灰色の海で待つ

からり

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「彼女は家出をした後、この居酒屋でアルバイトをしていました。あいつは客として店に行き、彼女に気づかれないように調査員の仲間に写真を撮らせて、城木さんへの報告書に添付したのです。これはあいつの忌まわしい写真であるのと同時に、彼女の最後の写真でもあります」
 男の後ろに立つ店員の女性。紙谷さんの指先よりも小さな横顔に目をこらすが、私に似ているかどうか判断がつかなかった。ただ強烈な違和感が沸き上がる。
「これは私が城木さんに渡されたのと同じ写真?」
 彼女は6年前に亡くなっている。私のアビリティに従えば、キャンバスから彼女は消えなければならない。でも彼女は消えなかった。キュビズム的に体の部位がキャンバスのあちこちに散らばっていたけど確実に存在はしていた。
「昨日、遊理が……私の担当をしている研究員が見せてくれた写真にも同じ違和感を覚えたの。これは私がアビリティで使った写真じゃない気がする」
「その通りです」紙谷さんは言った。「三鬼さんに渡したのはこれを加工した写真です。彼女の顔を別人と差し替えました」
 あ、と思う。
「だからキャンバスがあんな状態に……」
「あのキャンバスを見て三鬼さんのアビリティの正確さを確信しました。三鬼さんは加工された写真であることを知らない、でも三鬼さんのアビリティは、異物を感知してキャンバスに吐き出した。研究員を志望するものとしては、とても興味深い結果でした」
「でもなぜ加工なんて」
「三鬼さんに渡す写真は事前に荒鐘副室長に見せる必要がありました。荒鐘副室長は傲慢ですが、用心深い人間です。事前に城木さんの身上調査を行い、彼女の事件ファイルも取り寄せていました。事件ファイルには、彼女の復元された顔写真が載っていたので、副室長は彼女の顔を知っていました」
 復元。つまり彼女の亡骸はそれだけひどい状態だったということだ。
「今回、城木さんが荒鐘にした依頼は“ある有力者の息子が、二年前から行方不明のため生存確認したい”という内容でした。実際、あいつはある大手企業の役員の息子でしたし、二年前から我々が監禁していましたから世間的には行方不明だったので嘘ではありません。副室長の事前調査にもひっかからずにすみます。でもその写真に彼女が写っていたらおかしいですし、三鬼さんのアビリティの結果を副室長自ら確認する可能性もありましたから」
「後ろの女性が消えていたらおかしい」
「はい。副室長は人間的に問題はありますが、無能ではありません。真相を見抜かれる可能性がありました」
「だから彼女の顔を差し替えた」
「問題は、私の写真加工の技術が低かったことです。解析されたら一発でばれますし、肉眼でも注意深く観察すれば不自然さがありました。でも副室長もそこまでは気づきませんでした」
 リグルは“写真を隅々まで観察した”と意味ありげに言っていた。写真の加工に気付いたのだろう。
「でも、なぜ6年前の写真を2年前のものだなんて言ったんですか」
「2年前に行方不明になった人間について調べるのに、写真が6年前のものでは余計な警戒心を与えてしまいますから」
 そう言った後、紙谷さんの表情がためらう。
「……本当は、城木さんは、あなたにあんな話をするつもりはなかったのです。荒鐘に伝えたのと同じように“二年前から行方不明の知人の息子の生存確認をしてほしい”とだけ言う予定でした。でもあなたの顔を見たら語らずにはいられなかったそうです。継ぎはぎの嘘を混ぜてでも、本心を語りたくなってしまったと……。あなたをだまして本当に申し訳なかったと言ってました」
 私は首を振る。城木さんの憂いを帯びた目は嘘ではなかったのだから。
「でも何故この写真を選んだんですか?本物の2年前の写真を使えばよかったのに」
「写真がなかったんです。あいつはSNSも使っていなかったし、写真を撮ってくれるような友達もいませんでした。そもそも、あいつにはカメラを避ける習慣があったんです。我々が彼女の捜索で一緒にいた時も、監視カメラの場所に目ざとく、顔が映らないようにさりげなく避けていました。調査員という仕事柄、目立たないようにするためかと思っていましたが、そうじゃなかった」
 紙谷さんの目の色が陰る。
「あいつは彼女の事件以前にも幾つもの罪を犯していた、だからカメラを避ける癖がついていたのでしょう。なのに私は気づけなかった」
「幾つもの罪って、まさか……」
「あいつを拉致した後、いつも持ち歩いていたカバンの中からクリアファイルがでてきました。5センチ四方のハギレが3枚挟まれていました。そのうちの1枚が、彼女のお気に入りのスカートと同じ柄でした。彼女の部屋を確認した時になくなっていたスカートです。ああいう連中は戦利品をとっておきたがるんです」
 写真の彼の微笑みを思い出すのと同時に、背中がぞっとした。
