。そして、香月くんに告白もした。でも、ふられた。香月くんは同時期に宵月と付き合うことになった。宵月とあいつはライバルだったことになる。もしかしたら、一か八かで告白したかもしれない。その後、香月くんか宵月から知った友情を読んで、自殺した。どうだろうか。
 いや、これはあまりにも短絡的で気持ちが悪い。もう少し考えよう。
 あいつと宵月と香月くんは中学の頃の同級生だ。表立って仲がいいわけではないが、少なくともメールでやり取りしていた仲だ。3人で遊んだこともあるかもしれない。しばらくはそのままの関係性が続いたが、ある日、香月くんに好きな人が現れる。それが宵月だ。それを知ったあいつは、健気にも香月くんの相談に乗る。同時に宵月に、恋愛相談をする。恋の相手が香月くんだと隠して。
 好きな人の好きな人に恋愛相談をする。心労がたたりそうだが、俺の前では一切、そんなそぶりを見せなかった。
 あいつと香月くんは、二人だけの作戦会議や下見、または擬似デートもしたかもしれない。さぞ楽しかっただろう。
 だが、そんな時間は終わる。残念ながら香月くんの告白は成功する。
 趣味が読書という共通点もあるし、ずっと仲がよかった。成功確率は低くなかったはずだ。
 あいつは香月くんへの告白と、宵月へのカミングアウトのどちらを先にしただろうか。それは分からない。
 いずれにしてもどん底に落ちたわけだ。友達と好きな人が恋人同士になるのだから。最悪なひとりぼっちだ。
 あいつはその後、小説を読んだ。少しでも、心だけでも香月くんに近づこうとしたのかもしれない。だが、小説の内容は泣きっ面に蜂。さらに音楽関連の進学も、親にいい顔をされなかった。
 すべてを奪われた。そう思うのも仕方がないかもしれない。
 そして、そこに俺はいない。
 俺はポテトを一本、噛んだ。思ったよりおいしくない。
 周りを見渡すと、ほとんどが誰かといた。家族、友達、恋人。一人で食事をとる人もいたが、少なかった。
 ここがゴールか。終着点か。あっけない。友達の死の理由を探し始めたときは、こんなところに来るとは思わなかった。犯人や動機に怒鳴ってやりたかったのに。ここは、ただ人がいて、生きていて、過ごしていて、それぞれが組み合わさって、独立している。彼らには秘密があって、それを話さない。話したら秘密はなくなり、何かが壊れていく。
 俺の秘密は、何だろう。他のやつとヤりたいからと、恋人と別れたことだろうか。いや、そんなこと知れ渡っているか。
 じゃあ、もう、秘密はひとつしかない。ただ、これは情け無い。浮かんだ途端に沈めたくなる。
 俺はハンバーガーとフライドポテトを半分以上残して、終着点から去った。出発や門出といった雰囲気はなかった。行き止まりから暗闇の中へ進み出て、あとは迷うだけだった。
 自転車を漕ぎながら、宵月と香月くんは無事に出発できたのか想像した。宵月に聞いてみるのもいいかもしれない。吹っ切れたのだろうか。
 道中、知っている顔が頭の中に現れては消えた。それぞれの秘密を想像し、全部外れてる予感に安堵した。友達の顔も何度か出てきたが、その度に鳩尾が締め付けられた。彼の秘密だけは当たっている気がした。当たっていてほしくもあり、外れていてもほしかった。
 車のライトが街を照らしているのを認識したのは、駅前に来たときだった。知らず知らずのうちに家から遠ざかり、そこに来ていた。
 突如現れたかのように、本屋が見えた。明かりはある。周りにある建物はあるようで、なかった。
 店には客が数人いた。カバーをかけるのが苦手だった店員さんは見当たらなかった。名前なんだっけ。
 あの日、レジから宵月か香月くんを見かけただろう友達は、逃げるように去った。どんな気持ちだっただろう。
 もしかしたら両方を見たのかもしれない。2人は手を繋いで歩いていたかもしれない。路上でキスしていたかもしれない。いや、そうだとしたら立ち尽くすかな。
「どうしたんですか?」
 声に振り返ると、あの店員さんがいた。スカートで、ヒールを履いていた。眼鏡をかけていなければ、分からなかったかもしれない。
「いや、なんとなく」
 彼女の少し心配そうな顔に、咄嗟に返事をした。
 実際、理由などなかった。ここに来た意味も動機も俺にはない。
「なんか死にそうな顔してましたよ」
 返す言葉は見つからなかった。それにしても、冗談みたいなことを言う人だとは思わなかった。人は見かけによらないな。
「今日は仕事じゃないんですか?」
「今日は休みです」
「そうですか」
「本の謎は解けました?」
「謎?」
「ここで、買われたかどうか。私もあれから気になって。なんで、そんなこと聞いてきたのか。でも、答えが見つからなくて」
 俺は彼女の唇を見た。ピンクの口紅をしている。
「謎は解けませんでした。近くまではいきましたけど」
「なんで、あの本がここで買われたか聞いたんですか?」
「自殺した友達が持ってたんです。読書家でもないのに持ってたから、調べてたんです。なぜ買ったのか。なぜ読んだのか」
「それで?」
「結局、分かりませんでした」
 冬の寒さは感じなかった。自転車を漕いできたせいか、彼女の熱量せいか。
「疲れてますよ。顔に出てます」
「僕の顔にですか?」
「はい」と彼女は頷いた。「大学生?」
「いえ、高校生です」
「意外。大人びてるね」
 そうだろうか。自分自身では年相応だと思っていたのに。セックスのし過ぎだろうか。そんな冗談が顔を出したが、そのせいで妙に疲れた。面白くもない。
 その時、頭の中で何かが繋がった。
 ああ、マスエさんだ。この人の名前。
「マスエさんは大学生ですか?」
 彼女は驚き、口を片手で押さえた。
「私の名前知ってるの?」
「本について詳しく聞きたかった日、マスエさんがいなくて。別の店員さんに聞いたら、『それはマスエちゃんじゃないかな』って」
「そっか」
 そう言って、会話は途切れた。大学生かどうかは教えてくれなった。質問を忘れたのかもしれない。
 マスエさんのまつ毛は長かった。眼は美しく、キラキラしていた。吸い込まれて、息を止めて、楽になりたいくらいだった。
 数秒見つめ合った後、彼女はバッグをごそごそと漁り、そこからメモ帳とペンを取り出した。何やら書いて、一枚それを渡された。
 メールアドレスと電話番号だった。
「悩みがあるなら聞くよ」
 これが逆ナンか、と瞬時に思ったが、もしかしたら本気の親切心かもしれず、邪推はせずに受け取ることにした。
「ありがとうございます」
 受け取った紙は心なしか少し温かかった。
 もう一度、見つめ合い、彼女は「じゃあね」と言って駅と本屋から離れて行った。向かう先は住宅街の方だった。一人暮らしなのか、家族と暮らしているのか、どちらだろう。
 財布に連絡先を入れている途中、宵月の顔が浮かんだ。可愛かったが、もう他人のようだった。交じり合った面積が減っていき、接しただけになり、離ればなれになり、シャボン玉のように浮き、風に流れ、夜空に消えていった。わずかにあったピンクの恋心が嘘のようだった。
 では心はマスエさんに向いているだろうか。それも分からなかった。確かに彼女は魅力的かもしれない。でも、本屋に来た時と気持ちは変わらない。暗闇の中に、白い球体が浮かんでいるだけだ。俺は誰とも繋がっていない。
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