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第一章第十一節(張作霖1)
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十一
日露戦争の勝利によって日本が満洲経営に乗り出したのは周知の通りである。戦争が終わったとは言え、ロシアの脅威が完全に消えたわけではなかった。いつ報復されるとも知れず、朝野を上げて第二次日露戦争を警戒した。このため、時の外相小村寿太郎は内地から五十万人の移民を満州へ送り込み、都市を開発して緩衝地帯にする計画を立てた。初期の移民団が海を渡ったのはこれが理由である。折しも日本は明治の中頃から人口の過剰が社会問題となっていた。このときの移民団に加わったのも、家督を継げない農村落の次男、三男が大半を占めたといわれる。
その後、ロシアに革命が起こり当座の危機は切り抜けたが、一方で六年前に起こった辛亥革命によって清朝が崩壊し、中華大陸は全土が戦乱の巷と化してしまった。群雄が割拠し馬賊が横行するなか、満洲の東四省政府には自前で治安を維持する当事者能力がなく、日本が経営権を握った鉄道沿線の治安を維持し、居留民を保護する必要から関東軍が創設される。
奉天は清朝の聖都であり、日露戦争の古戦場という看板を持つが、日本がロシアから譲り受けた当時はただひたすらに荒涼たる原野に過ぎなかった。満鉄が資本を投じてそれを開拓し、近代都市として発展させるのは、第一次大戦中の「大戦景気」に乗った大正七、八年頃のこと。ところがバブルがはじけて景気が冷え込むと、満洲への投資熱も急速に冷め、成金や「一旗組」はさっさと内地へ引き上げてしまった。残ったのは、すでに内地によりどころを持たない、土着化した日本人と鴨緑江を渡ってきた朝鮮人たちだった。
荒涼たる大地だった満洲が発展するにしたがって、山東省辺りから華人農夫らが大量に移住してきた。これに加えて、華南方面で勃興した“排外主義運動”の渦も北上してくる。満洲土着の軍閥の領袖、張作霖がこれに釣られて排日主義へと宗旨替えしていったのに従って日華間に摩擦が生じ、次第にエスカレートしていった。
若くして馬賊に身を投じた作霖は、日露戦争中ロシア側のスパイを働いた容疑で処刑されかかったところを、田中義一や井戸川辰三の嘆願で助命される。その後は日本軍に忠誠を誓い、別働隊となって露軍の後方攪乱に従事した。戦争が終わると奉天政府の警備隊長に任命され、出世階段を順調に上った彼は、大正十四年に起こった郭松齢の兵乱で再び日本軍に命を救われる。野心家の張作霖はそれに怯まず、孫文の死去や段祺瑞政権の瓦解といった情勢の急変に乗じて翌大正十五年、再び長城を越えて平津地方に進出。呉佩孚と協定を結んで南方の蒋介石に対峙する。昭和二年、国民党政府の内紛で蒋介石が下野すると、自らを「大元帥」と称して大陸全土の制覇をも窺うようになる。
北京を足場に平津地方へと権力を拡大し、さらに全土へ覇権の手を伸ばすにつれて、「日本の庇護のもとに権力を拡大してきた」という過去が邪魔になった。張作霖が公然と排日を掲げるようになるのはこの頃からである。
大正十一(一九二二)年の第一次奉直戦で敗れ奉天へ逃げ帰ったときは、内外の記者を前に「今後はもっぱら東三省の保境安民を念願する」と宣言し、日本の支援で満蒙に理想郷を立てると誓った作霖だが、二年後の第二次奉直戦争に勝利した後の記者会見では「満蒙は漢民族の力で建設するから日本の干渉は無用だ」と公言して憚らなかった。
折しも第一次大戦後のパリ講和会議で、膠州湾租借地や山東鉄道の経営権など山東半島におけるドイツの権益が日本へ譲渡されると、これに不満を抱く北京の学生らが抗議行動に出た。その際、四年前に決着がついたはずの「対華二十一箇条要求問題」を持ち出して排日を煽った。
これがいわゆる「五四運動」である。北京の学生による反日活動は満洲へも伝播して、同じ年の九月、満州で初めての排日デモが行われる。デモには約三万人の群衆が参加したため、華字紙は大々的に書き立てた。しかし参加者らによると、「奉天省系列の『外交後援会』から各戸一名ずつを割り当てられて員数を揃えた」というのが実態で、一般民衆の盛り上がりは新聞の報道とはかけ離れていた。むしろ、ただでさえ不況にあえぐ華商の経営を悪化させるとして、外交後援会の方が華人らの恨みを買う有様だった。
