アンダーストリングス

百草ちねり

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第一章

EP1・山岳の街 2

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 2


 サウスシティ5番ストリートの市場は、6番ストリートの闇市場と違って至極普通のモノばかりが並べられている。衣服、装飾品、靴、日用品。全てが人間の生活を支えるのに必要なモノであり、その性能は2000年代にはあと一歩及ばない。〈オーブン電子レンジ〉やら〈エアコン〉なんて代物はコーラルの雑貨屋でしかお目にかかれまい。
「お昼何食べようか」
 ヘルクが屋台を見回して言った。その背中では機材が詰め込まれたリュックがガチャガチャと音を立てている。相反して私のリュックは軽く、膨れた財布が1つ入っているだけ。中身は全てコーラルの店で現金に錬成された。しめて3029ネロ。これが全て私の懐に入ってくれれば嬉しいのだが、心優しきエルドレッドの手で貧困層の住民に均等に分配される。
 いくばくか気分が落ち込んだ私はぞんざいに返した。
「何食っても変わらんでしょう」
「変わるよ! ……味が」
「味なんてどうでもいいです」
「まったく、お金以外にも興味を持たないとだめだろ!」
 説教めいた言葉とともに、ヘルクは私の手を引いて〈本格的! 牛肉味! 太るほど美味いフルフル!〉と安っぽいセリフの書かれた甲板の屋台に向かった。店主は店頭で笑顔を振り撒き、声溌剌と呼び込みをしている。まるで骸骨のような身体をプルプルと震わせて。
「何が太るほど美味いだ! 詐欺も大概にしろ!」
「い、いやほら、彼は肉派じゃないのかも。それかもともと太りにくい体質とか」
 憤慨する私を宥めながら、ヘルクは「あ! あそこなんか美味しそうじゃない!? 初めて見る屋台だよ?」と慌てて別の店を指した。〈モアランド州至宝の一品・フルフルオムレツ味店〉。店主は若い男性だ。その店主から嬉しそうに商品を受け取った年端もいかない少女は、早速一口頬張った。
「お、美味しいね」少女は必死に作り笑いを浮かべ、お世辞を述べた。
「……ありがとう、小さなレディ」店主は腕で顔を隠し泣いた。
「……」
「……」
 私もヘルクも、2人の心暖かな劇場──というよりも少女に慰められる哀れな男を無言で見つめた。
 先に痺れを切らしたのはヘルクだ。
「やっぱりサーシャさんのところに行こっか……」
「そうですね」
 私が異を唱えることなどなく、結局いつもの店に行くことになった。

 モアランド州サウスウェストシティ8番街。ウィルソン州で工業施設が2番目に多く、建ち並ぶ工場の煙突から噴き出す黒煙で青空は澱んでいる。石炭臭く日当たりも抜群に悪いが、ここからサーシャ・アベニューを南下すると私が所属するサルベージ船〈シー・ガル号〉の港がある。そして港に繋がる道はここしかない。
 私たちはサーシャ・アベニューの途中にあるカフェの扉を開いた。15坪程度の店内はモダン調の家具で揃えられており、壁には色とりどりのタペストリーや絵画、そしてたくさんの写真が飾られていた。店主の趣味だ。
 ちょうど昼飯時ということもあり、それなりの人数がコーヒーや食事に舌鼓を打っていた。窓際のテーブル席では若いカップルが談笑している。窓の向こうの景色が灰色の工場であることが残念で仕方ない。
「いらっしゃい! 空いてる席に座ってね」
 絹糸のようなブロンドを揺らして壮年の女性が私たちに声をかけた。彼女はサーシャ・リベラシオン。私たちがいるカフェ〈波止場〉の店長であり、サーシャ・アベニューの所有者でもある。マリンブルーの瞳と竹を割ったような性格が魅力的な、モアランド州でも数少ない有権者だ。
 私とヘルクはカウンター席の右から2つを陣取る。右から私、ヘルク。いつもの定位置だ。
「2人ともいらっしゃーい! ……っゔわぁ!」
 そしてウェイトレスが何もない場所で躓きトレーを空中に放り出して、コップに入った水を私たちに浴びせてくるのも、である。
 パシャリと冷たい水が私たち──いや私にかかる。私の背後ではゴツンッといい音が鳴った。あれは額からイッた音だ。
「……」
「え、あ……、2人とも、大丈夫かい?」
「……」
「おーい……」
「殺します」
「待って落ち着いて正気を保って!」
「今日こそ殺します!」
「いつものこと、いつものことだからぁぁぁ!」
 殺気を放ち席を立とうとする私を、ヘルクが懸命に阻止しする。その足元で顔面から床にコンニチワをかましたのは、この店に住み込みで勤務してもう4年になるパセリ・プセマだ。ウェーブがかかったビリジアンの髪を後頭部で結い上げており、尻尾の根本にはヒマワリの造花がデカデカと咲いている。しかし今は花びらが萎れて見えた。
「うゔぁぁぁん! ごめんなざぃ! パセリまたエルちゃんに水かけて寒い思いさせちゃったぁぁぁ! うわぁぁああん!!」
 パセリは内股に座り込み、その場でわんさか泣いた。その声の大きさは130デシベルを軽く超えている。耳が痛い、難聴になるまでのカウントが見える。ここはエンジン工場か?
 私はため息を吐くと、椅子を回転させて彼女の方を向いた。
「うるさいですね今すぐ泣き止まないと〈シ・ーガル号〉に連行してカリフォルニア湾に放流しますよ」
 パセリはピタリと泣き止んだ。脳内がお花畑の彼女も、さすがにUSアンダーストリングスは怖いらしい。
(ようやく静かになったか)
 ああ、ポタポタと前髪から滴る水が鬱陶しい。私は目を閉じて痛む米神を右手の指でグリグリと揉んだ。その手を温かなモノが包み込む。不審に思って目を開ければ、パセリが飴色の瞳を輝かせて、私の右手を両手でギュッと包み込んでいた。
「カリフォルニア湾! パセリ行ったことないの! きっと素敵なところだわ、見たこともないモノがたくさんあるに違いないわ! ねぇ連れてってパセリを連れてってお願い!」
 そうだった、この鈍臭い少女はこういうヤツだった。冷や汗を流すヘルクの横で私は天井を仰ぐ。シミを数えた。1、2、3……ふぅ、落ち着いた。大きく深呼吸をしてから、空いていた左手でカウンターに立てかけられたメニューを掴んだ。
「アンタはウェイトレスだろうが!! グズグズしてないでさっさとオーダーを取りやがれ!!!!」
 メニューでパセリの右頬を全力で叩く。スパァンッと良い音が鳴った後、パセリはまた130デシベルを放った。

