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第九話

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 昼食を終えた二人はテラスからも確認した学院東側に存在する空間を散策していた。そこは手入れのされた芝生が一面を覆っており、広さも正式なサッカーコートを作るのに充分な面積があった。
 イサリアの説明によると、やはりここは校庭にあたる施設で、実演や講義で使われる他にも学院で生活する学生達の運動場や憩いの場として使われているとのことだ。昼休みにあたる時間帯のためか、実際に何人かのミーレ達で車座になって談笑したり、何かのゲームなのか走り回ったりしている歳若の少年達を見掛ける。
 そんな姿を見ていたヒロキにも芝生に寝転びたくなる欲求が湧いてくる。何しろ空は雲一つない快晴で、気温も暑くも寒くもない適度な温度だ。それに加えて彼は昼食に出されたミートパイを三つも食べていた。少し癖はあるが濃厚なチーズと絡み合う香辛料の効いた挽肉、そしてそれらを包むサクサクのパイ生地のコンビネーションはなかなかの絶品で、育ちざかりである彼はつい食べ過ぎてしまったのだ。 
 不意に訪れた昼寝への誘惑だが、ヒロキは欠伸を噛み殺して耐える。運動場の後は外周にそって城壁を見回ることになっているし、その後は寄宿舎で部屋と雑貨や生活必需品を確保する等、やることは多くある。悠長に昼寝をしている暇などなかった。

「ミーレ・リゼート!」
 渡り廊下の一つを通用口から横切ろうとしたところで、イサリアを呼び止める声が響いた。それは落ち着いた男性の声だったが、僅かに非難するようなニュアンスが込められている。
「・・・なんでしょうか?導師アルビセス」
 呼び掛けられたイサリアは焦ることなく落ち着いて振り向くと、一礼の後に優雅な口調で返答を行う。
「ああ、君が今日の講義に姿を現さなかったので心配していたのだ。ミーレ・リゼート、欠席をするなとは言わんが、健康なら連絡くらい寄越したまえ」
 僅かに離れた位置で二人を見守るヒロキは状況を理解した。イサリアを呼び止めたのは、やや痩せ気味で三十代中頃の男性だ。おそらく彼は導師の一人で、今日の午前中にあった自分の講義にイサリアが出席しなかったことを問い質そうとしているのだ。体調が悪いのならともかく、元気そうに歩いているのを見掛けて不審に思ったに違いない。
「ご心配をお掛けしてしまって申し訳ありません。本日は優先する事柄が出来ましたのでそちらに取り組んでおりました。それにお言葉ですが、私は既にミゴールへの昇格試験資格を得ています。この立場では無理に導師アルビセスの教えを授かる理由がありません」
「・・・むむ、だが君は優秀生でもある。講義の欠席は規則に反していないとはいえ、他のミーレ達との模範となるべきではないかね?」
 イサリアの答えにアルビセスはやや感情的になる。彼女の言い分は間違っていないが、表現はあまり穏便とは言えなかった。
「はい、優秀性は皆の模範となるべきです。ですから私もここにいるミーレ・ヒロキが学院の施設に慣れるよう案内をしていたのです」
「彼を・・・?」
 この返答は予想外だったのだろう。アルビセスは驚いた顔を見せながら傍らにいたヒロキを見つめる。そして、今まで特に気にしていなかったミーレが見覚えのない存在であることに気付くと疑問の声を漏らした。
「彼は帝国北部に暮らすスエン族の出身のヒロキ・タチカワです。先日、彼の家が我がリゼート家の後援者となりまして、その長子である彼に帝国でも最先端の教育機関である、この帝立魔導士官学院の教育水準を体験してもらおうと、こうして案内している次第であります。配下に入った地域の有力者を中央に呼び寄せて教育を施すのは帝国の伝統でありますから」
「・・・新しくミーレが入ったとは聞いていないが?!」
「今朝、学院長の許可を得たばかりですので、無理もないかと思われます」
「また学院長の独断か!五大公家とは言え学院を私物化して良いはずがない!」
「学院長を責めないで頂きたい。導師アルビセスも我々リゼート家の家訓を聞いたことがあるでしょう〝炎の如く素早く〟です。学院長はリゼート家の思惑に合わせて判断をされただけだと思われます」
「・・・そうか、ミーレ・リゼート君が絡んでいるならこのようなことも不可能ではないな。五大公家で現皇帝の孫ともあれば、多少の無理は通せる。うむ、来週はミゴールへの昇格試験か・・・呼び止めて済まなかったミーレ・リゼート、大貴族には大貴族の道理があるのだろう。だが、私にも私の道理がある・・・」
 緊迫したやりとりを続けていた二人だったが、イサリアの説明を独自に解釈したアルビセスは半ば呆れるようにして早足で去っていった。

「早くも面倒な導師に見つかってしまったが、なんとか誤魔化せた」
「でも、なんか悪い方に誤解させたようだけど大丈夫?」
 アルビセスの姿が見えなくなるとイサリアは釈明のようにヒロキに苦笑を浮かべるが、彼はイサリアが自分の正体を隠すために、敢えて家の権力を利用して学院長に圧力を掛けたと思わせたことについて言及する。
「気にすることない、導師アルビセスは元より平民派で貴族嫌いの人物で知られている。前々から私のことを煙たがっていたし、ヒロキのことを勘繰られるくらいなら、あのように思わせた方が何かと好都合なのだ」
「そうか・・・、でもあの人イサリアが現皇帝の孫とも言ってなかった?」
「うむ、本当にヒロキはそういったところを逃さないな。答えは事実だ。ヒロキには伝えてなかったが現皇帝のナフル三世は私の祖父だ」
「ええ、まじか!ひょっとしてイサリアは本物のお姫様ってこと?・・・どうりで偉そうだと思ったよ!なんで早く教えてくれなかったの?!」
 新たな事実にヒロキは興奮しながら、イサリアの姿を改めて見つめる。大貴族のお嬢様とは聞かされていたが、その美しさも強気を通り越して傲慢とも言える性格も皇帝の孫と聞かされれば、全て納得出来るように思われた。
「まあそのなんだ・・・自分から〝私は皇帝の孫だ〟などと恥ずかしくて言えやしないだろう?それに皇位は世襲ではないから、厳密に言えば私は皇帝の孫ではなく皇帝職にある五大家当主の孫なのだ。・・・と言うか私はそんなに偉そうに見えるのか?」
「何を今更!イサリアくらい強気の女の子なんて見たことがないよ!」
「そうなのか・・・」
「えっと!・・・ほら!俺の世界の女の子と比べてだから!こっちの世界では文化とか細かい差があるから!単純に比べられないかもね!それに俺はイサリアが皇帝の孫でも大貴族のお嬢様であろうと気にしないよ!イサリアはイサリアさ!」
 心外とばかりに溜息を吐くイサリアにヒロキは慌ててフォローを入れる。皇帝の孫という権威を使って学院長に圧力を掛けていると思われても平然としているのに、なぜこの程度の指摘で気落ちするか理解出来なかったが、このままでは彼女との関係に重大な楔が生れると思われたのだ。
「・・・うむ、私も現皇帝の一族であることを隠していたのは謝罪する。これからも一人の人間としてよろしく頼むぞ!」
「こちらこそ!とりあえず学院の案内を頼むよ!暗くなるまでに終わらせたいからね!」
「そうであった!早い段階で導師アルビセスの目に止まったのは予想外だが、それを悔やんでも仕方ない。続きに入ろう!」
 アルビセスに足止めをされた二人だったが、再び学院の探索を開始した。
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