「城木さんは、あいつの父親と知り合いでした。あいつが働いていた調査会社も、父親が役員をする会社のグループ企業の一つです。そもそもその縁で城木さんはその調査会社を使い、あいつを雇うことになってしまった。だから城木さんはあいつを監禁した後、復讐に近い気持ちで両親を訪ねたそうです。表向きは行方不明になったあいつの捜索に尽力できることがないか聞くためでした。でも両親は、あいつがいなくなったことに無関心でした。捜索願もださず、むしろどこかほっとしていた。しかも、あいつの名前がでるたびに、目に嫌悪と恐怖が浮かんだそうです」
「どういうこと?」
「両親はあいつが普通じゃないことを知っていたんです。生まれながらのサイコパスには、成長するにつれて自分の異常性を認知して隠せるタイプがいます。あいつもそうでした。でも子供の頃はごまかせませんから」
 紙谷さんはため息をついた。
「両親がどこまであいつの異常性を把握していたかはわかりません。でも城木さんは気持ちが軽くなったようでした。あいつの両親を恨む気持ちと同時に、罪悪感も持っていたからです。自分が娘を失った時の苦しみを、彼らに与えることを恐れていたのです。私には理解できませんでしたが」
 紙谷さんの声が震える。
「自分の子供の異常性を知りながら放置した親に同情などできません。彼女があんなことなったのは彼らのせいだという思いが消えないのです。私が家族を持ったことがないからでしょうか」
 何も答えられなかった。紙谷さんの気持ちは痛い程分かった。でも両親の無力感も想像できてしまった。
 無言を咎めるように鳥が高い声で一鳴きした。空は明るくなりつつあった。
「城木さんは一人ですべてを背負う気です」紙谷さんはつぶやいた。「でもそんな事させない。この写真は証拠の一つです」
「証拠?」
「直接証拠にはなりませんが、あいつと彼女に接点があったということを証明できます。私のデスクには、この写真のコピーとハギレの入ったクリアファイル、あいつがシリアルキラーだったということを告発したレポートもしまってあります」
「なぜ研究室のデスクにそんなものを?」
「安全に保管するためです。アビリティ保有者の機密保持のため研究室への入室はとても厳しい。警察だって例外ではありません。もし仮にこれらの証拠が私や城木さんの自宅にあって警察に押収された場合、どう扱われるかわかりませんから。最悪、全てを隠ぺいされる可能性もあります」
「隠ぺい?」
「今回の事件が起きて、元同僚から連絡がありました。あいつは昔、別件で捜査線上に浮かんだことがあったそうです」
 神谷さんは重い声で言った。
「10年以上前の女性の失踪事件ですが、おそらく初めての犯行で慣れていなかったのでしょう。疑惑を持たれるには十分な証拠を残していました。でも警察上層部に、あいつの父親の知人がいて追及しきれなかった」
 もしその時、適切に捜査がされていたら……。私はうつむく。
「警察内部では箝口令がしかれているようですが、一部で噂になり憤っているものもいるとか。おかげで情報が入り対策ができました」
 遊理の『警察も一枚岩ではない』という言葉を思い出す。
「警察はあいつがシリアルキラーだということをつかんでいます。今回の事件が、城木さんの復讐だということにも勘づいています。でもあいつは死んで、父親は有力者で、過去の癒着のせいであいつを見逃したことを蒸し返されてはたまりません。だから復讐という真相を隠し、城木さんをサディスティックな異常犯罪者に仕立て上げて決着をつけようとしています」
「だけど……城木さんはそんな話を受け入れるの?」
「自分のことだけなら城木さんはなびかないでしょう。でも警察には取引材料があります。……私です」
 紙谷さんはうつむいた。
「警察は私の関与を見逃す代わりに、城木さんの口を封じることができます」
 城木さんは復讐を果たした。写真の彼は死んで、これ以上、人を傷つけることもない。だったら……城木さんの選択は正しいかもしれない。きっと私が城木さんでも、真相より紙谷さんが自由でいることを選ぶ。
「長話につきあってもらって、ありがとうございます」
 そう言って紙谷さんはさっと立ち上がった。引き止められるのを避けるような素早い動作だった。
「もうすぐ私の最後の夜勤が終わります。行かなければなりません」
「最後の?」
「はい。私は朝7時で東京第三研究室の職員ではなくなります」
「だって、研究員になるって」
「あれは夢物語です」
「夢物語……」
「私はこのまま行方をくらませます。そうすればデスクの証拠を誰かが見つけてくれるでしょう。外部の目に触れたとなれば、さすがに警察も隠しきれませんから」
 呆然とする私に
「今、6時45分です」と紙谷さんは言った。「7時までは警備部員である私の権限でセキュリティシステムが制御がされています。今、この庭は監視カメラも、ドアロックも機能していません」
 紙谷さんは背中を丸め、私をのぞきこむ。
「一緒に行きませんか」
「……どこへ?」
 紙谷さんは笑った。微笑むのではなく、満面の笑みだった。華やかで艶やかな表情はまるで別人のようだった。
 紙谷さんは低くささやいた。
「外へ」
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