 鼻をすすりながらパセリは店の奥に引っ込みタオルを取ってきた。それを私たちに手渡すと、伝票を手に持ってペンを握った。その瞬間、彼女は「ご注文をどうぞ!」と笑顔になる。どうやら先程の失敗はもう記憶の彼方に追いやられたようだ。
 私は口の端をひくつかせながらも、濡れた部分をタオルで拭き、冷静にメニューと向き合った。
「ホットコーヒー水、シチュー味……は昨日食べたのでボルシチ味、あとパン味」
「僕はカフェラテ水と……、あ、やっぱり日替わりセットで!」
「はぁーい! エルちゃんヘルくんすぐに用意するね!」
 オーダーを受けたパセリは即座にカウンター内キッチンで調理を始めた。ドスッ、ドスッ。鼻歌まじりに生地を殴る音と、何かが壊れる音が聞こえてくる。傍からみたら猟奇的な光景だ。もっと穏やかに作業できないのか? そんな私の心情とは反対に、ヘルクは微笑ましそうに彼女の姿を見ていた。
「今日も元気だね。見てるとこっちまで元気が湧いてくるよ」
「それは眼科か脳神経外科を受診したほうがいいですね。いや心療内科か……」
「またそんなこと言って。君も素直じゃないなぁ」
 やれやれとヘルクは肩をすくめる。私は「何がです?」と彼を睨んだ。
「ふふっ、仕事がある日は毎日来てるくせに」
「昨日はシチュー味だったんだね」ヘルクはカウンターに肘をついてニヤリと笑った。透き通るプラチナブロンドと整った目鼻立ちが、彼のニヒルさをさらに際立てた。癪に触ったので、私は左手で彼の無駄に高い鼻を力いっぱい摘んでやる。
「いだだだだっ、痛い!」
「崩れろ黄金比!」
「もげるもげるもげるっ!」
「2人とも喧嘩しないの! メッ! だよ!」
 制裁中に割り込んできたのはパセリだ。彼女は私たちの前に木製のマグカップを置いた。わたしのカップにはコーヒーの匂いがする黒い液体が入っていた。ヘルクの方は茶色い液体だ。甘い香りが漂ってくる。
 ヘルクは早速コップに口をつけた。
「んっ、これココア味だ! すっごく美味しい、さすがパセリだね!」
「でしょ!? でもね、本番《メインディッシュ》はここからよ?」
 称賛の声にパセリは上機嫌だ。うふふと笑いながら、次は木製の皿を丁寧に置いた。
「はい! エルちゃんはボルシチ味とパン味。ヘルくんは日替わりセット。どうぞ召し上がれ!」
 声高らかに言う彼女が置いた皿には、ハート型の固形物が乗っていた。私の皿には赤いハートと茶色いハート、ヘルクの皿も赤いハートと茶色いハートだ。
「あれ? おんなじ色だ」
 不思議そうにハートを見つめるヘルクに「日替わりセットの内容、ボルシチ味とパン味だったんじゃないですか?」と答えた。しかしパセリは腰に左手を当てて右手の人差し指をチッチッチと左右に振り「なんと! 実は新レシピなのですよ!」得意げな顔をした。ヘルクはゴクリと唾を呑み、恐る恐る赤いハートを掴み上げ──意を決して一口齧った。
「──っ! コレは──っ、」
 ヘルクはカッと目を見開いて硬直した。私は彼の背後に宇宙が見えた……ような気がした。10秒ほど経ってから、ようやく彼は地球に帰還した。頬は興奮で紅く染まっている。
「あっ! ああ!? コレお肉だよ! 肉の味がする! 〈牛肉〉っぽいけど今まで食べたことのないレシピの味だっ!」
「何コレすごい!」はしゃぐヘルクにパセリは「イエイ!」ピースサインを突き出す。
「〈ローストビーフ&ヨーグルトソース〉ってレシピだよ。茶色い方はエルちゃんの言う通りパン味だけど……。でね!? サーシャさんのおばば様の本に載っててずっと再現しようとしてたレシピが、昨日ついに成功したの!」
 エルピスはカウンターから飛び出すと、私の右斜め前、店の角にある階段を駆け足で登り2階に消えた。そしてすぐに大きな音を立てて転げ落ちてきた。よろよろと起き上がる彼女は、表紙に『今日のディナー』と書かれた本を胸に抱いている。
「ほら見て!」
 パセリは私たちの間に割り込むと本をめくり、42ページに印刷された写真を指した。表面は茶色く中は綺麗なピンク色の薄く切られた〈肉〉が、芸術的に並べられていた。〈肉〉の上には白い液体がかけられている。コレが〈ヨーグルトソース〉とやらだろうか。
「本当は赤と白で縞々模様にしようかなって思ったんだけど、なんか美味しくなさそうだからパセリは白色を入れないことにしたんだ!」
 パセリは鼻高らかにふんぞり返る。しかしヘルクは〈ローストビーフ&ヨーグルトソース〉の味に夢中なようで、赤いハートを必死に咀嚼しており彼女が垂れ流すレシピのうんちくにおざなりな相槌をするだけだ。
 私は自分の皿に視線を戻すと赤いハート型の固形物を手に取り、パクリと頬張った。モチっとした食感とボルシチの味が口腔に広がる。一緒に茶色いハートも食べてみれば、パンの味がボルシチの強い味を中和させてマイルドになった。〈パン〉を意識して作っているのか、茶色い方はパサパサしている。ハートを一旦皿に戻して少し冷めたコーヒー水を啜って口を潤した。
 チラリ、私はまだうんちくを喋り続けてるパセリの手元のレシピ本見た。写真に写っている旧世紀の食事は私たちの食事とは全く別物で、どれもこれも食べるのに手間がかかりそうで、けれども宝石のように美しかった。

