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第六章(十月理事会)
第六章第一節(心機一転)
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第六章
一
九月の理事会は何とか凌いだというものの、ジュネーブと東京の関係はちぐはぐで、日本の外交は戦略を欠いていた。片や聯盟側も、翌年に海軍軍縮会議を控えて功を焦った嫌いがある。
南京政府はその間隙を縫って、あの手この手の宣伝工作を仕掛けてきた。日本側が「よもや聯盟ともあろうものが、そのような情報工作に引きずられることなどあるまい」と高を括っている間に、理事会の空気はあれよあれよと民国寄りになっていった。
前回と同じ轍を踏まぬよう、あらかじめ本省と入念に対策を練っておく必要がある。満洲の情勢さえ悪化しなければ、次回十月十四日に予定されている臨時理事会は議長裁量によって招集を見合わすこともできる。あわよくば、来年一月の定例会合まで何ごともなく過ごせるかも知れない。
そのためにもできるだけ速やかに、この件を聯盟の手から切り離すのが肝要だ。芳澤はパリへと戻る汽車に揺られながら、そんなことを考えていた。
近頃のパリの新聞を賑わしているのは隣国イギリスの経済恐慌である。満洲事変の勃発とほぼ同時に宣言された英国の金輸出停止は、フランスにとっても対岸の火事ではない。連日の報道は、負の連鎖をいかに断ち切れるかという点にあてられた。足元に“恐慌”という時限爆弾を抱えたヨーロッパの人々にとって、遠く離れた極東の紛争に思いを巡らすほどの精神的余裕はない。
でき得れば、経済問題に紛れて事変への世の関心がこのまま薄れてくれればいいと願った。
芳澤が恐れたのは、事変を契機に聯盟が日華間の既存条約へと首を突っ込んでくることだった。少なくとも南京政府は、これを奇貨として聯盟の議場を大いに利用してくるはずである。
二国間条約に第三者が干渉を加えてくることによって、実質的にその効力を弱めるか、あるいは撤廃へと持っていく腹だろう。実際、日本はそれで何度も煮え湯を飲まされた。最悪のシナリオへと陥らないためにも、日華間の揉めごとから聯盟を遠ざけるのが一番である。
そんな期待に水を差すように、パリへ戻った芳澤を待っていたのは関東軍の本庄繁司令官が発した声明に関するニュースであった。
日本政府が聯盟に対して公にした方針とは相反し、満洲から張学良の勢力を徹底的に追い出すという関東軍の決意は、消えかかったパリっ子たちの関心を再び呼び起こした。
「果たして日本政府の真意はどこにあるのか?」
「日本政府は自国の軍隊を統率できないのだろうか?」
口さがないパリの新聞は政府と軍部、取り分け出先の関東軍との軋轢を大げさに書き立て、大使館はその火消しに追われた。
幸いにして今回は、幣原外相も手回しがよかった。本庄司令官の声明が新聞に載った翌日、即座に電報を送ってきて、「(声明は)政府の方針とは何ら関係はなく、出先軍部による張学良への反感の発露である」と、政府の見解を示してくれた。
本省は関東軍の声明を、「現地の事情にかんがみ、民心をなだめる目的で発せられたもの」と受け止めた。だから出先もうろたえるなという訓令だった。
そう言われてみれば、今回の事変でヨーロッパの民心は揺れたが、最も衝撃を受けたのは満洲にいる一般庶民たちである。それを思えば……、満蒙問題の根本解決まで気を抜いてはいけないのだと、気持ちを新たにした。
一
九月の理事会は何とか凌いだというものの、ジュネーブと東京の関係はちぐはぐで、日本の外交は戦略を欠いていた。片や聯盟側も、翌年に海軍軍縮会議を控えて功を焦った嫌いがある。
南京政府はその間隙を縫って、あの手この手の宣伝工作を仕掛けてきた。日本側が「よもや聯盟ともあろうものが、そのような情報工作に引きずられることなどあるまい」と高を括っている間に、理事会の空気はあれよあれよと民国寄りになっていった。
前回と同じ轍を踏まぬよう、あらかじめ本省と入念に対策を練っておく必要がある。満洲の情勢さえ悪化しなければ、次回十月十四日に予定されている臨時理事会は議長裁量によって招集を見合わすこともできる。あわよくば、来年一月の定例会合まで何ごともなく過ごせるかも知れない。
そのためにもできるだけ速やかに、この件を聯盟の手から切り離すのが肝要だ。芳澤はパリへと戻る汽車に揺られながら、そんなことを考えていた。
近頃のパリの新聞を賑わしているのは隣国イギリスの経済恐慌である。満洲事変の勃発とほぼ同時に宣言された英国の金輸出停止は、フランスにとっても対岸の火事ではない。連日の報道は、負の連鎖をいかに断ち切れるかという点にあてられた。足元に“恐慌”という時限爆弾を抱えたヨーロッパの人々にとって、遠く離れた極東の紛争に思いを巡らすほどの精神的余裕はない。
でき得れば、経済問題に紛れて事変への世の関心がこのまま薄れてくれればいいと願った。
芳澤が恐れたのは、事変を契機に聯盟が日華間の既存条約へと首を突っ込んでくることだった。少なくとも南京政府は、これを奇貨として聯盟の議場を大いに利用してくるはずである。
二国間条約に第三者が干渉を加えてくることによって、実質的にその効力を弱めるか、あるいは撤廃へと持っていく腹だろう。実際、日本はそれで何度も煮え湯を飲まされた。最悪のシナリオへと陥らないためにも、日華間の揉めごとから聯盟を遠ざけるのが一番である。
そんな期待に水を差すように、パリへ戻った芳澤を待っていたのは関東軍の本庄繁司令官が発した声明に関するニュースであった。
日本政府が聯盟に対して公にした方針とは相反し、満洲から張学良の勢力を徹底的に追い出すという関東軍の決意は、消えかかったパリっ子たちの関心を再び呼び起こした。
「果たして日本政府の真意はどこにあるのか?」
「日本政府は自国の軍隊を統率できないのだろうか?」
口さがないパリの新聞は政府と軍部、取り分け出先の関東軍との軋轢を大げさに書き立て、大使館はその火消しに追われた。
幸いにして今回は、幣原外相も手回しがよかった。本庄司令官の声明が新聞に載った翌日、即座に電報を送ってきて、「(声明は)政府の方針とは何ら関係はなく、出先軍部による張学良への反感の発露である」と、政府の見解を示してくれた。
本省は関東軍の声明を、「現地の事情にかんがみ、民心をなだめる目的で発せられたもの」と受け止めた。だから出先もうろたえるなという訓令だった。
そう言われてみれば、今回の事変でヨーロッパの民心は揺れたが、最も衝撃を受けたのは満洲にいる一般庶民たちである。それを思えば……、満蒙問題の根本解決まで気を抜いてはいけないのだと、気持ちを新たにした。
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