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第二十五話 一時の安らぎ

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 俺の予想どおり、アリサはグロードから四本分の鏃を購入した。一応、彼女もトリムの街が秩序陣営のドラゴン、ゴルゾディーンの脅威に晒されており、一本でも多くの鏃が必要だと説いたのだが、そんなに欲しいのならもっと大勢で出直せと言われ説得を断念したらしい。
 もっとも、さすがのグロードといえどミスリル銀は入手自体が困難で、加工にも時間と手間が掛かることから在庫はもうほとんど残っていないとのことだった。
 いすれにしても俺達はこれ以上、ミスリル銀の鏃を手に入れるのは不可能と判断すると、ドワーフの匠に礼と別れを告げて彼の工房を後にした。

 状況を考えれば一刻も早くトリムに戻るべきなのだが、俺達はメルデでこれまでの疲れを取るため一泊する判断を下す。
 グロードの工房の前で遭遇した秩序の使者達が、このまま何もせずに俺達を見逃すとは思えず、帰りにはどこかのタイミングで襲って来る可能性が高い。それに備えるためにも疲れを癒して、万全の体勢を整えるべきなのだ。
 とはいえ、宿泊した最大の理由はアリサ達女性陣が三日ぶりの風呂を熱望したからだ。メルデまでの五日の旅路で最後の二日は集落を離れて野宿を行なっている。メルデで風呂に入らなければ、最低でも四日は風呂なしで過ごすことになる。これが年頃の娘達には耐えられなかったのだ。もちろん、俺としても一日や二日程度ならともかく四日の風呂なしはかなりキツイ、反対する理由はなかった。

「うん、やっぱり美味しい! さすがドワーフ、酒造りも手を抜かないね。でも、酒精は結構強いかな?」
 それぞれが風呂を終えた俺達は、新しい服に着替えると旅籠屋の食堂に集まり夕食を堪能していた。今更だが、この世界では食事と飲酒はほぼセットである。アリサは既に二杯目となる盃の中身を半分ほど飲み干すと、ドワーフ仕込みの麦酒をそのように評価した。
「そう、凄く味が濃いね! だから、食も進んじゃう!」
 ルシャラがアリサに同意すると、腸詰肉にフォークを突き刺して子気味良い音を立てて齧りつく。なんとなく見ていられなかったので、俺もドワーフの麦酒を味わうことにした。
 独特の苦味が口の中に広がり、飲み込むと喉と胃が熱っぽくなるのがわかる。確かにこれまで飲んだ麦酒よりも味が濃くてアルコール度数が高いように思われた。アリサ達は気に入ったようだが、大して酒に強くない俺では油断していると悪酔いしそうである。そんなわけで俺はちびちび飲むことする。
「本当に濃厚な味ですね。ここでしか飲めないのが残念なくらいです。おや、マサキの口には合いませんか?」
 右隣に座るネイリーンが俺の盃の減り具合に気付いたのか問い掛けてくる。
「うん、俺はもう少しあっさりしている方が好みかな」
「なるほど、マサキはまだ酒の美味しさがわからないみたいですねぇ」
 何気ない会話と思って返事をする俺だが、ネイリーンは冷やかすように絡んでくる。
「なんだ、もう酔っているのか?」
「違います、昼の仕返しに決まっているじゃありませんか!」
 その問い掛けにネイリーンは俺の右脇腹を指で突きながら、僅かに怒ったような表情を浮かべる。そういえばメルデの里へやって来たばかりの時に彼女をほったらかしにしたような気がする。忘れていたが、ネイリーンは根に持っていたようだ。
「いや、あれはちょっとしたノリで・・・」
「抜け駆けするなんて狡(ずる)いですよ、私も仲間なんですから混ぜてくれないと!」
 酔ってはいないと言い切ったネイリーンだが、何かのスイッチが入ったのか俺の方に寄りながら圧力を掛けてくる。普段は鎖帷子を着込んでいる彼女だが、今回は風呂を済ませているだけあってシャツとズボンといったラフな姿である。
 そんな姿で密着されれば服越しにネイリーンの二の腕の感触と体温が伝わり、俺は満更でもない気分となる。更に鎧で抑えつけられていない彼女の豊満な胸の膨らみを間近で見たのも今回が初めてだ。これまで凝視しないよう気を付けていたが、視線が吸い寄せられるようにそちらに向く。
「アリサ、ネイリーンが絡んで来る。助けてくれ!」
 いつものパターンではこの辺りでアリサの突っ込みが入るので、俺は一足先に助けを求める。このままでは本当にもうネイリーンでいいか! と言う気になってしまいそうだ。
「ああ、マサキ。私とルシャラのことは気にしなくていいよ! ネイリーンの大きいオッパイが気になって仕方がないのだろう? それに彼女が男に絡むことがあるなんて、思いもしなかった出来事だからね。このままどうなるのか見てみたい!」
「うん、私も気になる!」
 前に座るアリサとルシェラは麦酒の盃を手にしながら、こちらに好奇心に満ちた視線を送っている。俺はこれまでのスケベ行為を二人に見られていたと思うと途端に顔が熱くなるのがわかった。
「そ、そんなことないし! たまたま視線が下に向いただけだし!」
「ち、ちょっと、席を外して来ます!!」
 俺が下手な言い訳を口にしたところで、ネイリーンが立ち上がり、厠イレのある奥へと走り去って行く。どうやら彼女もアリサの言葉で酔いが醒めたようである。
 取り残された俺は気まずい空気を誤魔化すために麦酒を口にする。その苦味と酒精は今の俺には程良く感じられた。
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