 大厄災当日、原子力発電所や核爆弾の2割は彗星の衝突を受けて暴発し、空中に放射線をばら撒いた。そして海中に沈んだ後残りの原子力発電所が崩壊すると、海中は高濃度の放射線に汚染された。
 海中の放射線および放射能物質は、ほとんどが海洋生物に吸収された。そして空中の放射線は雨に洗い流されて大地へと降り注ぎ、自然界の動植物や土壌も放射線の洗礼を受けた。プランクトンが汚染物質を取り込み小さな魚の体内に蓄積し、爆発的な勢いで生物濃縮される。それは地上も同じことだ。地上の動植物は奇形を発症しながらも体内に放射線を蓄積したまま生き残り、海洋生物は放射線を吸収しUSへと進化した。人類が糧とできる動植物は、地球上には存在しなくなった。唯一、海水だけは浄化すれば飲料水として摂取できる。私たちを脅かすUSたちが、放射線を全て吸収してくれたおかげで。
 さて、大厄災から108年後、新世紀元年。食糧難を救うために人工食が開発された。それが私たちが今食べている〈フルフィルメント充実したフード食料〉通称フルフルだ。完全人工物から生成されていて栄養面に一切の偏りなし。そして無味。旧世紀は食事も娯楽の1つだったそうだが、現在はただの生命維持物質である。
 これには市民も不満を抱いたのか、どうにかしてフルフルの味を良くしようと改良を試みた。しかし結果は芳しくなく。ウィルソン市場の少女が食べたモノのように、絶妙に不味いフルフルが生み出されていくだけだった。
 そんな現状を嘆いたのがパセリだ。当時13歳の彼女は「パセリは美味しいフルフルを作るフルフル屋さんになる!」とサーシャの店でちゃっかり働きだした。ドジでバカな彼女にはどうせ無理だろう。当初、私は鼻で笑いながらたかを括っていた。だが私の予想を覆して、サーシャの店は『美味しいフルフルを提供してくれる』と有名になってしまったのだ。

「美味しかった?」
 パセリはカウンター越しにニッコリと笑っている。私は返事をせずに無言で3ネロをカウンターへ置いた。不躾な態度にも彼女は機嫌を損ねることなく、どこかズレた歌を口ずさむだけだ。
 鈍感なのか、寛容なのか、ただのバカなのか。私は彼女が怒る様を、一度も見たことがない。
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