日露戦争の勝利によって日本が満洲経営に乗り出したのは周知の通りである。戦争が終わったとは言え、ロシアの脅威が完全に消えたわけではなかった。いつ報復されるとも知れず、朝野を上げて第二次日露戦争を警戒した。このため、時の外相小村寿太郎は内地から五十万人の移民を満州へ送り込み、都市を開発して緩衝地帯にする計画を立てた。初期の移民団が海を渡ったのはこれが理由である。折しも日本は明治の中頃から人口の過剰が社会問題となっていた。このときの移民団に加わったのも、家督を継げない農村落の次男、三男が大半を占めたといわれる。
その後、ロシアに革命が起こり当座の危機は切り抜けたが、一方で六年前に起こった辛亥革命によって清朝が崩壊し、中華大陸は全土が戦乱の巷と化してしまった。群雄が割拠し馬賊が横行するなか、満洲の東四省政府には自前で治安を維持する当事者能力がなく、日本が経営権を握った鉄道沿線の治安を維持し、居留民を保護する必要から関東軍が創設される。
奉天は清朝の聖都であり、日露戦争の古戦場という看板を持つが、日本がロシアから譲り受けた当時はただひたすらに荒涼たる原野に過ぎなかった。満鉄が資本を投じてそれを開拓し、近代都市として発展させるのは、第一次大戦中の「大戦景気」に乗った大正七、八年頃のこと。ところがバブルがはじけて景気が冷え込むと、満洲への投資熱も急速に冷め、成金や「一旗組」はさっさと内地へ引き上げてしまった。残ったのは、すでに内地によりどころを持たない、土着化した日本人と鴨緑江を渡ってきた朝鮮人たちだった。
荒涼たる大地だった満洲が発展するにしたがって、山東省辺りから華人農夫らが大量に移住してきた。これに加えて、華南方面で勃興した“排外主義運動”の渦も北上してくる。満洲土着の軍閥の領袖、張作霖がこれに釣られて排日主義へと宗旨替えしていったのに従って日華間に摩擦が生じ、次第にエスカレートしていった。
若くして馬賊に身を投じた作霖は、日露戦争中ロシア側のスパイを働いた容疑で処刑されかかったところを、田中義一や井戸川辰三の嘆願で助命される。その後は日本軍に忠誠を誓い、別働隊となって露軍の後方攪乱に従事した。戦争が終わると奉天政府の警備隊長に任命され、出世階段を順調に上った彼は、大正十四年に起こった郭松齢の兵乱で再び日本軍に命を救われる。野心家の張作霖はそれに怯まず、孫文の死去や段祺瑞政権の瓦解といった情勢の急変に乗じて翌大正十五年、再び長城を越えて平津地方に進出。呉佩孚と協定を結んで南方の蒋介石に対峙する。昭和二年、国民党政府の内紛で蒋介石が下野すると、自らを「大元帥」と称して大陸全土の制覇をも窺うようになる。
北京を足場に平津地方へと権力を拡大し、さらに全土へ覇権の手を伸ばすにつれて、「日本の庇護のもとに権力を拡大してきた」という過去が邪魔になった。張作霖が公然と排日を掲げるようになるのはこの頃からである。
大正十一(一九二二)年の第一次奉直戦で敗れ奉天へ逃げ帰ったときは、内外の記者を前に「今後はもっぱら東三省の保境安民を念願する」と宣言し、日本の支援で満蒙に理想郷を立てると誓った作霖だが、二年後の第二次奉直戦争に勝利した後の記者会見では「満蒙は漢民族の力で建設するから日本の干渉は無用だ」と公言して憚らなかった。
折しも第一次大戦後のパリ講和会議で、膠州湾租借地や山東鉄道の経営権など山東半島におけるドイツの権益が日本へ譲渡されると、これに不満を抱く北京の学生らが抗議行動に出た。その際、四年前に決着がついたはずの「対華二十一箇条要求問題」を持ち出して排日を煽った。
これがいわゆる「五四運動」である。北京の学生による反日活動は満洲へも伝播して、同じ年の九月、満州で初めての排日デモが行われる。デモには約三万人の群衆が参加したため、華字紙は大々的に書き立てた。しかし参加者らによると、「奉天省系列の『外交後援会』から各戸一名ずつを割り当てられて員数を揃えた」というのが実態で、一般民衆の盛り上がりは新聞の報道とはかけ離れていた。むしろ、ただでさえ不況にあえぐ華商の経営を悪化させるとして、外交後援会の方が華人らの恨みを買う有様だった。
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