魔女の落とし子

月暈シボ

文字の大きさ
上 下
47 / 50
第二章 いにしえの巫女

第二章 第二十四話

しおりを挟む
「おのれ!」
 突如視界を奪われたダージェグの巫女ヴァルニアは怒りの声を上げながらも、闇乗じて攻撃を仕掛ける気配を探ろうと耳を澄ませて状況を知ろうとした。だが、耳に入るのは遠のく足音と近くで何かを訴える女の呻き声だけだ。
 してやれたと思うが、ダージェグの巫女たる自分が取り乱してまで追う気にはならず、まずはこの状況を解決するために周囲に対して〝厄払い〟の力を行使する。それによって〝暗闇〟の効果は消滅し部屋は通常の状態となった。
「んんん!あうんん!」
 視界が通るようになり、自分が力を授けた女が蹲りながら何かを訴えている姿を見降ろす。おそらく、口にしているのはこの不手際を招いた謝罪であろう。その目には畏怖の念と自責に苛まれている色が見える。
「自分が犯した罪に慄いているのですね?安心なさい。購う事の出来ない罪などありませんよ!」
 叱責を覚悟していた女はこの言葉に安堵の顔を浮かべると、伸ばさられた巫女の手を身体の自由を奪う縛めを解いてくれるためだと信じ身を委ねた。
「では、次の世ではしっかりおやりなさい!」
 寸前に発せられた言葉の意味を理解する間もなく、巫女に触れられた女は絶命した。女には受けた傷を返すダージェグ神の加護をその身に授けられているが、巫女が使用したのは触れた者の命そのものを刈り取る魔法であり、身体には一切の傷を付けることなく死を対象者に体現させることが出来た。
「〝あの方〟に頂いたこの身体を傷付けた罪は死でのみ購うことが出来ます!」
 この言葉を持って後始末を終了させたヴァルニアは、カーシルの気配を探ると追跡を開始する。いつの時代になろうとも大事な仕事は自身の力でやり遂げるしかあるまいと自覚し、彼女は優雅さを意識しながらも、かつては太守の執務室であった部屋を後にした。

 カーシルの力を追いながら、ヴァルニアは最下部に位置する搬入口がある部屋へ足を踏み入れた。屋敷の新しい主人となった彼女だが、食料の補給のような下々の者が行う仕事に興味を持つことはなく、この部屋に入るのは初めてのことだ。
 それでも彼女は部屋の奥に空いた穴から突き出されたクレーンを見ると、その仕組みと価値を理解する。このような技術は自分が眠りにつく以前の時代にはなかった発想である。現在の人間は精神性においてはかつてよりも退化しているが、魔法に頼らぬカラクリのような技術に関しては進歩を遂げているようだと。
 もっとも、巫女は直ぐに意識を最重要課題に戻す。あの銀髪の少女をこのまま逃がすようなこととなれば、後に憂いとなることは間違いない。今この場で必ず始末しなければならない。
 クレーンの先から延びるロープが揺れる様に気付いたヴァルニアは、搬入口から身を乗り出して下を確認する。案の定、ロープを伝って降りる人影を見つけた彼女は、手にした魔剣を新たな武器へと作り変える。魔剣はまるで生きているかのように、その身を収縮させると半月を描く弧へと形を変えてゆく。
 やがて先端から細い弦が延びて両端を結び一本の長弓となると、巫女は出来栄えに満足し弦を引き絞る。一瞬の内に弦から矢が形成されると地上に降り立った人影に狙いを定めて放った。矢は狙いを誤らずに標的に突き刺さるがヴァルニアはそれで満足をせずに、更なる射撃を続ける。
 三本目の矢で大柄な男を射抜いたところで、足止めを成功させたと判断した彼女は雌雄を決するべくロープに向かって飛びついた。

