風紋(Sand Ripples)~あの頃だってそうだった~

宗像紫雲

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第三章ジュネーブ

第三章第十二節(ロンドン)

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                 十二

 同じ頃、ロンドンでは松平恒雄まつだいらつねお大使が一時帰国の挨拶という名目で、レディング外務大臣を訪ねていた。

 松平の来訪を、間もなく七十一歳を迎えようという老外相は笑顔で迎えた。法曹界ほうそうかいで活躍し、その界隈における“重鎮じゅうちん”と称された老外相は、第一次大戦中に大西洋を渡ってアメリカから五億ドルの戦費を借り受けるというミッションを成し遂げた、戦争の隠れた英雄である。ユダヤ人の果物屋に生まれながら、勤勉と努力の末に数々の功績を収め、一代にして侯爵こうしゃくへと昇り詰めた人物としても衆目しゅうもくを集めた。二人の会話は自然、満洲問題へ及んだ。

「ちょうど今、ジュネーブのセシル卿との間で、英国が聯盟理事会において取るべき対応について打ち合わせていたところです」
 英国と日本は古い同盟関係にある。この同盟は現在の日米同盟とは異なって文字通り「」だったから、帝国海軍は第一次大戦中の地中海で確かにを果たした。大戦終了後のワシントン会議において、同盟自体は「発展的解消」を遂げたが、大戦中の絆が英国人の記憶に残ったのだろう。意外なことに同盟関係を解消した後も、そのは脈々と受け継がれた。

 それ故、英国の保守派の新聞は、満洲事変を巡る報道においても総じて日本側へ同情的な論調をつらにいた。片や極東の貿易相手という意味では、日本よりも約四億の人口を抱える中華民国の方がはるかに重要度が高い。とくに綿産業で栄えるランカシャー地方は、感情的にも民国びいきになりがちだった。これにリベラル派の国際協調論者たちが相乗りして、「事件は日本軍の計画的犯行だった」とする論調を展開した。
 つまり英国の新聞界は、古い同盟のよしみに起因する「日本擁護論」と、利害関係に基づく「日本悪玉論」に二分されていたのである。これら新聞の論調にとやかく口を挟む立場にはないが、松平は何とか外相の誤解だけは解いておきたかった。

 東京からの訓令に沿ってひと通り奉天の事件の経緯を説明したあと、松平は現下の中華民国がいかに混乱常態にあるかを訴え、日本との間に四百件にも上る未解決事案を抱えていると説いた。さらに満洲各地へと壊走かいそうした張学良軍が所々ところどころに潜伏していて、いつ何時なんどき襲ってくるか分からないとも言い足した。

「それならば、オブザーバーの意味で『ミリタリー・アタッシェ』を現地へ派遣してはどうでしょうか」
 松平の話をひと通り聞き終えたレディング外相は、感想に代えて一つの提案を投げてきた。松平の耳にはそれがやや唐突に響いたので、念のために聞いてみた。
「はぁ、その『ミリタリー・アタッシェ』とは何のことでしょうか」
 誰かを現地へ派遣してはどうかとの提案であることくらいはわかる。だがいったい誰を、何の名目や資格で送るというのか。
 ところが話を切り出したはずの外相もくわしいことはからないという。つまりは外相自身の発案ではないということなのだろう。だから「その件については後で主任官に確かめ、お答えする」といったまま話を引っ込めた。

 ジュネーブにおける「五人委員会」の話といい、外相の話といい、あまりに偶然すぎはしないだろうか? さらに後日、やはり英国人のエリック・ドラモンド聯盟事務総長も同じく調査員の派遣を提唱してきた。恐らくは英国外務省あたりが描いたシナリオを基に、各人がそれぞれの角度から日本へアプローチしてきたといったところだったのであろう。

 だが日本側にとってそれは、まごうかたなき「干渉」を意味した。だからジュネーブの代表部も東京の政府も、話が持ち上がるたびごとに、国内輿論よろんへの影響を憂慮ゆうりょして提案を拒絶した。それでも相手は諦めず、手を変え品を変え、様ざまな局面へ行き当たるごとに日本側へ応諾を迫ってくる。
 振り返ってみれば、最後は“根負こんまけ”するかたちで調査員受け入れをまされることになった。しかもマシグリが提案した通り、“”というかたちをとって……。
 これが後に「リットン調査団」と呼ばれる満洲視察団となる。
 
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