「ナフラル!あいつだ!」
 グリフは警告を発するが、その言葉が言い終わらない内にナフラルは矢を肩に受けてよろめく。彼は鋼鉄製の板鎧をその身に纏っていたが、ヴァルニアの放った矢はその鋼鉄をいとも簡単に貫通させていた。
 恐るべき弓の威力を目の辺りしたグリフは追撃に備えて様子を窺うが、巫女は彼の予想を上回る行動に出る。その身体を搬入口から乗り出させると、いとも簡単にロープに飛び移りそのまま器用に伝って降下を始めるのだ。
 先程のミージアと比べても勝るとも劣らぬ見事な手際の良さだ。最後に暗黒神の巫女は華麗に籠を飛び越えて地上に降り立った。
「俺が時間を稼ぐ!逃げろ!」
 グリフは仲間達に呼びかけると巫女へと立ち向かう。攻撃を反射させる能力を持つダージェグの巫女を倒す手立てはなかったが、ある程度の時間稼ぎならば可能だ。まともにやっても勝てないのなら、犠牲は最小限に抑えて生き延びる者を増やすべきである。そう判断を下したグリフは覚悟を決めて長剣の切っ先を敵へと向ける。
「僕も一緒に戦うよ!」
「馬鹿!お前を逃がすために・・・」
「戯言を!」
 名乗りを上げたカーシルを窘めようとするグリフだが、啖呵を切って襲い掛かる巫女の攻撃を受けて会話を中断させられた。先程までは大弓を手にしていたヴァルニアだが、再び得物を漆黒の魔剣に戻すとグリフの首を刎ねるべく斬撃を放った。
 横なぎの攻撃を長剣の中腹で辛うじて防いだグリフだが、あまりにも重い一撃に体勢を崩されてしまう。生じた隙を補うために身を退こうとするが、ヴァルニアはそれを見逃さず間合いを詰めて二の太刀を繰り出そうした。
 その一撃にグリフは負傷を覚悟するが、今まさに彼の脇腹を抉ると思われた魔剣が急遽軌跡を変えて、逆に巫女が防御の姿勢を取る。それと同時に左から飛び出したカーシルが巫女へ下から突き上げる斬撃を浴びせる。銀色に輝く〝剣〟が魔剣を潜り抜けてヴァルニアの右太ももに鮮血の花を咲かせた。
「ぐ!」 
「それは!」
 ヴァルニアとグリフは同時に声を発した。前者は純粋な痛みに対する悲鳴であり。後者は決して傷を与えられるはずのない敵にダメージを与えた事実と、丸腰と思われたカーシルがなぜか手にする〝剣〟に対する疑問だ。
「よくわからないけど、出せるようになったんだ!これならこの人をやっつけられると思う!」
「なんだって?!」
 カーシルの頼りない返事に当惑しながらも、グリフは改めて彼女が切り裂いた敵の脚を見る。出血は既に止み、斬られた痕は見る間にも塞がれつつあったが、地面に流れた落ちた血が確かに傷を負わせた痕跡として残されていた。
「よし、俺が奴の攻撃を防御するから、お前が隙を見て攻撃しろ!」
 詳細は不明だったが〝剣〟がカーシルの編み出した魔法であり、巫女に有効であることを理解したグリフは攻勢に転ずるために、連携を彼女に示唆する。
 出来ることならカーシルには真っ先に逃げてもらいたいのだが、この少女は変なところで意地を張るところがある。ならばと、グリフはカーシルの力をとことん信じ一緒に戦う道を選んだ。
「うん!」
 短いが快活な了解を得たグリフは、巫女に圧力を掛けるため半歩前に踏み出す。膂力においては圧倒されるものの剣技に関しては決して対抗できぬ相手ではない。彼はカーシルに攻撃の機会を作り出すために巫女を挑発するように更に間合いを詰めた。

「下郎が!」
 瀕死の状態に追い込んだはずのカーシルと鎖帷子の男グリフが共闘を示すと、ヴァルニアは腹立たしさを隠そうともせずに、怒りの声を上げて再度の攻撃に転じた。
 この身体に一度ならず二度までも傷を負わせるとは万死に値する。いや、そもそも〝あの方〟の巫女であるこの私に挑もうとすること自体が神に仇なす行為そのものだ。銀髪少女はもちろんだが、鎖帷子の男にも速やかな死を与えねば気が済まなかった。
 挑発に乗った巫女の攻撃をグリフは改めて受け止めた。恐るべき腕力だが、心構えさえ出来ていれば遅れを取ることはない。魔剣と剣を交える瞬間に彼は身を退いて力を逃がす。この動きに巫女は体勢を崩されまいとするが、すかさずグリフは鍔迫り合いを続けるために間合いを戻す。そしてこの僅かな隙に攻撃役のカーシルが巫女の脇腹を狙って突きを入れた。
 巫女は反応を示すが、グリフの剣が邪魔となって避けることも魔剣で弾くことも出来ずに〝剣〟の切っ先を受けて三度その身体に傷を負う事となった。見事な連携攻撃ではあるが、実を言えばグリフとカーシルは本格的な連携の訓練をしたことはない。
 グリフがカーシルに剣術を教えたのは万が一の場合の自衛手段であり、積極的に前衛を務めさせるつもりはなかったからだ。それでも、剣術においては師と弟子にあたる二人は、お互いの動きを機敏に察知し即席とは思えない結束力を見せた。
「・・・おのれ!」
 追撃を警戒しながらヴァルニアは自らグリフ達から距離を取る。やはりあの〝剣〟は自分にとって天敵とも言える能力だと認められた。少女の剣術はまだ発展途上であるが、このように防御を担当する腕の立つ護衛と組まれると、さすがに接近戦では分が悪い。
 激しい怒りと屈辱を感じながらもヴァルニアは戦術を変える判断を下す。魔剣を使用したのは、回復不能の傷を負わせるのが目的である。相手が徒党を組むのならそれに対抗する技を使うまでだった。彼女は意識を研ぎ澄ますと力を解放する機会を待った。
「待って!急激に魔力が高まっているわ!二人とも離れて!」
 自分達の連携に勝機を見出したグリフは敵を追い立てようとするが、それをディエッタが制止する。彼女とタリエラはミージアとナフラルに応急処置を施しながらも、逃げずに二人の戦いを見守っていたのだ。
「グリフ!」
「確かにやばそうだ!カーシル退くぞ!」
 ディエッタの警告とカーシルの悲鳴、そして巫女の只ならぬ気配を感じ取ると、グリフは相棒のカーシルを庇うように後退を開始した。
「もう遅い!」
 グリフ達が再度攻め掛かって来たタイミングを狙っていたヴァルニアは、思惑が外れたことを憎々しく思いながらも力を解放した。
 突如激しい衝撃を受けてグリフは、後方に投げ出された。地面に叩きつけられる寸前に不完全ながらも受け身を取って仰向けに倒れる。
 転倒のダメージは最小限に抑えたはずだったが、立ち上がろうとする彼を全身から発せされる鈍痛が拒んだ。それでも彼は気力を振り絞り状況を知るために頭部を動かして辺りを窺う。
 立ち上がって自分に走り寄るカーシルの姿にグリフは一瞬の安堵を覚えるが、掌を向けて悠然と歩み寄る巫女の姿を目の端に捉えると肺に残された僅かな息を使って、もはや悲鳴にしかならない警告を発した。
しおりを挟む

処理中です...